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Hauteclereとは - わかりやすく解説 Weblio辞書
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Hauteclereとは? わかりやすく解説

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オートクレール

(Hauteclere から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/02/08 09:50 UTC 版)

オートクレールアングロ=ノルマン語: Halteclere古フランス語: Hauteclere, Hauteclaire[注 1][注 a] haute + claire 「高く清らか」または「いとも清き」を意味する[3])は、シャルルマーニュ伝説群に登場する騎士パラディンオリヴィエ

11世紀古フランス語武勲詩ロランの歌』やその他の武勲詩、それらの翻訳翻案作品に登場する。『ロランの歌』では、オリヴィエの剣の外見的な説明がある程度だが、その剣の由来は武勲詩『ジラール・ド・ヴィエンヌ』に詳しく、ジラール公が逆臣となったこの作品では、親戚のオリヴィエと、王甥のロランが決闘する運びとなり、オリヴィエの得物が折れたため、替えの剣を、ユダヤ人のジョアシャン(ドイツ読み:ヨアヒム)が献上したものがオートクレールだとされる。名匠ミュニフィカンの作で、(架空の)ローマ皇帝クロザモンやオリヴィエの先祖のブ―ヴォン公爵(ブ―ヴ公爵)所有の、すなわち重代の宝剣という由緒がある。

イタリアの作品でもまた、オリヴィエ―ロの剣アルタキアラは、かつて先祖のブオヴォ・ダントーナイタリア語版(≈ハンプトンのビーヴィス卿英語版)の剣でそのころはキアレンツァ(「輝き」)と呼ばれたとされ、また、それ以前はアーサー王伝説の騎士ランツィロット(ランスロット卿)の剣であり、ガスティガ=フォッリ(「愚者の懲らしめ」)と呼ばれたとされる。

武勲詩『フィエラブラ』によれば、オートクレールはミュニフィカンの兄弟鍛冶ガランの作で、相手の異教徒フィエラブラも別の兄弟鍛冶の作の剣を3本も持っていた。

名称

フランス武勲詩では、『ロランの歌』をはじめ、いくつかの作品でオートクレールは言及される[注 a]

『ロランの歌』については、古ノルド語、中期ウェールズ語中期高地ドイツ語中英語断片、オランダ語への翻案がある[4]。もちろん、他にも他言語(イタリア語やフランコ=イタリア語などとくに)に翻案された作品でオートクレールに言及している例があることは、以下より示すことができる[注 b]

北欧の翻案『カール大帝のサガ英語版[注 2]ではハトゥクレイヴ[仮カナ表記](古ノルド語: Hatukleif)や[6]ハタクレル[仮カナ表記](古ノルド語: Hatakler[8]、デンマーク語のカール大帝年代記(1500年頃)では Hantegler, Hattagisserという剣名で表記される[注 3]

イタリア語の翻案ではアルタキアライタリア語: Altachiara[9])等や[注 b]キアレンツァChiarenza[10])、クラレンツァ, (Clarença[11])等と称する[注 c]

ドイツ語圏では、『ロランの歌』の代表的な翻案である僧コンラートドイツ語版作『ローラントの歌ドイツ語版』においてアルテクレーレ中高ドイツ語: Alteclere)という表記で登場する[注 4][12][13]デア・シュトリッカー英語版の『カール大帝』では剣名はAnteclere, Anticlêreとみえる[14]。『カールマイネトドイツ語版』(『若き日のカール大帝』)[注 5]では Hautecleir, Haltecler と表記される[17]。 またドイツ散文訳『フィエラブラス』では、フランス名は Hauteklere だが、ドイツ訳名がクラルハイトKlarheit、「清澄さ」の意味)であるとする[18][19]

オランダ語訳『ロランの歌』では Hautecleer[21]。 中英語文学では Haulteclere (『シャルル大帝』(Charles the Grete)』[注 6]、1485年刊[注 7][23])のほかにも、Hautecler[24]Haunchecler[25]Hawteclere [26]などの例がみえる。ウェールズ語では Hawtcler[27]Hawteclyr [28]Hawdyclyr [29]

ロランの歌

ロランの歌』では、ロランの盟友オリヴィエの剣として言及されている。鍔金水晶で飾られていたと描かれている[30]

