徹頭徹尾、美しい世界。
新月の夜の黒。海の青。砂浜の白。鳥居の赤。
明瞭な色彩のなか。
声が来る。
〝赤児の泣きたるが如しと謂ふ〟
存在するだけで畏れを呼ぶもの棲み処への階が開き。
声が来る。
〝赤児の泣きたるが如しと謂ふ〟
人間は自身より巨大な存在を畏怖する生き物である。畏怖する物を奉る生き物である。
そして、有為転変の人の身。
世の移ろいとともに古い神を祀ることを止めることとも、儘ある。
だが万古不易の存在は忘れない。祀られたことを覚えている。
時がくれば、現れる。
人間と隔絶した存在が、ただ在る。
それを知ることが、怖い。
抗えないことが、怖い。
呑まれるのが、怖い。
幻想の畏敬に取り込まれる厳かな恐怖が
ここにある。
諸兄に、閲覧を推奨する。
白い砂浜に、赧い鳥居が立ち並ぶ。
千本の門をくぐった先、神社の社は海へと続いていた。
北海道の小さな海辺の町。
かつては鰊漁で賑わい、いまは静けさだけが残るその土地に、古びた伝承が息づいていた。
――新月の夜、深い海淵から『赤子のような声』が響くという。
札幌の大学で教鞭をとる教授は、科学では語りきれぬその謎に取り憑かれ、若き助手を連れて現地調査を重ねてゆく。
訪れた新月の夜、赧い鳥居の参道にひとつずつ灯る篝火。
風に揺れる灯りの先、誰も知らぬ『もう一つの社殿』が、海の底で口を開ける。
赤ん坊のようで、猫のようで、それでいて『何か別のもの』の声が、確かに聞こえる。
科学では測れぬものが、理性の外側から手を伸ばしてくる――そんな夜。
これは、信仰の名を借りて封じられた『異形』と、それに魅せられた人間たちの、ひとつの記録。