Yaya
Ya-Ya-yah
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| Ya-Ya-yah | |
|---|---|
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 活動期間 | 2001年冬[1] - 2007年10月 |
| レーベル | ポニーキャニオン(2002年) |
| 事務所 | ジャニーズ事務所 |
| メンバー | 薮宏太 八乙女光 鮎川太陽 山下翔央 |
| 旧メンバー | 赤間直哉 星野正樹 安藤靖浩 吉田雄基 |
Ya-Ya-yah(ヤーヤーヤー)は、ジャニーズ事務所に所属していたジャニーズJr.内男性アイドルグループ。
グループ名の由来については、結成時のメンバーの頭文字[2]、初期メンバー[注 1]のイニシャル[3]、ビートルズの曲『A Hard Day's Night』(旧邦題『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』)[4][5]など諸説ある。
メンバー
プロフィール出典[2]
- 薮宏太(やぶ こうた、1990年1月31日 - ) - 神奈川県出身。
- 八乙女光(やおとめ ひかる、1990年12月2日 - ) - 宮城県出身。2003年に加入[6]。
- 鮎川太陽(あゆかわ たいよう、1991年1月18日 - ) - 東京都出身。
- 山下翔央(やました しょおん、1988年12月20日 - ) - 東京都出身。
旧メンバー
- 赤間直哉(あかま なおや、1991年4月5日 - ) - 東京都出身。
- 星野正樹(ほしの まさき、1987年10月10日 - ) - 東京都出身。
- 安藤靖浩(あんどう やすひろ、1987年1月21日 - ) - 大阪府出身。
- 吉田雄基(よしだ ゆうき、1987年11月16日 - ) - 東京都出身。
来歴
- 2001年
- 2002年
-
- 2月23日発売の『Myojo』4月号にて薮宏太・鮎川太陽・赤間直哉・山下翔央の4名で、平均年令11.5才の新ユニット「YA-YA」(ヤーヤー)として紹介される。グループ名はメンバーのイニシャルから[7]。
- 『Duet』4月号にて薮宏太・鮎川太陽・山下翔央・赤間直哉・星野正樹・安藤靖浩・吉田雄基の7名で、平均年齢12.7才のJr.新ユニット「YA-YA-YAH」として紹介される[2]。
- フジテレビの大型スポーツイベント「KICK!ODAIBA 2002」(4月27日 - 5月6日)のオープニングイベントに参加してスペシャルライブを行い、CDデビュー決定を発表[8]。この時のメンバーは薮宏太、赤間直哉、山下翔央、鮎川太陽、星野正樹の5人[1][8]。
- 5月15日、『勇気100%/世界がひとつになるまで』にてCDデビュー[1]。ユニットの平均年齢は当時の事務所において史上最年少のCDデビューであった[1][8]。
- 2003年
- 2004年
-
- アイドル雑誌のYa-Ya-yahのページから赤間・星野の姿がなくなり、薮・八乙女・鮎川・山下の4人で紹介される[11]。
- 10月15日より、薮・八乙女・鮎川がTBS系ドラマ『3年B組金八先生 第7シリーズ』に出演[12]し「金八トリオ」と呼ばれる。
- 2005年
- 2007年
-
- 9月21日、薮と八乙女が同事務所所属グループ「Hey! Say! JUMP」のメンバーとなり[1]、番組『Ya-Ya-yah』も10月27日放送分で最終回を迎え、その後活動が見られなくなる[注 2]。
- 2017年
-
- 帝国劇場で行われていた舞台『JOHNNYS' ALL STARS IsLAND』の1月19日の公演に「Ya-Ya-yah」として薮宏太と八乙女光がゲスト出演して話題になる[15]。
作品
CD
-
- 勇気100%/世界がひとつになるまで(2002年5月15日) - 薮・赤間・鮎川・山下・星野[1]
楽曲
タイアップに関してはジャニーズ タイアップ一覧#Ya-Ya-yahを参照のこと。JASRAC公式サイトの「作品データベース検索サービス」において、アーティスト名に「Ya-Ya-yah」を含む楽曲の検索結果をもとに記述。
- LOVE together 2002[8](作詞:堂本光一、作曲:馬飼野康二)[注 3]
- JASRAC作品コード:092-9792-8
- 合言葉はYa-Ya-yah[17](作詞:YUKAKO、作曲:馬飼野康二)
- JASRAC作品コード:106-0850-8
