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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記
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あけてくれ - おれカネゴンの「算数できんのやっぱり気にしすぎとや」日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

[あけてくれ]

●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。

●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。

●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。

●敬称略。

●おしゃべりがどうしても治りません。

●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。

●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。

●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。

●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。

●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。


始末書詫び状領収書の書き方をお探しの方ははてなアンテナの質問を参照してください。

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2005年06月30日(木)

今日の頭音: (Key=Dm)

ビールを回せ

底まで飲もう

あんたが一番

あたしが二番

あどんどん

今年もクーラーなしでいけるだろうか。

歴代Windowsの起動音。3.1はともかくとして、NT 4.0すら初めて聞いた。というのも、NTでサウンドカードを設定する必要が生じたことが一度もなかったため。

2005年06月29日(水)

今日の頭音:(Key=C)

ペンギンさんの 氷かき

冷たいアサヒのカキ氷

氷を背中にポンと入れ

建神主義という言葉を初めて知る。

randomnoteはてなブックマークは紙一重だということに気が付く。ということは、randomnoteに足りないのは[このページを追加]ボタンだけなのかもしれない。

スマトラ島沖大地震で観光地に幽霊が

死んだ人は、それを思い出してくれる人がいる限り完全には死なないというか、生命が半分残っているとカネゴン信じている【夏がくるたびおれカネゴン】。誰も思い出してくれなくなったとき、その人は真に死ぬ。それが証拠に、死後2000年経ってもまだ生きている人がいる。なので、墓は死者が思い出してもらうための外部ストレージであり、骨壷に入った舎利はマイクロカーネルであり、仏壇はリモートアクセスのためのコンソールであり、遺影はさまざまな思いが投影される液晶モニタであり、墓参りは死者の命を補強するためのメンテナンス行事なのだと思う【夜は墓場でおれカネゴン】。

ふと思ったのだけど、有名になりたい人がこれほど多いのも、ひょっとしたら不滅の命を授かるかもしれないと考えてのことだったらどうしよう【先は短いおれカネゴン】。実際にはほとんどの有名人も流行の波に(下手をすると生きたままで)飲み込まれ、浮かび上がってくることはないのだけど。みんなが鬼のようにブログを書いたりはてなのキーワードをいじったりするのも、実は少しでも生命を長らえたいのだとしたらどうしよう。気のせいかもしれないけど、学問でロングヒットを飛ばす方が長持ちしそうではある。

それもこれも覚えててくれる人あっての話なのだけど、考えようによっては、すべての生きとし生ける人々は無意識のうちに、それ自体が多数の死者を祭る(生命維持装置としての)墓としても機能していると言えるわけで、そう考えるといてもたってもいられないとは思いませんか【どこかにすっ飛ぶおれカネゴン】。

先日思いもかけず再会したJN師匠によると、大国(ロシアや中国)ほど国民の人柄がおおらかで素朴、小国の国民ほどはしっこく狡猾(でないと生きていけない)なのだそうだ。師また曰く、資本主義においてはヤクザが絶対不可欠な要素であり、共産主義国の問題はヤクザがいないことだとのことで、初めてカネゴンと意見が一致した

師は二度の大病を乗り越えたにもかかわらず、サンタクロースのように髭が真っ白になった他はそれをまったく感じさせないほど相変わらずひと時もじっとしていなかった。ただ、あれほどひっきりなしにふかしていたタバコを今回は一度も吸っていなかったことに後で気付いた。

光ってどうしてそんなに速いんですか?」。

カネゴンにとって光の速さよりも驚きなのは、光(電磁波)は誕生した瞬間から光速に達している(加速という過程がない)ということと、周波数にかかわらず光速で伝播するということだったりする。カネゴンは性急な結論が大好きなので、誕生した瞬間から光速ということは、誕生する前から光速と考えるのが楽チンな気がする。光の発生源である電子の速度(フェルミ速度)は通常光速の200分の1ぐらいしかないそうなので、これを達成するには不足。どこかで何かが誕生前に光速で動いているとしたらそれは何なのだろう【問うても詮無きおれカネゴン】。

カネゴンの使い道というものはこの世のどこかにあるのでしょうか。

# odakin 『最初から光速=質量がない
ので、ほとんどまったく観測できないほどちょっとのエネルギー(=運動量)からじわじわ量子の生成をスイッチオンできる
と思うと、腑に落ちません?僕だけかな
えっとつまり質量がないのでほんのちょっとのコストで作れちゃう。「速度が速い=エネルギーや運動量がでかい」ではない、というイメージ。
たぶん質量がある場合の「速度が大きい=エネルギーや運動量が大きい」というイメージを、そうではない場合にあてはめている事からきている違和感ではないかな、と推察しましたが如何でしょうか。
くどいけど、v=p/E で見るのではなくて、直接 p と E で (もちろん p^2+E^2=m^2の条件付きで) 見た方が納得しやすい気がします、という話でした。←おっとこれは c=1 の単位系の式です。』

# odakin 『かきまちがいた。もちろん E^2=p^2+m^2 ですね(´・ω・`)』

# hyuki 『質量がないし、と書こうと思ったらすでにodakinさんが書いている…。』

# renpoo 『> カネゴンの使い道というものはこの世のどこかにあるのでしょうか。

御自分で十分使つてをられるのだし、それに不安があるのなら御自分で使ひ道を見附けるしかないと思ひますが。自稱死ね死ね團メンバーからのひと言でした。』

# いや 『相対性理論はあまり関係ない気が。
むしろ並みの性質ですよ。
音波だって生まれたときから音速なわけで。』

# うりかねぐん 『うう、お騒がせしてすみません。質量のことはころっと忘れてました。』

# odakin 『>いやさん
「ほとんどまったく観測できないほどちょっとのエネルギー(=運動量)からじわじわ量子の生成をスイッチオンできる」というのは、まさに波のイメージで捉えると分かりやすいっすね。(でこの「」内のステートメントにとって「質量がない」というのが本質的というかそれ自体が定義みたいなもんかと。)』

# いや(2nd) 『>「」内のステートメントにとって
ええそうですね。
僕のは
>誕生した瞬間から光速に達している
に対するツッコミでした。ちょっと舌足らずでしたね。』

# うりかねぐん 『あい何とも申し訳ねいです。』

# odakin 『別にあやまるようなことは何もないような気がしますが(^^;; いつも楽しい記事を読ませて頂いてるので、ちょっとでも御役に立てればとカキコさせて頂いただけでございますです。(亀レスすみません)
それに「直観的によく分からん」という感覚は物理の理解を進めるためにはけっこう本質的だと思います。(「波だから最初から音速」というだけだと質量のある粒子も量子力学的には波なわけで、質量のある場合とない場合を隔絶する絶対的な違いへの、おれカネさんの sense of wonder がうまく掬えてない気もするけどどうざんしょ?>いやさん ・・・って言われても困るか。なんか蒸し返すようでスンマセン)』

# うりかねぐん 『フォローすみませんです。レスがいっぱいついて慌ててしまいました。』

2005年06月28日(火)

今日の頭音:(Key=E)

ゆくと決めたら一歩も退くな

意地が男の杖なのさ

強い嵐をまともに受けて

腕と心を磨くのさ

てなこと言っても力んでも

ずっこけまるだし

おりゃ

気が引ける

ちょっと横になります。

世間で騒がれている正露丸の毒性を見て思い出す。

かつてカネゴン家に常備されていた正露丸は、今から思えば賞味期限を遥かに越し【賞味するとはおれカネゴン】、完璧に干からびてBB弾のようにカチカチになっていたのだけど、それしか知らなかったために長らくそれが当たり前だと思っていた。随分後になって自分で購入して初めて、一粒一粒がしっとりと柔らかいものだと知る。飲むほどでもないけど何となく腹の調子が悪いときには正露丸の蓋を開けて匂いを嗅ぐだけで治ったような気がした【暗示を逆手におれカネゴン】。今は二日酔いの後の熊の胆以外に薬らしい薬は飲んでいない。

かのRandomNoteから派生したScrapMemo

誰かカネゴンに命令して欲しい。カネゴンに期限を切って欲しい。カネゴンに締め切りを定めて欲しい【届くことなきおれカネゴン】。

# 結城 『ふと思い出したこと。結城が自分のことを「文章を書く仕事をしているのだなあ」と感じたのは、編集者に「それでは〆切はいつにしますか?」と「原稿料はいくらですか?」と自分から聞くようになったときでした。』

# うりかねぐん 『アマチュアとの境目は〆切りなんですね、やっぱり...』

# 結城 『「〆切と、お金」ですね。それは、つまり、「約束と、それを守ったことに対する報酬」ということですが。』

2005年06月27日(月)

今日の頭音:呼吸音

苦しい。

雁屋哲アラカルト「ゴルゴ13」の脚本家たちは、リンクが深く深く続いていて読みでがある。

色川武大のエッセイを眺めていたら【偏食人生おれカネゴン】、突然「ゆきゆきて、神軍」という文字があり、元祖サブカル男ぶりに驚きあきれる。カネゴンは根本敬の文章以外で奥崎謙三を知らない。ただ、誰が考えたのか知らないけど、この映画のタイトルはとてもいいと思う。(見たわけではないけど)内容とうらはらな凛とした叙情があり、まるで聖書の一節のように、どれだけいじってもへたらない力強さがある。映画を見てしまったらイメージが壊れそうなのでカネゴンはこのタイトルだけをしゃぶることにします【本末転倒おれカネゴン】。

限界なので寝ます。

# とおりすがり 『苦しいって、大丈夫ですか?』

# うりかねぐん 『お騒がせしてすみません。キャパが小さくてアップアップしているだけなので、大丈夫です。』

2005年06月26日(日)

今日の頭音:「Turtle Talk」Stan Kenton Orchestra(Scale=Wholetone)

朝まで呑んでぐったり。

家に転がっていた里中満智子「トロイの木馬―マンガ・ギリシア神話〈7〉」をたまたま読む。まことに恥ずかしながら、ギリシャ神話をまとめて読むとこんなに面白いとはついぞ知らなかった。カネゴンそれまでは星座の由来とか何やらで部分部分しか知らなかったので【つまんで喰ってたおれカネゴン】。カネゴンが繭(大学)のときの担当教授がギリシャをとことんまで深く愛して止まない人だったにもかかわらず、カネゴンは卒業するまでそのことに気が付かずにいたのだけど、これほど面白かったらはまるのも無理はないと今になって思えた【無駄を重ねたおれカネゴン】。たぶん里中満智子でなくても、誰がどう表現しようと面白いと思う。