ジラール・ド・ヴィエンヌ

12世紀末(1180年頃)成立の武勲詩『ジラール・ド・ヴィエンヌ』(ベルトラン・ド・バール゠シュル゠オーブフランス語版作)にオリヴィエが入手したいきさつが語られる[31][32][33]

ジラール公と言う題名主人公は、ヴィエンヌ領主[34]で、ガラン・ド・モングラーヌ英語版の末子、すなわちオリヴィエの叔父である[34][35]。ジラールとシャルル王との諍いが[36]戦闘[37]、ヴィエンヌ攻城戦に発展するが[38]、それぞれの甥(ロラン対オリヴィエ)の一騎討ちで決着をつけると決まり[39]、装束にも整えられて試合はおこなわれる。

オリヴィエは剣が折れ、決闘を中断して、代わりの剣をヴィエンヌ領に求める[41]。するとジョアシャン(ドイツ読み:ヨアヒム)[注 8]というユダヤ人は、名剣(じつはオリヴィエの祖先のものだった、いわば家宝の剣)を返上する。その昔ミュニフィカン(Munificans[注 9]が鍛えた作で、(架空の)ローマ皇帝クロザモン(Closamont)発注の剣であったが、幾人かの手を経てオリヴィエの下に渡ってきた:剣はいちど失われていたが、大鎌の刈り手が見つけ、教皇の宝庫に収められたのを、ピピンが奪い戴冠式で佩き、その後ブ―ヴォン公爵(ブ―ヴ公爵)に下賜し、(ヴィエンヌの地元の)ユダヤ人が買い取ったのだ[31][33][注 10]

このジョアシャンは、他にもオリヴィエのために他の装備なども用意しており、ソロモンの時代よりかつてない高品質の靴や、スラブ人からマンゴン金貨100枚で買い取った宝石ちりばめた拍車やら[42]アイネイアース王がトロイア戦争でエリナン/エリエという敵からもぎとった由緒ある東方こしらえの鎖帷子オーベルク英語版)とかである[43]

ちなみにブヴォン公爵(あご髭のブーヴ公爵[注 11])もオリヴィエの祖先(祖父[注 12])だった[48]

イタリアの翻案では、内容や設定を変えてオリヴィエに伝わった来歴が説明される( § アンドレア・ダ・バルベリーノ参照)。

ユーゴーによる翻案

ヴィクトル・ユーゴーの作品『ローランの結婚』(le Mariage de Roland『諸世紀の伝説』フランス語版所収、1859年)は『ジラール・ド・ヴィエンヌ』の翻案作品であるが、そこでは剣名がクロザモンClosamont)であった、と解釈されている[49][33][50]。これはアシール・ジュビナルフランス語版[50] が『ジラール・ド・ヴィエンヌ』を散文訳した際の誤りを踏襲してしまったものと考えられている[51][注 10]

他の武勲詩

12世紀末(1170年頃)成立の武勲詩『フィエラブラ』では、主君シャルルマーニュの剣ジョワイユーズや親友ロランの剣デュランダルなどと同じ鍛冶師一族によって鍛えられたとされているが、上述のジラールの武勲詩とは説明が異なり、ミュニフィカンが売った剣(デュランダル、ミュサギーヌ[仮カナ表記](Musaguine)、コルタン)に含まれず[52]、ガラン(英:ウェイランド)が打った三振りに(フロベルジュジョワユーズとともに)含まれている[53][54]

武勲詩の翻案作品であるバニョン(Jehan Bagnyon)によるフランス語散文体『フィエラブラ』や[55]、その英訳であるウィリアム・キャクストン版『シャルル大帝』[注 6]にも当然ながら、同様の内容が見える[57]

14世紀末(1398年頃)成立のオック語(南部プロヴァンス方言)の武勲詩『サラゴサのローランフランス語版』ではタリヤプリーマTalhaprima, talha + prima, 「最初に切りかかる」を意味する[58])と呼ばれている[59][60]

オリヴィエの剣は、ゲードン所有のものになった[1]、すなわちオリヴィエがロンスヴォーで死す前にゲードンという騎士にオートクレールは贈られた、と武勲詩『ゲードン英語版』にみえるが、これはこちらの作者による、まったくの作り話と思われる[62]