- Singin for you[17](作詞:TAKESHI、作曲:ha-j)
- JASRAC作品コード:108-0870-1
- Just wanna lovin' you[17](作詞:平田純子、作曲:清水達也)
- JASRAC作品コード:109-9452-1
- Up Down Ya-Ya-yah[17](作詞・作曲:永井真人)
- JASRAC作品コード:109-9349-5:
- START
- JASRAC作品コード:122-6017-7
- Never stop the Music[17](作詞:成瀬英樹・飯田建彦、作曲:飯田建彦)
- JASRAC作品コード:122-6021-5
- 2 of Us[17](作詞:821R・飯田建彦、作曲:飯田建彦)
- JASRAC作品コード:122-6022-3
- 風に乗って(作詞・作曲:岩崎貴文)
- JASRAC作品コード:126-6173-2
- ひまわりのメロディ(作詞:相田毅、作曲:谷本新)
- JASRAC作品コード:128-7037-4
- 新しい夜明け(作詞:小間浩子、作曲:酒井ミキオ)
- JASRAC作品コード:122-6018-5
- BAD★NICE(作詞:相田毅、作曲:西岡和哉)
- JASRAC作品コード:134-9085-1
- IKUJINASHI(作詞・作曲:宮崎歩)
- JASRAC作品コード:128-7059-5
- JEWEL STAR(作詞:821R/漆野淳哉、作曲:清水昭男)
- JASRAC作品コード:132-4821-9
- サマー×サマー×サマー!(作詞:日比野裕史・821R、作曲:日比野裕史)
- JASRAC作品コード:132-7454-6
- TO THE FREEDOM(作詞・作曲:Gajin)
- JASRAC作品コード:134-9082-6
- 愛しのプレイガール(作詞:Zopp、作曲:熊谷憲康)
- JASRAC作品コード:137-0182-7
- 手をつないでゆこう(作詞:Ya-Ya-yah・酒井ミキオ、作曲:酒井ミキオ)
- JASRAC作品コード:137-0192-4
- 世界がひとつになるまで(作詞:松井五郎、作曲:馬飼野康二)
- JASRAC作品コード:028-9763-6
- 憧れのEGOIST(作詞:古屋真、作曲:TSUKASA)
- JASRAC作品コード:134-9096-6
- いま進もう(作詞:八乙女光、作曲:磯崎建史)
- JASRAC作品コード:140-7468-1
- BABY BABE(作詞[18]:白井裕紀.・新美香、作曲:JOVETTE RIVERA AND JOEY CARBONE)
- JASRAC作品コード:142-9646-2
- U-WA U-WA(作詞:TAKESHI、作曲:飯田建彦)
- JASRAC作品コード:103-5110-8
出演
各メンバー単独出演は、それぞれの記事に記載。
バラエティ
- ポンキッキーズ21(2002年4月 - 2004年3月、フジテレビ)
- Ya-Ya-yah(2003年1月5日 - 2007年10月27日、テレビ東京)[19]
- ザ少年倶楽部(2002年1月 - 2007年10月、NHK-BS2・BShi)
CM
- KICK!フジテレビ - 薮・赤間・鮎川・山下・星野
- 不二家 ファイブスター - 薮・赤間・鮎川・山下・星野
- ピザーラ スーパービンゴ篇 - 薮・八乙女・鮎川・山下[19]
- 進研ゼミ高校講座(2007年) - 鮎川・山下[20][21]
舞台
- Stand by Me(2003年7月25日 - 8月10日、東京芸術劇場中ホール) - 主演(薮・山下・鮎川・八乙女)[9][22][23]
- One!-the history of Tackey-(2006年9月15日 - 28日、日生劇場) - 薮・八乙女[26]
コンサート
ジャニーズJr.としての出演のみ。その他は#単独コンサートを参照。
- お客様は神サマーConcert 55万人愛のリクエストに応えて!!(2002年8月10日 - 8月28日) - 薮・赤間・鮎川・山下・星野
- A Happy "NEWS" year 2004新春(2004) - 薮・鮎川・山下
- Johnnys Theater “SUMMARY” of Johnnys World(2004年8月8日 - 29日、原宿・新ビッグトップ)[27] - 薮・八乙女・鮎川・山下・星野
- SUMMARY Ya-Ya-yah show time(2005年7月29日 - 31日、品川アクアスタジアムステラボール)[14][28] - 薮・八乙女・鮎川・山下
