【3行要約】
・「強いリーダー」「弱いリーダー」など様々な言説が飛び交う中、真のリーダーシップの本質が見えにくくなっています。
・中川功一氏は、ビジネス環境が激変する現代において「弱いリーダー」言説は極めてまやかしだと断言します。
・真のリーダーは職位ではなく理解と納得の獲得を通じて、時には率先し時には支援する柔軟性が求められます。
“強いリーダー不要論”をもう一度問い直す
――現代のマネジメントにおいて、強いリーダーシップがなぜ限界を迎えつつあるのか。中川さんはどのようにお考えですか。
中川功一氏(以下、中川):リーダーシップが機能しないなんてことはありません。人間の自然な感情として、やはりしっかりビジョンがあって、仲間たちに「こっちに行くんだよ」と指をさしてくれる人のほうがついていきやすいのではないでしょうか。
相手のことを超一流だと信じればこそ、デーブ・ロバーツ監督が大谷翔平選手やムーキー・ベッツ選手に勝手にプレイさせるでしょうか。超一流プレイヤーが何を求めるかといえば、自分たちがトップに戴くに足る強いリーダーを求めるわけです。
その意味で、私は「弱いリーダー」という言説は、極めてまやかしだろうなと思います。少し想像すればわかることです。超一流プレイヤーが、方針もまともに示せないような社長の下で働くことができるでしょうか。では逆に、二流、三流のプレイヤーが方針を示さないリーダーの下で働けるでしょうか。
どのようなパフォーマンスレベルのプレイヤーであっても、今日求められているのは、ごく強いリーダーなのではないかと思います。
職位で動かすか、意味で動かすか
――強いリーダーシップが必要とされる一方で、最近では「ボスではなくリーダーに」という表現もよく耳にします。この違いはどこにあるのでしょうか?
中川:「ボスになるな、リーダーになれ」。よく聞かれる言葉ですが、ここで言う「ボス」とは何を指しているのでしょうか。ボスとは、職位によって人の上に立つ存在です。例えばトヨタのような企業にも、役職上「ボス」である人はいます。
ただしこれはあくまで職務上の話であって、「私は組織の上位にいて、あなたは下位にいる。だから私の言うことを聞きなさい」といった発想で人を動かそうとするのが、ボス的なあり方だと言えるでしょう。つまり、上下関係や職権に基づいて組織を動かすのが「ボス」であり、そこには信頼や共感ではなく、命令と従属による関係性が前提となっているのです。
人は放っておくと、つい「ボス」になってしまうものです。自分が上の立場にいることを前提に、指示命令で人を動かそうとする。しかし、そうではなく、「なぜそれをやるのか」「どうやってやるのか」という意味づけや納得を通じて、相手と同じ方向を向いて進む。それこそがリーダーシップです。
例えば、「自分は課長、君は平社員だから言うことを聞きなさい」というのはボス的な態度ですが、リーダーは「この仕事にはこういう意味がある。クライアントにとってはこういう価値を生み出すことになる。だから、一緒にこういうふうにやっていきましょう」と言います。
つまり、「なんでこれできてないの?」ではなく、「これにはこういう意味があるから、一緒にやろう」と伝える。それは単なる業務指示ではなく、人と人との良好なコミュニケーションとさえ言えるレベルの対話なのです。
繰り返しますが、人は放っておけば、職位上「ボス」になってしまうものです。そうした上下関係に基づく関係性を、「リーダー」と「フォロワー」の関係に変えていく力こそが、リーダーシップです。あらためて定義を確認すると、リーダーシップとは、「今何をすべきか」「それをどのようにすべきか」について、相手の理解と納得を得ること。
ただ命令するのではなく、目的と方法を相手と共有し、合意形成を図る行為です。このリーダーシップが働くことで、単なる「ボスと部下」の関係にとどまらず、「なぜこれをやるのか」「どうやってやるのか」を共有・同意しながら進める、対等で協働的な関係性=リーダーとフォロワーの関係が成立していきます。
さらに、リーダーシップが上手に発揮できる人は、実はフォロワーにもなれる人です。相手が何を考え、なぜそれに一生懸命取り組んでいるのか、その背景や思いを汲み取る力があるからです。つまり、ただ“上に立つ”ことだけがリーダーシップではありません。
「今、この人がやろうとしていることは正しい」「これは、組織やチームにとって意味のある行動だ」。そう信じられる時、自分が前に出るのではなく、その人のビジョンや行動を支えるフォロワーとして動ける。これもまた、成熟したリーダーの姿です。