翻訳・翻案作品

イタリア語圏

イタリア語圏の翻訳・翻案作品では、アルタキアライタリア語: Altachiara, alta 「高く」 + chiara 「清らか」、フランス語名オートクレールの意訳か)、アルタキエラAltachiera)などの表記で登場する[5][注 b]

また、イタリアではオリヴィエ(ウリヴィエリ[63]、オリヴィエリ、オリヴィエロ[64])らモングラーナ家の祖先に英雄ブオヴォ・ダントーナイタリア語版Buovo d'Antona、すなわち英国・ハンプトンのビーヴィス卿英語版イタリア語版[注 13])がいるとされており[66][68]、かつて先祖のブオヴォが所有した、いわば伝家の宝刀を取り戻したのだとされる[69](以下詳述)。ブオヴォはオルランドやいとこのリナルドマラジジ(キアラモンテ家)の祖ともされる[66]

アンドレア・ダ・バルベリーノ

別名(かつての名前)としてキアレンツァChiarenza, chiar + -enza 「清澄さ、輝き」からか)またはクラレンツァClarença[10][注 c]があったとされる。

14世紀末(1400年頃)にイタリア語散文で書かれたアンドレア・ダ・バルベリーノ英語版の『アスプラモンテ』(L'Aspramonte, 12世紀古フランス語武勲詩アスプルモンの歌』を翻案したもの)では、アルタキアラ(Altachiara)の表記で登場する。本作ではアルタキアラがウリヴィエーリ(オリヴィエ)の下に来るまでの来歴が語られているが、フランス武勲詩と同様に、オリヴィエの祖先ブオヴォ・ダントーナ(ハンプトンのビーヴィス卿)の剣でもあったとされ、そのときの剣名が、上述の「クラレンツァ」だったされる[69]。さらにその昔は、ランツィロット・ダル・ラーゴ卿(湖の騎士ランスロット・デュ・ラック卿)[70][注 14]の剣であり、ガスティガ=フォッリGastiga-folli, gastiga < castiga 「懲らしむ、罰す」 + folle の複数形「愚かな、愚者」からか)であった。ゲラルド(Gherardoジラール・ド・ヴィエンヌ)が、やはりユダヤ人から剣を入手し、アルタキアラ[69]と名付けウリヴィエーリに与えた:

ウリヴィエーリはヴィエンヌに戻り、毀れた剣を持ってゲラルドと面会し、打ち合いの二合目で折れたこと、オルランドの温情で戻れたことを説明した。「だがもしましな剣さえあれば、神に誓って復讐を果たさん」というと、逆臣[ゲラルド]はオルランドの気高さにはふれず、このように言い、また、ヴィエンヌ市じゅうに言い触れさせた:「もしウリヴィエーリの手元の剣が折れてさえおらねば、オルランドめは死んでいたぞ」。そしてこの流言は町中をめぐったが、ただひとり父親[リニエーリ]だけはオルランドを知っており、息子に決闘を諦めさせようと請うた、しかしウリヴィエーリは聞く耳持たなかった。ゲラルドが領土じゅうくまなく良剣を探させると、ユダヤ人がゲラルドのもとにやってきて言った:「わが家に良き剣ありますぞ、げに大きく美しく、それは長年伝わってきたもので、当家にやってきた由来もわからぬほど」 ゲラルドはもってこいと命じ、剣の文字をなにやら読み取ると、それがかつて湖の騎士ランスロット卿の持っていた剣ガスティガ=フォッリであり、のちのブオヴォ・ダントーナのものとなり、その当時はキラレンツァと呼ばれていたものだと気づいた;ゲラルドはあらためてこの剣をアルタキアラと号し、きれいに修復させたのち、ウリヴィエーリに佩かせて「かつてこれを持ちし者たちのように、実直で勇猛ならんことを」といった。こうして佩刀したウリヴィエーリは、喜びに満ちたまま朝を迎え、馬に乗り、決闘の挑戦を果たしにいった

— アンドレア・ダ・バルベリーノ『アスプラモンテ』第III部第xciv章[73]

アンドレア・ダ・バルベリーノの他の著作『フランス王家』(I Reali di Francia, wikidata)でも、ブオヴォ・ダントーナに関する箇所で、キアレンツァに関する言及がある[74][75]