- ジャニーズJr.の大冒険!(2006年8月15日 - 25日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン)[29]
- you達の音楽大運動会(2006年9月30日、10月1日、国立代々木競技場)[30]
- 2007 謹賀新年 あけましておめでとう ジャニーズJr.大集合(2007年1月2日 - 1月7日、日本武道館)[5][31]
- ジャニーズJr.の大冒険!@メリディアン'07(2007年8月15日 - 24日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン パレ・ロワイヤル)[32]
- JOHNNYS'Jr. Hey Say 07 in YOKOHAMA ARENA(2007年9月23日、9月24日(第1部のみ))
単独コンサート
| 2005年 | 1月2日 | 新年so-soh 金八トリオYa-Ya-yah コンサート | 1か所1公演 1万5000人動員[13] |
横浜アリーナ | 初の単独コンサート[13]。NEWSやKAT-TUNが応援に駆け付けた[13]。 |
| 3月26日 | Ya-Ya-yah 春休み横浜アリーナコンサート | 1か所2公演 3万人動員[33] |
横浜アリーナ | 2度目の単独コンサート[34]。オリジナル曲を中心に全25曲を披露。「金八トリオ卒業記念コンサート」と題され、亀梨和也がスペシャルゲストとして登場。『3年B組金八先生』で八乙女が演じた丸山しゅうの“特別卒業式”が行われ、劇中では受け取れなかった卒業証書が渡される演出もあった。[33][34] |
イベント
- KICK! ODAIBA 2002(2002年4月29日 - 5月6日、お台場 フジテレビ) - 薮・赤間・鮎川・山下・星野[8]
- 忍たま乱太郎 10周年記念イベント(2002年5月12日、Zepp TOKYO) - 薮・赤間・鮎川・山下・星野[35]
- 忍たま乱太郎 公開イベント(2002年6月22日、Zepp TOKYO) - 薮・赤間・鮎川・山下・星野
- パタヤミュージックフェスティバル(2003年3月19日 - 24日、タイ王国) - 薮・八乙女(メンバー外として出演)・山下
連載
関連書籍
- Ya-Ya-yahがやってくる!(集英社『りぼん』)[38] - 北沢薫の漫画。メンバーと架空のキャラクターの交流を描いている。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 高城龍二 (2015年11月17日). “【ジャニーズ深堀】幻のグループ「Ya-Ya-yah」 Hey!Say!JUMP登場で複雑なファン心理と、メンバーの今”. T-SITEニュース. 2015年11月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月28日閲覧。
- ^ a b c 「YA-YA-YAH発進!」『Duet』2002年4月号、ホーム社、50-51頁。
- ^ a b 田中誠「[ZipZap]仕事、気合入る いえーいッ Ya-Ya-yahの皆さん」『読売新聞』2003年3月6日、朝刊2部、第1面。
- ^ “ジャニーズJr.が最年少武道館ライブ”. Daily Sports online. (2006年11月26日). オリジナルの2006年11月28日時点におけるアーカイブ。 2017年2月16日閲覧。
- ^ a b “「ジャニーズJr」武道館で新春公演”. Sponichi Annex. (2007年1月3日). オリジナルの2007年1月10日時点におけるアーカイブ。 2016年12月25日閲覧。
- ^ a b “アーティスト詳細 - 八乙女光”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2012年8月30日). 2016年2月21日閲覧。
- ^ 「来!来!Jr.軒 はじめまして!Jr.平均年令11.5才の新ユニット誕生! YA-YA」『Myojo』2002年4月号、集英社、2002年2月23日、102-103頁。
- ^ a b c d e “Ya-Ya-Yah、光GENJIの曲でCDデビュー”. SANSPO.COM. (2002年4月28日). オリジナルの2003年10月5日時点におけるアーカイブ。 2016年1月8日閲覧。
