第22次長期滞在
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/20 03:15 UTC 版)
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徽章
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乗組員数 | 5名 | ||||
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打上げ地点 | バイコヌール宇宙基地 | ||||
打上げ機 | ソユーズTMA-16、ソユーズTMA-17 | ||||
開始日 | 2009年11月30日 | ||||
終了日 | 2010年3月17日 | ||||
帰還機 | ソユーズTMA-16 | ||||
左から、クリーマー、ウィリアムズ、スラエフ、コトフ、野口 |
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第22次長期滞在(だい22じちょうきたいざい、Expedition 22)は、国際宇宙ステーションへの22回目の長期滞在である。2009年11月30日に始まった。第21次長期滞在の乗組員が帰還してから3週間は、2人だけの滞在だった。2人での滞在は、2005年7月にSTS-114がISSの3人目の乗組員を運んできて以来のことであった。機長のジェフリー・ウィリアムズとフライトエンジニアのマクシム・スラエフは、2009年12月22日に残り3人の乗組員を迎え、第22次長期滞在の乗組員は5人となった[1]。2010年1月にISSでのインターネット個人利用が始まり、ウェッブサイトの閲覧やネット回線利用の電話が可能となった[2]。野口聡一やティモシー・クリーマーは、twitterによる即時的な情報発信を第23次長期滞在を通じて行った。
乗組員
職務[3] | 第1期 (2009年11月-12月) |
第2期 (2009年12月-2010年3月) |
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船長 | ジェフリー・ウィリアムズ, NASA (3度目の飛行) |
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フライトエンジニア1 | マクシム・スラエフ, RSA (初飛行) |
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フライトエンジニア2 | オレッグ・コトフ, RSA (2度目の飛行) |
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フライトエンジニア3 | 野口聡一, JAXA (2度目の飛行) |
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フライトエンジニア4 | ティモシー・クリーマー, NASA (初飛行) |
バックアップ
ギャラリー
出典
- ^ “NASA - Expedition 22 Crew Launches From Kazakhstan”. Nasa.gov (2009年12月21日). 2010年1月21日閲覧。
- ^ 47News・宇宙からネット利用OK 野口さんの生活環境が改善 2010年6月2日閲覧
- ^ NASA HQ (2008年). “NASA Assigns Space Station Crews, Updates Expedition Numbering”. NASA. 2008年11月21日閲覧。
外部リンク
「Expedition 22」の例文・使い方・用例・文例
- 私は1979年10月22日に東京で生まれました
- ヨッドは22あるヘブライ文字の中で最も小さい。
- 益金は法人税法第22条2項で規定されている。
- 退職時等の証明については労働基準法第22条に規定されている。
- 私が7月22日に送ったメッセージは見ましたか?
- まだ22時なのに、とても眠い。
- 6:30に出発して、到着したのは22:00過ぎだった。
- 22時に遅れないで来てください。
- 時間に余裕を持って22時に遅れないで来てください。
- 私は約220冊の本を持っている。
- 遅くとも8月22日迄に。
- 10月22日生まれです。
- 私は12月8日で22歳になった。
- 彼女は今年で22歳になりました。
- その代金は2月22日に振り込まれる予定です。
- 私たちはあなたの送別会を計画しているのですが、あなたは1月22日は空いていますか。
- 私は今日は22時に就寝しました。
- いつも22時に寝ます。
- たいてい22時には寝ます。
- 今日は22時に就寝しました。
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