恋するオルランド

15世紀末(1495年)にイタリア語韻文で書かれたボイアルドの『恋するオルランド』でも、アルタキアラ(Altachiara[76]またはアルタキエラ(Altachiera[77]の表記で、オリヴィエロ(Oliviero, オリヴィエ)の剣として登場する[78][79]

円卓物語

15世紀にイタリア語(中世トスカーナ方言英語版)で書かれたアーサー王物語系の作品『円卓物語英語版イタリア語版[80]では、円卓の騎士5人の像を後世にシャルルマーニュが発見し、像に携えられていた剣を受け継ぐというエピソードが語られている[81]。ここでもランチアロット(Lancialotto ⇒ランスロット)の剣をウリヴィエーリ(Ulivieri ⇒オリヴィエ)が受け継ぎ、その剣はアルタクレラ(Altaclera ⇒オートクレール)と呼ばれた、と語られている[82][83]

脚注

異綴りの注

a. ^  ^  オートクレールの異綴りとしては: Autaclere[84]

b. ^  ^  イタリア語のアルタキアラの異綴りとしては:

c. ^  キアレンツァ、クラレンツァの綴りとしては、

注釈

  1. ^ Langlois は 4種の綴りのみ略述するが[1]、このうち Hauteclaireについては 『ロランの歌』Ro2 版本(ヴェンデリン・フェルスタードイツ語版の多数写本による編本)に確認できるものの[2]、どの写本か不明である。『ロランの歌』にみえる他の異綴りは大体どの写本か特定できる。
  2. ^ 新倉俊一『ヨーロッパ中世人の世界』(1983年)に『カール大帝のサガ』と表記。有永訳『ロランの歌』(1965年)巻末注では 『カルル大王のサガ』。
  3. ^ KMK= Karl Magnus' krønike[5]
  4. ^ フランス専攻の有永は、このドイツ作品を『ロランのリード』と表記する
  5. ^ 「カールマイネト」は、高木 (2006)で確認できたカナ表記[15]。また、訳名の『若き日のカール大帝』は、ゲールツ編ドイツ文学史の邦訳に見える[16]
  6. ^ a b 厨川文夫 (1952)による和訳題名[56]
  7. ^ 1483年成立、1485年ウィリアム・キャクストン版本があり。邦題は小林宏行 (1967)論文で確認、ただし英語題名は現代スペルになっている[22]
  8. ^ Tarbé編本は"Joachins"等だが、Newth英訳で"Joachim"。
  9. ^ Newth英訳やその原典のVan Emden編本では"Manificans", v. 5558.
  10. ^ a b 決闘が決まるなか、オリヴィエの妹のオードとロランとの愛がはぐくまれるが(第129詩節/4674ff行目や第152詩節/5406ff行目参照)、この愛と決闘のエピソードは、ヴィクトル・ユゴーが「ロランの結婚」という題名で翻案している。だが原典で剣は「クロザモンのために作れり」とあるはずを「クロザモンを作れり」としてしまっている[31][32][33]
  11. ^ たとえばフランソワ・ジェナンフランス語版(1850年)注でも、引用した原文では "Beuvon"だが、現代語訳では"Beuves"に直しており[32]、ゴーチエも"Beuves"を使う[33]
  12. ^ 4041行に「ヴィエンヌはわが祖父のもの(領)」という台詞がある。
  13. ^ 中英語の物語詩『ハンプトンのビーヴィス』に登場する。
  14. ^ Boni (1951), pp. 290–291(本文)での表記はランツィロット・ダル・ラーゴ(Lanzilotto dal Lago)、Boni (1951), p. 355(索引)での表記はランツィロット・デル・ラーゴ(Lanzilotto del Lago)となっている。