- ^ a b “ジャニーズJr.藪宏太が宿題抱えて舞台”. nikkansports.com. (2003年7月25日). オリジナルの2003年8月10日時点におけるアーカイブ。 2016年12月25日閲覧。
- ^ “Johnny’snet>Artists>Hey!Say!JUMP>Biography>2003”. 2019年10月2日閲覧。
- ^ 「アラタメマシテ!」『duet』2004年6月号、ホーム社、56-59頁。
- ^ “Ya-Ya-yahの鮎川ら出演…TBS金八先生”. SANSPO.COM. (2004年9月5日). オリジナルの2005年2月7日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ a b c d “Ya-Ya-yah初の単独コンサート…春休みにも”. SANSPO.COM. (2005年1月3日). オリジナルの2005年11月13日時点におけるアーカイブ。 2016年2月21日閲覧。
- ^ a b “金八トリオ 麻薬・自殺未遂 重いテーマに10代が体当たり”. nikkansports.com. (2005年). オリジナルの2005年12月19日時点におけるアーカイブ。 2017年8月1日閲覧。
- ^ a b “薮宏太&八乙女光、“Ya-Ya-yah”復活が話題「帝劇が揺れた」”. モデルプレス (2017年1月19日). 2017年1月25日閲覧。
- ^ “光一“演出”ジャニーズ新ユニット”. Sponichi Annex. (2001年6月27日). オリジナルの2001年12月13日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g 「金八トリオ卒業記念 Ya-Ya-yah 05春休み横浜アリーナコンサート」『Wink up』2005年6月号、ワニブックス、74-75頁。
- ^ “Works”. SnowWhiteMusic. 2026年1月17日閲覧。
- ^ a b “関ジャニ8が「Ya-Ya-yah」の年末拡大版出演”. SANSPO.COM. (2003年11月3日). オリジナルの2005年2月7日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ “鮎川太陽のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2015年12月27日閲覧。
- ^ “山下翔央のCM出演情報”. ORICON STYLE. 2015年12月27日閲覧。
- ^ “Ya-Ya-yah主演で6年ぶり「スタンド・バイ・ミー」”. SANSPO.COM. (2003年7月25日). オリジナルの2005年2月6日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ “"Johnny's net>Artists>Hey!Say!JUMP>Biography>Hey!Say!JUMP>2003"”. 2019年10月1日閲覧。
- ^ “「Ya−Ya−yah」がスタンド・バイ・ミー”. Sponichi Annex. (2004年5月17日). オリジナルの2004年6月24日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ “Ya-Ya-yah1年ぶりの「スタンド・バイ・ミー」”. SANSPO.COM. (2004年5月16日). オリジナルの2005年2月7日時点におけるアーカイブ。 2021年8月8日閲覧。
- ^ DVD『One! -the history of Tackey-』の付属ブックレットにあるクレジットにて確認。
- ^ “歴史的舞台「ジャニーズ」の42年をショー化”. zakzak. (2004年6月3日). オリジナルの2004年10月10日時点におけるアーカイブ。 2017年8月1日閲覧。
- ^ “「ジャニーズサマリー」品川がラスベガスに”. Sponichi Annex. (2005年6月18日). オリジナルの2005年12月20日時点におけるアーカイブ。 2017年2月16日閲覧。
- ^ 「ジュニアの夏も熱い!」『POTATO』2006年9月号、学研、2006年8月7日、65-66頁。
