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F3000とは? わかりやすく解説

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F3000

英語 Formula 3000

F1のすぐ下に属するF2後継カテゴリー欧州では1985年から日本でも87年から、F1へステップアップを狙うカテゴリーとしてレース開催されている。車重660kg以下。欧州F3000ではエンジン当初、元F1エンジンのフォード・コスワースDFV主流だったが、ほかにホンダ、無限、ジャッドなども参戦していた。現在では、FIA指定のザイテック・ジャッドのワンメイクで3000cc、回転数は9000rpm以下に抑えられる過給機禁止日本では96年からフォーミュラ・ニッポン移行エンジンフリーだが、全車が無限製エンジン使っている。シャシーローラレイナード主流タイヤ欧州エイボン日本ブリヂストンワンメイク

参照 F2
※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

フォーミュラ3000

(F3000 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/27 05:35 UTC 版)

ローラ・B99/50(2000年)

フォーミュラ3000Formula 3000F3000)は、自動車レースの1カテゴリーで、国際自動車連盟(FIA)が定義するフォーミュラカー(オープンホイール)による四輪レースのうち、F1の直下に位置するカテゴリーであった。

F3000には国際選手権と地域選手権が存在した。本項ではおもに国際F3000選手権 (International Formula 3000 Championship) について説明する。

概要

1985年-1995年

レイナード・93D(1993年)

F1の下位カテゴリーであったF2がワークスエンジンの開発競争激化などによる費用高騰のため、それに代わる物として、F1のレギュレーションの変更により使われなくなった、かつてF1で一時代を築いたフォードコスワースDFVエンジンV8 3,000cc)を再利用し、回転数を9,000rpmに制限するなどの方法でコスト低減されたカテゴリーとして1985年に再編成された。

しかしシリーズが進むにつれてシャーシ(マーチローララルトレイナードダラーラフットワーク童夢)、エンジン(無限ジャッドコスワースAC)等多数のメーカーが参入し、また各チームによる「スペシャルガソリン」や「トラクションコントロールシステム」等の開発、シーズン途中でのシャーシ(例 ローラ→レイナード)やエンジンメーカー(例 無限→コスワース)の変更等を行うチームが発生し、その結果参戦コストが大幅に急騰してしまった。そのため1995年にレギュレーションの変更を行いシャーシ、エンジンをワンメイクにし入札を行ない、その結果1996年よりシャーシはローラ、エンジンはザイテック(設計はジャッド)のV型8気筒3,000ccへと変更になった(タイヤは1986年よりエイヴォン・タイヤのワンメイク)。

1996年-2004年

ローラ・T96/50(1998年)
ローラ・B99/50(1999年)

1996年以降においてマクラーレンベネトンジョーダンアロウズプロスト等が若手育成を目的として「ジュニアチーム」を設立する(実際には参戦しているチームを支配下に置く方式)。これは若手ドライバーをレースだけに集中させるだけではなく、F1ドライバーになるためのレース活動以外のサポートをしたが、F1とF3000のマシンのレベルに差が大きすぎ、F1チームの予想に反してF1へのステップアップが想定通りには進まなかった。

その結果F1チームにおけるドライバー育成プログラムを見直し、ドイツF3(→F3ユーロシリーズ)やイギリスF3等のランキング上位者ドライバーをテストドライバーとして契約し将来的にはレギュラードライバーにステップアップさせる方法へ切り替えた。僅か数年で各F1チームはジュニアチームを解散させてしまい(本来の単独チームへ戻り)、その影響で多くのスポンサーが撤退してしまった。結果として、ますますF1へのステップアップが難しくなるという皮肉な結末になった。

FIAにおいても国際F3000がF1への重要なステップアップカテゴリーである認識は強かったので、テレビ放送によって露出を増やし、より多くのスポンサーの参入と目的とし、国際F3000による単独レースを止めてヨーロッパ内で行われるF1レースの前座レースへと変更をしたが、FIAの思惑とは裏腹に年々エントリーが減少し、F1へのステップアップカテゴリーとして機能しているとは言い難いものとなり、2005年からGP2に移行した。

選手権

国際F3000の他、イギリス日本など数カ国で国内選手権が行われており、中でもフェリペ・マッサなどを輩出したユーロ3000選手権の動きが活発であったが、同選手権も2009年限りで終了している。日本では1987年から1995年まで全日本F3000選手権が開催されていた。

