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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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2006年 【今月】
昨日CATVで放映していたGメン75にゲスト出演していたベテラン俳優長門勇がしびれるほどに格好よくて驚く。これほどかっこいい中年男を見たのは何年ぶりだろう【記憶が飛ぶとはおれカネゴン】。しかしカネゴンはどこで間違えたのか、家人にこれは長門裕之だと大嘘を教えてしまった【やはりおぬしはおれカネゴン】ので先ほど訂正。確かに顔も妙に似ているのだけど。うう。
喪失と獲得―進化心理学から見た心と体。ちょうど森山さんも「日経サイエンス」でこの本をレビューしていた。
実はぼくたちも失うことで何かを新たに獲得しているのかもしれない。
もしかすると、色川武大が手を変え品を変え長年主張してきたことがやっと定式化されようとしているのかもしれない【何か言うたかおれカネゴン】。ここでその主張をコンパクトに書くのが難しいのだけど、色川武大がたとえば「人生は9勝6敗」だとか「何かを得るためには別のものを手放さないといけない」と書いてきたことが、どういうわけか一般には単なる「癒し系」として受け止められることが多いように思える。しかしカネゴンアイには、むしろそれが人間ごときにはどうやっても変えることのできない、実に冷酷な法則であることを繰り返し言及しているように見える。経済学で言う機会費用もその一端を説明しているけれど、彼の主張はもっと普遍性が高い。彼は科学者ではなかったので科学の言葉で表すことができなかったのだけど、もしそれがあればきっとこんな本を書いたに違いないと読んでもいないうちからカネゴン仮定法を繰り出すことにする【すべては仮定のおれカネゴン】。
本人がいみじくも「色川武大という名前では、人間の力ではどうしようもないことを書くことが多かった」と語っていたけれど、人間の力ではどうしようもないということは、物理法則に限りなく近いということでもある。いやむしろ物理法則そのものだと思う。物理法則は人間に愛想を振りまくことは決してない。こういう人間にはどうしようもないテーマの中でも「時間」とか「病気」とか「死」は誰にでも目に付くのでお題にされやすいけど、彼が常にこだわったのはもっとダイナミックで恐ろしい普遍性だったりする。
私の旧約聖書でカネゴンが心底震え上がったのは、イスラエルの民はどう転んでもすべてを手に入れることができなかったという独特の解釈。エジプトでは衣食住には困らなかったが、奴隷につき主体性を持てなかった。砂漠に脱出してからは主体性を獲得できたが明日のご飯にも困るありさま。そしてやっとカナンの地を侵略して定住したら、今度は心を失ってしまった(てんでに偶像を拝み始めた)。この普遍性はカネゴンには恐ろしすぎる【ちびりそうとはおれカネゴン】。
ピアニスターHIROSHIの通信ピアノ講座をちょっとだけ検討中。
見に行った人の話によると、ピアニスターHIROSHI氏はそのふざけた芸風のためピアニスト協会から「ピアニスト」を名乗ることを禁じられたので仕方なくピアニスターと名乗っているとのこと。そっちは多分ネタだと思うけど、先日久々に読み返した「もてない男」によると、つい近年まで「源氏物語は古来女性のズリネタとして機能していたかどうか」という研究テーマはタブーはおろか誰も研究しようとすらしていなかったとあり、そういうことがありえるのならピアニスター氏の方ももしかすると本当だったりするのかもしれないと一瞬思えた。
日付間違ってました。
ソフトウェアの技術者は危機管理のプロではあるが、編集のプロではなかった。
全然関係ないのだけど、教育は、(たとえ全面的ではないにしても)どこかで個体発生が系統発生を繰り返すことをせざるを得ないような気がする。つまり、子供も大人も学ばなければいけないことが年々増えていくわけで、未来に進めば進むほど人類揃って青息吐息になることはもう目に見えている。脳を簡単に拡張できない以上、今よりさらにモラトリアムが進んで40才にならないと成人になれなくなったりして。喜国雅彦の4コマ漫画で「10万年後の歴史の教科書が死ぬほど分厚くなっている」というのがあったけど、人類がこのまま間引きもせずに前に進んでしまったらあらゆる面で本当にそうなってしまいそうで怖い。
