X-20 (宇宙船)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/01/24 10:26 UTC 版)
X-20は、アメリカ国防総省が構想し、ボーイング社によって開発が進められた偵察機/爆撃機。愛称はダイナソア(Dyna-Soar)。
概要
1950年代末、アメリカ国防総省は、第二次世界大戦末から終戦直後にナチス・ドイツからペーパークリップ作戦により入手したSilbervogelに影響され、独自の有人宇宙機計画(ダイナソア計画)を構想した。ロケットで打ち上げて大気圏外に達した後、水面を跳ねる小石のように大気圏上層部の摩擦を利用してスキップしながら飛行[1]し、目的地上空に到達した後は高解像度カメラを使った偵察を行うほか、最終段階では核爆弾による爆撃を行うというものであった。
1952年4月のベル社の"BoMi"(Bomber Missile)計画や、1956年6月の有人ロケット偵察爆撃機"RoBo"(Rocket Bomber)計画としてアメリカ空軍に提出され、研究がスタートした。1957年、軍事目的を隠蔽するため宇宙実験機X-20の名称を与えられ、1959年12月11日に、X-20本体10機のメーカーにボーイング、支援メーカーとしてロケットブースターを製作するマーチンの2社と正式契約が結ばれた。
1961年9月に実物大モックアップが完成。1962年にニール・アームストロングを始めとするパイロット6名が選抜された。
1963年中期にB-52に搭載して滑空テスト、1966年にタイタンIIICを用いた初の打ち上げが行われる予定であったが、本機のモックアップが完成した1961年5月5日に、アメリカ航空宇宙局が進めていたマーキュリー計画のマーキュリー・レッドストーン3号がアメリカ初の有人宇宙飛行に成功、マーキュリー計画の後継かつ発展的計画であるジェミニ計画も1962年に始まっている状況だった。
1963年、より大型の宇宙機開発の目処が立ったことや、費用対効果の観点から無駄な国防予算の削減を行っていた国防長官ロバート・マクナマラの査定により、ダイナソア計画の中止が決定、その時点で製作済みだった実物大モックアップと関連資料については破棄された。
X-20は72度の後退角を持つデルタ翼機で大気圏再突入時を考慮して大きめのデルタ翼の上に胴体が載っている構造となっている。デルタ翼の翼端にはウィングレットのような巨大な垂直安定板が設けられていた。後のESAのエルメスやNASDAのHOPE-Xに酷似した形状である。大気圏外では反動制御システムが用いられる。降着装置はソリである。
ルネ41鋼を基本材料に作られ、大気圏再突入時の空力加熱対策にさまざまな耐熱材を使用する。1,500℃に達する下面と主翼前縁にはモリブデン板を貼り付け、最大2,000-2,300℃に達すると予想される機首コーンはジルコニアとグラファイトで作られる。後には、機首と主翼前縁にはX-15に導入されたヒートシンクを応用したセラミックの使用が想定されていた。
仕様(計画値)
諸元
- 乗員: 1 名
- 全長: 10.76 m
- 全幅: 6.22 m
- 全高: 2.44 m
- 自重: 4,912 kg
- 全備重量: 5,167 kg
- 翼面積: 32.01 m2
- エンジン: なし。打ち上げ用ブースターはタイタンやサターンなどの強力な2段式/3段式ロケットを想定。
性能
- 最大速度: 26,830 km/h
- 最高高度: 168 km
- 航続距離: 30,000 km以上
フィクション
- 笹本祐一のSF小説『星のパイロット』シリーズには、計画中止となったダイナソアの能力と名称を受け継いでボーイングが開発したという設定の、架空の民間用空中発射型シャトル「SB-911C ダイナソアC」が登場している。
- アメリカ合衆国のテレビドラマシリーズ『トワイライト・ゾーン』の第11話「誰かが何処かで間違えた」では、試験用迎撃機「X-20」のテスト飛行から帰還した3人の宇宙飛行士のエピソードである。
脚注
- ^ ダイナミック・ソアリング(Dynamic-Soaring)。愛称のダイナソア(Dyna-Soar)はこれに由来する。
参考文献
- 『世界の傑作機 No.67 X-プレーンズ』文林堂、1997年。ISBN 9784893190642。
- 『Xの時代―未知の領域に踏み込んだ実験機全機紹介』文林堂〈世界の傑作機スペシャル・エディションVol.3〉。 ISBN 9784893191175。
外部リンク
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