- ^ “ジャニーズJr.大集合!「you達の音楽大運動会」開催”. SANSPO.COM. (2006年10月2日). オリジナルの2006年11月30日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ “ジャニーズJr.デビュー前に武道館5公演”. スポーツ報知. (2007年1月3日). オリジナルの2008年5月22日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ 「完全燃焼夏LIVE!!ジャニーズJr.の大冒険!'07@メリディアン」『POTATO』2007年10月号、学研、87-90頁。
- ^ a b “金八卒コンYa-Ya-yahハマで弾ける4人組、2度目単独ライブ”. CHUNICHI Web Press. (2005年3月27日). オリジナルの2005年3月27日時点におけるアーカイブ。 2019年2月7日閲覧。
- ^ a b “Ya-Ya-yahが2度目の単独コンサート”. SANSPO.COM. (2005年3月27日). オリジナルの2005年12月3日時点におけるアーカイブ。 2019年2月7日閲覧。
- ^ “「Ya-Ya-yah」にキャーキャーキャー1万人”. SANSPO.COM. (2002年5月13日). オリジナルの2003年12月8日時点におけるアーカイブ。 2016年7月7日閲覧。
- ^ “アーティスト情報 > ジャニーズJr.”. Johnny's net. ジャニーズ事務所. 2007年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月24日閲覧。
- ^ “ジャニーズJr. > Media”. Johnnys net. ジャニーズ事務所. 2007年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月24日閲覧。
- ^ ““ジャニーズ作品”漫画化ラッシュ”. Sponichi Annex. (2005年6月26日) 2016年7月7日閲覧。
ヤ・ヤ
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| 「ヤ・ヤ」 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リー・ドーシー の シングル | ||||||||||
| 初出アルバム『Ya! Ya!』 | ||||||||||
| B面 | ギブ・ミー・ユー | |||||||||
| リリース | ||||||||||
| 規格 | 7インチシングル | |||||||||
| 録音 |
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| ジャンル | ||||||||||
| 時間 | ||||||||||
| レーベル | フューリー・レコード | |||||||||
| 作詞・作曲 |
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| プロデュース | ボビー・ロビンソン | |||||||||
| チャート最高順位 | ||||||||||
| 後述を参照 | ||||||||||
| リー・ドーシー シングル 年表 | ||||||||||
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「ヤ・ヤ」(Ya Ya)は、リー・ドーシーの楽曲で、1961年2月7日にフューリー・レコードから発売されたアルバム『Ya! Ya!』に収録された[1]。5か月後の7月29日にシングルとしてリリースされた[2]。
作詞作曲は、ドーシーとボビー・ロビンソン[注釈 1]で、子供たちが童謡を唱和する様子に触発されて作ったといわれている。
この曲は1961年にビルボード・ホット100で7位、R&Bシングルチャートで1位を記録した[5]。
1973年のアメリカ映画『アメリカン・グラフィティ』の挿入歌として使われ、サウンドトラック盤にも収録された。
ビートルズがデビュー前の1961年から1962年にかけて、ハンブルクやリバプールなどで、ジョン・レノンのリードボーカルで本作をライブ演奏していたことが知られている[6]が、録音は現存していない。
ジョン・レノンによるカバー
| 「ヤ・ヤ」 | ||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ジョン・レノン の シングル | ||||||||||||||||
| 初出アルバム『ロックン・ロール』 | ||||||||||||||||
| A面 | ビー・バップ・ア・ルーラ | |||||||||||||||
