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バースの再来 - 新・なんJ用語集 Wiki*
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バースの再来

Last-modified: 2025-06-11 (水) 13:04:07

1985年に阪神タイガースを初の日本一に導いた左打ちの一塁手、ランディ・バースのような助っ人の再来を期待し、在阪マスコミによって阪神に入団した助っ人野手に付けられる通称である。元祖と同じく「左打者の一塁手」である選手を呼ぶことが多いが、少なくとも「(主に長打を期待されている)外国人野手」という最低条件さえ満たしていれば、投打や守備位置の違いがあってもバースのような活躍を願って呼ばれる場合も少なくない。


前史

ランディ・バースは、1982年オフに阪急ブレーブスとの争奪戦を制して阪神が獲得し、1983年から1988年にかけて在籍した。現在でも語り草となっている1985年4月17日の対巨人戦での「バックスクリーン3連発」に代表される掛布雅之岡田彰布らのクリーンナップの中核としての活躍が特に知られている。バースは同年、打率.350、54本塁打、134打点で三冠王を獲得し、同年の日本シリーズ(対西武戦)でも打率.368、3本塁打、9打点を稼いで最高殊勲選手に選ばれた。翌年には、2024年シーズン終了時点で未だ破られていないNPB記録となる打率.389をマークして2年連続の三冠王を獲得し、実働6年で通算打率.337、202本塁打を放つなど数々の記録と伝説を残して、2023年にアレックス・ラミレスと共に野球殿堂入り*1を果たした。「日本野球史上最強の助っ人外国人」「神*2」「神様・仏様・バース様」などと称された。

しかし1988年、バースは息子の難病を機に帰国するが、阪神球団側の不手際が原因で退団が決定する。この年は結果的に、バースの退団騒動が起因となる当時の球団社長の自殺、掛布の現役引退まで重なったことからチームは一気に崩壊し、1990年代の暗黒時代に突入、バースの活躍は暗黒期に入る前の最後の輝きとして語られるようになってしまった。

再来という名のフラグ

この惨状から、デイリースポーツサンケイスポーツあたりの在阪マスコミがバースのような助っ人の活躍を再び願い、阪神に入団する(主に一塁手の)助っ人外国人に期待を寄せる際、半ば神格化する形で殺し文句として枕詞的に「バースの再来」の句が使われるようになり、選手本人を見ていないにも関わらず、左打者と聞くだけで「バースの再来」と騒ぐのは毎度の恒例行事であった。しかし、期待を掛けられてこの称号を頂戴した助っ人は大抵期待を裏切るというジンクスがあり、中には球団に対して洒落にならない損害を出した選手も数々輩出して来た。

1988年にバースが退団した後に阪神タイガースへ入団し、「バースの再来」などと称された数々の選手を以下の表にまとめた。なお下表にあるように初代「バースの再来」はルパート・ジョーンズだが、ジョーンズの退団後も「バースの再来」が来日しては目立った実績を残すことなく去り行く状況に対して、皮肉を込めて「バースの再来の再来」(または「グリーンウェルの再来」のように「〇〇(やらかした選手)の再来」)と称することがある。いわゆる「ハズレ選手」が多発したことから近年では大抵「フラグという意味で」使用され、故に「虎の恋人」「怒りの撤退」と並ぶ、阪神タイガースの「秋冬三大季語」扱いされる事が多い。

