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DVKとは? わかりやすく解説

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DVK

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/24 10:13 UTC 版)

ДВК(DVK)
別名 エロクトロニカ MS-0501
Elektronika MS-0502
種別 マイクロコンピュータ(PDP-11アーキテクチャ)
発売日 1983 ДВК-1 (DVK-1)

ДВК(発音:デー・ヴェー・カー、英語表記ではDVK)は、ソビエト連邦で1980年代初頭から中盤にかけて広く普及した16ビットマイクロコンピュータのシリーズ(ファミリー)である。開発元はНИИ точной технологии (НИИТТ, 精密技術研究所、ゼレノグラード)であり[1]、その設計は、西側のミニコンPDP-11の技術を独自に模倣し、クローンとして取り入れたものであり、ソ連のコンピューティング史における重要な一歩となった。正式名称はДиалоговый вычислительный комплекс(ディアーラガヴィ・ヴィーチスリチェーリヌイ・コームプリェクス)であり、その意味は「対話型計算複合機」である。このシリーズの主な機種にはDVK-1, DVK-2, DVK-2М, DVK-3, DVK-3M2がある[注釈 1]

名称と表記など
  • 正式名称と略称  : Диалоговый вычислительный комплекс (略称 : ДВК)
  • 英語表記 : DVK (Dialogovy Vychislitel'nyy Kompleks)。  ソ連の人々は英語表記を使わず、あくまで英語圏の人々が本機をソ連外から呼ぶ際に便宜的に英語表記を使った。本項目でも便宜上 "DVK"を表記に使う。

概説の後、各機種について順に説明する。

概説

DVKの最も重要な特徴は、そのアーキテクチャがアメリカのDEC (Digital Equipment Corporation)社が開発したPDP-11ミニコンピュータと互換性を持つよう設計されていたこと("PDP-11のクローン"であること)である[2]

DVKはDEC社のLSI-11(PDP-11のマイクロプロセッサ版)をモデルとしており、DVKによりソ連の技術者はPDP-11向けに開発されたソフトウェア資産や知識を活用することが可能になった[2]

ただし、オリジナルのPDP-11はマルチユーザで使用できるOSを動かせるマシンだったが、ソ連において本機は、基本的にシングルユーザ方式で使用された。複数のDVKをネットワークで接続することはあっても、一つのマシンに複数のダム端末を接続するマルチユーザシステムの使いかたは、ソ連においては "より高性能なミニコンピュータやメインフレームの役割"とされた。

CPU

DVKで使用されたプロセッサК1801ВМ1/ВМ2は、ソヴィエト連邦内で製造された16ビットのマイクロプロセッサで、PDP-11の命令セットと互換性を持つ[3]

バス構造

内部バスは、DECのQ-Busに相当するソ連独自のバス規格が使用された[2]

主な用途と影響

DVKは、当時のソ連で最も普及したマイクロコンピュータのひとつとなり、主に以下の分野で利用された[4]

  • 教育
大学や専門学校、そして中等教育のコンピューティングラボにおいて、プログラミング教育や実習に使用された[4]
  • 研究・開発
産業組織や軍事技術研究機関におけるプログラマの作業用マシンとして利用された[4]
  • 制御システム
産業プラントや、一部の軍事的な情報処理システムに組み込まれて使用された。たとえばDVK-2Mは1987年の潜水艦探査作戦「アトリナ」で制御システムとして使用された記録がある[4]

DVK-1

DVK-1

DVK-1は、DVKの最初の機種であり、1981年に開発され、1983年から生産・出荷を開始した[5]

  • CPU - マイクロプロセッサのK1801VM1 または K1801VM2 搭載[6]
  • アーキテクチャ - DEC PDP-11互換(クローン)[2]
  • メモリ容量 - 約 48KB[1]
  • 入出力装置 - 今日のPCのような内蔵ビデオアダプタを持たず、専用の端末(ターミナル)である「15ИЭ-00-013」などのCRTディスプレイユニットと組み合わせて使用された[5]
  • 外部記憶装置 - DVK-1には、外部記憶装置が標準で搭載されておらず、これは運用上の効率を低下させる要因となった。(DVK-2以降にフロッピーディスクやハードディスクが利用可能に。西側諸国と比較すると遅れて導入されることになった)[1]

