KV-4
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/25 18:34 UTC 版)
KV-4(ロシア語: КВ-4)は、ソビエト連邦で計画されていた超重戦車である。
本項では、開発計画が引き継がれた“KV-5”についても記述する。
概要
ドイツ軍がフランスを占領した1940年5月の戦いののち、当時赤軍中央砲兵局総監のI.クリーク元帥は断片的な情報をもとにドイツ戦車の武装と装甲を過剰に評価し、現在生産中のKV-1やT-34を上回る強力な火力と装甲を有する戦車が必要であると主張した。
彼の主張は反対派を押しのけてヨシフ・スターリンに採用され、107mm砲を搭載するKV-3の開発が開始されたが、その裏ではさらなる超重戦車の開発が計画されていた。それがKV-4とKV-5である。
開発
1941年4月、赤軍は2門の砲と最大130mmの前面装甲を備えた重戦車の開発競争を開始すると発表した。これに対して20余りの設計案が応募され、最も高い評価を得たものは、車体に107mm砲を搭載し、これに加えてKV-1の砲塔にL-11 76mm砲を搭載した砲塔を持つものだった。一方、KV-5はKV-2の発展形とも言えるもので、KV-2の車体と砲塔を拡大し、主砲にZIS-6 107mm砲を搭載、最低でも一つの機関銃塔(小砲塔)を持つものである。
KV-3、KV-4とKV-5といった超重戦車について、赤軍の多くの戦車関係者は、仮に実用化したとしてもこの種の戦車の運用が極めて困難であることを認識していた。それ以前に開発されていた55t - 60t級の多砲塔重戦車であるSMKとT-100ですら、1939年から1940年のフィンランドとの冬戦争において運用に大変な困難を生じていたのである。その2倍弱の重量を持つ戦車を、KV-1すら移動が困難なソ連のインフラの下で運用するのは無理な相談だった。
このような認識下で設計案が提出されたKV-4とKV-5だったが、1941年6月に独ソ戦が始まり、KV-4は試作車の製作に至らないままKV-5の開発に移行・統合された。しかしKV-5の開発も開発拠点のあるレニングラードにドイツ軍が迫ったために困難となり、戦局に伴って設計局や工場がウラルに疎開する中で、ドイツ軍の保有する戦車が喧伝されていたほど強力ではなかったこともあり、現有戦車の生産・改良が最優先で行われることとなったため、1941年8月までにKV-5は試作段階で開発が中止された。計画が中止されたものの作業は即座には中止されず、1941年11月にはKV-5のプロトタイプがほぼ完成していたが、レニングラード包囲戦の勃発によりKV-5の開発は完全に中止された。
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- 古是三春『ソビエト・ロシア戦闘車両大系(上)』ガリレオ出版〈グランドパワー2003年10月号別冊〉、2003年
- スティーヴン・ザロガ、ジム・キニア『KV1&KV-2重戦車 1939-1945』大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ―世界の戦車イラストレイテッド〉、2001年
- ケネス・W・エステス:著, 南部龍太郎:訳『オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の戦車 イラストレイテッド 40 第二次大戦の超重戦車』(ISBN 978-4499231701) 大日本絵画 2015年
- p.17-20「超重戦車の開発:1918年~40年」-「KV-4超重戦車開発計画」
- 古是三春『大祖国戦争のソ連戦車』カマド〈ストライク アンド タクティカル マガジン2011年1月号別冊〉、2010年
関連項目
KV-4
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 07:17 UTC 版)
107mm砲を搭載する重量100トン前後の超重戦車。さまざまなスタイルの計画案が出された。
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