「バースの再来(の再来)」の選手たち

「年次」欄は一軍出場期間のみYYYY/MM(/DD)表記。年だけの場合はシーズンフル。

1988~2000年

1988~2000年

名前守備位置打席年次
成績(打率/本塁打/打点)
備考
ルパート・
ジョーンズ
外野
一塁
左打1988
.254/8本/26点
元祖「バースの再来」。プロ野球史上初の背番号「00」。
元々は走攻守三拍子揃った好選手だが、晩年の金本知憲同様、左肩の故障で満足にプレー出来る状態ではなかった。左翼からの返球は下手投げで試合後には投手顔負けのアイシングを行っていた。その後、不慣れな一塁を守らされてエラーを連発(27試合で7失策)し、一塁から二塁への送球も投手への返球も満足に出来なかった。
そのせいか打率も振るわず、とんがり頭のスキンヘッドという容貌から「00(ゼロゼロ)怪人」と呼ばれた。
マーベル・ウイン外野左打1991
.230/13本/44点
メジャー通算940試合に出場と実績は十分で、当時の佐々木恭介打撃コーチの強いプッシュで入団したという。しかし、同期入団のオマリーとは対照的に日本野球に対応できず「凡打製造機」の渾名を付けられた。*3
ロブ・ディアー外野右打1994
.151/8本/21点
メジャー通算226本塁打を放った大砲。オマリーの紹介でパチョレックの後釜として契約したが、三振率.396と粗さが目立ち、ファンからは「2億7000万円の大型扇風機」「オマリーの話し相手」の渾名を付けられた。8月に右手親指靭帯の断裂で帰国し、そのまま退団。
一方でメディアには好意的に対応したり、悩んだ末に首脳陣に自らスタメン落ちを直訴するなどナイスガイで人格的な一面もあった。ディアーは日米双方での「三振のレジェンド」で、かつてはMLBのシーズン最低打率.179を保持していた*4。ディアーがホームランを放った試合の大半がデーゲームでナイトゲームに弱かった事から、ファンの間では鳥目疑惑が出ていたという。
クレイグ・
ワーシントン
三塁右打1996
.267/3本/12点
1996年シーズン途中に解雇されたグレン・デービス&スコット・クールボーの後釜。
まずまずの成績を残すも8月に肉離れで離脱、最終戦には出場したが結局そのまま解雇。
ケビン・マース一塁左打1996
.245/8本/42点
先述のクレイグと同じ飛行機で来日した4番候補。新聞紙上には登録名にかけて「打ってクレイグ、たのんマース」と書かれた。
クレイグ同様、加入直後はそこそこの成績を残すも、打てないコースが多過ぎたせいかあっさり攻略されて解雇。応援歌は名前の発音が近いという事でバースの応援歌が流用された。
フィル・
ハイアット
三塁
一塁
外野
右打1997
.204/11本/30点
長打力はあったが、ディアー同様に確実性に欠ける打撃で活躍できず、後述のシークリストらに押し出される形で降格後、解雇。
2003年途中にダイエーが、故障で全休した小久保裕紀の代役として獲得を検討したが、結局はフリオ・ズレータを獲得した。
マイク・
グリーンウェル
外野左打1997/5/3-5/11
.231/0本/5点
もはや説明不要の「伝説の“ダメ”助っ人」。全身ボロボロのロートル助っ人を大枚(推定約3億3,000万円)をはたいて獲得し大失敗した典型的な例。
リード・
シークリスト
三塁
外野
左打1997
.192/0本/4点
不調とケガに悩まされたハイアットと「神のお告げ」で退団したグリーンウェルの代役で加入。
前半戦こそ良かったものの後半戦は扇風機と化し、シーズン終了を待たず9月に解雇された。
デーブ・ハンセン三塁
一塁
左打1998
.253/11本/55点
ハンセン側が阪神球団へ売り込む際、2年連続で同じビデオを見せられた吉田義男が別の映像と思い込んで「成長した」と騙され契約したと言うくだり*5で有名。打力はともかくシーズン17失策とお粗末な守備で解雇。翌年にロサンゼルス・ドジャースへ復帰するとまさかの代打の神様として大活躍。その後もパドレス、マリナーズと転々としながら2005年まで現役を続けた。
