ケガが多い人物のこと。
ケガが極度に多かったことで知られた多村仁志(元横浜→ソフトバンク→DeNA→中日)*1の蔑称が転じたもの。
経緯
多村は高い身体能力と打撃能力を有する選手だったが、怪我がちであることを欠点としていた。2004年キャンプ終了直前に「ポスターの撮影でジャンプした際に捻挫」した事から、「段差で躓いただけで死亡する」虚弱体質のゲーム『スペランカー』シリーズの主人公に例えられるようになった*2。
この呼称は知名度を広め、2chだけではなく2006~12年に在籍したソフトバンク公式メディアのスタッフにも把握されるほど有名*3なネタとなっている。多村もこのネタは把握しているようだが、当然蔑称でもあるため本人はこう呼ばれることを嫌っている。
なお春先の怪我が多かったため、「春の風物詩」の別称でも呼ばれた。
しばしば試合中の負傷についてもスペランカーと呼ばれることもあるが、本来の用法としては試合外などのあり得ない場面で負傷することを指す。また、けがは多いものの、長期離脱にはならない事が多いことも特徴である。
また、スペランカー=多村の図式が定着するにつれ「スペ」と省略されるようになった。派生して、故障頻度が多い選手を「スペランカー体質」(やがて「スペ」体質と省略、プロ野球情報誌など各種メディアでは「ガラスの身体」と呼ばれる)と呼ばれる他、怪我することを「スペる」と動詞化して呼ぶことがある。
~多村仁志のスペランカー伝説~
プロ入り前
- 体育祭のリレーで転倒、靭帯を痛めて救急車で搬送されたらしい。
- 高校三年の夏、県大会優勝時に歓喜の輪に入ろうとしただけで足を攣ってしまい輪に入れず。みんなが校歌を歌う中、マウンドでうずくまっていた。
1998
- 横浜ベイスターズが球団の歴史に残る優勝を成し遂げたが、多村は万全を期すために受けた右肩の手術時に重症だったことが判明し1年ずっと病院。
2003
- 風邪などでスタメンを外れることが定番化。
- 9/25 スタメン復帰後、死球で途中交代。
2004
- 2/27 ポスター撮影中にジャンプする→右足関節捻挫。
- 4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴。
- 5/3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消。キャッチボールができないプロの誕生に野球板民も震撼。
- 6/5 フェンスに激突した際には「自身の肘打ちを自分で喰らう」という見事な自爆で途中交代。
- 6/24 試合で空振りした際に何故か肩をケガ。スイングができないプロの誕生に(ry*4
- 8/11 試合前に念入りに練習に打ち込むも、当然の如く腰を痛めてスタメン落ち。
- 8/28 ファインプレーで投手を援護するも束の間、当然の如く膝を強打して途中交代。
- 9/19*5 ファンへの握手のし過ぎで左手をケガしてスタメン落ち。握手ができないプロの(ry
2005
- 2/11 沖縄で野球教室を開きサイン会も実施。肩から荷物の入った野球バッグを下ろさずサインに応じ続けた結果、左肩を内出血。
- 3/30 全試合出場を目標に掲げるも、開幕直前にインフルエンザに罹り貫禄のスタメン落ち。
- 6/21 疲労を押して出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にまさかのぎっくり腰。伝説的な登録抹消。
- 6/29 愛車のポルシェが雨でスリップ、高速の側壁に衝突する自損事故を起こす。エアバッグで左顔面と左肩をケガし車も大破。
- 8/28 健康診断で飲んだ造影剤で気持ちが悪くなり、華麗なる試合欠場。
2006
- 4/20 左肋軟骨挫傷の為、1ヶ月戦線離脱。
- 6/7 本塁に突入した際のクロスプレーで肋骨4本骨折。シーズンが終わる。
- 能力は高いものの驚異的な虚弱体質を持つ多村に球団がついにブチ切れ、寺原隼人との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。多村は王監督に「年間フル出場」を誓う。
2007
- 2/12 靴ズレでアキレス腱をケガ、ソフトバンクは多村の虚弱体質を舐めていたことを思い知る。
- 3/13 一回の打席で自打球を左足に当てる→病院送り。ソフトバンクは後悔し始める。
- 4/4 歩幅が合わずに大股でベースを踏む→当然のごとく滑ってケガ。