電磁気学も計算理論も知らなくてもコンピュータが使えるようになってきたように、第一次産業の従事者がどんどん集約され減少するように、開発が進むに連れて下の層がどんどん抽象化されないがしろにされていく流れはもう止めようがないけれど、保険としてどこかで歴史を押さえておかないとある日突然世界の下の層が崩壊してしまうあかつきに頭を抱えてしまうことになりはしないだろうか【待っておるのかおれカネゴン】。歴史を押さえるということは「いつでも昔に戻れるように備える」ということでもあるわけで、普段はクーラーの効いた部屋で快適に暮らしていても、いざ出エジプト記みたいな非常事態となったらいつでもスクラップを集めてバイクを組み立てたり、昆虫を栄養源として活用したり、足軽の血を呼び覚まし性の野獣となって大暴れできるいうことなのだと思う。心配しなくてもタフな人類は自動的にそうなるだろうからカネゴンが気を遣う必要はないだろうけど【取って喰われるおれカネゴン】。
自宅からそう遠くないところにある松屋はその場で死んでしまいそうなぐらいうまいのに、先日中野坂上で食べた松屋はまったくそうでなかった。吉野家と違い、調理法が店の裁量に任されているのかもしれないと推測。
時間があったら今度こそ超時空世紀オーガス02を見ようかと思う。
各所で話題の「リスク管理はしっかりと」。
PukiWikiで論文だって書けちゃうがまとまっていて便利【書いてはならぬおれカネゴン】。後はgnuplotをPukiwikiで使えるようになれば。この間のSmartdoc.inc.phpをちょっと改造したら作れそうな気が。
たまっていたリンクをメモ。
オーストラリア原住民ムルンギン族の婚姻体系は群を形成している。皇室典範でもこれを採用するというのは如何【バチが当たりておれカネゴン】。
カネゴンのデスクトップを飾った幾多の写真を提供してくれたハッブル望遠鏡が廃棄。
心の研究所「オックスフォード精神科学センター(OXSCOM)」開設。
対象者の皮膚にトウガラシを当てて痛みを引き起こし、宗教的シンボルを見せて、痛みが和らぐかどうかを調べる実験などが検討されている。
新型の魔女裁判だったりしたらどうしよう。
いわゆる若気の至りの中で比較的まともなものとして、何かを説明するために別の説明を持ち出し、それをまた説明するために別の説明を持ち出し、と無限後退を繰り返す大人の論理に嫌悪感を感じるというものがあるけれど【覚えがあるとはおれカネゴン】、無限後退を止めるにはどこかに絶対者というものを置かざるを得ないのかもしれないと思っていた。いつも心に絶対者。
磁壁の電流駆動の微視的理論。カネゴン実は密かに磁気バブルメモリを応援し続けているので【掛け声だけとはおれカネゴン】、今後が楽しみ。
2/1から国立天文台がCG宇宙地図を公開。今のところ三鷹への交通と構内地図以外に地図はなさそう。
Merry X'mas Show 2。カネゴンもこれをたまたま目にして度肝を抜かれた覚えがあり、特に、桑田圭祐やサンプラザ中野たちがアカペラで歌う「Take Five」の替え歌が凄かった。歌詞は本当に断片的にしか覚えていなかったのだけど、検索したらGoogleの鍋底に残っていた。今見直すと何とも格調高い猥歌で、さすが桑田圭祐と思わせる。ついでに鍋底で微妙に違うキャプチャも発見。
いんちき心理学研究所。巡回決定。
有名な説だけど、30年前に月に立った人類は、なぜその後、月へは行けない(かない)のか?。
彼は宇宙計画にも寿命があることを示し、今のうちに火星に移住させる必要があることを主張している。そして、私たちが太陽系に自活できる移住地を築けば、人類のカタストロフィーに対して保険をかけたことになると。そして、その時期は今をおいて他にないというのだ。
笑いは身体にいいとよく言うけれど、特に一発ギャグについては同じネタを繰り返し聞かされるとだんだん苦痛を通り越して怒りすら感じられるようになることから考えて、必ずしもそうとは言えないのかもしれないと思えてくる【実践するとはおれカネゴン】。こういうときに脳に何が起こっているのかはまだ脳科学者によって研究されていないのだろうか。