アロンゾ・パウエル外野右打1998
.255/9本/28点
中日時代は首位打者を3回獲得するなど安打製造機として活躍したが、獲得前年は膝の故障で低迷。中日が本拠地をナゴヤ球場から広いナゴヤドームに移転したことを意識したせいか打率が急降下し、守備難も目立ったことから解雇され、阪神に拾われた。
だが、阪神でも膝の古傷の影響で前年同様パッとしない成績であり、坪井智哉の台頭で控えに回ることが多かった。同年8月の対ヤクルト3連戦にスタメン出場したのを最後に解雇。
デジ・ウィルソン一塁
外野
左打1998
.167/0本/3点
デジー・ウィルソンとも。
阪神フロントが欲張って第三の外国人選手として契約したのはいいものの、先述のハンセンとパウエルを優先起用した結果、一軍出場は同年8月から9月までの短期間に終わり、オフに解雇。
マイク・
ブロワーズ
三塁
一塁
右打1999
.251/10本/43点
当時の野村克也監督と打撃スタイルで揉め、二軍へ落とせないという条項でトラブルになったため解雇。彼の解雇以降、それまで好調だった後述のジョンソンの成績も下降していった。
ベースからあまりに離れて立つスタイルのため、外角球にまったくと言っていいほど対応できなかった。
マーク・
ジョンソン
一塁
外野
左打1999
.253/20本/66点
強烈なアッパースイングを武器にシーズン前半は19本塁打と大暴れするも、後半になるとバッチリ対策されて沈黙、わずか1本塁打に終わって解雇された。
退団した翌年、メジャーに復帰。
ハワード・バトル三塁右打2000
.227/1本/1点
ベンチ入りすると勝利する試合が多かったことから、風貌と相まって「勝利の大黒様」と称された。しかし、そのジンクスも長くは続かずシンプルに実力不足であり、特に三塁守備はお粗末そのもの。「太りすぎて二軍スタート」という情けないエピソードまである。
あまりの酷さにシーズン途中で解雇されたが、代役として日本ハムから金銭トレードで獲得したマイカ・フランクリンも移籍直後に故障してそのまま二軍で燻り続け、選手層の薄さから後述のハートキーを使い続ける羽目になった。なお、バトルの解雇によって阪神は5年連続で外国人シーズン途中解雇という不名誉な記録を作ってしまった。
トニー・
タラスコ
外野左打2000
.239/19本/57点
陽気な性格から「地下足袋トニー」で親しまれた。打撃はオープン戦で披露した逆方向に流し打つシュアなバッティングから一転、シーズン中は強引に引っ張るバッティングをしたため安打では無く三振を量産し打率が低迷。ただし当たれば飛ぶタイプで、シーズン19本塁打は新庄、大豊に次ぐチーム3位だった。
また俊足好守を活かした外野守備は評価が高く、新庄との右中間は鉄壁そのもの。シーズン中盤からは6番に定着した。打率こそ低いが本塁打数と守備面での貢献度は高く、「バースの再来の再来」の中ではかなりマシな部類であり、ファンからも残留を望む声が多かったが結局1年で退団となった。後に大麻所持で解雇されたもののニューヨーク・メッツにも復帰した実力者だった。
ジェイソン・
ハートキー
三塁両打2000
.272/4本/27点
置物」バトルが役に立たず緊急補強で獲得。陽気で派手なタラスコと対照的に地味だが堅実な守備と打撃が定評とされた。
確かにバットに当てるのはうまく、打率.272と多少は数字を残したものの、本塁打は僅か4本の一方で併殺は12と助っ人としてはノーパワー。堅実なはずの守備でも慣れないサード*6ながら76試合で14失策を記録した。しかし当時の阪神は深刻な戦力不足で、同時期に在籍していた外国人内野手も使い物にならなかったことからこの攻守ともに力不足のハートキーをシーズン後半「3番・サード」で起用せざるを得なかった。
その様子は島田紳助に「あれは助っ人じゃなくて、野球が出来る外国人をアメリカから連れてきただけ」と貶され福本豊には名前を忘れられ「心筋梗塞」とまで呼ばれた。打率は悪くなく態度も真面目で最低限レベルには野球が出来ていたため「野球ができる外国人」という評価は的を得ていたといえよう。
2001~2020年

