エピローグ2

 追っ手がないことを確認しながら町を遠く離れ、清きインニダス川のほとりまで辿り着く。湿った風がプリヤの全身を撫で、昂ぶりを和らげた。

 ちょうど太陽が西の山々の向こうに沈もうとし、緩やかな稜線を橙色に染め上げている。

 宿に泊まりたかったが、今日はここで野宿だ。いや、これからもしばらくは。


「予定、変更しなくちゃね」


 あの兵士は自分の顔を覚えているはずだ。そのうち人相書きがあちこちに配られるに違いない。

 何より民衆たちが噂を広げるだろう。竜神の子、乱世を救う英雄が現れたと。

 サヨーカ軍の動向は探りたい。どんなに多くの兵士に取り囲まれたとしても撃退できる自信はあるが、そのたびに騒動になってしまうのは避けたかった。


「ぼく、よけいなことした?」

「ううん。ナンダがやらなかったら、わたしがやっていたし」


 前向きに考えるべきだ。若い母親はそう思った。おかげで素晴らしい息子の存在を世に知らしめることができたのだから。


「でもごめんね? ナンダの教育のためにも町をいろいろ回りたかったけど、中止にするよ」

「かまわない。しずかにすごしたいし」


 舌っ足らずだが、はっきりと物を言う子である。ますます頼もしくなった。


「で、どうするの?」

「元々予定にはあったんだけど繰り上げるよ。次の竜神さんに会いに行く」

「つぎのこども?」

「あはっ、もうそこまでわかってるんだ? そうだよ。ナンダに弟か妹を作ってあげる」


 ――竜神は八柱。

 すなわち八大竜神。聖典『ハラーマーセタ』に記された創世の主たちは、そう呼び馴らわされている。


「ここから少し行った先の湖に、また別の竜神さんが棲んでるって伝説があるの」

「ぼくのちちうえより、つよい?」

「どうだろ。でもきっと、同じくらい立派な竜神さんに違いないよ」


 プリヤは故郷の山にいた時から、ずっと想像していた。

 竜神たちの子をそれぞれ身籠もり、立派な英雄のきょうだいを生み出すことを。


 そして、賑やかな家族を作ることを。

 赤子の頃に人知れず捨てられた孤児のプリヤにとって、それはとても尊い夢だった。


「ナンダは一番のお兄ちゃんになるんだよ。しっかりね」

「うん、ぼくはおにいちゃんだ」

「ま、それはそれとしてまだ赤ちゃんなわけだし、お母さんにたくさん甘えてくれないとね?」

「おっぱいいっぱいほしい」

「はーい。たっぷりお飲み」


 プリヤは豊満な乳房をさらけ出し、鮮やかな蕾のような乳首を我が子に含ませた。

 ごくごくと勢いよく母乳を飲んでいくナンダに、プリヤは天にも上りそうな無限の喜びを感じた……。


「げふう」

「もうお腹いっぱい?」

「うん、ねむくなった」

「じゃあ子守歌、歌ってあげる」


 プリヤはナンダを抱いたまま、ゆるやかに体を揺らした。

 誰から聞いたわけでも習ったわけでもない詩が、自然と唇から紡ぎ上げられる。

 自らの血を分けた愛の結晶よ、健やかに育てと。永久に安らかであれと。


 素朴な詩が、目の前のインニダス川のごとく優しい律韻に乗って、静かに宙に溶けていく。

 母なる揺り籠の中でやがて愛し子は目を閉じ、眠りの世界に入っていった。


「おやすみ、ナンダ。また明日」


 温かい夕陽に照らされながら、彼女は想いを天に飛ばす。


 ――シーリさま。わたしは元気です。だから安心してください。血の繋がりはないとしても、この子はあなたの孫です。いつか見せに帰ります。


 ――会ったこともないお母さん。どんな形だとしても、わたしをこの世に産んでくれてありがとう。与えてくれた命を大切にして、未来に繋げていきます。


「わたしの旅は、まだまだこれから! がんばるぞー!」


 八大竜神より生まれし八大英雄。その母親プリヤ。

 彼女たちを主人公とする新たなる聖典にして叙事詩『プーリーヤナ』の、ここまでが第一章である。



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【作者より】

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 ひとまずはここで「第一章・完」といたします。

 続きを書くかどうかは、応募中の第7回ドラゴンノベルス小説コンテストの結果次第というところです。

 面白かったと思われた方は、ぜひとも★で応援をよろしくお願いいたします!

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