DVK-1は、西側のパーソナルコンピュータと比較して対話型端末としての性格が強かった。

DVK-2

15IE-00-013端末を接続したDVK-2

DVK-2は、DVK-1の設計を基にしつつ、外部記憶装置サポートを強化したことで、実用性が大きく向上し、DVKファミリーの主要モデルのひとつとなった。標準構成ではフロッピーディスクドライブ(FDD)を接続可能であり、本格的なOS(RT-11のソ連版クローンであるRAFOSなど)を動作させることが可能となった。多くの場合、専用のCRT端末である「15ИЭ-00-013」と組み合わせて使用された[2]。 DVK-2は、研究機関や教育機関でプログラマの作業環境として広く普及し、後のソ連のパーソナルコンピュータ(例えばElectronika BK)のソフトウェア開発プラットフォームとしても利用された。[7]

DVK-3

DVK-3

DVK-3は、DVKシリーズの中核となるモデルであり、特にCPUの高性能化メモリ管理の拡張が図られた。このモデルでは、プロセッサをК1801ВМ3などに更新、22ビット拡張アドレスバスを導入。これにより、搭載可能な主記憶(RAM)の容量が大幅に増加し、より複雑なプログラムやOSを効率的に実行することが可能となった[2]。 DVK-3は、ソ連の多くの機関や学校で、より高度なコンピューティング作業のために採用された、堅牢で信頼性の高いシステムである[6]

DVK-3M2

DVK-3M2

DVK-3M2は、DVK-3の改良版である。主な改良点として、よりコンパクトな筐体強化されたグラフィック機能が挙げられる。このモデルは、水中音響処理(ソナー)などの軍事用途や、教育現場での視覚的なプログラミング教育に利用された[8]。 DVK-3M2は、1987年にソ連海軍北方艦隊が行った潜水艦探査作戦「アトリナ」において、水中音響処理装置「リツァ」の一部として船上に搭載され、データ解析に使用された記録が残されている[9]

ソフトウェア

西側のPDP-11用ソフトウェアがソ連内でクローンとして"移植"され、広く利用された。著作権の概念が西側とは異なっていたため、基本的にはソ連の技術者がリバースエンジニアリングやコードの再実装を通じて、PDP-11の主要なOSやプログラミング環境をDVKで利用できるようにした。

DVKのBASICインタプリタ
西側の元のソフト名 ソ連のクローン名(英語表記) 説明
RT-11 РАФОС(英:RAFOS) PDP-11用のシングルユーザリアルタイムOSのクローンである。DVKの基本的なOSとして広く利用された。
RSX-11M ОС ДВК(英:OS DVK)
またはФОБОС(英:FOBOS)
PDP-11用マルチタスクOSのクローンであり、より複雑な産業用途などに使われた。
UNIX ДЕМОС(英:DEMOS) UNIX Time Sharing Systemのクローンである。ソ連国内で開発された最初の本格的なUNIX系OSであり、DVKを含む高度なPDP-11互換機で使用された
BASIC БЕЙСИК (英:Elektronika BASIC) BASICのインタプリタ。初期のモデル(DVK-1など)ではROMに書き込まれて提供された
FORTRAN ФОРТРАН(英:FORTRAN) 科学技術計算で広く使われたFORTRANコンパイラのソ連版が提供された。

クローンソフトはソ連の国内規格に合わせて修正や改良が加えられたが、基本的な操作感やプログラミングインターフェースはオリジナルのPDP-11ソフトウェアと高度な互換性を保持していた。

クローンソフトウェアの命名法

ソ連での呼称は、基本的にオリジナル名の頭文字を取るか、もしくはロシア語(キリル文字)で似たような発音になるように置き換えられた(下記例示)。あるいは単にソ連の規格名や開発コードネームが付与された。

  • RT-11 → RAFOS: 「Real-time And File Operating System」(リアルタイムおよびファイルOS)の頭文字をキリル文字で表記したものだと解釈される。
  • UNIX → DEMOS: 「Dialogovaya Edinaya Mobilnaya Operatsionnaya Sistema」(対話型統一モバイルオペレーティングシステム)の頭文字を取ったもので、当時のソ連の技術者が独自に名前をつけた。


各モデルの出荷時期、生産台数

DVKファミリーの各モデルの正確な開発完了や出荷開始の年月は、公的に確認できる文書が限られており、情報源によって差異がある場合がある。一般に知られている情報源に基づくとその時期は以下の通りである。