何となくだけど、脳内の論理配置において一種の「笑い空間」のようなものがあると仮定する。また、すべての笑いを扱うのは困難なので、一発ギャグに限定しておく。話はそれるけど、空間であるからには距離も定義されるのだと思う(空間なら距離が定義されるとは限らないとのご指摘。失礼しました)。脳に記憶されている要素を接続するまっとうな連想関係が脳内にあるとし(そういうものに物理的な実体があるわけではないだろうけど)、これをAとする。すべての要素を残らず網状に結んだ場合の組み合わせ(すべての連想の組み合わせ)の数をUとすると、Uは要素の個数をnとするとたぶんn(n-1)/2個みたいな感じになるのではないかと思う。その場合、U-AつまりAの補集合がおそらく「笑い空間」になるのではないかと【おっかなびっくりおれカネゴン】。そしてこの笑い空間で、これまで接続されていなかった経路が成立することで笑いが生じるものとする。笑いの大きさは距離に比例する。つまり、なるべく関係なさそうなもの(距離の大きいもの)同士を接続する方が、(成功した場合に限るけど)笑いの度合いが大きくなる。
ここでn(n-1)/2はたかだかnの2乗のオーダーなので、Uは思ったほど大きくない(大きいと考える人もいるだろうけど)。そしてAの補集合である笑い空間の中には面白くも何ともない無効な組み合わせも相当数あるはずなので、実際に有効な笑い空間はさらに狭い範囲なのだろうと想像できる。なお、こんな××はいやだというパターンに一度慣れてしまうと、××に何を入れても笑えなくなってしまうことからして、笑い空間においては要素が重要なのではなく連想関係というか構造の方が重要であることがわかる。関係ないけど、この掲示板にあったタイトルの中に「の」を入れると大ヒットするは個人的にツボにはまった。
このことから考えて、笑い空間(あくまで笑わせる側ではなくて笑う側のだけど)は限りある貴重な資源であり、世代が交代するに連れてリセットされるとは言え、サンタクロースが実在しないことを早くに悟る子供が急増していることからわかるように、次の世代に進むに連れてもっと効率よく急速に笑い空間を消費することは目に見えている。それを補うには要素nを増やす、つまり普段とはまったく違う分野についての知識を次々に得るのがおそらく効果的なのだけど、脳もそこまでタフではないだろうからどこかでやんわりと上限に突き当たることも十分考えられる。もしかすると、iPodをはじめとするあらゆるハイテク機器に囲まれた未来の人類は、笑いを取ろうとして必死に話しかけても乾いたためいきしか返ってこないようなすれっからしになってしまったりするのだろうか。もしかするとローマ帝国が滅びたのも笑い空間の過剰な消費が原因だったりしたのだろうか【歴史を改竄おれカネゴン】。
スターウォーズを70数回見た人や初代ガンダムのLDを繰り返し見る人はいるけれど、スネークマンショーを繰り返し聞く人は想像しにくい。その一方で古今亭志ん生のCDを繰り返し聞く人は大勢いるし、三谷幸喜の作品も繰り返しの鑑賞に耐えられそうに思える。こちらの方は、おそらく一発ギャグとは異なるもの(共感とか普遍性とか笑いの追体験とか)によって成立しているのだろうと何となく思うことにする。
今引用した文献にあった記述:
ビザンチン帝国でも医学の中心はアレキサンドリアにありましたが、医師は飽食して研究も臨床の現場にも手を出さず、傍らにガレンの書物を置き「ガレンはこう言っている」と声高らかに読み上げるだけで、実際の仕事は奴隷医師にさせていました。
何だか、社員がマネージャーだけで占められていて、実作業をアウトソースしまくっている米国大手企業みたい。
知っておきたかったこと。こうしている今も笑い空間がざくざくと消費される一方で、これまで無数に繰り返されてきた「若さゆえの過ち」を少しでも軽減するためにポール・グラハムが集積してくれた、若い人向けの本当に役に立つ知恵のかたまり。カネゴンとしては妖精現実さんの文章とともにうらおもて人生録の巻末にぜひ追加したい。書いてあることがもう痛いほどうなずける【心当たりがおれカネゴン】。
- 今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、みんな同じなんだ。自分を律するということをほとんどしない。延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようとしても全くの無駄だ。(中略)自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの自律心は必要だ。ぼくも時々、走るのが面倒だなあと思うけれど、一度走り出せばあとは楽しめる。(中略)ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、自律心は必要なくなるんだ。