あまりにも有名なはずのトロイの木馬のシーン: トロイ陣営の「こんなものとっとと燃やしてしまいましょう」とまともなことを提言した者たちが、その場でいきなり海からガバリと現れたヘビのような怪物にあっけらかんと喰われてしまい、辛うじて木馬を敵陣に送り込むことに成功する。小池一夫でもめったにやらないような荒業に思わずカネゴン噴き出してしまう。読んでいるうちにいつしか人間と神がごっちゃになってしまっていたり、今時ありえないぐらい女性がどしどし物扱いされていたりする(にもかかわらず物語の進行上不可欠だったりする)のもいい。たぶん当然なのだろうけど、登場人物のキャラクターも見事に立っている。

そして基本的にはさまざまな矛盾をはらんだ壮大な痴話喧嘩であるにもかかわらず、どういうわけか読み終わってみると実に痛快で(まだ7巻だけしか読んでないけど)、自分でもなぜそう感じるのかがカネゴン不思議だった。全巻読まないとうかつなことは書けないけど【それでも書くとはおれカネゴン】、きっとお話し作りの本質を物凄く的確に衝いているのだと思う。とっくに指摘されているのだと思うけど、お話作りにおける「因果のめぐり」が絶妙だからではないかという気がしてきた。

この間書いたサルがカンカンに怒る話から明らかなように、人間はサルの頃から実は仕返しが心底大好きだったりする。正確には、「よいことをするとよい報いがある」「悪いことをするとそれなりの報いがある」という因果を目にすると人間は心の底から安心し、どうしようもない快感に打ち震えてしまう。昨今の漫画やドラマでは軽んじられることの多い「勧善懲悪」だけど、地上最大の兄弟喧嘩があれほど売れたことからもわかるとおり、これにもこの快感原則が含まれているからこそ今後も勧善懲悪はなくならないと思う。他に「親の因果が子に報い」もこの原則に従っている。有名な最後通牒ゲームからもわかるとおり、この原則は個人の欲得をも上書きするほど強く、自分が損をしてでも相手に仕返しすることでこの原則を守ろうとすることがしばしば起きる。

ところで、「よいことをするとよい報いがある」「悪いことをするとそれなりの報いがある」という因果は、実はまったくの非合理的な信念(irrational belief)で、この因果は合理的なのだ(筋が通っている)とすべての人によって信じられているということ以外にこれを支える根拠は本来どこにもなかったりする。かといって、論理療法とかを真似て、にわかハッカーのように「これは非合理的です」と斬って捨てたままにしていいことにはならない。というのは、人類は数千年かけて、本来は非合理的であるはずのこの信念が本当になるように全力を尽くしてきたからで、その最たるものが法律なのだと思う。だからかどうかわからないけど、痛みを与える政策があれほど支持を得たのも、「ここで痛みを我慢することできっと後でいいことがあるはずだ」というこの信念を見事にくすぐったからだったりして。今気付いたのだけど、物理学も本来はこの「原因があれば結果が生じる」という一見もっともらしいけど実は非合理的な信念から出発していたりして。

なので、何かでっかく悪いこと(世界征服とか)をしようと思ったら、とにかくこの信念をくすぐるに限る。死ね死ね団の次期バージョンは、きっとこの点を衝いてくるような気がする。

2005年06月25日(土)

今日の頭音:「劇的!ビフォーアフター」で家が完成した後延々流れる音楽(Key=F)

久しぶりにiPod miniを使おうとしたら、USBにずっと挿しっぱなしだったにも関わらず起動せず。あせってサポートページに飛び事なきを得る。たぶんカネゴンが横着して、iPod miniを抜くときに「ハードウェアの安全な取り外し」をしょっちゅう省略していたせいで、挿さっていても認識されず、放電される一方だったのだろう【おぬしが悪いおれカネゴン】。そう言えば最近夜中に遠くからかすかにピーピー音が聞こえ、薄気味悪く思っていたのだけど、今から思えばiPodのバッテリーが断末魔の悲鳴を上げていたのだと思う。もうしません。

いしい商店作業日誌なにをアホな劇場を読みふけってしまう。いしいひさいちが自分のことを語るというその行為自体がカネゴンにとってあまりに珍しくて

これにちょっと笑う【目糞鼻糞おれカネゴン】。サイバラも内心は同じ気持ちなのだろうと。

ついでに見つけた「君が咲く山」という曲が何だか気になる【ついつい購入おれカネゴン】。以前から、いしいひさいちの漫画にたまに引用される音楽は相当ありきたりでない(「がんばれがんばれ地雷也」とか)。

地雷也

まだ読んだことはないけど、「少年地雷也」は杉浦しげる。カネゴンも繭(小学生)の頃、復刻版「猿飛佐助」で一人盛り上がっていたのを思い出した【流行遅れのおれカネゴン】。

Wikipediaによる「猿飛佐助の解説」。

そう言えばカネゴンが初めて真田十勇士を知ったのはすがやみつるの(おそらく立川文庫にかなり忠実な)漫画だった。

大昔、「ゲームセンターあらし」が何かの間違いでアニメ化されたのを1度だけ見たのだけど、オープニングテーマの大サビのところの「ゲームセンター あ・ら・しー」の旋律が完全に「宇宙戦艦ヤマト」のそれと同じで、TVの前でひっくり返って笑ってしまった。語呂はぴったり合う。信じて欲しいのだけど【空しく響くおれカネゴン】、もしかしたらそうなるのではないかと当時カネゴンが予言し周りにも吹聴していて、それが本当にそうだったので倍おかしかった。そこで満足し、以後見ていない。

と、こんな感じで横滑りする毎日。面倒なので、カネゴンの日記ではこういう途中経過をついつい省略してしまう。

磁気と生体。他にも面白そうなコンテンツあり。

# zata 『学校の後輩だったものです。
iPodは充電器に繋ぎっぱなしはバッテリーが消耗するので、止めた方がよいです。8割までは急速充電し、その先は微弱電流を流しっぱなしでカットしないと言うアホな仕様のため、過充電を起こすためです。』

# うりかねぐん 『ありがとうございます。こうしている今もつなぎっぱなしなので、後で止めないと。』

2005年06月24日(金)

今日の頭音:(Key=Am)ポータサウンドの伴奏で

あみだくじ

あみだくじ

引いて楽しいあみだくじ

どれにしようかあみだくじ

12時間ぶっとおしで働いたら上唇の真ん中に吹き出物が出てきた。

Comic Baton

svnseeds氏から回ってきたComic Batonをやってみる【何でも拾うおれカネゴン】。タイトルをつけないわけにはいかない流れ。

本棚に入ってる漫画単行本の冊数

数えてないけど200冊ぐらい。この3倍ぐらいの数を人にあげてしまった。カネゴン家に来た人はたいてい漫画をもらって帰ることになる。そしてまた同じ漫画を買ってしまったりする。

今面白い漫画

ついさっき読んだ「こまねずみ常次郎」という漫画が、あまりといえばあまりなことになっていてつい吹き出してしまう【電車で読むとはおれカネゴン】。でも描いている本人は必死なことを思い出して耐える。ごくたまにしか買わない「ビックコミックスペリオール」が、執筆陣が気合を入れすぎたせいだか何だか、小学館としてはきっと物凄く不本意なぐらい(いい意味で)全体的に下品な感じになっていてそれもよかった。星里もちるの漫画が凄く浮いて見えたほど。たぶんその震源地はサイバラ。

一番最近に買った漫画

まほおつかいミミッチ 1 (1)。「1巻」と描いてあることにたった今気付いたのだけど、続きそうな気がしない。この人の漫画で一番好きなのは、照れ隠しにネタをちりばめた「詩」だったりする。貧しさをネタにするよりも、もっともっとどさくさにまぎれて詩を書いて欲しい。

後は「ゴルゴ13」とか。

よく読む、または特別な思い入れのある5つの漫画

既にこの日記に書いたものも混じることになるけど、ここではカネゴンが読むと泣いてしまう漫画に絞る。普遍性はまったくありません。

  • 「生命の木」諸星大二郎。善ずさまとじゅずへるの子孫たちが昇天する姿は何度読んでも胸が熱くなる。カネゴンは本気で昇天を狙っているので、いつかこんなふうにたくさんの人々と共に昇天できればと願いを新たにしてしまう【騒々しいとはおれカネゴン】。
  • 「男組」雁屋哲・池上遼一。敵役の朽木威作の死に様を見るたびに泣けてくる。

若は天下をおとりになる方だ!私は若を信じております!若におつかえできて光栄でした!

カネゴンは奴隷体質なので、ここに究極の主従関係を見てしまう。といってそのケはないのだけど【言い訳するとはおれカネゴン】。帰依する相手のいないカネゴンは、いつの日かこんなふうに絶対者にとことんまで帰依することができればとついつい願いを新たにしてしまう。

  • 「God Save Theすげこまくん」永野のりこ。この漫画で引用されていたマザー・テレサの言葉「この世で最も貧しい者に仕えなさい」が、なぜか最もカネゴンの泣きのツボを直撃する。

以下は泣きとは違うけど思いついたものを。

  • 「家畜人ヤプー」沼正三・石ノ森章太郎。石ノ森章太郎の漫画自体はいいと思ったことがないのだけど、色川武大が嫉妬するほどの濃密なヤプー世界に気軽にアクセスできたのはありがたかった。正直、SMとかそういうものなどよりも、作中のイース世界にどしどし登場する、絶対に誰も思いつきそうもない大胆不敵な発想のテクノロジー体系こそが主役だとカネゴン信じている。発明を志す人は必読。なお、手塚治虫はヤプーの一巻の帯に「石ノ森章太郎さんは、漫画界の語り部とも言うべき存在です」と書いていたのが、ヤプーの二巻以降で石ノ森が突然作画を降板し、影武者であるシュガー佐藤(女子プロレスラーではない方)に切り替わったときの帯には「シュガー佐藤さんという方はよく知らないのですが、石ノ森さんに依頼されるぐらいだからきっとそれなりの方なのでしょう」と何とも投げやりなことを書いていたのを妙に覚えている【忘れてやらぬおれカネゴン】。
  • 「エスパー魔美」藤子F不二雄。カネゴンは一時期、Fの明朗な画風の底に隠された「どうしようもない暗さ」がとてもつらくて読めなかったことがあったのだけど、この漫画の場合は例外的に、脇役の高畑君や魔美のパパの口を通して語られるさまざまな話がどれもこれも非常に説得力が高くて舌を巻いた覚えがある。以来、カネゴンにとっての「論理的かつ明快に話す」ということのイメージはここで固まった【手近で済ますおれカネゴン】。カネゴンにはとてもできないのだけど。SFなどに括り付けられず、もっとこういう漫画を描いてカネゴンに説教して欲しかった。ドラゴン桜と並ぶ説教漫画の傑作。