  • DVK-1 - 1981年開発、1983年出荷開始[5]
  • DVK-2 - 1983年頃開発、1984年頃出荷開始[10][注釈 2]
  • DVK-3 - 1984年頃開発、1985年頃 出荷開始[10]
  • DVK-3M - 1986年頃開発、1987年頃出荷開始 [10]

なお、DVK-2, DVK-3(DVK-3M2)は並行的に出荷され、用途や予算に応じて使い分けられていた可能性が極めて高い。これはソ連では生産計画や採用計画が硬直していたこと[注釈 3]や、異なる機関(軍事、教育、産業など)がそれぞれ特定のモデルを必要としたためである。DVK-3が開発された後も、DVK-2は基本的なワークステーションとしての役割を果たし続け、DVK-3や改良版のDVK-3M2は、拡張アドレスバス(22ビット)を備えていたため、より大容量のメモリを必要とする複雑な科学技術計算や、グラフィックを多用する教育・軍事システムといった高性能な用途のために使われた[2]

総生産台数と機種ごとの内訳推定

DVKファミリー全体の出荷台数について、正確な出荷台数や各モデルごとの内訳を示す信頼できる公的な記録を見つけることは困難である。しかし、DVKファミリー全体(DVK-1、DVK-2、DVK-3、DVK-3M2など)の総生産台数に関してロシア語の技術記事(Habr)は、1980年代半ばから90年代初頭までで16万台から18万台と推計している[11]

シリーズ最初のDVK-1は使いにくかったので出荷台数は少かっただろうと推定され、補助記憶装置が接続でき使いやすくなったDVK-2や、さらに性能向上が図られたDVK-3やDVK-3M2の出荷台数が多かっただろうとは推測されているが、詳細な出荷台数や具体的な割合は不明である[4] [12]

生産終了の時期

DVKファミリー全体の生産終了の正確な年月は特定されていないが、一般的に1990年代初頭まで生産が続けられたと考えられている。文献によっては、DVKファミリーを「1980年代半ばから1990年代初頭にかけてのソビエト連邦のコンピューターファミリー」と記述しており、ソ連崩壊(1991年12月)まで、あるいはその直後までDVKファミリの生産が継続されたことを示唆している[6]

ソビエト連邦の計画経済体制が崩壊した後、西側のより安価で高性能なPC(特にIBM PC互換機)の輸入が自由化されたことにより、DVKのようなPDP-11クローンの需要は急速に低下し、生産は段階的に終了したと考えられる。

計画経済下におけるDVKの流通と"価格"

当時のソビエト連邦は計画経済で運営されており、"生産手段"や"公共財"は、西側自由市場(資本主義社会)における「売買」とは異なり、計画的な配分と、それに伴う資金決済という二重の仕組みで流通していた。