- 偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと言っている。ただ他の生徒より高い点数をとれたから選択しただけだったと。後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
- 悪いモデルに気をつけよう。特に怠けることを肯定するようなものにね。ぼくは高校生の時に、有名作家がやっているような「実存主義的」短篇小説をいくつか書いたことがある。そういうものっていうのは、読んで面白い小説を書くよりも、たぶん簡単だ。これは危険信号なんだ。そのことを知っているべきだった。実際、ぼくが書いたものはどれも退屈だった。ただ、有名作家みたいに知的で厳粛なものを書くっていうことがすごいことに思えてただけだったんだ。
- じゃあどうしようかね。ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。ぼくは反抗した。それは間違いだった。ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、なにか臭いものを感じていた。だから全部投げ出したんだ。世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
- 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。ごまかしがたくさんあるからだ。
窓使いの憂鬱をインストール後、動作が何だか挙動不審(押してもいないのにCtrlキーが押しっぱなしになるなど)だと思ったら、トップページからダウンロードできるバージョンはXPでは動かないことが判明。慌てて削除すると初めてのブルースクリーン。うう。
この間からxyzzyで日記を書いているため、カスタマイズ無間地獄にずぶずぶ【悪女に入れ込むおれカネゴン】。それでも、純粋なemacsよりもフォントの設定やら何やらははるかに素直なので(ちょっとだけ)助かります。
PukiWikiでSmartDoc形式のファイルを生成するプラグインsmartdoc.inc.phpにちょっと細工をして、mimetexで表示されるLaTex数式をSmartDocに出力されるようにしてみた【素人芸とはおれカネゴン】。元がGPLなのだけど、PHPだからそのまま掲載してもよさそうなので公開します。ソースのバージョンとか何にも管理してません。また、インラインの数式については対応の仕方がわからない(SmartDoc側が対応していないらしい)のでやっていません。実はLatex環境がまだないので、出力が本当に正しいかどうか知りません。
数式を書き込める掲示板(サンプル)。阿部紀行さんのサイトからダウンロードできる。
ヲタの会話にありがちなこと【慌てて直すおれカネゴン】。
カスタマイズ無間地獄に落ちる【今朝は寝不足おれカネゴン】。すべてxyzzyが悪い。
悔しいけどxyzzyは確かに軽く、migemo(dllには少し問題があるけど)と辞書検索が使える。唯一困るのがキーバインドで、デフォルトではコピーペーストのキー割り当てがむちゃくちゃ。せっかくHHK"なのだから◇キーを使いたいのだけど、窓使いの憂鬱とかいうツールを使ってキー配列を作り直さないといけないらしい。実はこのリンク先でどこをクリックしたらダウンロードできるのかわからず、さんざん探し回ったら最初のページの一番トップにでかでかと示してあり、のけぞる。
いったいいつまでこの書籍流通システムは続くのだろう。そういう既存システムの停滞orデフラグを恨みっこなしで覆しリブートする役割を期待されるのが各種の大規模自然災害or致死性疫病or人災だったりしたらどうしよう。一部の人がこんなチャンスを逃す手はないと色めきたったりしたらどうしよう。
バージョン管理システムのWindows用フロントエンドTortoiseSVN。バージョン管理システムはどれもこれも心底ややこしいのだけど、バージョン管理という作業自体が本質的にややこしいのでこれ以上使いやすくできないということでいいのだろうか。
