エルジー・クリスラー・シーガー
(e. c. segar から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 06:49 UTC 版)
エルジー・クリスラー・シーガー | |
---|---|
|
|
生誕 | 1894年12月8日 |
死没 | 1938年10月13日(43歳没) |
国籍 | |
職業 | 漫画家 |
活動期間 | 1916年 - 1938年 |
代表作 | 『シンブル・シアター』(ポパイ) 『サッポ』 |
エルジー・クリスラー・シーガー(英語: Elzie Crisler Segar, 1894年12月8日 - 1938年10月13日、E・C・シーガーとも)はアメリカ合衆国の漫画家である。「ポパイ」の作者として知られる。
来歴
前半生
ミシシッピ河畔の小さな町・イリノイ州チェスターでユダヤ人家庭に生まれ育つ[1]。幼少時は便利屋の子として、住宅塗装や壁紙貼りなど、父の仕事を手伝った。その一方でドラムさばきにも定評があり、地元の劇場で映画やヴォードヴィルの伴奏を務め、遂にはチェスター・オペラ・ハウス[1]で映写技師の職を手に入れる事となる[2]。
しかし、18歳にして漫画家への転向を決心。オハイオ州クリーブランドのW・L・エヴァンズから、漫画についての遠隔教育を受ける[2]。仕事が終わってからというもの、午前3時まで漫画家修行に精を出したという。
漫画家デビュー
『イエロー・キッド』や『バスター・ブラウン』の作者である、リチャード・F・アウトコールトと出会ったシカゴに転居。アウトコールトがシカゴ・ヘラルドを紹介した事もあり、1916年3月12日、同紙にて初の連載漫画『チャーリー・チャップリンのドタバタ喜劇』がスタート、念願の漫画家デビューを果たす。連載は1年強続いたが、次いで1917年『とんまのバリー』を連載するに至る。
1918年にはウィリアム・ランドルフ・ハースト率いるシカゴ・イブニング・アメリカンへ移籍し、『宙返り』(Looping the Loop、「the Loop」とはシカゴ中心部の意味でもある)の連載が開始。同年ミルトル・ジョンソンと結婚し、2子を儲けた。1919年10月、同年のワールドシリーズに赴き、スポーツ欄で8枚の漫画を書き上げる[3][4]。
シンブル・シアターとポパイ
イブニング・アメリカンの編集長であるウィリアム・カーリーは、シーガーがニューヨークでも成功し得ると踏んだため、キング・フィーチャーズへ送り込み、以後同社で長らく執筆活動を続けることとなる。1919年12月19日ニューヨーク・ジャーナルの『シンブル・シアター』にて連載を開始。オリーブ・オイルやカスター・オイル、ホラス・ハムグレイビー(連載開始直後ハム・グレイビーと改称)が登場するこの作品は、約10年にわたり人気を博す。
1929年1月、カスターがダイス島へと航海を行うため水夫を探していたところ、造船所のそばでポパイという老水夫と出会う。最初の台詞は、水兵であるかどうかを尋ねられた際に発した、「私がカウボーイに見えるかい?」であった。当初は脇役に過ぎなかったポパイも、やがては現在まで続く人気スターとなってゆく。なお、この他にシーガーが生み出した人気キャラクターとしては、J・ウェリントン・ウィンピーやジープのユージンなどがある。
サッポ
1920年には『ファイブ・フィフティーン』(1926年『サッポ』と改称)の連載を開始。サッポは『シンブル・シアター』日曜版の人気連載漫画となった。
晩年と死後
長期にわたる病気療養を経て、カリフォルニア州サンタモニカで白血病と肝臓病により死去[5]。43歳没。
死後数10年が経過した頃からリバイバル・ブームが興り、その嚆矢となったのはウッディ・ゲルマンのノスタルジア・プレスであった。ロバート・アルトマン監督のアクション映画『ポパイ』(1980年)は、シンブル・シアターでの連載を原作としており、ジュールス・フェイファーの脚本は1971年にノスタルジア・プレスが刊行した、1936年から1937年までの作品集の復刻版に基づいている[6]。2006年には『シンブル・シアター』での連載を全て網羅した、6巻組の復刻版を初めて刊行。
全国漫画家協会は1971年から1999年まで、エルジー・クリスラー・シーガー賞を制定[7]。協会のウェブサイトによると、同賞は「漫画界において独特かつ顕著な貢献を行った人物に贈られる」もので、これまでチャールズ・シュルツ、ビル・ケーン、アル・カップ、ビル・ガロ及びモート・ウォーカーが受賞している。
2012年には作家のロジャー・ラングリッジと漫画家のブルース・オゼラが、『ポパイ』の限定版をIDWより刊行。
連載作品
題名 | 開始年月 | 終了年月 |
---|---|---|
チャーリー・チャップリンのドタバタ喜劇 | 1916年3月 | 1917年4月 |
とんまのバリー | 1917年4月 | 1918年4月 |
宙返り | 1918年6月 | 1919年12月 |
シンブル・シアター(ポパイ) | 1919年12月 | 1938年10月 |
ザ・ファイブ・フィフティーン(サッポ) | 1920年12月 | 1938年10月 |
ポパイ・ピクニック
1977年、シーガーの郷里であるイリノイ州チェスターは、彼の栄誉を讃え公園にその名を冠した。公園には6フィートのポパイ像が設えられ、1980年以降毎年「ポパイ・ピクニック」と称して、映画祭などが行われている[8]。