- 5/19 二塁へ豪快なスライディングを敢行。敵二塁手ごとなぎ倒すも、その下敷きになりケガ*6。
- 11/22 北京五輪の野球日本代表選手に選ばれ、ヤフードームに凱旋の予定も腰痛が悪化。スタメン落ち。
- 11/25 上述の故障により、当然の如く五輪日本代表メンバーから外される。
2008
2009
- 3/24 張りを訴えてオープン戦欠場→残り5試合には全て出ることを宣言。死亡フラグを勝手に立て始める。
- 3/25 上記発言の翌日右肩を痛め、残りのオープン戦全てを欠場。宣言はたった1日で潰えた。華麗なるフラグ回収。
- 8/30 第3打席で川崎が牽制死になった際、球団公式サイトの試合経過で多村終了と表記される*7。
- 9/3 上記に奮起して試合に臨むも、左太腿と左手首への死球を2度も喰らって翌日スタメン落ち。
- 9/29 ニコニコ生中継された楽天対ソフトバンク戦、突如として37℃の風邪をひき始める。結局打席に立つことも守備に就くこともなく貫禄の未出場途中交代、全国のニコ厨を一蹴する。
- 10/16 運命のCS第一戦にスタメン予定だったが、当日の朝に腰をケガ。当然の如くホテルでTV観戦。
- 秋山監督に「来年のフル出場」を誓う。
2010
- 3/30 全試合フルイニング出場を目標としていたが、ベッドで寝違えてしまい断念。もはや職人芸の域*8。
2011
- 6/8 巨人戦で左手小指に死球を受け、手術を余儀なくされる。
- 6/15 上述の死球の影響でチームの交流戦優勝に立ち会えず、集合写真にユニフォームだけ参加。
- 10/6 ロッテ戦において自打球で左足小指を骨折。
2012
- 開幕直前、肺炎に加え腰痛も発症し、開幕メンバーから漏れる。
- 8/5 腰痛から復帰してスタメンに定着し、4番でも打点をあげ始めた矢先、牽制帰塁時に肩を痛めて抹消。
- 11/5 吉川輝昭・神内靖と共に、横浜DeNAベイスターズの吉村裕基・山本省吾・江尻慎太郎との3対3トレードが発表され、ベイスターズに電撃復帰。
2013
- 4/21 左太ももの張りを訴え途中交代。そのまま抹消される。
2014
- 8/24 両アキレス腱の状態が悪化、途中交代。翌日出場選手登録抹消。
2015
- 5/2 接触のないベースランニングで負傷し二軍降格。関根大気、乙坂智らの台頭もあり一軍出場はわずか4試合に終わり、戦力外通告。コーチ入りの打診もあったが拒否して中日ドラゴンズに育成選手として入団する。
2016
- 早速右脹脛の肉離れを起こす。中日を戦力外となり遂に現役引退。
その他
- 12年の鷹の祭典、13年のスターナイトと2回もサイリウム投げを目撃する。
総括
このような数々のエピソードから多村はネタ扱いされているが、「ケガさえしなければ素晴らしい成績を残せる*9」選手である事はその過去が物語っている。
また、引退会見時の「もう痛い思いをしなくていいのかな」という言葉は普段から多村をネタにしていたなんJ民も涙した。
余談だが横浜時代の応援歌のひとつに『弾丸よりも 速く走れ 負けるな仁志 飛び込んで ライナーをキャッチしろ*10』という歌詞があるのだが、上記の通りのスペ体質からのちょっとした無茶ぶりとそのぐう畜ぶりをネタにされている*11。
引退後
引退後は解説者に転身。聞き取りやすい声にセイバーメトリクスに基づいた解説が分かりやすく、かつ丁寧であり高い評価を得ている。その為、以前所属していた球団のファン*12からは多村をコーチ/監督にしろなどという声も挙げられている。
更に現役時代の怪我の多さからか、怪我人発生時の的確な評価・解説にも定評があり、ちなヤク並の信頼度を得ている。
横浜のスペランカーたち
多村が横浜を去った後も、なぜかDeNAには定期的に多村にも負けず劣らずの極端なスペランカー体質の選手が現れている。
梶谷隆幸
多村の後輩である梶谷隆幸は、毎年ケガに泣かされ長期離脱してしまうが、試合にさえ出れば活躍*13するというスペランカーぶりを発揮。特に巨人へFA移籍した2021年以降はまともに1年間稼働できたシーズンがなく、4年契約最終年の2024年にケガを理由に現役を引退することになった。このことから、2代目スペランカーと呼ばれるようになった。
2021
- 5/23 左太ももを負傷。1ヶ月戦線離脱。
- 7/10 死球を受け骨折し再び離脱。
- 9/7 上述のリハビリ中に腰痛を発症。腰椎椎間板ヘルニアの手術を受け今季絶望。
2022