きちんとベッドメークするとかえってダニが増える。その一方で、顔ダニで脅してちゃっかり商売するケースが最近後をたたないらしい。試しに人間の全身からあらゆるダニ/寄生虫/その他パラサイトの類をきれいさっぱり除去したら身体のコンディションが激変して頓死したりするのではないかと勝手に予測。
居間の窓のアルミサッシの中から、ときどき「カリカリ、カリカリ」と不審な音がするようになる。サッシを叩くと音がし、しばらくすると止まる。しかも音が移動している【恐怖で顔がおれカネゴン】。
Firefoxにmozex拡張機能をインストールしてWikiのテキストボックスをエディタで編集できるようにし、エディタをMeadow2に設定したのだけど、Meadowの起動があまりに遅くて頭を抱える。しかもmigemo(インクリメンタル検索)の挙動がknoppix+xemacs21と違っていて使いにくい。カネゴンとしてはmigemoと辞書検索とwiki-modeが使える軽いエディタならもう何でもいいのだけど、(vi系を除けば)条件に合いそうなのはxyzzyぐらいしかない。でもここで乗り換えるとまたしてもカスタマイズ無間地獄に陥りそうで、そういう無駄な時間を何とかして節約したい【先が短いおれカネゴン】。それともサクラエディタがいいのだろうか。うう。
とりあえずxyzzyとサクラエディタを両天秤にかけながら導入。xyzzyで使うmigemo.lファイルが作者のページから失われていたので、今後使う人のためにこのページにmigemo.zipを置いておきます。
すごいJavaScript。IE必須(FireFoxでは動かなかった)。
カネゴンは聖徳太子はいなかった説のようなちゃぶ台をひっくり返す説が大好きだったりする【下世話な趣味のおれカネゴン】。ついでに日本最初の翻訳書/注釈書とおぼしき「三経義疏」も別人の作という説が。聖徳太子が最初に忍者(しかも伊賀と甲賀の先祖)を使っていたという説は、もしかすると伊賀甲賀の家系図のはったりに歴史家が引っかかったのではないかと勝手に推測。
hirax.netのどこかで見つけた金玉総合過去スレ倉庫。特に金玉を強打したときに流れるBGMでは他人様の頭音が頭蓋内に響き渡る様をつぶさに観察できる。
力が出ない。
中国企業から見た日本IT企業の理不尽な発注。実は誰もが殿様になりたいのかもしれない。
中野貴雄監督の日記がこのところ冴えに冴えまくっていて、カネゴン夢中で読んでしまう。もうカネゴンは日記をやめてここに直リンしてしまおうか【やめてもよいぞおれカネゴン】。
関係ないのだけど、以前svnseeds氏と話していて「本当に優秀な人はネットに姿を現してくれない」という点で合意したことがあったのを思い出す。ついでながら、otsuneさんが同様のテーマで書いているのをたまたま発見。
この辺は想像に過ぎないのだけど、どこかにいるであろう本当にとてつもなく能力の高い人は、ネット上の議論に巻き込まれてエネルギーを消耗するようなことを真っ先に避けるだろうから、きっとネットでずばずば本音を書いたり、さまざまな問題に対する唯一の(正しくも身の毛のよだつ)解決策を提示したりしてくれないような気がしないでもない。表現活動は、よく言えば向こう見ず、悪く言えば都合の悪い未来を見通さない能力が必須なのかもしれない。
農村の人口は多すぎるのでは。それとは別に、以前から、日本はヨーロッパの諸国に比べてやけに人口が多いのはなぜだろうという疑問がある。今はオフラインになったおやっさんによれば、米食はエネルギー効率が高いからアジアは全般に人口が多いのではないかとのこと。
カネゴンが幼少期に愛読したオカルト本に必ず登場していた水晶の髑髏は偽物だった可能性あり。記事の末尾に、何だかドラゴンボールか八犬伝みたいなことが書いてある。
なりたい職業は「プログラマー」。ところで楽器の場合、ピアノやギターはうまい人が多すぎて困ってしまったりするのだけど【最初に困るはおれカネゴン】、プログラマーの場合どうなのだろう。オンド・マルトノやトロンボーンのような志望者が殺到しないマイナーな楽器でニッチを攻める方がある意味安泰だったりするのかもしれない。いつぞや日記に書いたけど、ひところのハリウッド映画に松井和氏の尺八が出ずっぱりだった頃があったみたいに。
