38.晩餐と葛藤(セレスティン・エルデン・ナイトフォール目線)
「……それでこの紙片を渡されたんだ。出来れば今夜、この場所に行きたいんだけど……」
ナディアからの差し出された紙片を読んでから、セレスティンはイノセントの方をじろりと睨み付けた。孤児院を調べろとは言ったがナディアを巻き込めとは一言も言っていない。それどころか、そもそも今日の視察で孤児院へ行くとも聞いていない。
当のイノセントはセレスティンの視線など露ほども気にしていない。だというのに反対に、ナディアの方はセレスティンの顔色を窺って縮こまっている。昨夜あれだけ初めての外出に浮かれていたのだから、一体どれだけの笑顔で帰ってくるかと楽しみに待っていたらこの結果。イノセントへの怒りも二倍増しになるというものだ。
「はあ……話は分かった。今晩は私も同席しよう」
「ほら、だから言っただろう?」とイノセントはナディアにいけしゃあしゃあと話しかけるし、ナディアはナディアでホッと溜息をついてからイノセントに笑いかけているではないか。一体どうしてこの二人は仲良く出来るのか、セレスティンには微塵も理解が出来ず、それが余計に心をささくれ立たせる。
「それで? ……まさか土産話はこれだけじゃないだろう。夕飯を食べながら話を聞かせてくれないか」
カトリーヌからの忠告を思い出し、顔の筋肉を総動員して笑顔を心がけてみたものの、本当にこれで良いのか自信がない。なにせ鏡の前で練習した結果は散々だったのだ、本番で上手くいくとは思えなかった。それでも無理に笑いかけたのは、ナディアに安心してもらいたかったからだ。それなのに。
びくりとナディアの身体が硬直し、それからぎこちなく頷いた。どうやら駄目だったようだ。
「——って感じで見た事のない食べ物がたくさんあって、果物なんて、そこらのスイーツよりも甘くて驚いたよ!」
出だしの気まずさとは一転、晩餐は表向き、終始非常に和やかなムードだった。ナディアは笑顔で今日の事を報告してくれ、土産にと買ってきてくれたスイーツのお陰で、セレスティンも擬似的に同行気分を味わえたからだ。
(折角彼女が無邪気に話をしているのだから水を差すも悪いと思って黙って聞いていたが……予想以上にイノセントとのエピソードが癪に障る。こんな事なら最初から私が一緒に行けば良かったのか……?)
その答えはセレスティンも分かっている。一緒に居たのがイノセントだからここまで楽しげなのであって、もしもその場に居たのがセレスティンだったら、文字通りの視察で終わっていたはずだ。面白い話の一つも出来ないし、「あれはなんだ」と聞かれれば、その食べ物について知っている事を淡々と説明。そんなセレスティンにナディアも合わせ、真剣にメモを取り続けただろう。結果、城下町の風景なんて微塵も記憶に残らなかったはずだ。
悔しいが、ナディアを喜ばせる才能も、魔術師としての技量も、ナディアと過ごした年月も、現状イノセントには全く敵わない。その上余命十年とくれば逆転も望むべくもなく。
このままイノセントの存在を黙認している方が、ナディアの身の安全という意味でも、話し相手という意味でも良い事は分かっている。それは勿論、セレスティンの死後も含めて、だ。だけどナディアの隣で笑っている人物が自分じゃないという事が酷く腹立たしく、一朝一夕で認められるものではなかった。
何故こうも癪に障るのだろうか。ナディアから当時の話を聞いていたからだろうか。確かに話を聞いた時にはぞっとしたし、今も理解不能だとは思う。だが被害者本人が既に許しているのに、一度話を聞いただけのセレスティンがこうも引っかかる理由が分からない。自分でも自分の感情がよく分からず、余計に気分は沈む一方だった。
そんな体たらくのセレスティンに比べ、ナディアは凄い。内容からしてイノセントが組んだコースは、視察というよりも観光の色が強いようだが、彼女の話を聞く限り領主の視点でしっかり視察してきた事が窺える。
一を聞いて十を知る……まさにそんな感じか。馬鹿げた話だが、もしセレスティンが健康だったら、と考えた。きっと養子ではなく妻としてナディアと契約を結んだはずだ。彼女なら皇太后にも負ける事はないだろうし、領地は今以上に発展、きっとますますエバーナイト公爵家は栄えただろう……。
その上、今ですら毎晩話をすれば仕事の疲れが吹き飛ぶほど癒やされているのだ、きっと成人した彼女の笑顔は……。
(は……、私は一体なにを考えているんだ? どうせ全て叶わぬ夢だと言うのに……)
ナディアとイノセントが、ラファエルと共にファントム・マレーズ病の研究をしているという事は報告を受けて知っていた。
今朝も原因について仮説の検証が八割終わっている状態だとの報告を受けたくらいだ、研究の進展速度は目を見張る物がある。だけど、それでもファントム・マレーズ病の治療法を見つけるにはほど遠い。きっと確立する頃にはセレスティンの身体は病に蝕まれ、治したところで社会復帰が難しいほどボロボロになっているだろう。
それに比べてイノセントは若くて、同性のセレスティンから見ても惚れ惚れするほどの美しさだ。ナディアの態度が日に日に軟化していくのを見るに、きっと彼の全てに惹かれているのだろう。それを防ぐ手立てはない。
(だったら私に出来る事は、裁判に勝って彼女を自由にする事。そして彼女の後ろ盾となる権力を維持し続ける事……)
ナディアが嫌がるのであれば、最悪イノセントに任せても良い。あれはナディアと違って権力の必要性を理解している。きっとナディアの為を思って、公爵家を悪いようには扱わないはずだ。