出典

  1. ^ a b c d e f Langlois (1904), Table des noms s.v. "Hauteclere, Hauteclaire, Halteclere, Auteclere: "Épée d'Oliver; puis de Gaidon (3)"
  2. ^ Förster (1886), pp. 35, 105.
  3. ^ 語釈について、有永 (1965), p. 269(後注:1363行目:オートクレール)では「高く清らか」「いとも清き」としている。
  4. ^ 有永 (1965), pp. 288–289.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u Moisan (1986), pp. 366-367 ("HAUTECLERE")
  6. ^ KS VIII(『カルル大王のサガ』第8枝篇第25章:では Hatukleif, Atakle, Aakleif[5]
  7. ^ Hieatt 英訳 VI, 25。Bb本には剣名が欠けるとある。
  8. ^ KS VI 第6枝篇第16章では: Hatakler[7][5]
  9. ^ As2 336=L'Aspramonte ed. Boni (1951); Fi9 I 237, III 24, etc. = Fierrabraccia et Ulivieri; RR 356= La Rotta di Roncisvalle; Sp 356=La Spagna.[5]
  10. ^ a b c d e f Moisan (1986), p. 202 ("CLARENÇA")
  11. ^ BH2=Reinhold ed. (1911), pp. 563, 598, 684 vv. 4, 1569, 1819, 3569[10]
  12. ^ RL=Rolandslied des pfaffen Konrad (Maurer ed.).[5]
  13. ^ 「アルテクレーレ」のカナ表記は寺田 (1992), p. 15(脚注29)にもみられる。
  14. ^ KG=Karl der Grosse, der Stricker.[5]。Anticlêre KG 6928), Anteclêre (KG 7319).
  15. ^ 高木昌史柳田國男とヨーロッパ: 口承文芸の東西』、三交社、 2006、213頁
  16. ^ ハンスーユルゲン・ゲールツ Hans Jürgen Geerdts 編、ワイマル友の会 訳『ドイツ文学の歴史』、doi:10.11501/12587175
  17. ^ KM=Karl Meinet.[5]
  18. ^ Simrock, Karl Joseph ed (1849) Ein schöne kurzweilige Historie von einem Riesen Fierabras genannt, p. 10
  19. ^ Fi7=Historie.. Riesen) Fierabras.[5]
  20. ^ Leopold, Lubbertus; Pik, W., eds (1915). “1. Het Roelantslied”. Nederlandsche schrijvers en schrijfsters: proeven uit hun werken, met beknopte biographieën en portretten (7 ed.). Groningen: J. B. Wolters ' U.M.. p. 1. https://books.google.com/books?id=SkgmAQAAIAAJ&pg=PA1 
  21. ^ RO16=Roelandslied[5][20]
  22. ^ 小林宏行「Caxtonについて」『英文学論集』通号 2、関西大学英文学会、1967年3月、14頁。 
  23. ^ CG=Charles the Grete.[5]
  24. ^ Fi8=Sir Ferumbas.[5]
  25. ^ Fi3=Firumbras and Otuel and Roland, ed. M.I. O'Sullivan 1935.[5]
  26. ^ RM4=Foure sonnes of Aymon[5]
  27. ^ CCH = Campeu Charymaen.[5]
  28. ^ Ot5 = Rhamant Otuel.[5]
  29. ^ Ro19=Cân Rolant[5]
  30. ^ 有永 (1965), p. 88(第107詩節、1364-1365行目)
  31. ^ a b c 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第156詩節(5529-5566行目)。Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 152–153. Bertrand de Bar-sur-Aube & Tarbé ed. (1850), pp. 144–145
  32. ^ a b c Génin, François, ed (1850). La Chanson de Roland poëme de Theroulde. Paris: Imprimière nationale. pp. 390–392. https://books.google.com/books?id=P68TAAAAQAAJ&pg=PA390 
  33. ^ a b c d e Gautier (1872), vol. 2, pp. 136-137, Vers 1363. - Halteclere.  Notes et variantes” (フランス語), La Chanson de Roland, ウィキソースより閲覧。  [スキャンデータ]
  34. ^ a b Langlois (1904), Table des noms s.v. "Girart de Viane, de Vianne, de Vyane, Gerat: "Baron. Fils de Garin de Monglane". GV [éd. Tarbé] の出典箇所は多大のため省略されている
  35. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), p. 194, Index, GIRART of Vienne.
  36. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), p. xiii.
  37. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 43–84 Part Two: Hositilies Begin. 第43–90詩節(1536–3036行目)
  38. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 85–162 Part Three: The Siege of Vienne. 第91–170詩節(3037–5962行目)
  39. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 113–114 第113–114詩節(4096–4138;4039–行目)
  40. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 111–112
  41. ^ 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第111詩節(4041-4043行目)[40]
  42. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & van Emden ed. (1977), p. 219 vv. 4928–31: "Car li chauciez ces chauces a bandon, mieudres ne furent puis le tans Salemon ; si li fermez ces riches esperons : jes achetai d'un paien Esclavon,"
  43. ^ vv. 4947–8: "Fort fu l'auberc, nul meillor ne dement. /Rois Eneas le toli Elinant,"。Newth 英訳では Elié。
