Deprecated: The each() function is deprecated. This message will be suppressed on further calls in /home/zhenxiangba/zhenxiangba.com/public_html/phproxy-improved-master/index.php on line 456
安楽死特区 : 作品情報・キャスト・あらすじ・動画 - 映画.com
[go: Go Back, main page]

安楽死特区

劇場公開日:2026年1月23日

解説・あらすじ

「夜明けまでバス停で」の高橋伴明監督が、安楽死を題材に描いた社会派ドラマ。

「安楽死法案」が可決された近未来の日本。国家戦略特区として、安楽死を希望する者が入居しケアを受けられる施設「ヒトリシズカ」が開設されたが、倫理と政治の最前線で物議を醸す存在となっていた。難病を患い余命半年を宣告されたラッパーの酒匂章太郎は安楽死法に反対しており、パートナーでジャーナリストの藤岡歩と共に、特区の実態を内部告発することを目的に「ヒトリシズカ」に入居する。施設には、末期がんに苦しむ池田とその妻・玉美、認知症を抱える元漫才師の真矢など、さまざまな境遇と苦悩を抱える入居者たちが暮らしていた。彼らとの交流や医師たちとの対話を通じて、章太郎と歩の心は少しずつ変化していくが……。

「『桐島です』」の毎熊克哉が章太郎、「夜明けまでバス停で」の大西礼芳が歩を演じ、平田満、筒井真理子、余貴美子、加藤雅也、板谷由夏、下元史朗、奥田瑛二、友近、鈴木砂羽が共演。医師・作家の長尾和宏による同名小説を原作に、「野獣死すべし」などの丸山昇一が脚本を手がけた。

2025年製作/129分/G/日本
配給:渋谷プロダクション
劇場公開日:2026年1月23日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

関連ニュース

関連ニュースをもっと読む

フォトギャラリー

映画レビュー

5.0 リアリティと諧謔

2026年2月18日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

本作で一番印象的だったのは医者の姿。
安楽死特区の闇を暴こうと、主人公と恋人が挑発的な態度で向き合っても、
担当医はほとんど苛々したり動揺することなく、冷静に接し、語りかける。
それは患者を冷酷無比に突き放す、見下すわけでもなく、
さまざまな経験を積み重ねた結果の落ち着いた人格で
穏やかに相対する姿をすごくリアルに感じた。

安直な二者対立による大きな人間関係の化学反応をさせることなく、
近い将来に起こりそうな物語の設定や
病院内の詳細な夫々の描写がさらにリアリティを高めている。

本作は人間の生死の選択に関する重いテーマではあるが、
三味線漫才やラップという要素が一定の諧謔性、客観視点を付与していて
最後まで気持ちが深く沈みこむことなく観た。

これらは一見ノイズのようにも感じるが、
真正面から直球で深刻なテーマを受け取らない(辛くなり過ぎずテーマを肯定的に捉える)
ための大事なエンタメ的な要素だと思った。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
HK

4.5 「安楽死が、いい悪いではなく、選択肢を持てる人間の尊厳を問う、意義深い問題提起作品」

2026年2月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

知的

難しい

 あなたが、もし病気にかかり、人間らしい生き方ができない場合、どのように考えますか。
 私は、この映画を観ながら自分の考えがコロコロ変わりました。こうだったら自然死したい、でもこれ以上悪くなったら安楽死したいというふうに。
 でも今の日本では安楽死は認められていません。自分の意志に関係なく生かされてしまうのです。「自分が自分でない、でも生きなければならない」苦痛です。
 それゆえ、この映画は安楽死という選択肢を持てたならという問題提起をしています。この映画から様々な議論がわきおこることを期待します。
以下、私の映画感想文です。読んでみてください。

【映画感想文】
 非常に興味深い問題提起だ。病気に苦しみ完治しない、精神的にも苦痛を受け続けると、どこかで安楽死を望む人がいてもおかしくない。終幕、スイスで安楽死を望み結果叶わなかったが、再度安楽死を望むインタビューはリアルだ。

