第9話

 複数人の犯行。

 私の言葉に、辺りは静まり返った。

 おかしなことを言ったとは思っていない。それでも、重くなった空気に一抹の不安を抱いた。


「…可能性としては十分にありえるな」


 沈黙を破ったのは、クロガネさんだった。彼は腕を組み、渋い表情で同意してくれた。

 それに、ほっと胸を撫で下ろすと、フェルナさんがメモ帳をめくった音が鼓膜を揺らした。


「僕が、“いじめられていたのでは”と感じた生徒は二名です。ガーネット生のセイン・アルバに、マティス・イグナートです」


 その名前の羅列に、ノエルの纏う雰囲気が少しだけ揺らいだ気がした。

 それにいち早く気がついたクロガネさんは、腕を組んだまま尋ねた。


「聞き覚えがあるのか?」


 ノエルは気まずそうに頷き、そのまま足元を見つめた。


「昨日、俺も、寮生にアッシュ寮長のことを聞いて回ってたんですけど、その二人の反応に違和感を持ったんです。何かに怯えてるような、そんな…違和感」


 クロガネさんは一度ため息をついたまま、「決まりだな」と落ち着いた声で言った。


「ノエル、エンネ。その二人から、さらに話を聞き出せそうか?」


 私はその二人の顔すらも知らない。顔色を伺うように、ノエルの横顔を見つめた。

 ノエルは眉間にシワを寄せた後、細く長く息を吐き、勢いよく顔を上げた。


「はい。聞きます」


 その声は、はっきりとしていた。まるで、彼の決意がそのまま乗っているかのように。

 熱を帯びた青い瞳がギラギラと、私を射抜いた。


「エンネ、付き合ってもらってもいい?」


 その問いかけに、私は迷うことなく頷いた。


「うん、もちろん。でも、私はガーネット寮には入れないから…」


 アメジスト生はガーネット寮には入れないし、逆もまた然り。

 それはルールとして根付いているし、寮生同士の仲が悪いからこそ、今までそれが破られたことはなかった。


「大丈夫。寮の外で話すようにする。二人一辺には無理だから一人ずつ」

「うん。大切なことだから時間をかけていこう」


 話に一段落がついた時、頭上を一羽のカラスが通り過ぎていた。

 カラスはその鳴き声で、夕暮れが近づいてきていることを知らせてくれた。

 フェルナさんが腕時計の針の位置を確認し、肩を降ろした。


「僕たちも時間ですね」

「そうだな。お偉いさん方にも報告しねぇと」


 二人が学院を去る時刻が迫ってきている。おそらく、もう一度ここに来ることは難しい。

 それはここにいる全員が、言葉にせずとも察していることだった。

 自然と訪れた沈黙を破るように、クロガネさんが口を開いた。


「もう一度言っておくが、俺たちはお前たちがしていることを学院側に報告するつもりはない。だが、これ以上、手伝えることもないだろう。この学院には警察でも滅多に足を踏み入れられないし、連絡手段も限られてるからな」


 クロガネさんは組んでいた腕を解き、腰に手を当てた。

 元々、体が大きな人ではあるけれど、その体勢だとより大きく、頼もしく見えた。

 そんな彼の背後で、ゆっくりと空が赤くなっていく。


「現場のプロとしてのアドバイスだ。とにかく、“急いで動け”。こういう事件は時間経過と共に風化するし、記憶や証拠も曖昧になっていく。焦るな。でも、素早くだ」


 クロガネさんの言葉に、私とノエルは力強く頷いた。

 おそらく、犯人はまだ私たちがこうやって調査していることを知らない。知らないうちに尻尾を掴まないと、きっと逃げられてしまう。

 それだけは、素人の私たちにもわかった。

 漂う緊張感に息を飲む私たちに、クロガネさんは笑みを浮かべた。


「まぁ、なんだ。もし、俺たちのことを覚えてたらで良い。解決しても、しなくても、手紙の一通でもよこしてくれたら嬉しい」


 そう言ったクロガネさんに続いて、フェルナさんが口を開いた。


「改めて逮捕することは難しくても、結末が気になりますからね」

「あぁ」


 フェルナさんの言葉に、笑顔のまま頷き、クロガネさんは森の出入口へと向かって、足を踏み出した。

 一瞬、それについていきそうになった。けれど、誰が見ているかわからないからこそ、別々に行動するべきだと気がついて、踏みとどまった。

 クロガネさんは背を向けたまま、視線だけを私たちに向けた。


「わかってると思うが、時間を開けてから森から出てこい」

「「はい」」


 改めて伝えてくれたクロガネさんの指示に素直に従い、その場に留まる。

 そんな私たちに、彼はひらひらと手を振ってくれた。


「じゃあな。幸運を祈る」

「ご武運を」


 クロガネさんの後に、フェルナさんもそんな優しい言葉を残して、森を去っていった。

 二人きりになり、静まり返った泉で、私はノエルの青い瞳を見上げた。


「セインさんとマティスさんって、どんな人なの?」


 その質問に、ノエルは考えるように空を仰いだ。

 空はどんどんと赤く染まっていた。


「セインさんは、ガーネット生の中では珍しく大人しい人だね。マティスさんは、皮肉屋で、よく単独行動してる。二人とも、間違えて振り分けされたんじゃないかって揶揄われたりしてる」

