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人生を捨ててる気分であった:破滅型作家のRoom/有城佳音:So-net blog
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人生を捨ててる気分であった [本~雨のように、きこえるの背景]

本を捨てられないのである。
捨てられないだけでなく、踏むこともできないのである。
自分の胸の奥を踏みつけたような気分になるのである。
猫も踏めないし、女も踏めないのである。しかし、ときどき、虎の尾を踏むのである。

(どれくらい怖いのか試したくなるのである)
そして、お茶目ではあるが、うだつのあがらない人生になるのである。
(なんの話だ)

一度本を捨てたことがあるのである。
(横浜に来る前日である)
意識朦朧とする『くるくる』を抱え、町を抜け出さなければならなかったのである。
まったく、世話の焼ける女である。
(無駄に、命賭けるからである)
次の人生に向かわねば、「人生の閉店」になりかねん状況である。
引越しなどと、洒落てる場合ではないのである。
(人生にはそういう瞬間があるのである)

家財道具の一切合財を一晩かけてゴミ捨て場に運んだのである。
それはまるで、自分の人生を捨ててるような気分であった。
夜が明けてくると、ゴミ捨て場に、俺たちの部屋が出来上がったのである。
しとしと雨が降っていて、
屋根も天井も主もいないお茶の間は、とても物哀しい風情であった。

もちろん、俺の本も堆く積み上げられていたのである。
通勤・通学の人々は、ふと足をとめて、屈みこみ、パラパラ眺めるのである。
それは、俺の脳味噌をぶちまけてしまったような、
恥ずかしいというか、哀しいというか、せつないというか、
ようするに、そんな感情を、鍋に放り込んで、煮つめたような気分であった。

人々は、気に入ったものを持っていってくれるわけだが、
それは、救われたような気分でもあり、
自分の女が連れ去られるような気分でもあり、
かと言って、奪い返したとしても、自分にはどうしてやれるわけではないのである。
俺は罪滅ぼしのように、しと降る雨に濡れているだけであった。
コトコト煮詰めた感情は、「自分の無力」のフレーバーであった。

とっても寒い、どうすればいいかまったくわからない20世紀最後の冬である。
その世紀の最後の最後、俺の本が、出版されるのだが、
それも、脳味噌をぶちまけたような複雑な気分であった。
(命が繋がったのは、「くるくる」が一緒に死のうとした一枚のフロッピーディスクのおかげである)6/12
            Websiteアダムノ林檎に掲載した日記の2日遅れの掲載になっておりますb12-color.jpg
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