2001~2020年

名前守備位置打席年次
成績(打率/本塁打/打点)
備考
イバン・クルーズ一塁
外野
左打2001
.234/14本/34点
メジャーに移籍した新庄剛志の後釜として入団。
オープン戦では19試合で打率.385、7本塁打、14打点と活躍したが開幕後は不振。6月の巨人戦では1試合3本塁打を記録するが、同じ試合で清原和博も1試合3本塁打を放ち、結果的にチームも敗れてヒーローになれず、シーズン終盤に左肩を痛めてそのまま退団となった。当たれば飛ぶだけのパワーは備え、本塁打も14本放ったが打率は低く三振が多い上に守備面の貢献度も低く、前年に在籍したタラスコのほとんど下位互換だった。14本塁打は一応チームトップの数字(しかも半数にあたる7本は巨人からというキラーぶりを発揮)で、当時の野村克也監督は「怪我が治れば打つだろう」と残留を検討していた。
その後、2003年に打線の長打力不足に悩む中日へ入団。オープン戦では阪神時代同様7本塁打と大暴れし、巨人との開幕3連戦でも木佐貫洋から本塁打を放つなど滑り出しは好調だったが、やっぱり5月途中で打率.180、4本塁打とクルクルーズに逆戻りして二軍降格。最終的には阪神時代以下の成績でシーズン終了を待たず9月に退団。一応「怪我が治って打った」がその後が続かなかった。
エドワード
・ペレス
一塁
三塁
外野
右打2001
.222/3本/19点
父親はシンシナティ・レッズの黄金期を支えたトニー・ペレス。
ペレスはバースよりもどちらかと言えば「オマリーの再来」と呼ばれていた。
なぜか中日の岩瀬仁紀相手には無双していた。
2002年からはMLBに復帰したのち、2007年に引退。
トム・エバンス三塁右打2001-2002
.242/2本/14点
2001年は守備固め要員として活躍したが、翌年はオリックスから移籍してきたジョージ・アリアス、新入団のデリック・ホワイトが優先起用されて余剰要員となってしまう。
シーズン途中の5月に交換トレードで西武ライオンズへ移籍すると阪神時代には見られなかった勝負強い打撃と長打力が冴え、怪我で戦線を離脱したスコット・マクレーンの穴を埋める活躍で西武のリーグ優勝に貢献。最終的には打率.252、15本塁打、45打点の成績を残したものの、シーズン終盤にマクレーンが復帰。当時西武へ在籍していた他の外国人選手も軒並み複数年契約期間中だったため、翌年の一軍出場が難しいと判断されて退団となった。
デリック・
ホワイト
外野
一塁
右打2002
.227/7本/21点
「チームのためならバケツ運びでもする」とまで言った人格者。風貌などがマイク・タイソンに似ていることから、「トラのタイソン」の渾名も付けられた。シーズン当初は活躍したが、技術的な行き詰まりと手首痛に悩まされて冷温停止状態に陥り解雇。選手としては見切りをつけられたが、骨折しながらもベンチ入りして戦意高揚の声出しに務める姿は当時の田淵幸一コーチを感服させるなど、やはり最後まで人柄的には評価されていた。
その後は楽天の駐米スカウトを務め、AJことアンドリュー・ジョーンズケーシー・マギーを連れてきた。
マイク・
キンケード
三塁右打2004
.233/3本/7点
オマリーがスカウトしてきた助っ人選手で、2000年シドニー五輪野球アメリカ代表の金メダル獲得メンバー(正三塁手)。
内外野から捕手まで守れるユーティリティプレーヤーで、「キンちゃん」の愛称で親しまれる。オープン戦では打率4割をマークするなど好調だったが、シーズンに入ると来日初打席で上原浩治から死球を受けたのを皮切りに、以降26試合で12死球1未遂という当時の2chの野球chのスレでもネタにされる勢い当たり屋ぶりで、案の定、死球で故障離脱。別の意味での「当たり助っ人」ではあった。
8月に不振のアリアスの代役として一軍復帰するも、復帰翌日にダイビングキャッチを試みて再び負傷し、そのまま解雇とスペ体質でもあった。
シェーン・
スペンサー
外野
一塁
右打2005-2006
.237/15本/50点
オマリーがスカウトして(ry。
打率はパッとせず、守備走塁でもやらかすが、ムードメーカーとして優勝に貢献した事が評価され残留。さらなる活躍を期待された翌年、開幕直前に車から降りる際に足を踏み外して右足首を捻挫してしまい長期離脱。開幕後の4月に復帰するが、濱中治の活躍で出場機会は代打に限られていた。交流戦が始まるとスタメンに名を連ねはじめ、交流戦後半から調子を戻して満塁弾も放ったが、この年はシーズンを通じて好調だった濱中の活躍で出場機会が減少し、9月に二軍降格後はそのまま退団した。