頭脳労働にしろ肉体労働にしろ、習熟度が高まるにつれて脳の活動量は低くなる。近頃これをひしひしと痛感してしまう。来る日も来る日も同じことを繰り返しているうちに脳が動的に整理され、発熱量が下がるというこの過程そのものが、実は脳の老化だったりして。
続き。病院wikiに置いてあったSmartdoc.inc.phpをダウンロードして使ってみたらあっさり動いてくれた。このサイトには手製らしきwiki2pdfもあり、ベータ版ながら一応動いている様子。
返す刀でmimetex.inc.phpもPukiWikiにインストール。こちらは即動いた。そのままではwww.forkosh.comに毎回レンダリングを要求してしまい、遅い上に申し訳ないので、www.forkosh.comに置いてあるWindows用のコンパイル済みバイナリを取ってきて、apacheのディレクトリに適当に放り込んだらこれもすんなり動く。だんだん必要なものが揃い始めてきた感じ【揃いはすれどもおれカネゴン】。
13日の木曜日。
メモ: wikiで論文を作成しよう。前にもメモしたような。関連するものとしてPukiWiki関連ツールとブラウザのテキストエリアを任意のエディタで編集する方法【何が始まるおれカネゴン】。
Windows XPで何とかPukiWikiを動くようにできたものの、SmartDoc変換の一番下に添付されているsmartdoc.inc.phpファイルをダウンロードできず、はまる。別のページで同じようなものを見つけてpluginフォルダに放り込んだら、こちらはエラーで動かず。うう。
読書記録ChangeLogで、マスターキートンの原作者である勝鹿北星氏が亡くなっていたことを知り、衝撃。
もしかするととても爺臭いことを言っているのかもしれないけど、こうやって正体不明のまま名を残す人がいてもいいと思う。彼のいくつかの筆名から、カネゴンは「正体は追求しないでくれ」というメッセージを勝手に読み取ったので、今後も追求しません【おぬしはそのうちおれカネゴン】。
麻雀で何年ぶりかでトップを取る【災厄招来おれカネゴン】。
大昔に小松左京が対談で「昔は死刑は民衆の最大の娯楽だったんですよ。いい死刑が少ないと暴動が起きたぐらいで(笑)。詩人のバイロンも、愛人と死刑を見物しに行っては情欲を燃え上がらせたぐらいだし。今は何でそうでなくなったかというと、映画ができたから(笑)。」みたいなことを言っていて、カネゴン深く納得したことがあった【細部はあいまいおれカネゴン】。
本日漫画三昧。
先日薬局で受け取り待ちの間に読んだ生薬の写真集(本のタイトル失念)がかなり面白かった。生姜や薄荷や山椒などはわかるのだけど、なぜか米、小麦、大麦、竹までが生薬として分類されていたことに驚く。米の薬効は確か「筋骨が逞しくなる」だった。
池田理代子「女帝エカテリーナ」を初めて読み、スケールの大きい、どす黒いまでの権力争いに一気に惹き込まれる。一代で権力の頂点に立つにはどんな芸術家や格闘家よりも極端な才能が必要なこと、国家を保つためにスパイが不可欠であること、どんなに優れた親であってももできの悪い子供が生まれる可能性は常にあることなどを知る。仁義なき戦いや野望の王国、そしてどおくまんの一連の漫画や三国志などと併せて鑑賞すれば、人類が最も盛り上がれるイベントは今も昔も国盗りであることを嫌が上にも痛感できそう。なお主人公のエカテリーナ2世はオイラーのスポンサーでもあったのだけど漫画にはオイラーは登場せず。
星野之宣の「未来の二つの顔」(原作はJ.P.ホーガン)を初めて通読。カネゴンは、初期のブルーシティがいつまでたっても完結せず、待ちくたびれてしまって以来この人の漫画を買ったことがなかったので本当に久しぶり。コンピュータが人間に反乱できるかどうか実験したら本当に反乱してしまったという、絵に描いたようなSF。この種のSFは陳腐化が激しくて困ると作者もあとがきで書いていたけど、本当にそうであることを痛感。星野之宣はとても正統っぽいけどあんまり頓知を感じさせないせいか今でもカネゴンには何だか食指がわかない。
これまで所々しか読んでいなかった「実験人形ダミー・オスカー」を初めて一気読み。長期連載のため叶精作の絵柄の変遷著しく、初期は究極に泥臭かった絵柄がいつの間にかすっきりしていくプロセスが面白い。絵の質がアシスタントによって左右されやすいところがはらはらさせる。登場人物がほぼ全員気が狂っているのは他の小池原作と同じで、人物設定が突然豹変したり(オスカーの二重人格のことではなく)、いきなり説教臭くなったりと意外に一貫しない。