- 5/12 左膝内側半月板の縫合手術を受け今季絶望。オフにFA戦士としては異例の育成落ち。*14
2023
- 8/29 発熱で一時離脱。
2024
- 4/3 左膝の違和感を訴え抹消。1ヶ月戦線離脱。
- 5/7 左膝痛が再発。復帰わずか4日で再び離脱。
- 10/23 左膝のケガを理由に現役引退を発表。
タイラー・オースティン
2020年度からDeNAに加入したタイラー・オースティンは、1年目にはわずか65試合の出場で20本塁打を記録すると、2年目となる2021年にはこの1年で11球団からホームランを達成、アメリカ代表として出場した東京オリンピックではチームを銀メダルに導く活躍、2024年には首位打者を獲得と、万全でさえあれば球団の歴代助っ人でもトップクラスの活躍を披露。一方で、全力ハッスルプレーも相まってちょっとした走塁や守備でケガをしてしまうほどのスペ体質であり、下記の通り毎年必ず何かしらの故障で離脱を繰り返している。特に2022・2023年は度重なるケガの影響で各1~2ヶ月程度、それも代打や指名打者などの限定的な起用法しか稼働できなかったことから、梶谷がDeNAから去った今では「3代目スペランカー」と呼ばれることもある*15。
2020
- 6/18 開幕直前に右肘の張りでスタメンから外れる。
- 7/13 右手人さし指の腫れで離脱。
- 7/31 守備でフェンスに激突、むちうちで1ヶ月半離脱。
2021
- 10/5 左脹脛肉離れで今季絶望。
2022
- 3/9 右肘の張りでオープン戦途中で離脱。
- 4/13 右肘のクリーニング手術を受けシーズン前半絶望。
- 8/12 新型コロナウイルスに感染。復帰後も右肘のケガが再発しスタメン出場できなくなる。
- 10/24 右肘内側側副靭帯修復手術を受け、翌シーズン前半戦2ヶ月を棒に振る。
2023
- 6/20 ヘッドスライディングで右肩鎖関節を捻挫し今季絶望。
- 9/29 右鎖骨遠位端切除術を受ける。
2024
- 4/10 ヘッドスライディングで右太腿裏肉離れ、1ヶ月戦線離脱。
- 5/25 カメラマン席に飛び込み負傷。
- 7/24 オールスターで打球がイレギュラーし顔面に直撃。脳震盪特例で1週間離脱。
- 9/10 ベンチの天井に頭をぶつけ途中交代。
- 10/27 自打球で足を痛め日本シリーズ第2戦を欠場。
2025
- 3/28 初打席で3塁に激走しわき腹を痛め、スタメンを外れる。
- 4/6 下半身のコンディション不良で抹消。1ヶ月戦線離脱。
- 6/6 右膝のコンディション不良で抹消。2ヶ月戦線離脱。
- 9/27 右膝の違和感で抹消。そのままシーズンが終了、CSでも出場なし。
その他「スペランカー」と評される選手
- 岸孝之(西武→楽天)
ストレッチで怪我したり、咳でぎっくり腰を発症したエピソードがある。多村同様、長期離脱にはならない事が多いのも拍車をかけている。しかし40歳を超えても最前線にいるため「適度に休んでいることで長持ちしている」とも言われている。
- 中里篤史(元中日→巨人)
投げては藤川球児を彷彿とさせる浮き上がるような剛速球を投げ、打っても野手顔負けのバッティングを披露するなど野球センスの塊で将来の中日のエース候補として期待されていた。しかし2年目に階段から転びそうなった際に咄嗟に手すりを掴んだところ右肩を脱臼して選手生命を危ぶまれたのを皮切りに、以降もプールでのトレーニング中に右肩を脱臼、トレーニングボールから落下して左肘を骨折するなど試合以外の場面で立て続けに大怪我を負うようになる。
結局これらの故障が尾を引き、通算わずか34登板で引退することとなった。
- 荻野貴司(ロッテ)
春の妖精を参照。
- 内竜也(元ロッテ)
25イニングを参照。
- 亀井善行(元巨人)
2010年代中盤にかけて非常に怪我が多い時期があり、打撃面でもスランプに陥る一因となった。
- ジェフリー・マルテ(元阪神)
抜群の選球眼と卓越した長打力でそれなりに活躍したが、来日1年目の2019年から早速ふくらはぎを故障し開幕に出遅れ、以降2022年オフに退団するまで常に足に爆弾を抱えた状態でプレイし続けた*16。
特に2020年・2022年はシーズン序盤でふくらはぎを故障し、中盤にまた戻ってくるもすぐに再びスペってシーズンのほとんどを棒に振る始末で、いずれも30試合前後の出場に終わった。
- 平良拳太郎(巨人→DeNA)