2006年には、町中にシーガーが生み出したキャラクターの銅像を設置する計画にも着手[9]。ガゼボ公園にウィンピー像が建てられたのを皮切りに、2007年にオリーブ・オイルやスウィーピー、ジープの銅像がランドルフ郡庁に、2008年にはブルート像がブエナビスタ銀行の正面に完成した。この他、2009年にカスター・オイルと気まぐれ雌鶏バーナイスの銅像が、チェスター記念病院に建つ事となる。
なお、11体の銅像がシーガー生誕125周年に当たる2020年まで毎年1体ずつ完成、同年にはシーガーの胸像も建つ予定。町が発行した地図によると、以下のようになる見込み。
年 | キャラクター | 位置 |
---|---|---|
2010年 | シーハグ/バーナード | マクドナルド/ウォルマート |
2011年 | コール・オイル | チェスター公共図書館 |
2012年 | ならず者アリス | チェスター・センター |
2013年 | プーデック・パピー | コーエン複合ビル |
2014年 | ウォタスノズル博士 | チェスター高校 |
2015年 | ラフハウス | レイズ・ハーベスト・ハウス |
2016年 | 甥のピーピー/ポーピー/ピピー/プピー | チェスター小学校 |
2017年 | 犬のチェスター | チェスター消防署 |
2018年 | ブロゾ王 | チェスター町役場 |
2019年 | 海賊パチェイ | ミシシッピ河畔 |
2020年 | エルジー・シーガーの胸像 | 生誕地 |
脚注
- ^ a b Grandinetti 2004, p. 2.
- ^ a b Adam Gabbatt (2009年12月8日). “E.C. Segar, Popeye's creator, celebrated with a Google doodle”. London: Guardian 2011年5月12日閲覧。
- ^ The Early Works of E.C. Segar
- ^ The Thimble Theatre Comic Strip starring Popeye
- ^ “Ed Black's Cartoon Flashback”. Ncs-glc.com. 2011年5月12日閲覧。
- ^ Mint Condition: How Baseball Cards Became an American Obsession, pp. 125-126, Dave Jamieson, 2010, Atlantic Monthly Press, imprint of Grove/Atlantic Inc., New York, NY, ISBN 978-0-8021-1939-1
- ^ “NCS Awards”. Reuben.org (1965年9月22日). 2011年5月12日閲覧。
- ^ “City of Chester, Illinois .::. Home of Popeye - Segar Park”. Chesterill.com. 2011年5月12日閲覧。
- ^ “City of Chester, Illinois: Popeye Character Trail”. Chesterill.com. 2013年8月21日閲覧。
参考文献
- Grandinetti, Fred (2004). Popeye: An Illustrated Cultural History. McFarland. ISBN 978-0-7864-1605-9 2012年6月24日閲覧。
- Blackbeard, Bill. Marschall, Richard. ed. “E. C. Segar's Knockabouts of 1925 (and low blows before and after): The Unknown Thimble Theatre Period”. Nemo (Fantagraphics Books) (3): 6–25.
外部リンク
「E. C. Segar」の例文・使い方・用例・文例
- 捕食性の動物−−初期の地質学におけるギャングである−W.E.スウィントン
- 生きている人々は自分たちが神の舞台の上の感覚のある人形にすぎないと知っていた−T.E.ローレンス
- 手紙のことを釈明を試みた−H.E.スカダー
- 1000の大ろうそく...深い暗闇を一瞬にして蒼白な超自然的な日に変えた−E.A.ポー
- 芸術品のつもりで、それゆえ非商業的でないかもしれない−H.E.Clurman
- 彼の勇気に対する賛辞…そして、難攻不落の意思−R.E.ダニエリソン
- 私たちの賢く惜しまれる友人の痕跡‐A.E.スティーヴンソン
- 下品な無主義の中傷からの解放−A.E.スティーヴンソン
- E.B.ホワイトの本、“シャーロットのおくりもの”で、その小屋の蜘蛛は有名になった
- 分裂して国の同盟−E.B.ホワイト
- 人生についての償いの理論−E.K.ブラウン
- 現在の過去と、…過去の現在の研究−R.E.シュピラー
- 米国の飛行士で、(リチャードE.バードと)北極の上空の最初の飛行を操縦した(1890年−1928年)
- 米国の北軍の将軍で、ロバートE.リーによりチャンセラーズヴィルで破られた(1814年−1879年)
- アイルランドの作家で、ペンネームはA.E.(1867年−1935年)
- 米国新聞出版者で、E.スクリップスの異母兄弟(1835年−1908年)
- ドイツの物理学者で、E.H.ウェーバーの弟で
- この作品で彼は異星人を,「E.T.」や「未知との遭(そう)遇(ぐう)」などの以前の作品中の異星人とは違って,恐ろしく危険な敵として描いている。
- 0度 C.
- がガリアを征服した)ガリア戦役 (58‐51 B.C.).
- e. c. segarのページへのリンク