1696年7月14日の海戦
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 02:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動1696年7月14日の海戦 | |||||||
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ウィリアム王戦争中 | |||||||
ニューブランズウィック州の地図、中央下にファンディ湾、その上にセントジョンが見える。 |
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衝突した勢力 | |||||||
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指揮官 | |||||||
イームズ大尉、パクセン大尉 | ピエール・ル・モイン・ディベルヴィユ | ||||||
戦力 | |||||||
植民地の補給艦による戦闘用艦隊 | 戦闘用艦隊 | ||||||
被害者数 | |||||||
不明 | なし | ||||||
1696年7月14日の海戦(Action of 14 July 1696)は、ウィリアム王戦争末期にフランスとイングランドの間で、ファンディ湾(現在のニューブランズウィック州セントジョン)で行われた海戦である。イングランドの軍艦はボストンから派遣されており、フランスの士官ピエール・ル・モイン・ディベルヴィユによる、ケベックから、セントジョン川に面したアカディアの首都フォート・ナシュワク(現在のニューブランズウィック州フレデリクトン)への物資の運搬を阻止するのが狙いだった。フランスの軍艦エンヴューとプロフォンがはイングランドのフリゲート艦ニューポート(24門)を拿捕した。一方イングランドのフリゲート艦ソーリングス(34門)と北アメリカ植民地の補給艦は難を逃れた[1]。
概要
戦闘に至るまで
1696年、ウィリアム王戦争は7年目に入っていた。ディベルヴィユはペマキッド(現在のメイン州に立つニューイングランドの砦)の包囲戦に向かうため、シャラント=マリティムのロシュフォールからケベックシティまでを航行し、ケベックシティで、80人の部隊と民兵を乗艦させた。それからルイブール、ケープ・ブレトン島に向かい、ミクマク族の兵を30人乗せて、セントジョン川へと出帆した[2]。
戦闘
7月14日、セントジョン川から5リーグ(15マイル、24キロ)の地点で、ディベルヴィユは霧の中に錨をおろした。2時になって霧が晴れ始め、フランスの軍艦から、風上にイングランドの船が3隻、セントジョンズ川方向に一直線に並んでいるのが見えた。双方の距離が1リーグ(2.8キロ)にまで縮まった時、イングランド艦はフランスの軍艦に気づき、フランス艦隊の方に迫って来た[1] 。
フランス艦「プロフォン」の艦長であるサイモン=ピエール・ドゥニ・ド・ボナヴァンテュールは、戦闘向きなこの艦の本質を封じ、港をマスケット銃の銃撃が終わるまで港を閉鎖した。2隻のイングランド艦がフランス艦を砲撃した。ボナヴァンテュールは、港を開放し、イングランド艦を風上にやったところ、火力で劣るイングランド艦が、逃走しようとしているのに気づいた。プロフォンは風をとらえようとし、エンヴューのディベルヴィユは、暴風と戦いつつプロフォンを追った[1] 。
ディベルヴィユは、パクセンが指揮を執っていたイングランドのフリゲート艦ニューポートを砲撃し、帆柱を倒した。この拿捕船は後方に崩れ、もう少しでエンヴューの船首にぶつかって、提督旗を落とすところだった。ディベルヴィユは、ボナヴァンテュールに、ニューポートに兵を乗せるように命じた。ボナヴァンテュールは、このイングランド艦を、フランス艦隊の一員とすべく、セントジョン川へ移動させたが、座礁してしまい、ニューポートは危うく岩場で壊れそうになった[1]。
エンヴューのディベルヴィユは、イームズが指揮する、より大きなイングランド艦であるソーリングスを追い続けた。フランス艦からの砲弾は、ソーリングスの向こうに逸れたが、夜の闇と霧とが、3時間続いたこの戦いの幕を下ろした。イングランド艦ソーリングスは逃走した[1]。
ペマキッドの戦いへ
戦闘の翌日の1696年7月15日、ディベルヴィユはセントジョン港に入った。アカディアの首都、フォート・ナシュワクへの荷を下ろした後、8月2日に50人のミクマク族と、シモン神父を乗船させて、ペネブスコット(現在のメイン州キャスティン)に向けて出発した。ディベルヴィユはセントジョンで修理されたニューポートを、新たにフランス艦隊に加えた[3]。8月7日、ペネブスコットに着いた艦隊をヴィリュー、モンティニと25人のインディアン、テュリ神父、ジャン=ヴァンサン・ダバディ・ド・サン=キャスタンと300人のインディアンが出迎え、8月14日、ディベルヴィユは彼らをすべて連れて、ペマキッドの戦いに臨んだ[4]。
脚注
参考文献
- France and England in North America: A series of historical narratives, Part 5 By Francis Parkman, Chapter 18. p. 388
- Beamish Murdoch. A History of Nova-Scotia, Or Acadie, Volume I. James Barns, Printer and Publisher. 1865.
- Hannay, James. The history of Acadia, from its first discovery to its surrender to England
一次出典
- 情報を提供したボードウィンは、フランス艦には負傷者は一人もおらず、インディアン兵がよく働いていたと述べている。
「Action of 14 July 1696」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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