第60話 さようなら……みんな……
ガキンと激しい音が鳴り響いた瞬間、サビーナはセヴェリの背中を押し出した。
「今ですっ!!」
セヴェリは目の前につけられていた馬に飛び乗り、サビーナもまたそれに続く。即座にセヴェリが馬を走らせた。振り返ると、デニスがシェスカルに攻め込まれている。
「デニスさんっ!!」
「行けッ!! サビーナ!! 行けぇーーーーッ!!」
こちらを向きもせずに叫ぶデニス。
セヴェリはグンと馬の速度を上げた。リックバルドとリカルドの合間をすり抜けて、包囲網から脱出する。
「デニスさんーーーーっ!!!!」
たまらずに溢れた涙が、風に乗って飛んだ。
死なないで、と声にならない声が漏れ出る。
だが、悲しみに暮れる暇などなかった。クラメルの騎士が二名、それにキアリカとサイラスが後ろから迫ってきている。
サビーナは剣を抜き取り、ものすごい勢いで追いついてきたクラメルの騎士の馬の目を狙う。
剣を当てられ視界を半分失った馬は前のめりに地面に突っ込み、騎士は派手に落馬した。
その間にもう一人のクラメルの騎士が突っ込んでくる。繰り出された剣を受け止め、騎士の太腿を突き刺した。「ぎゃあっ」という悲鳴と共に、視界から消えて行く。
残るはキアリカとサイラス。
今の二人のようにはいかない相手だ。
サビーナは震えそうになる手を気力でグッと抑え込む。
「絶対!! 絶対、セヴェリ様は渡さないからっ!!」
そう叫ぶサビーナに、なぜか二人は悲しそうに笑った。
風を切るように走ってはいるが、それ以上スピードを出す様子は見られない。二人はそのまま馬上から声を上げた。
「セヴェリ様、どうかご無事で!」
「サビーナちゃん、頑張って! 応援してるよ!!」
え? と聞き返す間もなく、二人は失速して離れていく。豆粒程に小さくなり、そして見えなくなった時。サビーナはようやく理解した。
見逃してくれたんだ……
サビーナの胸の奥から嗚咽が漏れ出る。
思えばリックバルドとリカルドも。
間をすり抜けたというのに、動く気配がなかった。
彼らもまた、サビーナとセヴェリを見逃してくれていた。
「ふ、ふえ……ふええ、う……ひっく」
見逃してくれた喜びと、セヴェリを連れて逃げ出せた安堵と、デニスはどうなっただろうかという不安がないまぜになって、涙が勝手に溢れ出てくる。
「……サビーナ……」
そう言って速度を落としたセヴェリに、サビーナは「走って、ください……」としゃくり上げながら告げた。
追手が来ないとは限らない。特にクラメルの騎士は、血眼になってサビーナを探すことだろう。
サビーナはセヴェリを抱きしめるようにしてギュッとしがみつく。彼の背中の温もりが、セヴェリを助け出せたのだという実感を湧かせてくれる。
デニスのことを思うと胸が潰されそうになるが、サビーナにはどうしようもなく、ただ馬に揺られていた。
夜になり、サビーナとセヴェリはようやく馬から降りた。
まだ国境は遠いが、馬も休ませないとへたってしまうだろう。川べりで水を飲ませると、適当な草を食み始めた。
「すみません、なにも食べる物を持っていなくて……」
「構いませんよ。一食くらい抜いたところで、人は死にませんから」
そう言いながらセヴェリは川の水を飲んでいる。周りを警戒しながらセヴェリが飲み終えるのを確認した後、サビーナもコクリと喉を潤した。ついでに血で汚れた顔や手も、ゴシゴシと洗い落とす。
「サビーナ。これからどこへ行くつもりですか?」
「セヴェリ様がよろしければ、ラウリル公国に向かいたいと思います」
「ラウリル公国ですか」
サビーナはコクリと首肯した。
ラウリル公国は、サビーナの祖父にあたる人物が暮らしている国だ。手紙でやりとりするくらいで実は会ったこともないのだが、きっと祖父なら力を貸してくれるに違いない。
「どうしてそこに?」
「私のおじいちゃんが住んでいるんです。事情を説明すれば、きっと匿ってくれます。森の奥の小さな村なので、追手もそこまでは来ないんじゃないかと思うんです」