バトンを渡す5名

へたばってきたのでやめておく。勝手に拾ってください【梯子を外すおれカネゴン】。

2005年06月23日(木)

今日の頭音:「おさかな天国」(Key=G)

なぜ、人並みの口臭レベルを目指してもだめか

これは、人間の嗅覚に関する特性のためで、一般に生体刺激量と感覚量の関係について、次のような数式で表されます。

すなわち I=K logC(I:臭いの感覚量 K:定数 C:臭気物質量)

つまり、わかりやすく言うと、人の主観的嗅覚、つまり、気になる、臭いの感じ方(自己臭などです)は、対数的関係を持ち

この対数的関係をウェーバー・ヘヒナーの法則といいます。

具体的には、ある人が臭いと思うとき、その臭いを起こしている臭気物質を無臭のガスに置き換えて90パーセント取り除いて、判定させると「臭さは、半分になった」と感じます。(この人に限っての話です。)

99パーセント取り除いてみると、その人以外の人は、完全に無臭と思いますが、その人は「臭気は約3分の一になったと思う」習性があるのです。

したがって、長年口臭で悩んだ人は、普通の人並みに口臭を改善できたとしても、まだ、3分の一は残っている、あるいは少しか軽くなったくらいで、まだまだ治っていない・・と思うのです。

案内に従って自動トラックバックを送信しないように変更。

何も考えたくない時に見るFlash。今混んでて見られないので後で。

明日に備えて早めに寝ます。

# svnseeds 『チーズドラムいいなあ。ワンステージ終わるたびにチーズ宴会と。維持にお金かかりそう(笑)。』

# うりかねぐん 『ではワインボトルヴィブラホンと組み合わせて。』

2005年06月22日(水)

今日の頭音:(Key=F)

鼻 鼻 つまんないな

鼻 鼻 つまんないな

鼻 鼻 つまったら

新ナーベル

(鼻鼻)(鼻鼻)

最上教授の「なぜ人間以外の動物が言語を持っていないか」。引用させてください。

思い出すのは、言語にとってもっとも基本的なのはシンボルを持つ事であると言う説である。つまり事物と恣意的な符号を結び付ける能力である。これが無いから動物は言語を持つことが出来ないという説を聞いたことがある。しかし、これが進化しにくい能力であるとは思えない。

「シンボル」のカネゴン定義を調べてみると「本当は『それそのもの』ではないにもかかわらず、まるでそれが『それが表すものそのもの』であるかのように人間社会で機能するもの」ということになっている【そんな資格がおれカネゴン】。白い石と黒い石を見て、それを「正義と悪」みたいに思い込めるのもシンボルを認識する能力があってこそ。シンボル自体は文化として、先祖からカネゴンたちに強制的に注入されたものであることは確かである一方、シンボルを受け入れる能力はシンボルとは独立して人間に備わっていると考えるしかなさそう。

動物にとってシンボルがあるとしたら何だろう。犬にとってご主人様の匂いはご主人様そのものではないのだけど、ご主人様の匂いがしたら即それがご主人様だと解釈してもたいていの場合生存上不利ではなさそう。しかしご主人様が亡くなった後、ご主人様の匂いのする遺品に犬が擦り寄って離れないという一種のエラーが発生する可能性はある。ここから考えて、動物の場合でも事物の関連付けという作業は明らかに行われていて、ただ、連想が匂いから離れて存在することがないために、ホップ数1のまま、それ以上連想が抽象化されることがないだけなのかもしれない。匂いが違っていたら、たとえ形がどんなに似ていようとも「こいつは偽物だ」と判断するのだろう。簡素で確実な代わりに、広がりようもない認識システム。

ところで、理由はわからないけど人間の場合ほとんどの動物より鼻が利かない。もしかすると、人間は何かのアクシデントで他の動物よりも鼻が利かなくなってしまったがために、失われた嗅覚を補おうとして視覚から得たものを連想の土台にするようになったとしたらどうしよう。やってみたら、視覚ベースの連想システムは匂いと比べて規制が遥かに緩く、連想が簡単にあっちゃっこっちゃに広がったりすりかわったりカスケードしたりするものだから、かけ離れた事物に対しても誤って類似性や同一性を見出してしまうようになったのだとしたらどうしよう。そこへもってきて、妄想に長けた一部の人間があることないことを吹き込んだら、すっかりそれが信じ込まれてしまい、妄想の巨大な体系が作られていつしかそれが言語とか文化と呼ばれるようになったとしたらどうしよう【寝ててもよいぞおれカネゴン】。

さらに、匂いSFの傑作「コフィン療法」のように、人類の嗅覚が何かのはずみで突然強力に甦ったり、サイバネティックスか何かで嗅覚を著しく増強するようなことがあったら、その代償としてシンボル操作能力が一気に低下して世界が平和になり、揃いも揃って結婚相手を匂いで決めるようになったりするのだろうか【それを待ってたおれカネゴン】。

日本男子の髪型の歴史日本女子の髪型の歴史。ここに名前を残すのはそう困難でなかったりして。

日本語シソーラス

こっちの日本語シソーラスと闘わせてみるのも面白そう。

便衣隊という言葉を最初に見かけたのは「のらくろ」だった。ありがちにも「便所掃除をするときの服」のことだと思っていたら普段着のことだった。

「エキュメニカル」という言葉を見かけ、不安になって調べる。

ecumenical

【形-1】 全世界的{ぜん せかい てき}な、普遍的{ふへん てき}な

【形-2】 世界{せかい}のキリスト教会{きょうかい}の

【形-3】 (キリスト教の)教会一致運動{きょうかい いっち うんどう}の、エキュメニカルの

【発音】e`kjэme'nikl、【@】エキュメニカル、【分節】ec・u・men・i・cal

盟友svnseeds氏のジャズドラム講座が開始。皆の者、太鼓じゃ。でっかい太鼓を倉から出してよく洗った後しかと乾かせい。

ちょっと読み替えれば他のどんな楽器にも役に立つはず。

日本社会の階層化が進んでいるとは言えないのではないか

この間書いた「貧困を絶対値だけで測るのは無理がある」ではないけれど、もしかすると階層化が進んだというより、ほんのわずかな違いを以前よりも気にするようになっただけだったりして。

男子禁制の理由に打ちのめされる。

2005年06月21日(火)

今日の頭音:アリナミンAのコマソンらしい(Key=B)

ジオデシックドームの屋根は雨漏りしやすいらしい。ジオデシックという言葉は聞き慣れないのだけど、どうやらフラードームのことみたい。

大変にどうでもよいことなのだけど【誠にそうとはおれカネゴン】、フラードームと聞くとなぜかヘンリー・ムーアの彫刻がセットで思い出される。カネゴンは「サザエさん」とか「意地悪ばあさん」とかに登場するいい加減な近代彫刻としてしか知らず、それらがムーアの彫刻のつもりだったらしいとわかったのも偶然がきっかけだった。

荒俣宏の師匠に当たる幻想文学評論家紀田順一郎のWebページを偶然見つける。肝心の幻想文学評論を一度も読んだことがないのだけど。カネゴンの記憶が確かならば【後で怪我するおれカネゴン】、この人は日本で最初の3人目以内ぐらいにMacintosh(128k)を購入し、フロッピーベースが当たり前の当時としては極めて珍しくハードディスク(わずか1MB)を増設したほどのMac好き。読み物も博引傍証が凄まじい。巡回決定。

愛書家なので蔵書の量が半端でなく、いつだったか、蔵書の重みで家の床が抜けないようにするための工事はいかにすべきかについて長々と文章を書いていたことがあった。

紀田順一郎がかなり昔に何かのインタビューで語っていた幻想文学への傾倒について:

中学から高校にかけて、クラスで難しそうな本を読んでは自慢しあうのが流行り、それがきっかけで本人もさまざまな本に手を出す。クラスメートがいち早くギボンの「ローマ帝国衰亡史」(asin:4487761751)を読み終わったと聞かされたときには「負けた」と思ったらしい。

そのうち翻訳が待ちきれなくなって洋書に手を出すようになり、Amazonなどない当時なので直接海外に発注するようになる。ところが、この面倒なはずの手続き自体が面白くなってしまい、さらに病みつきになる。そうしていろんな恐怖小説などを読んでみると、本人曰く「原作はちっとも怖くないんですね」。むしろ、それらの小説に現れる奇想や幻想に面白さを感じるようになり、ついにはああなってしまったということらしい【うっすら無礼なおれカネゴン】。

今引用した戦前の評論を見ると、歴史は繰り返すというか、これだけ注意されていたのああなってしまったということは、誰もが昔から他人からの忠言に耳を貸すのは好きでないらしいとわかり、他人の言うことを聞いてるつもりで聞けていないカネゴンも少しだけ安心する【改良必要おれカネゴン】。

渡辺謙海外ファンサイト。タイトルロゴのたどたどしさが微笑ましい。

江本創さんの「幻想標本博物館」。

# 後藤 『ご無沙汰しております。「musical baton」が回ってきましたので
カネゴンさんにお渡しします。下記URLを参照してください。
http://gggzzz.cool.ne.jp/zakkibbs/zakkibbs.cgi』

# Ryu 『>ジオデシックという言葉は聞き慣れないのだけど、どうやらフラードームのことみたい。

その通り。
バックミンスター・フラーは「ジオデシック・ドーム」と呼んだようだけど、周りはそれを「フラー・ドーム」と呼んだらしい。
見たところ、アウトドア系の人間は「ジオデシック・ドーム」という言葉しか知らないし、理系の人間には「フラー・ドーム」の方が通じやすいみたい。
建築関係者は、さすがに両方知ってるけど。』

# うりかねぐん 『>後藤さん
すみません、この間他所からバトンが回ってきたので既に書いてしまいました。
http://d.hatena.ne.jp/hachi/20050615#p2』

# うりかねぐん 『>Ryuさん
やはり。業界によって言葉が分かれる好例ですね。』

# masui 『フラードームの雨漏りの話は以下の本にも出てるようです。
http://www.hondana.org/C1FDB0E6/4794958307.html』

# うりかねぐん 『masuiさんこんにちは。「秋葉原感覚で住宅を考える」、タイトルで既に惹かれてしまいます。ところで近頃はピアノで遊んでますか?』

# Ryu 『石山さんの本は、うりかねぐんの好みだと思うよ。』

# Ryu 『しかし、masuiさんご紹介のサイトからの「雨漏り」へのリンク先、やっぱり僕んとこじゃん(笑)
ガッカリした(爆)』

# うりかねぐん 『くるりと回って何とやら、ですね。』

2005年06月20日(月)

今日の頭音:「クリームソーダ」ロリポ(Key=G)