ジンクス

「国際F3000のチャンピオンになったドライバーは、F1ではチャンピオンになれない」というジンクスがある。

この話はヨーロッパF2時代からあり、事実としてヨーロッパF2、国際F3000ともに、そのチャンピオンドライバーはまだ1人もF1世界チャンピオンになっていない。国際F3000チャンピオンの中からはF1における優勝ドライバーもなかなか現れず、チャンピオンを獲得したドライバーで初めてF1で優勝を果たしたのは1995年カナダGPにおけるジャン・アレジである。アレジ以降もオリビエ・パニスファン・パブロ・モントーヤ以外にF1で優勝した元国際F3000チャンピオンはいない。なお、国際F3000とF1の両方で優勝したことがあるドライバーは上記3人のほか、ジョニー・ハーバートデビッド・クルサードエディ・アーバインフェルナンド・アロンソマーク・ウェバーがいる。またデイモン・ヒル(1991年総合7位)、ルーベンス・バリチェロ(1992年総合3位)も優勝こそない(いずれも最高位2位)ものの上位ランカーの一人ではあった。

歴代チャンピオン

国際F3000選手権チャンピオン
チャンピオン 国籍 所属チーム マシン レポート
1985年 クリスチャン・ダナー ドイツ BSオートモーティブ英語版 マーチ85B・コスワース 詳細
1986年 イヴァン・カペリ イタリア ジェノア・レーシング マーチ86B・コスワース 詳細
1987年 ステファノ・モデナ イタリア オニクス マーチ87B・コスワース 詳細
1988年 ロベルト・モレノ ブラジル Bromley Motorsport レイナード88D・コスワース 詳細
1989年 ジャン・アレジ フランス エディ・ジョーダン・レーシング レイナード89D・無限 詳細
1990年 エリック・コマス フランス DAMS ローラT90/50・無限 詳細
1991年 クリスチャン・フィッティパルディ ブラジル パシフィック レイナード91D・無限 詳細
1992年 ルカ・バドエル イタリア クリプトン・エンジニアリング レイナード92D・コスワース 詳細
1993年 オリビエ・パニス フランス DAMS レイナード93D・コスワース 詳細
1994年 ジャン=クリストフ・ブイヨン フランス DAMS レイナード94D・コスワース 詳細
1995年 ヴィンセンツォ・ソスピリ イタリア スーパーノヴァ・レーシング レイナード95D・コスワース 詳細
1996年 ヨルグ・ミューラー ドイツ RSMマルコ ローラT96/50・ザイテック 詳細
1997年 リカルド・ゾンタ ブラジル スーパーノヴァ・レーシング ローラT96/50・ザイテック 詳細
1998年 ファン・パブロ・モントーヤ  コロンビア スーパーノヴァ・レーシング ローラT96/50・ザイテック 詳細
1999年 ニック・ハイドフェルド ドイツ ウェスト・コーポレーション ローラB99/50・ザイテック 詳細
2000年 ブルーノ・ジュンケイラ ブラジル ペトロブラス・ジュニアチーム ローラB99/50・ザイテック 詳細
2001年 ジャスティン・ウィルソン イギリス コカコーラ・ノルディック・レーシング ローラB99/50・ザイテック 詳細
2002年 セバスチャン・ボーデ フランス スーパーノヴァ・レーシング ローラB02/50・ザイテック 詳細
2003年 ビヨン・ビルドハイム  スウェーデン アーデン・インターナショナル英語版 ローラB02/50・ザイテック 詳細
2004年 ヴィタントニオ・リウッツィ イタリア アーデン・インターナショナル ローラB02/50・ザイテック 詳細