1. 流通の根本原理

物品の流通の根本原理は、中央政府による計画的な配分(分配)であった。

  • 生産と配布計画
ソ連中央政府(具体的にはゴスプランなどの国家計画委員会)が、コンピュータの製造工場に対して、国全体の優先順位(軍事、教育、産業制御など)に基づいて「どの機種を何台生産せよ」という生産目標を課していた[13]
  • 希望と割当
利用機関(教育機関や軍の研究所、産業組織など)は、翌年や翌々年に必要な"生産財"に分類される機械の機種と希望台数を中央政府に申請した。中央政府は、限られた生産能力と国家的な優先順位に基づいて、各組織への割当台数(上限)を決定していた[14]。DVKも同様である。
  • 配給的な流通
この仕組みは、資本主義のような需要と供給のバランスではなく、国家の目標達成を最優先とする「配給」的な性格が非常に強かった。各組織は、通貨(ルーブル)を持っていても、中央政府からの"割当"がなければDVKを入手することは原則としてできなかった。
2. 資金決済、通貨の支払い
ソ連では、配給が根本原理であったが、通貨のやり取りが全くなかったわけではない。これはソ連の経済システムが持つ二重性である。
  • 企業・組織間の資金決済
DVKを受け取る組織(例:大学や研究所)は、中央政府の予算配分に基づいて、DVKの生産組織体(例:ゼレノグラードの「クヴァント」工場など)に対して通貨(ルーブル)を支払った[14]
  • 会計上の手続き
この支払いは、西側資本主義社会のような利益追求の「売買」における"対価"ではなく、あくまで費用の回収と、生産組織体の運営費や労働者の賃金支払いのための会計上の手続きであった。この資金は通常、非現金ルーブル[注釈 4]でやり取りされ、生産財の購入に使われた。
  • 価格の決定
DVKの"価格"は、市場の需給ではなく、中央政府が設定した原価(原材料費、賃金など)に計画上の利益(または赤字補填)を上乗せして決定された。この"価格"は、国家の会計上の"道具"であり、資本主義国の市場における価格とは異なり、製品の競争力とは無関係に決定された。
3. DVKの内部価格の推定
DVKは、教育機関や生産組織体や軍研究所などの組織向けに出荷されるものであり、個人向けに販売されるものでは無いので、公式な"小売価格"は存在しないが、会計処理のための教育機関向けや軍事機関向けの"内部価格"(西側諸国の"卸売価格"のようなもの)が設定されていた。DVKの公式価格に関する信頼できる出典は非常に少ないが、当時の類似製品の価格から、その内部価格の相対的な高価さが推測されている。DVKと同じPDP-11互換CPU(K1801VM1)を搭載した、後に発売されたソ連のホームコンピュータである「Electronika BK-0010」は1985年頃に600〜650ルーブルで販売されたが[2]、DVKはFDDや専用端末などを含むプロフェッショナルなシステムであり、Electronika BKより はるかに高価であったと推定される。文献によっては、DVKシステムの"内部価格"が数千ルーブルに達していたと推定されている[15]当時のソ連の平均月収が約150〜200ルーブルであったことを考慮すると、DVKの価格は個人で購入できる水準ではなかった

関連項目

脚注

注釈
  1. ^ それに加え、マイナーな機種が数種ある
  2. ^ 1983年以降の各モデルの正確な開発時期は公的な文書が少なく、情報源によって僅かな差異が見られるが、DVK-2Mが1987年の作戦に使用された記録などから、概ねこの時期に導入されたと推定されている。
  3. ^ ソビエト連邦では、新しい技術やモデルが開発されても、旧モデルの生産ラインがすぐに停止されることは稀であった。
  4. ^ 銀行口座でのみ存在するルーブル
出典
  1. ^ a b c ДВК- советский персональный компьютер начала 80-х годов”. LiveJournal (picturehistory). 2025年10月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h DVK-3, the MOST CHERNOBYL COMPUTER EVER. - Architecture”. The Chernobyl Family (YouTube). 2025年10月24日閲覧。
  3. ^ DVK-1”. The CPU Shack Museum. 2025年10月24日閲覧。
  4. ^ a b c d e ДВК-2М - История применения”. Музей микроэлектроники. 2025年10月24日閲覧。
  5. ^ a b c 1982 год – Начало производства персональных компьютеров ДВК”. Достижения России. 2025年10月24日閲覧。
  6. ^ a b c DVK-1”. The CPU Shack Museum. 2025年10月24日閲覧。
  7. ^ ДВК-2М - История применения”. Музей микроэлектроники. 2025年10月24日閲覧。
  8. ^ ДВК-2М - История применения”. Музей микроэлектроники. 2025年10月24日閲覧。
  9. ^ ДВК-2М - История применения”. Музей микроэлектроники. 2025年10月24日閲覧。
  10. ^ a b c ДВК-2М - История применения”. Музей микроэлектроники. 2025年10月24日閲覧。
  11. ^ Приключения микропроцессора в СССР: 16 бит”. Habr. 2025年10月24日閲覧。
  12. ^ Приключения микропроцессора в СССР: 16 бит”. Habr. 2025年10月24日閲覧。
  13. ^ Paul Marer (1972). Soviet and East European Foreign Trade, 1946-1969: Statistical Compendium and Analysis. Indiana University Press. p. 90-95. "(当時の東欧圏の計画経済の取引に関する一般的な解説より)" 
  14. ^ a b Paul Marer (1972). Soviet and East European Foreign Trade, 1946-1969: Statistical Compendium and Analysis. Indiana University Press. p. 90-95. "(当時の東欧圏の計画経済の取引に関する一般的な解説より)" 
  15. ^ Приключения микропроцессора в СССР: 16 бит”. Habr. 2025年10月24日閲覧。

外部リンク




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