「そんな人もいるんだ」


 私もアメジスト寮に馴染めているとは言いがたいから、言及しづらいが、他にもそういう人がいるのだと驚いた。

 この所属してる人数が少なくて、閉鎖的な学院で、周囲から浮いているというのはそれだけでストレスになる。

 そのストレスに戦っているであろう、まだ会ってすらいない二人に、私は人知れず親近感を抱いた。


「正直に言って、俺はあんまり二人から好かれてない」

「え…」

「というか、二人は、いかにもガーネット生っぽいノリが嫌いなんだよ」


 明るく、賑やか。そういうノリが嫌いだということだろうか。

 首を傾げながら、心の内に沸いたもう一つの疑問を言葉にせずに飲み込んだ。ノエルを嫌うような人がいるのか、という疑問を。

 その行動に被せるかのように、ツバキ寮長の“完璧な人はいない”という言葉が、また脳裏に響いた。

 ノエルはそんな私に、申し訳なさそうに視線を向けた。


「だからさ、エンネが話を聞いてくれないかな?」

「私が?」

「うん。エンネの方が、話しやすい気がするから。もちろん、二人を連れて来るのは俺がやる」


 お願いされ、少しばかり戸惑った。

 ノエルに心を開いていない人が、私に対して壁を取っ払ってくれるものなんだろうか。

 不安しかないが、私にできることはやろうと、頷きを返した。

 そんな私に、ノエルは笑みを浮かべた。そして、クロガネさんのように腰に両手を当てた。


「なんかさぁ、俺らってたまたま組むことになったけど、俺らだから上手くいってる感じあるよね」


 嬉しい言葉に呆気に取られそうになるも、間を開けずに頷きを返した。


「うん。わかる」

「俺ができないことをエンネがやって、エンネができないことを俺がやる。けっこう、理想的なペアだと思うんだ」


 理想的なペア。

 その言葉に、トクンと胸が弾んだ。必要とされていることが、とても嬉しく、誇らしかった。

 そんな私の気持ちを察したのか、ノエルは笑みを深めて、話を続けた。


「本来、アメジスト生とガーネット生って、そうあるべきなのかもしれないね」

「協力していくってこと?」

「そう。だって、ガーネット生が前線で戦って、アメジスト生が後方で支援してくれたら、簡単には倒されない気がする」

「確かに、そうだね」


 話を聞けば聞くほど、それこそが本来あるべき姿のような気がした。

 いや、きっと、気の所為ではない。各寮は垣根なんかじゃなく、ただの立ち位置の違いなのかもしれない。そう思えて仕方がなかった。


「この事件が一段落したらさ、とりあえず、俺らの代から交流を深めていかない?」


 少しだけ首を傾げて、ノエルはそう提案してきた。その表情は、少し先にある未来が楽しみでしかたがないというような明るいものだった。

 その提案を受け入れたい気持ちが溢れてきたた。それでも、自信のなさから目を逸らし、眉間に力を入れた。


「あー、うー、善処…します」

「あれ? 良い返事を期待してたのに」

「私は…ノエルみたいに友だちが多くないから、そういう幹事みたいなのは…」

「大丈夫だって!」


 俯き気味にもごもごと言い訳していると、はっきりとした声がネガティブな思考をぶった切った。

 思わず顔を上げて、ノエルと目を合わせると、希望が詰まったキラキラとした眼差しに射抜かれた。


「こうやってちゃんと知る機会があれば、エンネと仲良くなりたいって思う人はいるよ。俺がそうなんだから!」


 確証のない一言だとわかっている。でも、短い付き合いながらも、彼がお世辞を言う人ではないということもわかっている。

 偽りのない本音に、胸がはち切れそうになって、一気に顔が赤くなっていくのを感じた。そして、同時にたまらなく泣きたくなった。


「あ、ありがとう」

「うん!」


 ノエルは、私の顔の赤さにも、涙が滲んだ瞳にも、気がついていないようだった。タイミング良く、夕日が沈んだからだ。

 思っていた以上に時間が経過していたことに、私たちは一足遅れて気がつき、ハッとして空を見上げた。


「やば! 寮に帰らないと!」

「ま、待って、ノエル。木の根があるから明かりがないと危ないよ! “ライト”!」


 慌てるノエルを落ち着かせて、杖を片手に唱えた。

 すると、まるでホタルが集まってきたかのように、杖の先に光の玉が生まれた。それは薄暗い森を照らし、私たちの視界を明るくした。

 ノエルがその明かりの中に飛び込むように、隣に並んだ。

 その様子を確認して、腕時計の針に視線を落とす。


「大丈夫。まだ門限まで余裕はあるから、焦らずにゆっくり帰ろう」

「うん。日が沈むのが早くなったね」

「そうだね。冬が来てるね」


 光が照らす範囲、その中で身を寄せ合い、森の出入口へと向かう。

 まだ、完全な闇ではない。それでも、生い茂る木々のせいか、視界はかなり悪かった。


「ここって、こんなに視界が悪くなるんだね」

「エンネも知らなかったんだ?」

「うん。さすがに夜遅くまではいないから」


 遠くでフクロウの鳴き声が聞こえた。そびえ立つ木々が、今にも動き出しそうなほど不気味に見えた。


「…こんな中なら、奇襲が成功する可能性も高いだろうね」


 ポツリと、そんな感想を呟く。

 もちろん、アッシュ寮長の件だった。わざわざ言及せずとも、ノエルはすぐに理解して、頷きを返してくれた。


「まだまだ知らないことばかりだ」


 私たちは、この事件をどれぐらい把握しているのだろうか。

 ノエルの言葉を聞いて、ふとそんな疑問が浮かんできた。


(氷山の一角だったりして)


 思わず目を細めた。

 すると、その予想を肯定するかのように、背後から冷たい風が一つ、通り過ぎていった。

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