さんざん書いておいて何ですが、作品によっては毒性が強いものもあったりするので、カネゴンは色川武大を無理に勧めたくない【腰が引けてるおれカネゴン】。つい引用してしまう「うらおもて人生録」にしても、一部だけ引用するのはやや危険な部分があるのではないかという気がしてきた。

というのも、この本に書かれていることの結論には相当に厳しい一面もあるとカネゴンは思うのだけど、それをストレートに書いてしまうと読んだ人が立ち直れなくなってしまうことを懸念してか、かなり当たりを柔らかくし、あえて冗長に語っているように見える(テープから起こされた聞き書きの本なのであまり用意周到な構造を作れなかったというのもあるかもしれない)。「〜だ。ただし〜」という限定の構造が多く登場し、しかもその構造がかなり大きいものもあるので、つい前半の「〜だ」だけ読んでしまうこともありうる。昨日の引用も、本当はもっともっと引用したかったのだけど、そうすると大半のページを引用するはめになってわけわからなくなってしまいそうだったので止めてあった。

そして色川武大もやはり小説家なので、口調は柔らかくとも内容は相当に刺激が強い。考えすぎかもしれないけど、小説の真骨頂の1つである「ダメな自分を見世物にする」という行為の根底のどこかには、人生に対する復讐のニュアンスがうっすら含まれるとカネゴン思う。ダメな自分を巧妙に見世物にする(ただし相当の技術が凝らされないと成立しないけど)ことで他人を惹きつけ、それによって当人が癒され、溜飲を下げるという一面は、決してそれだけではないにしても、どこかにあるのではないかと夢想してしまう。そしてまた、そういう部分は読者にとっても中毒性が高い。

とにかく、もしも読み違えてしまうと、ダメな自分をダメなままに甘やかしてしまうようなことになりかねない【自分に言うとるおれカネゴン】。何というか、精力減退の治療にいきなりバイアグラを飲むようなもので、まずはもっと穏やかで副作用の少ないエビオスぐらいから始めた方がいいかもしれない。エビオスに相当するいい本が何なのかはカネゴン知らないのだけど【品性低きおれカネゴン】。というわけで、色川武大は今後みだりに引用しないこととします。

2005年06月19日(日)

今日の頭音:「くるみ割り人形:花のワルツ」チャイコフスキー(Key=D)

昨日書いた統計学的な有意性検定の意味のなさの続き。有意性検定に代わる手法にはいくつかあるらしいのだけど、その代表有力な候補の1つが赤池情報量規準(AIC)というものだとか。カネゴンど素人なので「規準」という言葉があまり見慣れないのだけど、criterionの訳語らしい。そのAICをJavaScriptでデモするページを発見。

もう「それが好きで得意だから」というだけではやっていけなくなる

色川武大が自分と同じ劣等生に向けて語った「うらおもて人生録」で、およそ次のようなことを書いていた【またまたそれかおれカネゴン】。例によって記憶から。

劣等生は劣等なのだから、主流の分野で勝とうと思わない方がいい。本線は捨ててしまうんだ。ただしこれは優秀な人についても言えるのだが、「典型的な何か」を目指すということは、一見安泰なようでいて、実は他人に喰われる道をまっしぐらに進んでいるんだな。事の良し悪しは別にして、たとえば劣等生がヤクザを目指すとしよう。このとき、そのヤクザが典型的なヤクザを目指したら、遅かれ早かれ誰かに喰われてしまうだろう。相当優秀であっても、典型的な何かというのは実はもっとも取替えの利く人材なのだから。公務員ならともかく、同じ能力なら、若くて給料の安い者にその地位を奪われるのは当然だ。

もしも本気で生き残るつもりであれば、もっともヤクザらしくないヤクザを目指すことだ。どんな分野であっても、自分の力で生き残るためには、ずば抜けて優秀であるか、絶対に取替えの利かないユニークさか、そのどちらかが必要なんだな。ぼくもまったくそうなのだが、君たち劣等生は優秀さにおいて太刀打ちできないのだから、ユニークさか、せめて生きることを許してもらえる愛嬌を会得する必要がある。

ぼく自身、博打ばっかりやってきたように思われることが多かったけど、編集者をやったり炭屋の小僧をやったり愚連隊をやったり東映のストに参加したり乗馬をやったり文学の同人に参加したりと、いろんなことに手を出してきた。そして自分自身は何者でもないのだと常に思い続けていた。当時はそこまで考えていたわけではなかったのだけど、典型的な何者かにならないという道を本能的に自分の嗅覚で選び取っていたのかもしれなかったですね。

もしかすると個性とかユニークさというものは、生活が満ち足りたついでに空しさを埋めるためにカルチャースクールで習うような余興ではなく、優秀さという必殺の武器を持たない者が生き延びるために最後にすがらざるを得ない、非常に厳しいものだったのかもしれない。カネゴンはついここに出てきた「ヤクザ」を他の言葉に置き換えてみてしまう。ハッカーらしくないハッカー、学者らしくない学者、野球選手らしくない野球選手。

色川武大の場合、いかにも博打で生き残った人らしく、その分野で「最も優秀な人」以外は全員劣等生に分類していはずなので、屈折した形で普遍性が保たれていることになる。ここに書かれていることは、専門職ほど該当しやすいと思う。勉強して学べることや本に書かれていることなどは、他の人によってあっという間に追いつかれてしまう。かといって努力しないとますます引き離される。「生きることを許される愛嬌」というのも、要するに対人能力ということになる【そこが欠損おれカネゴン】。

この日記では有名サイトへのリンクはあまりしないようにしているのだけど、昨今はリンクしただけで自動トラックバックが相手のサイトに勝手にスタンプされてしまうことがあるので少々困ってしまう。まことに勝手な言い分だけど、トラックバックされないお気軽なリンクポイントもあってくれればと思う【頼んで寝るとはおれカネゴン】。

# yomoyomo 『>リンクしただけで自動トラックバックが相手のサイトに勝手にスタンプされてしまう

リンクする相手がはてなダイアリーを使っている場合は、例えば http://d.hatena.ne.jp/./yomoyomo/ のように.を間に挟むことで自動トラックバックの送信を止めることができます』

# うりかねぐん 『情報ありがとうございます。そんな手があったんですね。』

# Ryu 『>カネゴンはついここに出てきた「ヤクザ」を他の言葉に置き換えてみてしまう。

音楽をやっていた頃、「一目見てミュージシャンであることを看破される」ことが一番嫌だった。
だから、絶対に音楽をやってるようには見えるような格好はしなかった。
そしたら、ホントに音楽の世界からドロップアウトしてしまった(笑)
程度っつぅもんがあるわけだな、アハハ。

今はおとなしく諦めて、アウトドアズマンに見える格好で暮らしておりますです、ハイ』

# うりかねぐん 『どうもです。N.Z.に渡った時点でもうユニークですよ。最初は何でなのか全然わからなかったし。』

2005年06月18日(土)

今日の頭音:「Blackmarket」Weather Report(Key=Bb)

ぐったり。

温度で水の色が変わるインテリジェント蛇口。明るいところでは見えないような気がしないでもない。蛇口の水が通るところを透明にし、そこに液晶温度計を仕込めば明るいところでも温度がわかるかもしれない【手柄を狙うおれカネゴン】。

統計学的な有意性検定の意味のなさ。あるある大事典などで連発される「〜が〜に効く」も大半がこの範疇に入っているとしたらどうしよう。

統計を取るにあたってはまず斎戒沐浴の後身を清めて断食断色し、怖いコスチュームに身を包んで五月蠅(さばえ)なす荒ぶる統計の神に恭しく生贄を捧げ、嗚呼どうか正しい結果を我にもたらしたまえと奴隷のごとく一同ひれ伏して祈り続けたら有意に結果が違ってきたりしないだろうか。誤った結果を出した者は次回の生贄要員ということで【わくわくするとはおれカネゴン】。

強欲な人ほど進化の適応度が高い。どんな統計処理をされたのかが気になるところ【うずうずするとはおれカネゴン】。

そういえば、カネゴンがWebページを見つけるときにはどんな方法で見つけているのだろう(アンテナやRSSで拾った場合を除く)。仕事中や日記を書いているときに、ふと思いついた単語(「生贄」とか「ベッカム コックニー」とか)を検索し、その検索結果のなるべく下の方を探すようにしている。あるいは、目的を持って検索している場合にも、検索結果の下の方にある、あまり関係なさそうなところをついでに開いたりして見つけることが多い【集中しとらぬおれカネゴン】。画像ならともかく、検索結果のトップを使うことはめったにない。

普通なら、ある程度目的を持って検索し、集めた結果もタイトルやタグを付けたりして整理整頓するのだろうけど、そういう名前空間を絞り込むための体系付けは他の人がいくらでもやってくれているのでカネゴンの出る幕はない。カネゴンはどちらかというと、名前空間をくまなく巡礼して、なおかつ、まったく関係ないものの間に無理やり関係を見出すことに主眼を置いている。カネゴンが日記にタイトルをつけたがらないのも実はそういう理由がある。他に、たとえばカネゴンはスポーツのことはまったくわからないのだけど、他人の運動神経はとても気になるので、すべてのスポーツをその一点でひとくくりにして考えている。そんな調子でなるべく名前空間を選り好みしないようにしているつもり(ネットの喧嘩を除く)。

と書けば聞こえはいいけど、要するに半端でなく気が散りやすいというだけだったりする。うう。

例の数学面白話にあった「AならばB」の論理を読んで、「AならばB」という推論が未だに研究されていることを知り、以前このことで強い不安に捉われたカネゴンは深く安堵する【安らぎ求めるおれカネゴン】。

結局、Aが偽の場合は、Bが真であろうと偽であろうと結果が真になってしまうというのが議論のタネになってしまうのだと思う。Aが偽の場合はノーカウント(不定)にするというのが自然なのではないかと思うのだけど、それをやると数学的帰納法がひっくり返ってしまうので今更そんなことはできないのだろうとカネゴン夢想してみる。

「5秒でお絵かき」Flash(via sasaponさん)。描いたとたん他の人が描いた絵に次々モーフィングする。無理もないのだけど、ほとんどが陰毛にしか見えなかったりする。

2005年06月17日(金)

今日の実音:「Runaways」スパイク・ジョーンズ(Key=C)

数学の面白い話は、当分これをおかずにご飯を食べられるぐらいいい。ありきたりでないエピソードを厳選して淡々と書くと天声人語よりはるかに面白くなることを痛感【ただ乗りするとはおれカネゴン】。

記号「´」をダッシュと読むのはヨーロッパ流(by bunzoさん)。もし米国でもこのことが知られていれば、勝利をひとしお実感できたかもしれない。

息子が勉強しなくなったのはビートルズのせい

一休さんでもビートルズでも第三帝国でもプレステでも、非常に強い影響力を持つものはすべからくことごとく一種の呪いと考えたらだめだろうか【呪いにうっとりおれカネゴン】。