阪神入団前、ピザ屋相手に暴行事件を起こしたことから素行を不安視されたが、打線が沈黙している中でチームメイトを鼓舞したり、延長10回に入ってからも犠牲バントを試みたり、「スケベ代表」「馬鹿外人」という襷やシャツを着用して登場するなど、例によって人柄的には悪くはなかった様子。
ルー・フォード外野右打2008
.225/3本/11点
オマリーが(ry 。
2004年にはメジャーで規定打席に到達して打率.299、15本塁打、72打点をマークした。
しかし、「ノーパワー・低打率・鈍足・守備難」というダメ外国人の要素をすべて兼ね備え、その姓から「廃車」「ポンコツ車」と揶揄され、後述のメンチやコンラッドが入団する前のヘボ外国人の代名詞だった。ある種ベンツの元祖である。打席に立っても、ワンバウンドするボール球に2球続けて手を出して三振に倒れるという珍事をやらかし、当時の岡田彰布監督から「1人野球がわかっとらん奴がおる」と痛烈に批判される有様。日本ではまったく振るわなかったが2012年にはメジャー復帰を果たし、ポストシーズンにも出場した。47歳を迎えた2023年まで現役を続け、2024年からは自身も所属していた独立リーグ球団の監督を務めている。
ケビン・メンチ外野右打2009
.148/0本/2点
オマ(ry。
本名がケビン・フォード・メンチのため「ルー・フォードの再来」とも。春季キャンプでの紅白戦では盗塁王を5度獲得した赤星憲広を外野からの返球でアウトにするなど肩の強さを見せたが、打撃で速球に対応できない弱点が露呈し、守備においても打球処理にもたつくなど、ロクに活躍できず。ただし、決して怠慢なプレーを見せたことは無く、降格後もコーチにアドバイスを求めながら練習に熱心に取り組んでいたり、慈善事業に積極的な姿勢を見せるなど、これまた人格面は評価されていた。
ブルックス・
コンラッド
三塁
二塁
両打2013
.175/0本/0点
当時の中村勝広GMが4番候補として「ビデオを2分だけ見て決めた選手」と噂されている
69打席10安打、0打点の伝説を打ち立てた、ある意味で「バースの再来の再来の化身」。打撃面では、併殺が1つだけにもかかわらず印象的なゲッツーだった*7ため、「一打で二度死ぬコンラッド」とネタ*8にされた。またユーティリティとの触れ込みだったが、どこを守ってもイージーエラーを連発した。実は元々拙守で知られ、MLB時代は基本的に代打要員だった。
解雇後、当時海外スカウトだったアンディ・シーツに無断で獲得に動いていたことが発覚し、中村の見る目のなさが改めてクローズアップされたのは言うまでもない。
このあまりの醜態に次の助っ人外国人は1打点上げたら当たりとネタにされた。
ネルソン・ペレス外野
一塁
左打2015-2016
.000/0本/0点
当時打撃不振に陥っていたマット・マートンマウロ・ゴメスの両外国人の代わりとして獲得したが、直後に両者が復調し、外国人枠の関係で二軍暮らしが続いた。
一軍で打点どころか安打すら打てなかったのは阪神史上初だが、これはそもそも10打席しかチャンスが無かったためであり、二軍では好成績だった。
マット・ヘイグ一塁
三塁
右打2016
.231/2本/11点
当時の最多安打記録保持者であるマット・マートンの後継となる中距離打者として入団するも、オープン戦は不振。開幕直後こそ好調だったが、その後は再び不振に陥り、甲子園と鳴尾浜を往復する日々。守備難もあって結局1年で退団した。しかし、現役引退後トロント・ブルージェイズ傘下のマイナーリーグ球団の打撃コーチに就任すると評価を上げ、2024年にはブルージェイズの打撃コーチ補佐に就任するなど、どちらかというと選手時代よりコーチとしての方が優秀である。
エリック・
キャンベル
一塁
三塁
外野
右打2017
.191/1本/5点
エリック・テームズ(元巨人)の獲得が不発に終わり、代役として獲得した助っ人。