斬殺者を半分だけ読む(ばら売りだったので)。福本伸行に影響したのではないかとカネゴンが勝手に想像している梶原一騎独特の体言止め台詞回しは意外にも時代劇にぴったりはまっていて、もっと時代劇を書いて欲しかったと思わせる。人物設定も完成度が高く(その後の原作でもたびたび流用されているらしい)、梶原一騎が実は「自覚のないキリスト教者」であることに改めて気付かされた。漫画ゴラク編集者が書いたあとがきが泣かせる。
会社を休んで病院に。
古本屋で岡崎二郎「緑の黙示録」を見かけて無条件購入【他にも買ったおれカネゴン】。広大な知識のみならず、それを見事に竹を割ったような明快なSFに仕立て上げる手腕は相変わらず凄い。エコロジー一色な話になりそうでならないところも見事。
ところで、ろくでもないことをしでかした人間に相応の罰が当たるのを見ると人はなぜスカッとするのだろう。そして、悪人(とされる人)が幸せに暮らしていたり、何もしてない(と思われる)人がひどい目に遭ったりするとなぜ心が穏やかでなくなるのだろう。現実の世界は複雑すぎて罰当たりの因果関係がこのようにはっきり現れることはまずないので、こういうものを見かけることがあるとすれば常に映画やお話などのようなシリアライズされた世界に限られるのだけど。現実の世界できれいに他人に罰が当たるところを見かけるようなことがもしあるとしたら、おそらくそれはカネゴンたちがそういう部分にしか視線を集中していないからなのかもしれないとふと思ったりする。観測問題ってそういうことかと思ってました。
先日の焼肉のときに教えていただいた話をメモ。現代音楽の作曲家であるブーレーズは権力志向が強く、同業の今は亡きクセナキスをつぶそうとしたこともあったとか。なぜか東京ディズニーランドの敷地内でコンサートを行ったことがあり、演奏時間にあのエレクトリックパレードが重なることを知り、会場側がパレード中止に応じなかったために、フランス大使館などに電話をかけまくって国家権力を動員してまでパレードを中止させたこともあったらしい【裏付け取らないおれカネゴン】。
結城さんの情報ページで知ったanswers.com。一種のメタ検索で、主な情報源はWikiPediaらしいのだけど、見せ方がとてもきれいでうまく、Googleがくやしがりそうな完成度。英英辞典として使うだけでもとても重宝しそう。
DOSの経験に乏しいカネゴンのためにあるようなDOS/Vコマンドリファレンス。ところで、Windows3.51をいまどきの高速なPCにインストールしてドライバをもれなく組み込める人はどのぐらいいるのだろうか【はまっておるとはおれカネゴン】。
新しいメールクライアントであるThunderbirdに過去のメール(mutt)をどうやってインポートするかで悩む。とりあえず過去メールをcatで巨大なテキストファイルにまとめたのがあるのだけど、そのままではインポートできなさそう。とここで、公式サイトで「ThunderbirdのメールはUnixのmbox形式と同じ」という記述を見かけたので、ためしにこれをメールディレクトリ(C:\Documents and Settings\<プロファイル>\Application Data\Thunderbird\Profiles\<プロファイル>\<適当なディレクトリ>\Mail\<メールアカウント名>)に置いてThunderbirdを起動してみると、別フォルダとしてあっさり読み込んでくれた。この時点では全部のメールが一つに固まってしまっているけど構わない。後はThunderbirdがテキストを切り分けられるように偽のデリミタをこの巨大テキストファイルに挿入するだけ。
最初WZEditorで置換しようとしたら、ファイルが巨大すぎて何度やっても保存できずにフリーズする。次にmeadow2で試すと、今度は何の問題もなくスムーズに保存できたので感激。ずっと以前も日記に書いたのだけど、テキストエディタは巨大ファイルを開いたときに真価が問われることを痛感。かくして偽デリミタを挿入し、インポートに成功。mbox形式なので、後で他のメールクライアントに移行するときもやりやすそう。その代わり1ファイルなので吹っ飛んだらおしまいだけど。