  44. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), pp. 111–112: "Vienne was my grandfather's/.. long-bearded Beuvon"; p. 191, Index, Beuvon (1)も参照.
  45. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Tarbé ed, (1850), p. 105: "Mes aioils fut Dus Bueves li berbés"
  46. ^ Langlois (1904), Table des noms s.v. "Buevon le barbé, Bueves li barbés: "Duc. aïeul d'Olivier". GV [éd. Tarbé, pp.] 105, 140, 145
  47. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & Newth tr. (1999), p. xviii:"Girart's ancestor Beuvon 'the bearded'"
  48. ^ 『ジラール・ド・ヴィエンヌ』第111詩節(4041-4043行目)。英訳では「オリヴィエの祖父」と訳しているが[44]、フランス語原文やラングロワ事典[45][46]では「オリヴィエの」とあり、これは「祖父とも祖先」ともとれ、また、オリヴィエの父方の祖父はガラン・ド・モングラーヌなはずである。Newth序文でもブ―ヴォンはやはり「ジラールの祖先」と言い回ししているので[47]、「オリヴィエの(さらに一世代遠い)祖先」でもあるとみるのが、妥当であろう。
  49. ^ Hugo (1859).
  50. ^ a b Thomov (1978), p. 472.
  51. ^ Thomov (1978), p. 471.
  52. ^ Kroeber & Servois (1860), pp. 20–21.
  53. ^ Kroeber & Servois (1860), p. 21, 655行目前後: ... Et Galans fist Floberge à l'acier atempré, / Hauteclere et Joiouse, où moult ot digneté : ...(引用は654-655行目、強調は引用者による)
  54. ^ Depping, Georges-Bernard Elizabeth Kinnear訳 (1847). Wayland Smith: A Dissertation on a Tradition of the Middle Ages. William Pickering. p. liii. https://books.google.com/books?id=NShcAAAAMAAJ&pg=PR53 
  55. ^ Bagnyon Fierabras 第2書第1部第9章。Bagnyon (2013). ... Et gallant l'autre frere fit celle qui nommoit flamberge l'autre haulte clere et l'autre joyeuse que charlemagne avoit pour grant especialité. ...(強調は引用者による)
  56. ^ 厨川文夫「中世英文学の部: 第五節 十五世紀の英文學」『英語・英米文学講座:英米文学史』 2巻、河出書房、1952年、42頁。NDLJP:1665740 
  57. ^ Caxton Charles the Grete Book One, Pt. 1, Ch. ix, Caxton & Herrtage ed. (1881), p. 59: "And after gyrde hys swerde named Plourance..(中略)..And Galaus, that other brother, maad the swerd that was named Floberge, another called Haulteclere, and that other Ioyouse, whyche Charlemayn had for a grete specyalte. and these iij brethern aforesayd were smythes & wrought the sayd swerdes.".
  58. ^ 「タリヤプリーマ」の表記および「最初に切りかかる」の語釈は以下の文献にみられる:Trachsler, Richard渡邉, 浩司余剰な1本の剣 ―古フランス語韻文物語『双剣の騎士』をめぐって―」『仏語仏文学研究』第49巻、中央大学仏語仏文学研究会、2017年2月28日、85-120頁、CRID 1050579057244232576  pp. 104-105.
  59. ^ Roques (1925), p. 413(119行目)
  60. ^ Roques (1956), p. 5(119行目); p. 52(索引)
  61. ^ Wendt, Hans (1911). Die Oliviersage im altfranzösischen Epos. E. Wagner. pp. 390–392. https://books.google.com/books?newbks=0&printsec=frontcover&pg=PA90  (Dissert. Doktor., Christian-Albrechts-Universität zu Kiel)
  62. ^ Gaydon 7339–42行を引用の上で考察、H. Wendt.[61]
  63. ^ a b Boni (1951), p. 369(索引"Ulivieri)"figlio di Rinieri, e nipote di Gherardo de Fratta.."
  64. ^ Boiardo & Ross tr. (2004), p. 594, index, "Oliver, Olivieri, Oliviero"
  65. ^ Rosenzweig, Claudia, ed (2015). Bovo d’Antona by Elye Bokher. A Yiddish Romance: A Critical Edition with Commentary. Studies in Jewish History and Culture 49. BRILL. p. 120, n401. ISBN 9789004306851. https://books.google.com/books?id=VnTsCgAAQBAJ&pg=PA120 
  66. ^ a b Delcorno Branca (1974), p. 15; Rosenzweig[65] (Delcorno Branca (1974), p. 107 および Andrea da Barberino, I Reali di Francia chapter 2.2 引き)。
  67. ^ Barberino & Boni (1951), p. 342(索引 "Buovo d'Antona")"avo di Gherardo de Fratta.."
  68. ^ Boni編本の巻末索引(語彙集)"Ulivieri"[63]および"Buovo d'Antona"参照[67]
  69. ^ a b c Boni (1951), p. 336(索引 "Altachiara")"spada di Ulivieri, già di Lancilotto〔ママ〕 del Lago (Gastiga-folli) e di Buovo d'Antona (Chiarenza), III, CLIV 12–15 "
  70. ^ Boni (1951), p. 336(索引 "Lanzilotto del Lago")"possedeva la spada detta Gastiga-folli,passata pi a Buovo..(中略) e a Ulivieri col nome di Altachiara"
  71. ^ Boni (1951), pp. 290–291.
  72. ^ cf. Cavalli (1972), p. 308
  73. ^

