みんなのレビューがすごい。
人気の柊圭介さまの短編作品を紹介します。
パリの蚤の市(骨董市)と聞くと、
アトリエや店舗を持つ目利きの古物商が営む
アンティーク雑貨・家具、古美術品が並んで洗練されたイメーですが……。
このお話の舞台となる蚤の市(ブロカント)は、
どちらかというとフリーマーケットに近いかな。
店舗を持たない古物商や一般人も出店しています。
本やおもちゃ、食器、カトラリー、日用雑貨など。
高価でない物も売っているので敷居も低く、
使わなくなった古道具が並んでいます。なんなら値切ってもいいかも。
そんな気軽な雰囲気の骨董市にまぎれ、人知れず心を宿した古道具たちが、
店に並んで何やらささやいているようで……。
主人公はお店に並ぶ古道具さんたち。
オムニバス形式で古道具視点の人間模様。
どのお話も、ていねいに言葉が紡がれていて、素敵な作品です。
わたしはじっくりゆっくり読みました。
感動。ほっこり。面白い。いろいろ考えさせられる等々……。
静かな物語ですが、実はハートが熱くて優しい人柄が感じられる
圭介さまの世界に浸れます\(^o^)/
まるでショートフィルムを観ているみたい!
おススメします(´っ・ω・)っ🎬✨
人間が「人生」という歴史をそれぞれ持つように、パリの蚤の市に並んだアンティークや小道具たちも、個々が数奇な歴史を秘めています。
本作では、五つのオブジェたちの歴史が、硬質で美しい筆致で繙かれています。
寡黙な芸術家である持ち主の元を離れて、蚤の市に流れ着くまでの変遷。安価な値段で買われた先で、経年を感じる色合いで変化していった恋心。現代のアイテムと思想を知る日々の中で、次第に燃え盛っていく信念の情熱。そして、激動の時代を生きる人々が見せた顔の裏表を、静かに見つめ続ける、エナメルの瞳――。そこには、血が通った人間と何ら変わらない、他者と共生してきたからこそ生まれる苦楽がありました。
思いやりの心を持った人もいれば、こっそりと悪事を働くような人もいる世界で、物言わぬオブジェたちは、己が漂着した場所に存在し続けることしかできません。しかし、実はそう見せかけているだけで、パリで生きる人々に、声なき言葉で語りかけているのかもしれません。画家が所持していたイーゼルや、年代物のコーヒーミルが、人生の先輩(?)として、人々の懊悩を受け止めて、アドバイスをしたり、喝を入れたりしている姿を想像すると、クスリと笑ってしまうと同時に、己の行いは全て見られているのだという意識から、すっと背筋が伸びました。他者の目が届かないところにも、静物の目は届くのだということを、本作の主人公を務めたオブジェたちから教わりました。
これからさらに時が流れても、変わっていくものと変わらないものの両方を記憶して、次の時代へと運んでくれる存在が、身の回りにたくさんあることに、温かい慈しみを覚えました。懐中時計の構造のように美しく、時を正確に刻み続ける姿のように整った、職人さながらの技を感じる物語でした。
パリの蚤の市には、長い歴史を乗り越えた古道具が並んでいる。アンティークとは呼べないような、地味で、使い古され一部破損しているようなものだってある。
それらをじっと眺めていると、まるで何かを語りかけてくるようだ。
彼らが愛用され、持ち主と一心同体だったあの頃のことを。まるで人間が「一番良かった時代」を語るように。
人と人が愛情を交わす瞬間、憎悪や諦観、引き裂かれるような別れ。時代の変遷にためらいつつも、モノ達はそれらを受け止めてきたのだ。
五つのモノに内包されたそれぞれの世界を、筆者様の繊細な感性と鋭い洞察力で描いた五つの物語。ぜひ、ご堪能ください。
『一期一会』という言葉がある。
千利休の言葉らしい。茶道における心得、携えるべき覚悟なんだって。
―― 一生に、たった一度きり ――
よくよく考えれば。なるほど、確かに。
あらゆる瞬間は、二度と再び訪れることはない。すべては、一生に一度きり。掛け替えのない瞬間に違いない。
そうと心得えたなら。
あらゆる事物が愛おしくなりそうだ。
敬いたくなるはずだ。
道端の石ころにも、縁を感じよう。
…もしも出逢いしそれが、星霜を重ねた古きモノならば?