デヴィッド・リンチの予告編映像。カネゴンは「エレファントマン」と「砂の惑星」ぐらいしか見たことがない。

カネゴンは自分でそう名乗ったことがないのに、互いに面識がないはずの複数の方によって時々「おれカネ先生」と書かれてしまうのはなぜなのだろう。カネゴンの知らないところで夜中に集会でも開かれているのだろうか。何でもするから置いていかないで。

昨日の頭音にもなった名作曲家、宇野誠一郎の映画の仕事を見ると、初期を除いて見事に子供向けの映画に特化した業績を残していることがわかる。「化学の勝利」は何の映画だかさっぱりわからないけど。同じぐらいリリックな作風の冨田勲がヤクザ映画をガンガンこなしているのと好対照。

# Satoshi Tanabe 『すべからくの用法
http://www.tackns.net/word/word_subekaraku.html』

# うりかねぐん 『うう、思いっきり誤用してました。訂正ありがとうございます。』

2005年06月16日(木)

今日の頭音:(Key=F)

いつかしらないところで

あなたと あなたと であったの

いつかしらないところで

ひなぎく ひなぎくに うもれるの

あなたが わらうと

おそらの おそらの くもが おしろに なったわ

いつかしらないままに

あなたを あなたを わすれたの

いまは どこ

ちょっとくたくた。

頭音のサウンドファイルを見つけた。聴いてみるとキーはF#寄りになっていたけれど、TV放映の場合おそらく放送時間に尺を合わせるためにエンディングテーマの回転数を上げるということがしばしば行われているはずので、そのせいだと思う【負けを認めぬおれカネゴン】。昔からよくTV放映のエンディングテーマが、回を重ねるごとにキーが少しずつ上がっていたのがカネゴン気になっていた。地方での再放送になると、CM枠を少しでも増やすためか平気で2音ぐらい上がることすらあった。最近はどうだかわからないけど、今はハーモナイザー(実は商品名らしい)という強い味方があるので、回転数を変えてもキーが変わらないような処理ぐらいはしていると思う。

随分前のサウンド&レコーディングマガジンによると、最初に考案されたハーモナイザーはテープを使ったアナログ式だったという。テープエコーを改造し、ゆっくりと回転するドラムに埋め込まれた再生ヘッドが、録音時と異なる速度でテープに対して動くことでピッチを変えていたらしい。アナログ式では再生ヘッドを切り替えるときのノイズを克服できず、BBD素子やデジタル方式の登場を待つ必要があったとのこと。

自力による合法的な安楽死を手伝う団体「NuTech」。そのための装置をあれこれ考案しているらしい。

某所でカネゴンが受けた英語の授業では、安楽死とか男女差別とか地域紛争などの必ず議論が沸騰するようなテーマを選んでいて、物怖じしがちな日本人生徒を何とかして盛り上げようと苦労していることがうかがえた。

# namcat 『私(兄(生き別れ))はたぶんその「某所」の授業を知っているとおもうのですが、^^;
SFを素材にしたやつは面白かったです。2,3回TNGも見れたし。』

# うりかねぐん 『私の時にはシットコム(”Friends”)でした。』

2005年06月15日(水)

hachi2005-06-15

今日の頭音:「Satisfaction」Devo(Key=D?)

Musical Baton

スミルノフ教授suchiさん(後藤さんからも)からMusic Batonというものが回ってきたので、何だかよくわからないままとりあえず書いてみる。珍しくタイトルも付けてみる【諦め悪いおれカネゴン】。

カネゴンの場合自分で見つけた音楽というのはほとんどなく、たいていは人に教えてもらった音楽だったりする。

Total volume of music on my computer:

8.1G。ただし実際にはこの半分。残りの半分は、もらいもののiPod miniに入っていた大量のラップを避難させているだけなので。

The last CD I bought:

グールド:平均率(ベルヴィル・ランデブーを見て聴きたくなった)

Song playing right now:

Are We Not Men? We Are DEVO!:Devo (頭音を後追いしてかけてみた)

Five songs I listen to a lot, or that mean a lot to me:

  • ぐるーんぽん」カネゴンが幼虫(幼稚園)の頃夢中になって聴いていた「ドレミファブック」というLP付き絵本の中で一番気持ち悪い曲。作曲したのが湯浅譲二という現代音楽の人だったことを随分後になって知る。カネゴンのその後の音楽の趣味の悪さは全部これが原因ということにしておく。同じ絵本に入っていた「白雪姫」で鏡が唄う歌も相当怖い。子供を怖がらせるという意味では大成功した絵本【おぬしの他にはおれカネゴン】。

わたしを呼ぶのは誰 わたしは鏡

わたしに聞くのは誰 わたしは鏡

わたしは言わない 本当のことしか言わない

それが鏡

  • 「ゴジラ伝説」井上誠・上野耕治

Jupiter-8をここまで究めつくすとは。

  • フルトヴェングラーの『田園』ベートーヴェン

貸してもらっただけなのでいつの録音かもわからず。これをヘッドホンで聴いたときだけは、キーが何かとか楽器が何かとかそういう余分なことをまったく忘れて最後まで突っ走った。

  • 「Closing Time」トム・ウェイツ

人生で一番つらかったときに聴いたせいか、今でも聴くと反射的に暗い気持ちになれる。夏に物凄く合わない音楽。ついでながら「Memory Lane」ミニー・リパートンも、聴いているだけであの世に行ってしまいそうになる【趣味はあの世のおれカネゴン】。

  • 「Numbers」クラフトワーク

音程がどこにもなくてかっこいい。後「放射能」も。

Five people to whom I’m passing the baton:

2005年06月14日(火)

今日の頭音:揺れる思い 身体中感じて...(Key=A)

↑家人に聞いたらZARDだとのこと。

太陽系のご近所で地球に似た惑星を発見。ここが約束の地だということになったら、あらゆる困難を克服してでも60万人ほどが目指すのだろうか【一人置き去りおれカネゴン】。

倉橋由美子死去

カネゴンは大昔に「パルタイ」とかその辺をちょっと読んだだけなのだけど、爬虫類の皮膚を撫で回したようなつるざらとした手触りを感じさせるのが妙にうまかったのを覚えている。

小学館新人コミック大賞の佳作入選に「高山和雄 48才」という名前があって、あっと思う。カネゴンが昔持ってた「奇相天覚」という漫画の作者「高山和雅」と同じ人に違いない。諸星大二郎への憧れをこれほどストレートに表現し、しかも全力で越えようとする人も珍しいと思ってカネゴンの記憶の片隅に残っていた。

検索してみると、ちばてつやホームページによると第17回ちばてつや賞一般部門で大賞を受賞していて、ガロにも描いていたことがあったらしい。何というか、徹底して自分の好きな漫画しか描かない人なのではないかという気がしてきた。

各種ファイルの説明が読めるfileproperties.com

ドラクエ3の世界がドーナツ状というのはたぶん有名な話。実はドーナツの内側だったりしたらどうしよう。

積分の計算には「発見的な」要素が含まれている

何で見たのか忘れたけど、大槻教授が昔大絶賛していたロシアの物理公式集というのがあり、割と近年になってやっと翻訳されたらしいのだけど、この種の解けそうでなかなか解けない積分を何とかして解くのに当時はこの本が手放せなかったとのこと。

# sueme 『勝手にリンクしてすいません。
http://sueme.pobox.ne.jp/prof/log/eid350.html』

# うりかねぐん 『やや、ありがとうございます。今夜書きますので。』

# K-To 『ドーナツ状と仮定すると重力と昼夜に問題があるそうです。
http://sel.ics.es.osaka-u.ac.jp/~matusita/ICDQ/ICDQ93/』

# うりかねぐん 『やっぱり...スペースコロニーだとしても無理あるんでしょうか。』

2005年06月12日(日)

今日の頭音:「Cloudburst」Jon Hendricks(Key=F)

アプリケーションでクリックを誘発する仕掛けは全否定できない。クリックがある程度多いと情が移ってしまうということでいいのだろうか。

カネゴンがこの日記のタイトルにほとんど何も書かないために、RSSのタイトルに■しか出力されず、RSSリーダーによっては非常に不便をかけてしまっている【足らぬ足らぬはおれカネゴン】。カネゴンとしては自分の日記の表示に極力タイトルをつけたくないという勝手かつ偏屈な思いがあるのだけど、RSSだけにタイトルが表示されるのは構わない。はてなのRSS出力に、「タイトルが空欄の場合は最初のパラグラフの冒頭を自動的にRSSフィードのタイトルに引用する」という機能でもあれば一番よいのだけど、そんな機能はたぶんカネゴンしか使わないので、はてなアイディアでお願いするのも気が引ける。

CSSでタイトル(H3タグ)の表示を抑制し、自分で最初のパラグラフをいちいちコピペしてタイトルに貼り付けるという方法も考えたのだけど、過去の頭音やメモの表示まで全部抑制されてしまう。自分の日記をまたエクスポートしてからその辺を一斉に修正して再度インポートするというのも検討したのだけど、そうするとこれまでのコメントが全部消えてしまう。うう、どうにかならないだろうか【はてなに頼めやおれカネゴン】。

ストーンヘンジより古い神殿文化がヨーロッパで発見?。さっきモスバーガーに置いてあった朝日新聞でもこの記事を見た。もっとあちこち掘ってみたら、とっても気まずいものを掘り当ててしまったりするだろうか。

RSSのタイトル補完の件をはてなアイディアに出してみた【恐る恐るのおれカネゴン】。

ソフトウェアのアーキテクトが一番欲しいのは、岸和田博士が得意中の得意とする「こんなこともあろうかと思って」という先回りの能力だったりするのだろうか。

ガーシュウィンの「They all laughed」という曲の歌詞に、「They all laughed at Rockefeller Center, now they're fighting to get in」というくだりがあり、今ではアメリカの良心とまで呼ばれているロックフェラーセンターも建設当時はさんざんな言われようだったらしいことがうかがえる。カネゴンよく知らないのだけど、もしかすると最初は安土城みたいなものでも作ろうとしていたのだろうか。

2005年06月11日(土)

今日の頭音:「透明人間」ピンクレディー(Key=A)

洗剤が切れたので買ってきます。

液体レンズ

もしかするとフィリップス社の特許なのかもしれない。

赤塚不二夫のことを書いたのだ!!