 若年性パーキンソン病と合併症を患ったラッパーの酒匂は余命半年の宣告を受けるが、パートナーでジャーナリストの歩と力強く生きていく覚悟を持つ。法律で国と東京都と共同で安楽死特区が設けられた。酒匂と歩は安楽死に反対の立場で、特区に入り歩は自由に取材を許され、内部告発をしようとする。酒匂は医師陣の面接時に生ききることが人間の尊厳であると主張し、歩も同意し安楽死反対の意思表示をする。

 酒匂と歩は、特区に同居している池田夫妻、痴呆症の酒井と接するようになる。池田は六十歳を過ぎてから完治しない病気によって、自分自身の精神が変質し自分らしい生き方が保てなくなり安楽死を望んでいる。酒井は痴呆症により過去の想い出がすべて消える前に死にたいと望んでいる。酒匂はあるとき池田と話し「希望のなさ」が人間を変えることに共感する。一方で酒井は部屋で三味線を弾いている。痴呆が進んでも身体で覚えたものは決して消えないことを実感し、記憶、想い出も消滅しないと考え特区から退去する。

 酒匂の病状はますます悪化し、突然安楽死を望むと医師に言う。なにも聞いていない歩は動揺し責め立てる。しかし酒匂は歩のキャリアや歩と正気で向かい合える、人間として生きていられる今こそ、死にたいという主張に歩も同意する。

 この映画は単に安楽死が善か悪かを問うているわけではない。人間の尊厳を保ったまま死ぬことができる、安楽死という選択肢があるとすれば、どうなのかを問うているのだ。人生百年時代という言葉をよく聞く。しかし誰もが健康で百歳まで生きられるわけではないのは自明だ。

 酒匂を乗せた霊柩車の前でおこなわれる、酒匂を加えたラップとダンス。見ていてすがすがしい気持ちが湧き上がってきた。それは自分の死を選択できた尊厳ある死だったからだ。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
かな

3.0 自ら安楽死を選ぶのは甘えだ

2026年2月12日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

単純

斬新

何故死を選ぶかそれが全く伝わってこなかった
職場でこんなになってどうして死なせてくれないのと語る老人をじかに見ているからかも。
パーキンソン病の辛さ、認知症なら介護する家族の辛さを短編的でなく表現してほしかった。
最後のクランケさんの話しは単なる甘えに思えた。

コメントする (0件)
共感した! 0件)
おおとり

5.0 死について考える

2026年2月11日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

原作者長尾和宏氏は兵庫で在宅医として2500人以上の看取りを経験してきた。その経験を踏まえ尊厳死や平穏死の啓発活動を続けてきた。
「尊厳死」というのは自分の最期を望む形にすることであり、例えば口から食べられなくなった時に「自然のままにしておいてくれ」「人工呼吸器はつけないでくれ」といった本人の意思(リビング・ウィル)を尊重する。
一方「安楽死」は医師が注射をするなどをして、意図的に命を縮める行為であり、日本では殺人罪にあたり、議論することすらタブー視されている。
タブー視されている安楽死をあえて映画のテーマとしたのは「死」について考える契機としたかったのだろう。
映画では賛否両論が示され、特定の結論が提示されてはいない。
「死にたいと願う」のは本人の自己決定権の行使かエゴか、家族が「生きていて」と願うのは愛かそれもエゴか、はたまた高齢者の延命行為は医療機関の公的医療制度を使った収益源か、人の命は個人のものか、社会のものか、正解は容易に出せない。
だが、「死」について考えることは「生きる」ことを考えることでもある。
言霊信仰がある日本では「死」は縁起の悪いものであり、できるだけ触れないようにされてきた。
最後のラップのシーンは、「さあ死について考えましょう」なのだろう。

コメントする (0件)
共感した! 2件)
文