内外野守れるユーティリティープレイヤー」との触れ込みで入団したものの、まったく期待されておらず「ヘイグの再来」を危惧されるほど。5月25日の巨人戦で来日初本塁打を含む3打点を挙げる輝きを見せたが、そこから25打席連続無安打を記録して6月7日に二軍降格。当時新人の糸原健斗大山悠輔にも遠く及ばない惨状で、その後球団が後述のロジャースを緊急補強したため7月以降は一軍復帰出来ず、そのまま戦力外となった。成績自体はメンチ、コンラッド級だが、年俸が推定約7,000万円と比較的安価だったのが救いか。
2021年に一旦は引退を表明したものの撤回し、34歳にしてメジャー復帰を果たした。結局同年限りでの引退となったが、現役生活の最後に花を添えた。
ジェイソン・
ロジャース
一塁
外野
右打2017/7-11
.252/5本/23点
不振のキャンベルに代わる助っ人として獲得。7月18日の一軍登録当初は活躍し、「パンダ」の愛称で親しまれ、7月23日の横浜戦では阪神第100代目の4番打者にも起用された。しかし、死のロードが始まった8月に入ると一転、打撃不振に。その間に新人の大山悠輔にスタメンを取って代わられ出場機会が減少。歴代助っ人の中ではマシな成績で、年俸もキャンベル同様に割安(推定約3,300万円)だったが、当時監督だった金本知憲からパワー不足と見なされ、後述のロサリオ獲得により退団となった。
ウィリン・
ロサリオ
一塁
捕手
右打2018
.242/8本/40点
平成最後の三億円事件。ディアーやクルーズの再来とも。
2017年に韓国で打率.339、出塁率.414、37本塁打、111打点、OPS1.075と無双し、鳴り物入りで阪神に入団。しかし、外に大きく逃げる球、外角の落ちる球、真ん中の球威のある直球全般に弱いという弱点が露呈すると三振やゲッツーを量産。守備面でも拙守を重ね、8月に一軍登録を抹消されるとそのまま戦力外となった。歴代の助っ人に比べるとまずまずの成績を残している他、この年の7月に発生した西日本豪雨の被災者支援を目的に義援金100万円を寄付するなど、歴代助っ人同様のぐう聖ぶりを発揮しているが、さすがに推定年俸約3億4,000万円では割に合わず退団となった。
エフレン・
ナバーロ
一塁
外野
左打2018-2019
.264/3本/27点
どちらかといえばパワーよりもバットコントロールと守備力に優れた選手で、2018年は先述のロサリオの登録抹消後、一塁のレギュラーとして活躍した。
2019年はヤクルトとの開幕戦にスタメン起用。NPB他球団を経ずに阪神へシーズン途中入団した外国人野手がそのまま残留し、翌年の一軍公式戦に出場するのは、1961年のマイク・ソロムコ以来58年ぶりだった。開幕直後こそレギュラーを守っていたものの、怪我で出遅れていたジェフリー・マルテの復帰に伴い4月末に二軍落ち。二軍でも打率1割台と振るわなかったことから戦力外となった。
ただ、人格が優れていたことや、第2回プレミア12のメキシコ代表として大活躍したこと、近年の阪神助っ人のそれ以上の不甲斐なさもあり、バースの再来どころか優良助っ人とするファンもいる。2024年から阪神のスカウトを勤める。
ヤンハービス
・ソラーテ
三塁
外野
両打2019
.188/4本/9点
グリーンウェルの再来。強打のスイッチヒッターで、一軍登録後即スタメン起用された7月26日の巨人戦で決勝2ランを放つと、7月30日の中日戦でも1試合2発(1本目は2リーグ制前から数えた球団通算8000号本塁打、2本目は甲子園の左翼ポールを直撃するサヨナラ2ラン)を記録するなど鮮烈デビューを飾る。ところが、その後は左右両打席から三振を量産する体たらくで8月下旬に二軍落ち。
9月6日に一軍昇格したが、昇格当日に当時の監督だった矢野燿大へ「モチベーションが上がらない」と直訴し広島から帰阪。球団はこの行為をチームの規律を乱す問題行動と捉え、一軍昇格3日後の9月9日に解雇された。
ジャスティン
・ボーア
一塁左打2020
.243/17本/45点
メジャー通算92本塁打を放った大砲。
だが左投手に極端に弱く、開幕から18打席連続無安打を記録するなど早々に「バースの再来の再来」認定を受けてしまう。その後は一時的に打率3割を記録するなど総合的には悪くない成績であり、また日本の野球や文化に積極的に馴染もうとするなど人柄もよく、残留を望む声もあったが、調子の波や高年俸(推定約2億7,500万円)がネックとなり1年で退団した。これでも近年の阪神助っ人では活躍した方である。
2021年~