ノンタイトル戦結果

レース サーキット 開催日 優勝者 コンストラクター レポート
1985年 キュラソーグランプリ英語版[1] ウィレムスタット 10月13日 ジョン・ニールセン マーチ 詳細
1992年 I ワールドカップ[2] ブエノスアイレス 12月13日 アンドレア・モンテルミーニ レイナード 詳細
1993年 II ワールドカップ[3] ムースヘッド 7月11日 アンドレア・モンテルミーニ レイナード 詳細
1994年 III ワールドカップ[4] ムースヘッド 7月10日 ジャンフランコ・カネー レイナード 詳細
1995年 バーキン・カーズ/TVR・インビテーショナルコース英語版[5] キャラミ 1月29日 ヤン・ラマース レイナード 詳細
1997年 ボローニャモーターショーF3000スプリントイタリア語版[6] ボローニャ 12月 オリバー・ティッヒー ローラ 詳細
1998年 ボローニャモーターショーF3000スプリントイタリア語版[7] ボローニャ 12月5/6日 ファブリツィオ・ゴリン ローラ 詳細
1999年 ボローニャモーターショー国際F3000スプリントイタリア語版[8] ボローニャ 12月4-8日 マルコ・アピチェラ ローラ 詳細
1999年 ボローニャモーターショーイタリアF3000スプリントイタリア語版 ボローニャ 12月4-8日 トーマス・ビアッジ ローラ 詳細
2000年 アッセンレース (イタリアF3000選手権ノンタイトル戦結果)[9] TTアッセン 8月20日 トーマス・ビアッジ ローラ
2000年 ボローニャモーターショーイタリアF3000スプリントイタリア語版[10] ボローニャ 12月11日 リカルド・スペラフィコ ローラ 詳細
2001年 ボローニャモーターショーユーロF3000スプリントイタリア語版[11] ボローニャ 12月10日 トーマス・ビアッジ ローラ 詳細
2002年 ボローニャモーターショーユーロF3000スプリントイタリア語版[12] ボローニャ 12月5-6日 アンドレ・ロッテラー ローラ 詳細
2003年 ボローニャモーターショーユーロF3000スプリントイタリア語版[13] ボローニャ 12月6日 マテオ・グラッソト ローラ 詳細
2004年 ポルトロシュグランプリ英語版[14] ポルトロシュ 10月3日 パトリック・フリーザッハー ローラ 詳細
2004年 ボローニャモーターショーイタリアF3000スプリントイタリア語版[15] ボローニャ 12月6日 マルコ・ボナモニ ローラ 詳細
2004年 ボローニャモーターショー3000プロシリーズスプリントイタリア語版[16] ボローニャ 12月6日 ガブリエル・ランチーニ ローラ 詳細
2005年 ボローニャモーターショーイタリアF3000スプリントイタリア語版[17] ボローニャ 12月3日 マルコ・ボナモニ ローラ 詳細
2006年 ボローニャモーターショーユーロシリーズ3000スプリントイタリア語版[18] ボローニャ 12月7日 ガブリエル・ランチーニ ローラ 詳細
2007年 ボローニャモーターショーユーロシリーズ3000スプリントイタリア語版[19] ボローニャ 12月7日 ピエール・ラグ ローラ 詳細
  • ※1996年に導入されたF3000レギュレーションの対象となるワンメイク競技、すべてのドライバーとチームがローラ・T96/50を使用
  • ※1999年に導入されたF3000レギュレーションの対象となるワンメイク競技、すべてのドライバーとチームがローラ・B99/50を使用
  • ※2002年に導入されたF3000レギュレーションの対象となるワンメイク競技、すべてのドライバーとチームがローラ・B02/50を使用

関連項目

脚注

  1. ^ Curaçao Grand Prix 1985, Willemstad”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  2. ^ Temporada (World Cup) - Buenos Aires (RA), December 13th 1992”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  3. ^ Moosehead Grand Prix, Halifax (CDN), July 11th 1993”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  4. ^ Moosehead Grand Prix, Halifax (CDN), July 10th 1994”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  5. ^ Birkin Cars/TVR Invitational Race - Kyalami (ZA), January 29th 1995”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  6. ^ Bologna Motorshow F3000 Sprint, December 1997”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  7. ^ Bologna Motorshow F3000 Sprint, 5th/6th December 1998”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  8. ^ Bologna Motorshow F3000 Sprint, December 4th-8th 1999”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  9. ^ F3000 Italia non-championship race, Assen (NL), 20th August 2000”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  10. ^ Bologna Motorshow F3000 Sprint, December 11th 2000”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  11. ^ Bologna Motorshow F3000 Sprint, December 10th 2001”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  12. ^ Bologna Motorshow Euro 3000 Sprint, December 8th-9th 2002”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  13. ^ Bomb Boogie Euro 3000 Challenge, Bologna Motorshow (I), December 6th 2003”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  14. ^ Grand Prix of Portoroz, Slovenia, 3rd October 2004”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  15. ^ F3000 Italia, Bologna Motorshow (I), December 6th 2004”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  16. ^ 3000 Pro Series, Bologna Motorshow (I), December 6th 2004”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  17. ^ Bomb Boogie Formula 3000, Bologna Motorshow (I), December 3rd 2005”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  18. ^ Euroseries 3000, Bologna Motorshow (I), December 7th 2006”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。
  19. ^ Euroseries 3000, Bologna Motorshow (I), December 7th 2007”. Unofficial F3000. 2023年5月3日閲覧。

外部リンク


F3000

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 09:32 UTC 版)

ダラーラ」の記事における「F3000」の解説

1987年に「ダラーラ・3087」を国際F3000選手権向けに供給この年参戦初年度だったフォルティ・コルセと、ユーロベンチュリーニの2チーム使用したが、後者所属マルコ・アピチェラ一度だけ5位入賞果たした留まり、満足な結果残せなかった。このマシン前述のF1初戦投入されることになる。

※この「F3000」の解説は、「ダラーラ」の解説の一部です。
「F3000」を含む「ダラーラ」の記事については、「ダラーラ」の概要を参照ください。

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