    Sendo Ulivieri tornato in Vienna, si presentò a Gherardo con la spada rotta, e disse
    come ella s'era rotta al secondo colpo e come Orlando per sua gentilezza l'aveva la-
    sciato tornare; « ma se io avessi buona spada, per Dio, io fareri nostra vendetta».
    Non pensò el rinegato alla nobiltà d'Orlando, ma disse e fece dire per Vienna: « Se
    5 la spada non si fusse rotta in mano a Ulivieri Orlando era morto» e questa nomi-
    nanza era per tutta la città, salvo che nel padre, che conosceva chi era Orlando, e andò
    a pregare il figliuolo che non tornasse più alla battaglia; ma Ulivieri non lo volle
    udire. Gherardo faceva cercare per la terra d'una buona spada, e uno giudeo andò a
    Gherardo e disse: «In casa mia è una buona spada molto grande e bella, ed è gran
    10 tempo che noi l'abbiamo auta, e non sappiamo donde ella si venisse in casa nostra ».
    Gherardo la fece recare, e, leggendo certe lettere ch'erano in su la spada, fu ricono-
    sciuta ch'ella era la spada che fu di messere Lanzilotto dal Lago, e fu chiamata Ga-
    stiga-folli, e poi fu di Buovo d'Antona als uo tempo e chiamata Chiarenza. Gherardo
    le pose nome Altachiara e, rifornita d'adornezze, la cinse a Ulivieri e disse: «Sia
    15 franco e valente come furono costoro che l'ànno portata». Cinto, Ulivieri, tutto allegro,
    come fu aparita la mattina, s'armò, e montò a cavallo, e venne a domandare battaglia.