「わかりましたよ。じゃあ、そこに行きましょう。とりあえず今日はここで就寝ですね」
「はい、申し訳ありません」
「謝る必要はありませんよ。私を助け出してくれてありがとう……サビーナ」
二人は寒さを凌ぐため、互いに身を寄せ合って眠った。
サビーナは深く眠るつもりはなかったのだが、どっと疲れが出て闇に飲み込まれるかのように眠りに落ちてしまっていた。
朝まで追手も魔物も現れなかったのは、幸運であった。
朝起きるとすぐさま馬に乗り、南方へと向かう。
途中、小さな町を見つけて寄ってみることにした。ここまで真っ直ぐ来たので、まだこの町には帝都からの通達は届いていないだろう。
「セヴェリ様、お金は持っておられますか?」
「いいえ、馬車に乗る際に没収されてしまって。サビーナは?」
「私は……」
財布を開けてみるも、そこには五千ジェイアしかなかった。普段から財布にお金を入れない性格が災いした。
「厳しい、ですね……」
「……はい……」
たったの五千ジェイア。
馬を売ればまとまったお金は入るだろうが、まだ手放せない。せめて国境を越えるまでは馬で移動すべきだ。
「そういえば、あの時デニスになにをもらったんです?」
「え? ……あ」
そういえば別れの際、なにかを手渡されていた。その時は確認もせずにポケットの中に突っ込んでしまっていたが。
サビーナは改めて貰ったものをポケットから取り出してみる。
するとそれは、キンッと綺麗な音が奏でながら姿を現した。
「……小瓶、ですか」
セヴェリの顔が少し曇る。サビーナは慌てたが、今さらだ。もう彼はオレンジの絵柄の入った小瓶を見てしまっている。
「デニスにも、プレゼントしていたのですね」
「えっと、ち、違うんです、これは……っ」
「別に私はなにも言っていませんよ。それより、その中にはなにが入っているのですか」
言い訳したい気持ちは山ほどあったが、それを言うのは却下された気がして言葉を紡げなかった。
仕方なくサビーナは、なにも言わずに小瓶のコルクをキュポンと開ける。
すると中からは美しく輝く宝石が転がるように出てきた。
「これは……」
「ダイヤにルビー……それにエメラルドもありますね。おそらく私の父が捕まった時、私を逃すことを考えて、手持ちのお金を宝石に変えたのでしょう。お金よりも宝石の方が、足がつきにくいですから」
ジェイア通貨はほとんどの国共通だが、国によって描かれているものが違う。アンゼルード帝国で発行されているお金を使っては、足跡を残していくようなものだろう。
「デニスにしては、よく気が回りましたね」
セヴェリの言葉に多少苦笑いしつつも、その宝石を握り締める。
ありがとう、デニスさん……
どうか、無事でいて……
彼に思いを馳せると泣いてしまいそうだった。だからサビーナは、すぐにセヴェリに目を向けて微笑む。
「セヴェリ様、いくつか換金して服と食べ物を買ってきます。少しここで待って頂けますか?」
「わかりました。頼みましたよ」
セヴェリはアンゼルード帝国内では有名人なので、人のいるところには連れていけない。
サビーナは血のついた上着を脱ぎ去ると、町に向かった。
まず宝石を鑑定してもらうと、全部で二十万ジェイアほどになると教えてくれた。そのうちの三万ジェイア分を売り捌き、現金を手に入れる。
そして洋服店に向かい、目立たぬ服を購入してその場で着替えた。セヴェリの服も、申し訳ないが地味な物を選ぶ。それとフード付きマントを二つ購入した。
セヴェリのマントは顔を隠すため、サビーナのマントは髪を隠すために必要だ。
この国に深緑の髪をもつ人物はほとんどいないため、御触れが出てはすぐ捕まってしまうだろう。その前に国を出るつもりではいるが、念のためだ。それに寒い夜間を過ごすためにも、マントは必須である。
サビーナは洗い替えにもう一着ずつ服を購入し、水筒、旅の途中で簡単な調理ができるように小さめの鍋と、マッチ、木杓子、お椀を二つ、ナイフ、そしてそれらを突っ込むためのバッグを買い求めた。
