第52話 選択

「結菜ちゃんは、私のものになってくれないの?」


 詩織の声が静かに落ちる。

 その声は、まるで私に選択を委ねているように聞こえた。

 けれど、その瞳の奥は言葉とは裏腹に全く私を離すつもりがないことを示している。


「私は——」


 声がかすれた。

 うまく声が出ない。

 喉が締め付けられるような感覚があった。


(……このまま、詩織と付き合った方がいいのかもしれない)


 そんな考えが頭をよぎって、だけどすぐに打ち消される。

 どうしても穂香の顔が思い浮かぶ。

 自分の隣に穂香ではなく詩織が立つ未来が自分には想像することが出来なかった。


「結菜ちゃん」


 その声に顔を上げると、詩織は真剣な表情で私を見つめていた。

 その真っ直ぐな眼差しに気圧されそうになるけれど、私はグッと拳を握り直し、その瞳を見つめ返した。


「……詩織とは、付き合えない」


 そう言って、小さく息を吐く。


「……どうして?」


 詩織が低い声で問いかける。その声は静かで落ち着いていたけれど、わずかに震えていた。


「結菜ちゃんは、私のどこがダメだと思うの?私、もっと頑張るからさ」


 そう言って、詩織は私の手を握りしめる。その力が強くなっていて少し痛かったけれど、私は何も言わずに黙っていた。


「ねえ、教えて?」

 

 懇願するように囁かれて、私は目を伏せた。

 詩織は優しいし、一緒にいて落ち着く。私が悩んでいた時も一緒にいてくれた。

 私を大切に想ってくれているのも分かる。


 ——でも。


「……ごめん」

「そっか……」


 詩織の声は少しだけ寂しげに聞こえた。けれど、すぐに顔を上げると笑みを浮かべた。その目はどこか虚ろで、それでも力強く見えた。


「私は諦めないよ」


 詩織はそう言うと、ゆっくりと顔を近づけてきた。


「え……?」


 思わず戸惑いの声を漏らしてしまう。


「結菜ちゃん」


 詩織が、そっと私の両肩を掴む。

 その瞳には、迷いと決意が入り混じっているように見えた。


「……っ」


 思わず後ずさりそうになる。


 「私ね、本当に結菜ちゃんのことが好きなの」


 詩織の言葉と同時に、距離がぐっと縮まる。頬に触れるほどの距離。鼻先がかすかに触れそうで、心臓が強く跳ねた。


 私は思わず目を閉じかける——けれど、その瞬間、はっきりと頭の中に浮かんだのは、穂香の顔だった。


 あの愛おしげな微笑み。柔らかくて温かい指先の感触。そして、私を呼ぶ優しい声。その全てが、はっきりと思い浮かぶ。


 (……やっぱり私は)


自分の中で、はっきりと意志が固まった瞬間、私は詩織の肩を強く押し返していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る