漫画雑誌の編集者が「記者」と名乗る習慣が以前から気になっていた。

松田洋子と並ぶダジャレ名人小田島小田嶋隆の日記が本になる

頭に釘が

人工的にサヴァン症候群を発生させるときにはこんな要領でやるのだろうか。

以前もこの日記で紹介した漫画家リレー訪問記は今も淡々着々と連載が継続している。

「20世紀の予言」7割が的中

これまで一番カネゴンのツボを直撃した予言というか未来技術予測は、SF作家アーサー・C・クラークが予言した「霊界通信」だった。西暦2300年ぐらいと見積もっていたような覚えがある。

中野監督の「日本映画を今よりちょっとマシにする方法」。

関川夏央・谷口ジロー「事件屋稼業 3 (3)」にあった「近代ヤクザの四か条」は

  • ケンカで死なない
  • 見栄を張らない
  • 知は力なり
  • 損しない限り他人には親切に

だった。

頭が痛い。

RSSリーダーWebサイトであるBloglines自身は、RSSをフィードしてくれていない。もし新着分をRSSでフィードしてもらえば、それをFirefoxの拡張機能であるRSSリーダーsageで受け取ることができる。そうすれば、sageで更新分を直接読むことができるので全部がのっぺりと同じスタイルになってしまうBloglinesの単調さを避けることができ、しかも更新情報を得るのに時間がかかるsageの唯一の欠点が解消される。Bloglinesとしてはやりたがらないと思うけど【ただ乗りするとはおれカネゴン】。

2005年06月10日(金)

今日の実音:「ビノ・パイク」山下康(Key=Am)

教えて欲しい。梅雨時のじめじめした気候にあきらめがつくような音楽と言えば何があるのだろう【湿気に弱いおれカネゴン】。

前にも聞いたような気がするけど教えて欲しい。カネゴンが10年以上前に米国西海岸の科学博物館(それがどこかも思い出せない)の廊下で見かけた、最大限シンプルなピタゴラスイッチ的装置を何と呼べばよいのかを。

それは大理石か何かでできている、傍目には手洗い鉢のような代物。一辺が1m程度の直方体で、上に洗面所のような大きな円い漏斗のような窪みがある。その窪みは、ちょうどブラックホールの模式図のカーブをもっと浅くしたような感じで、中央にちょうどコイン程度のサイズの穴が開いている。正直、最初は何かばっちいものかと思ってしまった。

その窪みの一番上の縁に、円周に沿って短い切れ込みというか溝があり、どうやらそこにコインを立てろということらしい。その溝自体が斜面になっているので、立てたコインはそのまま溝に沿ってついと転がり出す。と、走り出したコインはこの窪みの曲面に沿ってすっくと立ったままいつまでもいつまでも回り続け、ゆっくりと中央の穴に近づいて行く。最後に穴に差し掛かると、カパカパカパと小気味良い音をたてて振動し、終には穴に落ちてカネゴンがエクスタシーに達する仕組みになっていた。

要するに寄付を集めるための装置なのだけど、あまりの楽しさにカネゴン5、6回はコインを放り込んだかもしれない【ライクアモンキーおれカネゴン】。JR品川駅の有料トイレなども、もしこの仕組みを導入すればたちまち収益は10倍増しになること請け合いだと思う。選挙もなまじ電子化するより、こういうふうに投票できるようにすれば、連れてきた子供が自分にやらせろと泣いてせがむほど押すな押すなの大盛況になるかもしれない【させてやらぬはおれカネゴン】。神社の賽銭箱にも、是非。

加山雄三のブラック・ジャック。要点を押さえた良い資料。

性犯罪者から住人を守る

ビッグブラザー云々とかわかりきった話はともかく、最近のご近所さんは自分たちにさまざまな不便やプライバシー上のリスクを強いてまで性犯罪者に仕返しをせずにはいられないことを痛感。先日書いたサルの話といい、人間にとっての秩序と論理の一番根底にあるのは実は「仕返し」だとしたらどうしよう。

よい(と自分にとって思える)人によい報いがあり、悪い(と自分にとって思える)人にそれなりの報いがあるところを目撃すると人の心は極めて安らかになる。逆に、よい(と自分にとって思える)人が理不尽な目に遭い、悪い(と自分にとって思える)人が世にはばかるところを目撃すると人の心は不安に陥り、どうしようもない不合理を感じてしまう。例の「善知鳥」が強い印象を残すのも、「殺生は悪」という言明が一貫しているというまさにそのことによって善人が惨い目に遭うというシステマチックな問題を目の当たりにしてしまうからなのかもしれない。

ここのところは想像なのだけど、法律とか社会の仕組みみたいなものは、こういう仕返しまたは因果応報オリエンテッドな人の心に沿うことを最大の目的として日々修正を繰り返しパッチを当てまくっているような気がする。だからこそ、ご近所さんが意趣返しに燃えるというのは、パッチのリリースが遅れているというか法律が人心から逸れているということなのかもしれない。ところで復讐譚はいつの世も人気が高い【逸れて逸れぬくおれカネゴン】。

「生命の誕生や進化の背景には知的な計画があった」説

こういう議論をする前に、何が生命なのかということを定義しておかないと泥沼になりそうな気がする【近寄れないとはおれカネゴン】。以前から書いているように、「霊魂とは何か」を定義しないうちに霊魂がいるかいないかを議論しても結論は出そうにない。人間という栄養たっぷりな培地の上で活動する社会的な生命というのも「あり」だとカネゴン思っているので【空に向かっておれカネゴン】、ガンダムも各種サーバーもGoogleも今のところ生命を持っていると思う。

非可測集合と選択公理

(リンク間違ってました)

ロボットが金を稼いで人間に渡すようになったら初めて一人前と認めてあげてよいのではという気がしてきた【それを寝て待つおれカネゴン】。

山形さんの新作「貧乏人は減っている」と「世銀も認めてます」。

ドキュメント変換システムどうよ」を読んでplain2というものがあったことを今更知る。SmartDocは最近動きがないせいか鼻も引っ掛けてもらえなかった。

科学者は妄想する」と元になったメルマガのバックナンバー。「ゴッドマシーン」という言葉の響きにびっくりする。

# nuc 『ああああ!その寄付装置見ましたよ!
アトランタの散髪屋で。父親の後ろをついていって待っていると、なんか怪しげなものがある。出る間際に支払いを終えたお客さんが小銭を投げ入れた。なんか、不思議な音がした。ほわ〜〜ん、ほわ〜ん、ほわん、ほわんほわんほわん、ちゃりん。で、父親にお金入れてみてとねだったのに却下された。幼稚園の時なのにまだ憶えてます。』

# うりかねぐん 『やっぱり見事に子供の心をキャッチして放さないですね。あっちではありふれたものなのでしょうか。その名前がわかればと...』

# うりかねぐん 『見つけました! Hyperbolic Funnelというそのまんまの名前でした。
http://www.schoolfunnel.com/index2.html
WMV形式の映像までありました。』

# くりた 『家庭用(?)にこんなのもあります。
http://scientificsonline.com/product.asp_Q_pn_E_3037832』

# asano 『商品名かもしれませんが、Spiral Wishing Well という名前もあるようですね。
http://www.divnick.com/wishing_well.htm
1日に最高で $7,352.39 稼ぎ出したことがあるとのこと。』

# うりかねぐん 『くりたさんasanoさんありがとうございます。
最高で33時間と16分も回り続けるというのも凄いですね。
アフィリエイトよりも稼げるというか、こうすることでお金を払ってもいいという気になってしまう人の心が面白いです。』

# おくた 『「非可測集合と選択公理」のリンク先が間違ってませんこと?』

# うりかねぐん 『またやっちまいました。ありがとうございます。』

2005年06月09日(木)

今日の頭音:「Queen Bee」(Key=F)

おなかいっぱいで眠い。

以前も何となく、世界のどこかに貧困がないと資本主義は成り立たないのだろうかと夢想してみたことがあったのだけど、A. G. フランクの生涯を見てみると、その考えはとっくに時代遅れになっているらしいと判明。

花火のルーツをたどる

それと関連して、のろしに次ぐ通信システムとして有名なシャップの腕木式通信機

超精密計測がひらく世界―高精度計測が生み出す新しい物理」を読んだ目的の一つは、重力をどうやって測定しているかが知りたかったため。結局、重力の絶対値に関しては、錘を落としてその速さを調べるという恐ろしく原始的な方法しか今のところないらしい。相対的な重力なら今や人工衛星から調べることもできるというのに。

精液量産化計画2。亜鉛不足による精力減退なら、エビオスは確かに効くかもしれない。

プリンタを購入したのですが、コンセントのプラグの横から謎のコードが出ており、「必ず接地接続してください」とあります。接地接続とはどうすれば良いのでしょう

以前カネゴンがいた職場で、ノートPC(PowerBook 180か何か)のACアダプターを、椅子に座ったままついつい片手で電源に挿したとき【横着者とはおれカネゴン】、うっかりその接地線がプラグに絡んで、電源の穴の片方に一緒に押し込まれてしまったことがあった。その瞬間「ボン」と音がしてACアダプターから煙が吹き出し、プラスチックの焦げた臭いが辺り一面に充満した。カネゴンの髪の毛が恐怖の余り一本残らず逆立ちしたその直後にやってきた客から「おや、何の匂いですかな」と聞かれ、進退窮まったカネゴンは今すぐその場でラジオ体操がしたくなったのを必死でこらえながら客の注意を他にそらして切り抜けた【何かが丸出しおれカネゴン】。以来この接地線はペンチで引っこ抜くことにしている。なおACアダプターは本体に接続されていなかったのでPowerBook自体は無事でした。

カネゴンはついつい色川武大のことばかり書いてしまうのだけど、カネゴンは同じ本を何度でも繰り返し読んでしまう習性があり、それがあるときたまたま「私の旧約聖書」だったというだけのことなので、もしかしたら他の本でもよかったのかもしれない。

# odakin 『重力の測定は錘おとすだけじゃありませんぞ。有名な論文としてはこの辺:
http://arxiv.org/abs/hep-ph/0011014
http://arxiv.org/abs/hep-ph/0405262
ちなみに最近100ミクロンぐらいの短距離で重力がニュートン則より弱いという発見があった、というウワサが流れてて、このサイトからいろいろ関連リンクを辿れますです:
http://motls.blogspot.com/2005/06/deviations-from-newtons-law-seen.html』

# うりかねぐん 『ありがとうございます。本当にざっと眺めただけですが、捩り振子という手があったんですね。
先の本も奥付を見たら1997年だか8年だかで、今となっては大分前の話でした。』

2005年06月08日(水)

今日の頭音 (Key=Am)

にやっとしたら 歯ぐきから血が出た

マスク

マスクをつけて

人目につかぬようにして

これで安心

理系白書:理系学生の「日本語下手」も大学の教員を悩ませている

そう言えばカネゴンがアウシュビッツというものを知ったのは、学研チャンピオンコースの何かの本で、しかも完璧にホラーとして扱っていた。

英辞郎より:

  • security blanket

(幼児{ようじ}が安心感を得るためいつも手にしている)お守り毛布、ねんねタオル、安心感を与えるもの、安全{あんぜん}を保障{ほしょう}するもの、気を落ち着かせるもの、情報検閲、精神安定剤{せいしん あんてい ざい}、捜査網、お守り札、安全{あんぜん}パイ◆【類】a psychological reassurance

  • trail one's security blanket

安心毛布{あんしん もうふ}を引きずる

【これで安心おれカネゴン】

何となく気になってたMM/Memoを試してみたのだけど、あまりよさがわからなかった【追求せぬとはおれカネゴン】。

この間もちょっと書いた動物たちの行動経済学の続き:

何とかとかいうサルにキュウリをあげると、喜んで食べる。ところが、そのサルの隣りの檻にいる同じ種類のサルに果物(こっちの方が大好物)をあげるのを目撃すると、元のサルはカンカンになって怒り、それ以降キュウリをあげても食べずに飼育係に投げつけたりするのだそうだ【朝三暮四とはおれカネゴン】。

たぶんこれは人間でも同じことが言えるのかもしれない。おとぎばなしの王子でも昔はとても食べられなかったアイスクリームも、誰でも食べられるようになってしまえばそのありがたみは薄れてしまう。その延長で、今時の生活はかつての生活とは比べ物にならないぐらい水準が向上しているにもかかわらず、もっといい思いをしている人(典型的には有名人)を見てしまうと、今自分がどれほどのものを持っていようとたちまち色褪せ、しばしば怒りの源泉に変わり果ててしまう。なので貧困を絶対値だけで測るのはいろいろと無理がありそうな気がしてきた。

遅ればせながら、永江良一さんが訳したマキャヴェリの「君主」。

しんどいので寝ます。

# Ryu 『> にやっとしたら 歯ぐきから血が出た

懐かしいのぉ。』

# うりかねぐん 『あれから10数年とは。』

2005年06月07日(火)

今日の頭音、スパニッシュなギター(Key=G)

やっぱり日記減らしたい【狼少年おれカネゴン】。

ここのところあることで悩んでいたのだけど【くよくよするとはおれカネゴン】、さっきうれしい知らせを受けていっぺんに憂さが晴れる。

鈴木清順を熱く語る。60才を越えたあたりでカネゴンも見てみます。

「魁!クロマティ高校」のサントラがあの美狂乱だったことを今更知る【月に吼えるはおれカネゴン】。といっても大昔に一度試聴しただけです【金が不自由おれカネゴン】。

関係ないけど、クラシックのピアニストが弾いた「タルカス」も(試聴できます)。せっかちなカネゴンは、レッチリがカバーしたジミヘンの「Fire」みたいな恐ろしく速いテンポを期待してたので、ちょっと違ったかも【情緒がないとはおれカネゴン】。

ブルーバックスの「超精密計測がひらく世界―高精度計測が生み出す新しい物理」が久々にめちゃくちゃ面白かった。カネゴンも含めて科学好きはついつい理論ばっかりに注目してしまいがちなのだけど【半端なままでおれカネゴン】、理論を支えるというよりむしろ理論とデッドヒートを繰り広げるかのようなエンジニアリングの疾走感を目の当たりにできる。こういうのは日経サイエンスではお目にかかれないのでありがたい。執筆者が全員その道のトップエンジニアなためか、門外漢がおいてけぼりにされそうな特許出願書的テクニカルライティング丸出しで、日本人が書いたのにまるで翻訳文のようだったりするのもまたそれっぽい。こういう本こそ子供向けに豪華な絵本にして欲しいと思う【似合っておるぞよおれカネゴン】。

バナッハ・タルスキーのパラドックス。タルスキーの弟子が書いたタルスキーの伝記が出版されたと『American Scientist』誌にあった。

「世界物理年」イベントで能『一石仙人』上演

てっきり『善知鳥』の続編で、血の池地獄で苦しむ猟師を一石仙人が物理の根源を解き明かして救ってくれる話かとカネゴン思ったら、そうではなかった【そんなに救いがおれカネゴン】。

遺伝子組み換えでハエの性的嗜好をあべこべに

こういう遺伝子のスイッチを人類が面白半分にガンガン押すようになった頃、もしかすると一番割りを喰うのは占い師なのかもしれない。子供の命名や悩みの相談に訪れても「知るもんですか」とふてくされられてしまったらどうしよう。

意思主義とネット人格・キャラ選択時代。途中にどさくさに紛れて書いてあった部分に目が留まる。

こうした理屈によって、なんと私たちは法律に従うことで「自由」になれるということになる。これが「近代的あるいは理性的自由」。私たちは「自由になるために、法律に従うべき」ということになる。そして、法律は、私たちの不完全な理性によって生じた非理性的状態を回復するために機能し、国家権力を後ろ盾として「理性的な当事者であれば実現したであろう状態」を実現するわけだ。近代理性万歳!(ウソ)

場の空気云々は、うつけものの織田信長が殿様になったら殿様の顔つきになったとか、教師を長くやっていると不思議に教師の顔つきになるとか、以前教えていただいた怖い実験など枚挙に暇がないので、それほど珍しくはなさそう。

ただ、自分のしでかしたことを「自分が悪いんじゃない、場の空気が悪い。自分は場に合ったキャラを演じていただけだ」と言い抜けしようとする人は今後激増するのかもしれない。実際は仮面が取れなくなっただけというか、そのキャラに縛り付けられているだけでちっとも自由ではないのに【最もそうとはおれカネゴン】。これを叱るための説得力のある言葉を人類が今後必死で開発しなければならないとしたらどうしよう。

# synonymous 『その時、占い師たちもまた遺伝子のスイッチをガンガン押しまくり、彼の預言を成就せんとするのです。』

2005年06月06日(月)

今日の頭音:「マイヤヒー」が早回しで(Key=G)

[]

All Consumingは商品レビューを専門に検索するサイト。

先が見えても塞翁が馬」。色川武大なら一発で大はまりしそう。

同じサイトの「普遍性をつかむ能力」も。

極端大仏率さんの「数学公式集の間違い」。

気分に合わせて環境を変える未来型オフィス。カネゴンの気分のいいときには諸星大二郎っぽいドロドロしたものが壁に浮かび上がってきたりするのだろうか。

# namcat 『つまらん質問ですが早回しのときは頭音のピッチは上がってますか?
その場合でもキーはGなんでしょうか?』

# うりかねぐん 『昨日リンクしたカイジの音が既に早回しで、それがたまたまGだったので刷り込まれてしまいました。その後どこかで元の曲を聴いたら全然違うキーでした(Eだったかも)。』

2005年06月05日(日)

今日の頭音「都の西北 早稲田の隣り」(Key=C)

茂木健一郎の日記より:

まずは、精神状態が普段と違うものになってしまうということ自体よりも、そのことによって「パニック」に陥ってしまうことの方が問題だということ。違った状態になっても、そんなもんだとうまく「パッチ」を当てて生きていけばそれで良い、というフィロソフィー。

また、精神病の発病は、人生の節目節目である特定の認知的「解釈」を積み上げていくことで起こるのではないかという考え方。つまり、人は、過去の「ソフトウェア」の履歴の上にさらに積み重ねを行うわけであって、その「ソフトウェア」が累積的にある方向にカーヴを描いていってしまい、その結果ある時break downが起こるということ。

ふと気が付くと、色川武大がエッセイの中で自分のフェイバリットとして挙げる小説は、なぜか海外の小説ばかりだった(フォークナー、「アンクルトムの小屋」など)。これだけを見れば外国が小説好きなのかと思ってしまいそうになるのだけど、カネゴンが夢想するに、これは日本の小説について好き嫌いを言うとほぼ確実に言い争いになってしまうがために、そのことを極めて巧妙に避けていたのではないかと思う。おそらく博打の経験から、色川武大は敵を作らないことを最大のモットーの一つにしていたはずなので。

そして本人もそうは書いていないけど、きっと本当は、この世に完全無欠な小説など一つもないし、今後も永久にありえない、極限と同様、ただそれに永遠に近づくことだけができると、こっそり心の底では思っていたのではないかとカネゴン勝手に思う。

唐突に気が付いたのだけど【いつもだしぬけおれカネゴン】、経済でも科学でもAVでも何でも、決して辿り着けないにもかかわらず完全無欠にいつまでも近づき続けることはできる(少なくとも不可能とは言い切れない)。もしかすると、この世で許された唯一の自由がこれではないかと思ってしまう。放っておくと完全無欠から遠ざかるので、これは自由にカウントされない。そしてそれ以外の自由という概念は、全部人間が都合よくこしらえたものだとすら思う。

しかも、完全無欠に永遠にアプローチできるということが保証されるためには、1.完全無欠になることが不可能であることが保証され、2.しかも完全無欠に近づくほどに先に進むのが困難になることも保証される必要がある。そして実際にこの世のすべてのできごとがそうだったりする。しかも、この世に完全無欠なものが存在しなくても、よくよく見ればこの原則自体がちゃっかりと完全無欠だということに今気付いた【足元暗いおれカネゴン】。「進歩することは終わりに近づくことだ」という恐ろしい真言に正面から立ち向かえる唯一の原則がこれなのかもしれない。

ものすごく大雑把にまとめると、「完全無欠を目指すときだけ自由になれる」ということでいいのだろうか。カネゴンは常日頃から自分が服従する絶対者を求めて右往左往していたのだけど、もしかすると求めていたものに辿り着けたのだろうか【明日にはゴミとはおれカネゴン】。

奈良時代とか春秋戦国時代の人に現代のAVを見せたら、あまりの進歩発展ぶりに轟音とともに土煙をもうもうと上げて一瞬でイッてしまうのだろうか。それとも一瞬で顔色を変え、家に籠もって扉を全部閉め、物忌み方違えし、式神を飛ばしまくり怨霊退散を唱えてがくがくぶるぶるしたり、青銅の饕餮を被り奴隷を100人ほどいけにえに捧げて暗黒神の許しを乞うたりするのだろうか。

中国のデスメタルバンド「饕餮」。

ネットラジオをやるのなら、最低限でもエキサイターとリミッター(=コンプレッサー)を声にかけて欲しい。楽器の演奏にかかわったことがない人ほど、その効果の大きさに驚くと思う。本当に、これをやるだけで素人臭さがいっぺんに抜ける(プロのアナウンサーや声優はこういう機材なしでもできなければおかしいと思うけど)。エキサイターは自分で作れば1000円そこそこでできる。楽器用のリミッターは声には不向きなので、もう少し張り込んだほうがいいかもしれない。今時のマルチエフェクターなら1台でどちらも代用できると思う。