次に、日持ちのしそうな硬いパンと干し肉、米を二キロと塩、今日食べるためのサンドイッチを買って急いで町を出る。
町の外で待っていたセヴェリを見ると、ホッとした。
「おかえり。早かったですね」
「とにかくここを離れましょう。食事と着替えは人のいないところで」
二人は急いで馬に乗り、またしばらくの間走らせた。
しかし人に出会わぬよう街道をそれて走っていたので、何匹かの魔物と遭遇してしまう。大して強い魔物ではなかったので事無きを得たが、精神的にどっと疲れてしまった。
「大丈夫ですか、サビーナ」
「はぁ、はぁ……大丈夫です。もう少し安全な場所に着いてから休みましょう」
魔物が湧く領域というのは決まっている。襲われた場所にいるというのは基本的に危険だ。
急いでその場所を抜けると、野うさぎがピョンピョンと跳ねている場所があった。全く危険がないとは言い切れないが、さっきの場所よりマシだろう。
サビーナは馬を降りるとガクッと座り込んだ。
「サビーナ!」
「だ、大丈夫です。ちょっとお腹が空きすぎて……」
と言った途端に、お腹が派手にぐきゅるるるるとなってしまった。恥ずかしくて顔が勝手に赤く染まる。
そんなサビーナを見て、セヴェリはクスッと笑った。いつもの彼の笑みだ。それが嬉しくて、サビーナも顔を赤らめたまま微笑む。
「では、食べましょうか」
「はい。これを食べたら、またすぐ走りましょう。そうすれば夕方までには国境を越えられるはずです」
国境を越える一番最短のルートを選んだ。読まれやすいかもしれないが、国境さえまたいでしまえば他国に御触れを出すことはできないので、捕まる確率はグッと減るだろう。追手にさえ気を付ければどうにかなるに違いない。
サビーナとセヴェリはゆっくり食事を取ることはせず、急いで口の中に詰め込んだ。そしてセヴェリの着替えを待った後、また走り出す。
馬もかなりガタがきている。二人を乗せてずっと走っているのだから当然だ。
「無理させてごめん……がんばって!」
さっきの町で馬を取り替えてもらえば良かったかもしれない。
しかし戦闘慣れしていない馬では、パニックを起こす可能性がある。それに、デニスの愛馬を手放すことはしたくなかった。
「あなたの名前、なんていうんだっけ……」
サビーナがそう馬に問いかけると、「ルッツリオンですよ」とセヴェリが教えてくれる。
「ルッツリオン……これから長い旅になるけど、よろしくね」
ルッツリオンはサビーナの言葉に答えるかのように、ブルルルッと鼻を鳴らした。
そうして馬を走らせて、夕暮れが訪れる頃。
隣の国の町が遠くに見えてきた。もう、国の境目だ。ここまで無事にたどり着けたことにホッと胸を撫で下ろす。
セヴェリはルッツリオンをゆっくりと停止させた。そして馬から降り、そっと地に足をつけている。
「セヴェリ様……」
サビーナもまた馬から降りると、セヴェリの隣に寄り添うように立った。
「サビーナ」
「はい」
彼は目だけでサビーナを見ると、少し目を細めて言った。
「セヴェリ、と呼んでください。」
「え、しかし……」
敬称を付けずに呼べと言われて、サビーナは戸惑う。そんなサビーナを諭すように、セヴェリは言った。
「私はもうなんの肩書もない、ただの咎人ですよ。」
「セヴェリ様……」
「セヴェリ、と」
そう言われてサビーナは小さく俯き、蚊の鳴くような声で「セヴェリ」と発することとなる。名を呼ばれたセヴェリは嬉しそうに微笑んでいた。
二人は後ろを振り返り、帝国の方を向いた。結局、謀反を起こすこともできずに国を追いやられてしまったセヴェリは、大きく息を吐いている。
「セヴェ、リ……」
「さようなら、我が国……アンゼルード」
誰よりアンゼルード帝国の未来を憂えていた男は、そう言って祖国に背を向ける。
「さようなら……みんな……」
サビーナもまた別れの言葉を告げて、セヴェリを見上げた。
その瞳は深い悲しみに囚われつつも、まだ光を失ってはいない。
そんな彼に、サビーナも強い瞳を送る。
二人は互いの意思を確認するように頷き合うと、共に愛する故郷を後にするのだった。