彼らは、一体どれだけの瞬間瞬間を得てきたのだろう。
歓喜、無情、凄惨、親愛。
ありとあらゆる、風景。
この作品は、古きモノたちの声ならぬ聲を伝える物語である。理不尽にも目を背けず毅然と対峙し、愚者であっても見捨てることなくその背を包む、そんな作者だからこそ聴くことができる聲。
…僕らがその聲を聴けたなら。
あらゆる掛け替えのない時時を、垣間見ることができたなら。
僕らの瞬時はどれだけ色濃く変わっていくのだろう?
傑作です。震えるくらいに。
是非、お手に取ってみて下さい!
パリの蚤の市に並べられた、たくさんの古道具。その中から、
イーゼル。
コーヒーミル。
書斎机。
フランス人形。
懐中時計。
が、それぞれの思い出を語ります。
五つのエピソードそれぞれに味わいがあり、まるで蚤の市の中からお気に入りのものを見つけるかのような楽しさです。
オブジェたちが語る思い出は、いいものばかりではありません。長く生きるということは、暗い時代や、別れの寂しさや、人間の醜さを知ることでもあります。
もしこれが人間だったら、長生きしなくてもいいと絶望するかもしれません。
でも、現代は「物」の消費サイクルが速く、スマホも家具もおもちゃも、百年を耐えうる仕様にはなっていません。
お手軽に作られた物たちは、古道具たちのような思い出を語れないかと思うと、寂しいですね。
長く使える物だからこそ、持ち主の死を見届けることができ、新しい持ち主に出会い、時代の変化を感じ、思い出に生きながらも前に進む意志を持てる。
どんな物であれ大切に扱っていきたいものです。
寂しさ。喜び。皮肉。強さ。笑い。涙。達観。
オムニバス形式だからこそ味わえる感情豊かな読後感を、ぜひお楽しみください。
パリを舞台としたオムニバス形式のこちらの物語。
五つの短編からなるものなのですが、各話ごとに主人公が違います。そして、その主人公たちは蚤の市で古道具として売られている物です。絵を描く方が使われるイーゼルだったり、はたまた時計だったりと、それぞれの視点が違えば、出会う人たちも違います。
作者様の紡がれた繊細かつ丁寧の情景描写、そして流麗な文章は、そんな物とそれに関わった人たちとをこの物語は丁寧に描いています。
切なさと温かさが混在した、透明で綺麗な世界がここにはあります。読後の余韻もとても心地良いので、是非ゆったりと週末に読んで頂きたいです…!
読後のこの余韻に、しばらく浸りたい思いです。
長い時を生き、さまざまな経験を経て、古びながらも新たな主人を待つものたち。愛おしくて、時々クスッとさせられて、哀しくて。
読み終えて一番心に強く刻まれたのは、人間の浅はかさや愚かさでした。
常に目の前の利益しか見えず、取り返しのつかない後悔を性懲りもなく繰り返して、それでも、まともな反省などこれっぽっちもできないまま。救いようのない道を相変わらず闇に向かって爆走していく人間たち。
この物語に描かれたものたちは、もしかしたらどこかの静かな片隅でひっそりと、人類の最期まで見届けていくのかもしれません。それは天変地異なのか、それとも巨大な爆弾投下によるものか——
それは遥か先のことではないかもしれない。
この世のそういう底知れぬ哀しみを、作者の筆致は温かく包み込むようです。時の流れをただ静かに見守るかのように。
読めば間違いなく胸を揺さぶられる掌編集です。
古道具、つまりモノが主人公という、珍しい視点のオムニバスです。
「彼ら」は時代を超え、移り変わる社会や人間模様を感じ取ります。
人の手を介した分だけ、使い古された分だけ、ドラマが生まれます。
ささやかな交流の温かさも。
男女の愛憎の妙も。
創作の在り方も。
冷たい時代に起きた悲劇も。
過去から未来へ、前へと進み続ける時間と共にある古道具たち。
そこにどんな背景があるのか。どんな思いがあるのか。
無機物ゆえの、その古道具ならではの五感から描かれていく景色に、さまざまな想像が膨らみます。
ひとつひとつ、心に沁みる珠玉の物語でした。どのお話も素晴らしかったです。