エキサイターは、人間の耳には直接聞こえない(音色の変化としてのみかろうじて認識可能)超高周波の成分をブレンドすることで、音を手軽に元気にすることができるエフェクター。2通りの流派があって、フェイズシフターのモジュレーションを行わずに固定して特定の超高周波成分を強調するタイプと、ファズで使用される2本一組の互いに逆方向に接続されるダイオードを片方だけ使用することで特定の超高周波成分を強調するタイプがあるのだけど、効果はほとんど同じらしい。

カネゴンが繭(高校)の頃、安いものだからエキサイター(フェイズシフタータイプ)を2ch作成し、ステレオにつないで面白がっていたことがあったのだけど、ある日突然、原因不明の猛烈な吐き気と頭痛に襲われ、さんざん調べるとエキサイターのつまみが最大になっていたことが判明した。製作記事に「ほんのちょっぴりブレンドするだけで効きますので、効かせすぎにくれぐれも注意してください」とあったのはこのことかと後悔【脳はぐずぐずおれカネゴン】。これを応用した新しい暗殺方法または処刑方法はもう登場していたりするだろうか【刑だ罰だとおれカネゴン】。

実家の本棚にあった「私の文章修行」という本を持って帰って流し読む。実はこの種の本を読むのは初めて。小説を読まないカネゴンにとって面白かったのは東海林さだおと山下洋輔と和田誠と植草甚一ぐらいで、後は適当にしか読んでいないのだけど、筆者の大半が国語の教師に対する恨みつらみで埋めているのが気になった。

ここから先は想像するしかないのだけど、小説家としては、本当に誰でもうまい文章がすらすら書けるようになってしまうと自分が飢え死にしてしまうので、何とかその辺を必死でごまかしてありがたみを出そうとしているのだとしたらどうしよう。彼らにとって理想的なのは「自分一人だけが文章がうまい」状態である以上、本気で文章力の向上を願っている小説家など一人もいないとカネゴン勝手に信じている。なので、以前にも「理想の国語教科書」に書いたけど、小説家に国語の教科書を作らせても意味がないと思う。

カネゴンがこの日記を書き始めた頃、唯一念頭にあったのは「明和電機」だった。カネゴンはついつい気持ちが顔に出てしまうため【薄らにやけるおれカネゴン】、明和電機みたいに真顔でばかばかしいことをやるということに強い憧れがあった。

必ず読まなければならない本というのはどこかにあるのだろうか。カネゴンには思いつきません。

# hokuto-hei 『フランス人のベルナール・フランクが平安時代の貴族の日記を仔細に調べた結果をしるした「方忌みと方違え」(ISBN:4000003259)という本がありますが、どうも現代では失われた方違えの技法の手がかりがあるそうです。』

# うりかねぐん 『これは力作ですね。』

# renpoo 『>決して辿り着けないにもかかわらず完全無欠にいつまでも近づき続けることはできる

これ、深く同意します。っていうか、そう思つてないと創作表現なんかやってらんないです。(苦笑)』

2005年06月04日(土)

今日の頭音「サクセス」宇崎竜童(Key=Em)

たった今帰ってきました。

カネゴンばあちゃん94歳で大往生。関係者の皆様ありがとうございました。

なお、カネゴンにとっての先祖は「ありとあらゆるしがらみ」と定義されているので、今度のことで先祖の数は変わりません【そんな理屈はおれカネゴン】。

典礼会館での通夜でカネゴンとカネゴン末弟はしこたま酔っ払い、棺の前でぐうぐう寝てしまっていた【いびきやかましおれカネゴン】。うう、最後まで甘えてしまいました。

お経は浄土真宗本願寺派とのことで、Key=EmというかEのドリアンスケール(要するに「ほたるこい」)だった【集中しとらぬおれカネゴン】。途中からF#mに移り、どこかでFに垂れ下がり、一箇所だけ3度がメジャーになって終わった。カラオケ慣れしてそうな読経。

カネゴンのときにはお経をボコーダーに通してフェイズシフターで味付けし、200msecのショートディレイとプレートリバーブをかけてください【洒落でないとはおれカネゴン】。

帰りに空港まで自動車で送ってもらう途中突然思いつき、慌ててもう一方の実家の墓に立ち寄る【やっと来おったおれカネゴン】。はっきり覚えていないのだけど、たぶん10年ぶりぐらい。うう、手ぶらですみません。

帰りの飛行機はかなり後ろの座席。気のせいか運転が荒っぽい。飛行開始後間もなくふと窓の外を見ると、主翼のジョイントに錆が浮いているのが目に入ってしまい、トワイライトゾーンで窓の外の主翼に悪魔がしがみついているのを見てしまったおじさんのごとく飛行機恐怖症で一気に顔面蒼白になり、口の中がたちまち乾く【またも暗示のおれカネゴン】。電池の切れかかったiPODでグールドのバッハを聴きながら必死で心を落ち着かせようとしても駄目。手の平と足の裏から怒涛のように汗が流れる。もしかしてあの世にお呼ばれしてないかという不安をどうしても拭い去れない【わしらを何だとおれカネゴン】。そんなときに後ろの席のちっちゃな子供が絶妙のタイミングでカネゴンの椅子をぐらぐらゆすり、思わずキッと睨んでしまった。

雑談中に聞いた話によると、このところ大阪の人口が減り始め、若者が流出しているらしい。しかも行き先はほとんどが名古屋。おそらく、最近絶好調のトヨタのお膝元だからではないかとのこと。

今にして思うと、宇崎竜童の曲は、あれほど流行ったにもかかわらず極めつけに風変わりだった気がする。何というか、ジャズやフォークやロック(特にビートルズ)やラテンなどとのつながりがとても薄く、そういう音楽をありがたいと思ったことが一度もないのではないかとカネゴン夢想してしまう。今時のたいていの音楽は、それを聴けば作曲家がどんな音楽を尊敬しているのかが何となくわかるものだけど、宇崎竜童の場合それが何なのかが皆目見当がつかず、謎は深まるばかり。逆にこの作風を他人が真似ることはほぼ不可能なぐらいオリジナリティが凄いということなのだけど。

遅ればせながら、祝・「ドラゴン桜」講談社漫画賞受賞

この漫画も、他の作家が真似ることはほぼ不可能。アーティスティックなものへの憧れを隠し切れない日本のほとんどの漫画家は、この漫画の素朴かつストレートな比喩表現を真似しようとしても恥ずかしさに負けてしまうと思う【恥なら負けぬおれカネゴン】。しかしこれを乗り越えないと、この類まれなる説得力とわかりやすさは生まれない。想像するしかないのだけど、作者は漫画そのものにはあまり関心がないのではないかという気がしてしまう。そして宇崎竜童と同じく、どんな漫画に関心があるのかがさっぱり読めず、それでいて紛れもなくプロフェッショナルなのがいい。

# namcat 『兄(生き別れ)です。
飛行機って意外とたわんだりゆがんだりしてます。初めて乗ったときは主翼がたわむのをみて、結構びびりましたが。
世の中にはこういう着陸↓をする飛行機もありますから、
まあジョイントのさびくらいしゃれです。しゃれ。(w
http://youkanman.com/archives/200505/30-1926.php』

# うりかねぐん 『うう怖ー!と言いつつ爆笑しました。音響効果が最高です。
主観的にはこのぐらいびびりました。』

# kitou 『コメント欄でははじめまして。うちの弟は、ホームステイ先に向かう行きの飛行機にて、機内上映で例のトワイライトゾーンが流れてたと言ってました。なかなか美しい出会い方をしたものだと感心しています。』

# うりかねぐん 『粋な計らいですね。「エアポート77」とかその手の映画の機内上映は禁じ手かと思ってました。』

2005年06月02日(木)

身内が亡くなったため実家に帰ります。

2005年06月01日(水)

今日の頭音(Key=Am)

ルン ルン ルン ルン アサヒペン

ルン ルン ルン ルン アサヒペン

家庭塗料はアサヒペン

何にも変わりませんでした【やはりおぬしはおれカネゴン】。

適当にカレーを作ってみた。カネゴンは煮物について勘が働かないので、これまではどんな食材でも炒めて済ませてしまっていたのだけど、勇気を出してヤマカン勝負したら意外にまともになった。

「暗黒神話」(アニメ)の海外での評判。「出来の悪いクリスティかドイル」はとても正直な意見。想像するしかないけど、Masterキートンもすれっからしのミステリマニアからは全然大したことないと思われていたりして【読まずに言うとるおれカネゴン】。

今月の日経サイエンスで一番よかったのは「動物の経済学」みたいな特集。数々の実験から、猿も義理と人情をベースにさまざまなトレーディング(見返りの要求)を行うことがわかってきたとのこと。猿同士の親しさによってパターンが変わってくるとか。

もう一つ面白かったのが、猿もかわいいものが大好きだということ。メスに赤ちゃんが生まれると、他のメスはかわいい赤ちゃん見たさに覗き込もうとするのだけど、そのままでは見せてもらえず、赤ちゃんの母親であるメスの毛づくろいをやってあげないといけないらしい。見せてもらうまでに必要な毛づくろいの時間は、メス同士の親しさによって異なる(親しみが薄いほど長時間になる)。

ささいなことなのだけど、同誌の55ページにあった、見返りを要求する猿の上目遣いの表情があまりに絶妙でカネゴン腹を抱えてしまった。漫画でこのおかしさを表現できていたのは、知ってる限りでは楳図かずおの「まことちゃん」だけ。

熱から直接電気を起こせる高温用熱電発電モジュール

ベルチェペルチェ素子とちょうど逆の動作みたい。吾妻ひでおの「銀河放浪」に、薪を燃やしてその熱で動くロボットが登場していたけど、ゴミでも何でもがんがん燃やしてそれと同じものを実現できるかもしれない【臭うてたまらぬおれカネゴン】。

ついでに見つけた快眠ベッド

ケラと加藤賢崇のDEVO対談

久しぶりに日記を書くと、何だかすごくぎこちない。

米国映画の興行収入減少傾向止まらず。この際関係者は一人残らず真面目に働いて暮らすことにしたら駄目なのだろうか。

長らく使い方がよくわからなかったはてなブックマークだけど、この日記のメモがわりに使用することを覚えて俄然はまる。大勢の人が取り上げているURLはたぶんこの日記には書かない。

# ゆうは 『「ペルチェ」すかね?「べ」じゃなくて。

http://www.ohmdenki.com/boxcool/catalog/peltier.htm
http://e-words.jp/a/E3839AE383ABE38381E382A7.html』

# うりかねぐん 『またやっちまいました。ありがとうございます。』

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