2021年~

名前守備位置打席年次
成績(打率/本塁打/打点)
備考
メル・
ロハス・ジュニア
外野両打2021-2022
.220/17本/48点
前年に韓国で打率.349、47本塁打、135打点、OPS 1.097という無双状態で本塁打と打点のリーグ二冠王を獲得。さらにはゴールデングラブ賞とシーズンMVPにも輝き、鳴り物入りで阪神へ入団。しかし、コロナ禍での入国制限による来日遅延、それに伴う調整不足の影響で、先述のボーアを超える開幕20打席連続無安打を記録。1年目は後半戦こそ持ち直し、2年目も8月のクラスター発生時に救世主となったが、全体的な数字は芳しくなく、推定年俸約2億7,000万円では割に合わず退団。彼もまた先述のロサリオ同様、ロマック算がおおむね正しいことを実証してしまった*9
シェルドン・
ノイジー
外野右打2023-2024
.240/9本/56点
レギュラーシーズンでは広い守備範囲と強肩を活かし、両リーグトップの12捕殺を記録したが*10、打撃に関してはリーグ5位タイの13併殺を喫するなど、ノーパワーあへ単ゲッツーマシンという評価であり、2023年限りの退団が濃厚と思われていた。ところが、この年のオリックスとの日本シリーズで覚醒し、勝負が決まる第7戦で宮城大弥から会心の先制3ランを放って38年振りとなる阪神の日本一に大きく貢献*11この活躍が評価されて残留を勝ち取った。
しかし翌2024年シーズンは出場49試合で9併殺とゲッツーマシン化に磨きがかかり、レフトのポジションも前川右京や井上広大に奪われ、ヨハン・ミエセスとともに戦力外となってしまった。
レギュラーシーズンでは平凡な成績ながら、日本シリーズでは文句なしの活躍を見せたことから、ファンの間でも非常に評価の分かれる選手の一人*12

上で紹介した選手の中にはジョンソン、タラスコ、ハートキー、ナバーロ、ボーアなど、外国人選手としては打率・長打力などに物足りない点こそあれど一軍でそれなりに試合出場しまずまずの成績を残した選手や、クルーズ、スペンサー、ロジャース、ロサリオのように時折光るものを見せた選手もいたものの、「バースの再来」という看板は重く、その多くが1年以内にチームを去っている。
特に、高い前評判がありながら散々な結果に終わったグリーンウェル、メンチ、コンラッド、低い前評判通りの悲惨な結果を残したフォード、ヘイグ、キャンベルらはダメ外人の象徴に挙げられやすい。