人的補償としてDeNAに移籍すると先発として積極的に起用され、2019・2020年は一時救世主的な活躍。しかし膝、肩、腰など様々な箇所を毎年のように故障して長期離脱に追い込まれており、2021年にはトミー・ジョン手術を受け育成落ちも経験。これまでのキャリア最多投球回は2020年の83.1投球回、勝利数は2019年の5勝が最高であり、既定投球回どころか100投球回の経験もない*17。
- 塩見泰隆(ヤクルト)
荻野などと同様に「出れば活躍する」選手の1人であり、2021年からの2連覇にも貢献。一方でプロ入り時からスペ体質として知られ、2024年には初回先頭打者での故障→離脱を2度繰り返した末に膝を故障し今季絶望。翌年の2025年のオープン戦で、取ろうとした球を無理に引っ込めた結果、再び故障し今季絶望に。
ファンから「多村2世」「多村の再来」と揶揄される。
- 周東佑京(ソフトバンク)
2024年シーズン終了時点で盗塁王3回の実績を誇り、守備でも優秀な指標を記録。
一方で下半身を中心に怪我が多く、毎年のように短期の離脱を繰り返している。初めて規定打席に到達したのは一軍定着から6年目の2024年であった。
- 茂木栄五郎(楽天→ヤクルト)
大学屈指のスラッガーと評されながら、その頃から故障がちの体質として知られていた。
プロ入り後は2桁本塁打を3度、2桁盗塁を2度記録するなど持ち前のスキルを活かしている一方、腰痛や体調不良での戦線離脱を重ねているため、一軍でシーズンを完走したのが2019年の1度のみに留まっている。
2024年オフにはよりによって故障者が出やすいヤクルトにFA移籍で不安視の声が少なからずあった。移籍1年目の2025年、開幕当初は「3番・三塁手」を務めるなど好パフォーマンスでのスタートであったが、6月1日を最後に代打での出場に限定になり、7月8日に登録抹消。7月16日に左膝半月板を手術してシーズン終了という案の定な結果となってしまった。
- 高橋遥人(阪神)
阪神の先発投手陣でも随一の能力を有し、左のエース格に近い投球内容を見せるものの、ほぼ毎年のように肩肘の故障等で離脱するスペ体質で2022年にはトミー・ジョン手術を受け育成落ちを経験。
これまでのキャリア最多投球回は2019年の109.2回であり、平良よりはマシだが既定投球回到達の経験はゼロである。
- 高部瑛斗(ロッテ)
やはり「出れば活躍する」選手の1人であり、2022年は盗塁王・ゴールデングラブ賞に輝き、2024年は規定打席未満ながら打率.300を記録している。
一方でプロ入り時からスぺ体質で、1年目の2020年は右手の有鈎骨骨折などでほぼ棒に振り、2023年は右肩の負傷などで事実上の全休をしている。
- 西川龍馬(オリックス)
2025年シーズン終了時点で、通算打率.295を誇るアベレージヒッターである。2018年からの7年間のすべてで300打席以上の出場をしているが、うち6回で打率.280をクリアしている。
で、2018年からの7年間で、打率.300に到達したのが4回あるが、実はこの打率.300到達の4回のうち3回が「300打席以上、規定打席未満」である。
2025年シーズン、今回こそ「自身2回目の規定打席での打率.300到達」及び「首位打者の初タイトル」のチャンスであったが(この時点で、「412打席、打率.310」であり、規定打席到達まであと31打席であった)、9月20日のソフトバンク戦で自打球により右腓骨を骨折で今季終了が確定。これにより、前述のチャンスを逃すことになった。
- 石川昂弥(中日)
高校屈指のスラッガーとして3球団競合の末に地元球団の中日に入団するも、6年目の2025年シーズンまでに規定打席に到達できたシーズンは2023年のみで、同年も含めて毎年のように故障離脱を繰り返している。
それでも2024年までは不運な事故*18による怪我が多かったことからスぺ体質扱いに否定的な声もあったが、2025年シーズンは極度の不調で二軍落ちし、調整中の7月15日に二軍で初本塁打を打つも左太腿裏を痛めたため、翌16日から約1か月間戦線離脱。再度の復帰を経て一軍昇格直後の9月3日に一軍初本塁打を放つも、翌4日の打撃練習中に脇腹を痛めてベンチを外れ、5日に登録抹消される……というように事故でもなんでもないような怪我で戦線離脱を繰り返しており、ファンからはスぺ体質認定されつつある。
備考
元ロッテの諸積兼司は、打席時の専用ヒットコールがスペランカーのBGMだったためスペランカー扱いされることがある。