G15
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 04:52 UTC 版)
|
G15加盟国
|
|
| 設立 | 1989年9月 1990年(首脳会議開催) |
|---|---|
| 目的 | 主要な開発途上国間の協力をより一層大きくするための触媒として活動する[1]。 |
|
会員数
|
|
| G15議長国 | |
| ウェブサイト | www.g15.org |
G15(ジーフィフティーン、英: Group of Fifteen)とは、開発途上国の17か国で構成されたグループ。1989年9月にユーゴスラビアのベオグラードで開催された、第9回非同盟諸国首脳会議において結成された。お互いの協力促進と、世界貿易機関や経済大国の集まりであるG7といった他の国際的機関に対抗することを目的としている。
概要
成長促進と繁栄という共通の目標を抱えた北アメリカ、南アメリカ、アフリカ、およびアジアの国々から構成されており、開発途上国の特に投資、貿易、技術の分野に焦点を合わせて相互協力している。G15の加盟国は17か国にまで増えたが、名称は変更されていない[2]。
2010年の第14回首脳会議では首脳が半分も集まらないなど、近年では一体感の低下が指摘されている[3]。2011年にはペルーがG15から脱退した。2012年の第15回首脳会議は、スリランカのコロンボにて開催された。
加盟国
G15首脳会議
| 回次 | 日付 | 開催国 | 開催都市 | 議長 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1990年6月1日-6月3日 | クアラルンプール | マハティール・ビン・モハマド | |
| 2 | 1991年11月27日-11月29日 | カラカス | カルロス・アンドレス・ペレス | |
| 3 | 1992年11月21日-11月23日 | ダカール | アブドゥ・ディウフ | |
| 4 | 1993年3月28日-3月30日 | ニューデリー | ナラシンハ・ラーオ | |
| 5 | 1995年11月5日-11月7日 | ブエノスアイレス | カルロス・メネム | |
| 6 | 1996年11月3日-11月5日 | ハラレ | ロバート・ムガベ | |
| 7 | 1997年10月28日-11月5日 | クアラルンプール | マハティール・ビン・モハマド | |
| 8 | 1998年5月11日-5月13日 | カイロ | ホスニー・ムバーラク | |
| 9 | 1999年2月10日-2月12日 | モンテゴ・ベイ | P・J・パターソン | |
| 10 | 2000年6月19日-6月20日 | カイロ | ホスニー・ムバーラク | |
| 11 | 2001年5月30日-5月31日 | ジャカルタ | アブドゥルラフマン・ワヒド | |
| 12 | 2004年2月27日-2月28日 | カラカス | ウゴ・チャベス | |
| 13 | 2006年9月14日 | ハバナ | ラウル・カストロ | |
| 14 | 2010年5月15日-5月17日 | テヘラン | マフムード・アフマディーネジャード | |
| 15 | 2012年 | コロンボ | マヒンダ・ラージャパクサ |
脚注
- ^ Aims and Objectives[リンク切れ]
- ^ http://www.presstv.com/detail.aspx?id=125980§ionid=351020101[リンク切れ]
- ^ “G15首脳会議、テヘランで開幕”. 日経電子版 (日本経済新聞). (2010年5月18日) 2010年5月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
G15
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:34 UTC 版)
1967 年には、後部にマウントされた 875 ccのヒルマン・インプ(英語版)エンジンを使用するG15(英語版)が発売された。この 2 人乗りクーペは、ガラス繊維のボディがチューブシャーシにボルトで固定され、インプのリアサスペンションとトライアンフのフロントサスペンションが使用されていた。1967年から1974年までに約800台が生産され、車は型式承認され、完全なジネッタ車が初めて販売された。8台のG15がフォルクスワーゲンのエンジンで生産され、「スーパーS」と呼ばれた。
※この「G15」の解説は、「ジネッタ・カーズ」の解説の一部です。
「G15」を含む「ジネッタ・カーズ」の記事については、「ジネッタ・カーズ」の概要を参照ください。
- G15のページへのリンク