なお、こんなある種笑いのバラエティに富んだ阪神の助っ人事情であるが、自前外国人には

  • 後のMLB大打者セシル・フィルダー
  • スカウトとしては先述の「バースの再来の再来」達を送り込みまくっているが、選手としては1992年に暗黒期唯一のシーズン2位と、ヤクルト移籍初年度の1995年に日本一に貢献したトーマス・オマリー
  • 1年目に214安打でイチローの持っていた当時のシーズン安打数記録を更新し、その後も安打製造機として6年にわたり活躍したマット・マートン
  • マートンとのコンビで109打点を稼ぎ、2014年CS突破の原動力となったマウロ・ゴメス
  • 怪我こそ多かったが抜群の選球眼と長打力で3番、4番を打ち、矢野政権4年連続Aクラスに貢献したジェフリー・マルテ*13

他球団から獲得した助っ人には

  • オマリーの友人で1992年に暗黒期唯一のシーズン2位に貢献したジェームス・パチョレック
  • 平成の3連発メンバーで2003年リーグ優勝に貢献したジョージ・アリアス
  • 3年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、後に阪神の敏腕スカウトとしてマートンやゴメスを送り込んだアンディ・シーツ
  • バース以来の本塁打40本超えと平成のクリーンアップ3連発メンバーであるクレイグ・ブラゼル

また投手に関しても

など、平成以降だけでも有力な助っ人は多数存在する。

派生

2016年10月29日の日本シリーズ第6戦の8回表、当時日本ハムファイターズの投手であったアンソニー・バース*15が、広島カープのジェイ・ジャクソンからセンター前ヒットを打った際には、「バース緊急来日」とネタにされた。

なお、一応海外スポーツでもスケールの違いはあるが類似のものに、NBAのマイケル・ジョーダンの後継者の登場を願う「ネクスト・ジョーダン」、サッカーアルゼンチン代表だったディエゴ・マラドーナの後継者を望む「マラドーナ二世」などが存在する。

関連項目

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*1 外国人競技者としての受賞は、1960年のヴィクトル・スタルヒン以来63年ぶり。
*2 阪神タイガースの一字略称を指す。
*3 唯一輝いたのは7月の巨人戦2試合だが、その内訳は決勝本塁打とボテボテのサヨナラ内野安打。
*4 この記録は2018年、当時ボルチモア・オリオールズに所属していたクリス・デービスが更新している。
*5 そもそもこの一件は、96年にLADにいて97年にCHCに移籍しているのにユニフォームで気づかない筈がないのでネタである可能性が濃厚。
*6 本職はセカンド。
*7 2013年5月20日の交流戦・対西武(西武ドーム)での出来事、1-5でリードされていた9回に西武・十亀を攻め立て1死1・3塁のチャンスを作るも、運悪くセンターゴロで併殺・試合終了となってしまった。
*8 金鳥のゴキブリ獲り器・コンバットのキャッチコピー「一度で二度効くコンバット」の捩り。
*9 2020年の韓国での成績(.349/47HR/OPS1.097)からロマック算を適用すると、.220/16HR/OPS0.573となるが、実際のロハスの2021年の成績は.217/8HR/OPS0.663と大体ロマック算通りかそれより悲惨な結果となった
*10 それでも全体的には指標上でブービー争いをするほどである。
*11 阪神の外国人選手が日本シリーズでホームランを放ったのはあのバース以来であり、ファンからは「ノイジーこそがバースの再来だった」とネタにされた
*12 一部の阪神ファンからは「日シリの3ランだけで年俸のおつりがくる」と評されることも。一方で「日シリのホームランを餞にすっぱり切っておけば前川や井上はもっと早く台頭できた」という意見もある。
*13 余談だが、来日初本塁打は前年ロサリオが打てなかった甲子園での本塁打であり、またこれが元号が「令和」に改元されてからの球団初本塁打でもあった。
*14 スアレスはソフトバンクからの獲得であり、ここにいる面々で唯一の他球団からの移籍選手である。
*15 彼の本名もアンソニー・バス。同姓のランディー・バースにあやかって登録名をバースにした。