P・J・トレイシー
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/02 18:21 UTC 版)
P・J・トレイシー P. J. Tracy |
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職業 | 小説家 |
国籍 | |
主な受賞歴 | バリー賞など 2004年 天使が震える夜明け |
デビュー作 | 『天使が震える夜明け』 |
P・J・トレイシー(P. J. Tracy)は、パトリシア・J・ランブレヒトとトレイシー・ランブレヒト(Patricia & Traci Lambrecht )母娘によるアメリカ人推理作家のペンネーム。
2004年にバリー賞、アンソニー賞、ガムシュー賞を受賞した。
母パトリシア・J・ランブレヒトは、上流中産家庭の恵まれた環境で育った[1]。大学を中退後、生活苦から逃避するために執筆活動を始める[1]。娘のトレイシーが8歳の時、『サタデー・イヴニング・ポスト』に初の短編が掲載される。以後、フリーライターとして適度に成功を収める[1]。
娘トレイシー・ランブレヒトは、幼少期を馬と共に過ごして育った[1]。ミネソタ州ノースフィールドのセント・オラフ・カレッジを卒業、同校ではロシア語と音声学を専攻した[1]。スパイになりたかったが、冷戦の終結によりその夢が断たれたため、東欧の民芸品の輸入業を始めるがはかばかしい成果は得られなかった[1]。趣味の旅行とロックバンド、何よりも母のことを思って資金集めのために執筆活動を始め、それ以後母と共同で執筆を続けている[1]。
受賞歴
著書
- ミネアポリス警察署殺人課シリーズ
-
# 邦題 原題 刊行年
刊行年
訳者 出版社 1 沈黙の虫たち Live Bait 2004年 2007年 中谷ハルナ 集英社〈集英社文庫〉 2 闇に浮かぶ牛 Dead Run 2005年 2008年 3 埋葬 Snow Blind 2006年 2009年
- その他
-
# 邦題 原題 刊行年
刊行年
訳者 出版社 1 天使が震える夜明け Monkeewrench (米)
(Want to Play?) (英)2003年 2006年 戸田早紀 ヴィレッジブックス
〈ヴィレッジブックス〉2 Shoot to Thrill (米)
(Play to Kill) (英)2010年
出典
外部リンク
「P. J. Tracy」の例文・使い方・用例・文例
- もし冬が来れば春がはるか遅れることがあろうか 《「冬来たりなば春遠からじ」 P. B. Shelley の詩より》.
- 動物愛護協会 R.S.P.C.A.》.
- 彼の灯台から私たちの神父の慈悲を常に明るく輝かせる−P.P.ブリス
- 湖沼学は本質的には要素で構成された合成科学である…生物学の範囲外にまでも及ぶ−P.S.ウェルチ
- 不吉な雷鳴のうような私の言葉は天に衝撃を与えた−P.B.シェリー
- やる気のない、元気がない若い遊び人−P.G.ウッドハウス
- 彼らの人間行動の説明は、漠然で、退屈で、不明瞭になる−P.A.ソローキン
- 風が松を揺らすようなゆっくりとした悲しいささやきに似たさらさらした音−R.P.ウォーレン
- 若葉のゆらめきよりも新鮮なものは何もない−L.P.スミス
- 剣が激しくぶつかり合う音とトランペットのかん高い音−−P.J.サールズ
- スウェーデン人のソプラノ歌手で、P.T.バーナムの管理の下で米国のツアーを行った(1820年−1887年)
- 私の名はジョン・ダグラスですので頭文字はJ. D.です
- フォーサイト家物語 《J. Galsworthy 作の小説》.
- J.C. バッハは音楽家の血統の家に生まれました.
- 不用心な読者を簡単に黙認に誘い込む−O.J.キャンプベル
- 事実と一致する仮説を一時的に受け入れること−J.W.クラッチ
- 人生というものは、楽しい講義であるべきである−J.J.チャップマン
- 重複するという危険から、私は元々の提案に戻ります。− J.b.コナント
- 才能を与えられた−J.L.ローズ
- 夏の行楽地...偉大な下見板張りと化粧漆喰のホテルに圧迫される−A.J.リープリング
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