そのmeadow2が何だかえらく使いにくいと思ったら、カット/コピー/ペーストが専用キーに割り当てられていた。カネゴンはHHKなので急遽キーバインドを変更しようと思ったら、そのための設定が既にメニューに含まれていることに気付いて感激【安い感激おれカネゴン】。
WindowsでCVSサーバとクライアントを使うを見よう見まねで試す。よく見たら元情報は結城さん。こうなるとcoLinuxの出番がますます少なくなってしまいそう。
以前meadow(Windowsで動く万能エディタemacs)をインストールしたとき、フォント表示のあまりの汚さと設定の面倒臭さに即放棄したことがあった。どうしてもmigemo(日本語インクリメンタル検索)を使いたくて仕方なく今回meadow2を導入してみたのだけど、ネット上の設定情報はmeadow1.xのものがほとんどで、しかも環境に依存しまくっていて、フォントを変更するだけのことで大騒ぎとなる。
このときたまたま設定済み Meadow を使ってみようを見つけたのでインストールしてみるとこれが実に快適。migemoもrubyではなくC言語で書かれたdllが導入されているし、うらめしいほどファイルの多いcigwin(Windows上のunix環境)に依存していないので単体でインストールして即使えるというのがありがたい。特に必要ではなかったけどメニューもすべて日本語化されているし、肝心のフォントもShift+マウス左クリックで即選択でき、しかもその設定がその場で保存される。何もかも既に設定済みなので、普通ならすぐ汚くなってしまう.emacsファイル(設定ファイル)に何も書き込まれておらず、とても気持ちがいい。その代わり素のmeadowよりも大分重いけど致し方なし。meadowを初めて使う人はもちろん、meadowを既に使っている人でもこれに入れ替え、ここから余分な機能を削除する方がいいかもしれない。
追記: 昨年5月の自分の日記に「設定済み Meadow を使ってみよう」のことが既にメモされていたことに後から気付いた【モズのはやにえおれカネゴン】。うう。
カネゴンはむしろ積極的に単純労働機械になりたい方だったりするので、この辺がプログラマーに向いていない理由なのだと思う【奴隷体質おれカネゴン】。.emacsファイルも、できれば何も書き込まずにいたい。各種のアドホックな環境設定をぎっしり生い茂げらせてしまうより、いつでも最小限の手間で最初から環境を再構築できる方がよかったりする。人間社会でも、たとえば行政なんかは、構造改革みたいな応急処置で延命させるよりも、蒔くだけでいつでも最初からやり直せる一種の「社会の種」(同様に「会社の種」や「学校の種」)みたいなものができないかとつい考えてしまう。そういうものができるには後10万年ぐらいはかかりそうだけど。なので上の「設定済みMeadow」のような、環境が変わるたびに一から設定をやり直さずに済むような合理化は歓迎します。
プログラミングのための線形代数を、読んだとはとても言えないほどの速度で飛ばし読み(この種の本は手を動かしながらでないと読んだことにならない)。相変わらずついていけないカネゴンだけど、本の書かれ方がかなり変わっていて非常に面白かった。本書の特徴に既に書かれているけど、「わかった気になる入門書」でもなく「証明を書き連ねた専門書」でもない本にするために非常に苦心した跡がうかがえる。カネゴンが間違えそうな部分をすっかり見通して先回りしたかのような大量の脚注やコメントが的確に挿入されていて、実際に授業を受けているような錯覚すら覚えてしまう。数学と数値計算は根本的に異なるものであり、「数値計算は最終的には専門家にお願いしないと危ない」とも書かれていた。カネゴンだけだと思うのだけど「プロをなめるな」と叱り飛ばされたような心持ち【恐れ入るべしおれカネゴン】。
今から2000年もすれば、「長谷川町子生誕2000年記念の休日」とか「ディズニー創立2000年記念の休日」などが林立し、働く日がほとんどなくなったりするだろうか【明日から仕事のおれカネゴン】。
例年のごとく紅白を見る【案外見ているおれカネゴン】。初めてマツケンサンバを映像付きで見て一発でシビレてしまう。いや、本当にいい曲。ちょっと類を見ない壮大なグランドフィナーレ感が実に素晴らしく、臨終間際または人類の歴史が終わる最後の瞬間を飾る音楽としてもふさわしい【正月早々おれカネゴン】。