    — Andrea da Barberino. L'Aspramonte , III, xciv[71][72]
  74. ^ Rajna ed. (1882) I Reali di Francia 所収 "Bovo D'Antona", p, 550, v.1964
  75. ^ Delcorno Branca (2008), pp. 82, 85, 168, etc..
  76. ^ Boiardo (1906), p. 130(第1巻第7歌第6聯第3行)
  77. ^ Boiardo (1906), p. 131(第1巻第7歌第7聯第2行)
  78. ^ Boiardo (1906), pp. 130–131(第1巻第7歌第6-7聯)
  79. ^ Boiardo & Ross tr. (2004), p. 594, index, "Altachiera"
  80. ^ 「円卓物語」の表記は以下の文献にみられる:狩野, 晃一 著「中世イタリアのトリスタン物語『円卓物語(ラ・ターヴォラ・リトンダ)』」、渡邉浩司 編『アーサー王伝説研究 : 中世から現代まで』中央大学出版部〈中央大学人文科学研究所研究叢書71〉、2019年。 ISBN 9784805753552 
  81. ^ Polidori (1864), pp. 391–392.
  82. ^ Polidori (1864), p. 392. E quella di Lancialotto ebbe il marchese Ulivieri, e appellòlla Altaclera, cioè spada bella.(強調は引用者による)
  83. ^ Polidori (1865), pp. 13–14("SPOGLIO LESSICOGRAFICO"(用語集兼索引) - "Altaclera" )
  84. ^ Chanson de Roland C(シャトールー本—有永 (1965), p. 288; Ro1= Förster (1883). Das altfranzösische Rolandslied. Text von Châteauroux und Venedig VII., p. 97
  85. ^ Chanson de Roland L(リヨン本)apud Stengel (1900), p. 388
  86. ^ Chanson de Roland V7(ヴェニス聖マルコ寺図書館本第7号—有永 (1965), p. 288); Ro1= Das altfranzösische Rolandslied. Text von Châteauroux und Venedig VII., p. 97
  87. ^ a b Fi.=Kroeber & Gustave (1860), Hauteclere, v. 230, pp. 8, 21, 25, 31, 49, 51, var. Auteclere v. 3507, p.106
  88. ^ Chanson de Roland OCV7(オックスフォード本ほか)apud  Stengel (1900), p. 388
  89. ^ Langlois O=Guessard, F.; Luce, S. edd. (1858) Otinel, l. 937, p. 33
  90. ^ Gal.=Stengel ed. (1890) Galïens li Restorés, l. 170.19/p. 8; "Haulte-clere".
  91. ^ Langlois GV= Le Roman de Girard de Viane. (Collection des poètes 16) (1850), = Bertrand de Bar-sur-Aube & Tarbé ed. (1850), pp. 145, 147
  92. ^ Chanson de Roland. Stengel (1900), p. 388には欠落するが、Ro2 pp. 35, 105で確認
  93. ^ Chanson de Roland P(パリ本) apud Stengel (1900), p. 388
  94. ^ Ro2 pp. 35, 36, 58, 59他で確認
  95. ^ Chanson de Roland V7(ヴェニス本7号); Ro1, pp. 168, 170
  96. ^ Langlois G=Gaidon, Guessard, F.; Michelant, H-V. edd. (1858) Gaydon l. 803, p. 25以降全編。
  97. ^ Gal.= Stengel ed. (1890) Galïens li Restorés, l. 234.22a /p, 228: "Haute-clere",
  98. ^ RM=Renaus de Montauban, ed. H. Michelant, 1862,pp. 138, 306, 312
  99. ^ Bertrand de Bar-sur-Aube & van Emden ed. (1977) Girart de Vienne, v. 5556
  100. ^ Fi9 I 332=Fierrabraccia et Ulivieri apud Moisan
  101. ^ COD2=Franco-Italien Chevalerie Ogier de Danemarche. FS=Li Fatti de Spagna apud Moisan
  102. ^ COD2 apud Moisan
  103. ^ BH7 635 = Bovo d'Antona ed. Rajna.
  104. ^ As2 345=L'Aspramonte ed. Boni apud Moisan
  105. ^ BH2= "Bovo d'Antone", Reinhold ed. (1911), pp. 563, 598, 684 vv. 4, 1569, 1819, 3569; BH6="Bovo D'Antona", Rajna ed. (1887), p. 182; "Bovo D'Antona" Rajna ed. (1882), p. 550, v.1964 v. 423 apud Moisan
  106. ^ Reinhold ed. (1912) Namenverzeichnis, p. 29, Clarença, Clarençe
  107. ^ BH2= "Bovo d'Antone", Reinhold ed. (1911), pp. 604, 607, 683, 684, 707 vv. 1819&1838, 1944, 1978, 2005, 2975; Reinhold ed. (1912), pp. 1, 2, 7 vv. 3281, 3315, 3526[106] apud Moisan.

参考文献

ロランの歌
他の武勲詩 - フィエラブラ
他の武勲詩 - ジラール・ド・ヴィエンヌ
他の武勲詩 - サラゴサのローラン
翻訳・翻案作品 - アスプラモンテ
翻訳・翻案作品 - ボーヴォ・ダントーナ
翻訳・翻案作品 - フランス王家
翻訳・翻案作品 - 恋するオルランド
翻訳・翻案作品 - 円卓
翻訳・翻案作品 - 他
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