| リリース | ||||||||||||||||
| 規格 | 7インチシングル | |||||||||||||||
| 録音 |
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| ジャンル | ロック | |||||||||||||||
| 時間 | ||||||||||||||||
| レーベル | アップル・レコード | |||||||||||||||
| プロデュース | ジョン・レノン | |||||||||||||||
| ジョン・レノン シングル 年表 | ||||||||||||||||
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1973年9月、アルバム『マインド・ゲームス』が完成すると、レノンは妻オノ・ヨーコのもとを離れ、2人の個人秘書であったメイ・パンとともにカリフォルニア州ロサンゼルスで同棲生活を始めた[7]。
10月、 チャック・ベリーの楽曲の出版権者だったモリス・レヴィが起こしていた著作権侵害をめぐる裁判の審理が12月に始まるという通知がレノンの下に届いた。レヴィは「カム・トゥゲザー」がベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」のメロディと酷似しており、さらに歌詞の一部 "Here come a flat-top"(「カム・トゥゲザー」では "Here come old flat-top")を使用しており[8][9]、著作権を侵害していると主張し、ノーザン・ソングスらを相手取って提訴していた[10]。レノンはこれに関して一貫してベリーの影響は認めていたが、盗作は否定していた。
折しもフィル・スペクターと共にオールディーズ・カバー・アルバムのレコーディングを始める予定だったレノンは、法廷外で和解することにした[11]。和解の条件として、レノンが次に発表するアルバムにレヴィのビッグセブン出版社が所有する楽曲から「ユー・キャント・キャッチ・ミー」「エンジェル・ベイビー」、そして「ヤ・ヤ」の3曲を収録することが取り決められた[12][13]ところが、セッション中にスペクターがマスターテープを持ったまま失踪してしまうという事件が起こり、3曲のうち本作は録音されないまま中断を余儀なくされてしまった[注釈 2]。
1974年4月下旬、スペクターからテープを取り戻すことをいったん諦め、やむなくニューヨークに戻ったレノンは自らのプロデュースでアルバム『心の壁、愛の橋』を制作し発表した。しかし、おまけのように収録された本作[注釈 3]以外が全て新曲だったため、約束を反故にされたと感じたレヴィが激怒し、和解を撤回し再提訴すると通告してきた[12]。慌てたレノンはレヴィにレコーディングが遅れている経緯を説明し、取り戻したセッション・テープを聴かせて、実際にカバー・アルバムを制作中であることを示して納得させた。10月から録音を再開し、11月には本作も含むアルバム『ロックン・ロール』が完成した。
「スタンド・バイ・ミー」に続く2枚目のシングルとして、日本[14]やスペイン[15]、デンマーク[16]などでは「ビー・バップ・ア・ルーラ」のB面としてリリース、ドイツでは6月30日にA面[17][18]としてリリースされ、9月15日メディア・コントロール・チャートで47位に達した [19][20]。
演奏者(ジョン・レノン版)
- エディー・モトウ - アコースティックギター
- クラウス・フォアマン - ベース
- ケニー・アスチャー - キーボード
- ジム・ケルトナー - ドラムス
- アーサー・ジェンキンス - パーカッション
- ジョセフ・テンパリー - サクソフォーン
- フランク・ヴィカリ - サクソフォーン
- デニス・モラウズ - テナーサックス
その他のアーティストによるカバー
- トニー・シェリダンは1962年10月にドイツ盤EPのA面としてリリースした[21]。1964年4月に発売された『ザ・ビートルズ・ファースト・アルバム』に収録されたため、ビートルズの演奏と誤解されたが、実際は全く関与していなかった[注釈 4]。
- トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズは1966年、「イッツ・オンリー・ラブ」のB面としてリリースした[22]。
- マウス&ザ・トラップスは1967年のシングル「クライイン・インサイド」のB面としてリリースした[23]。
- ザ・オンブレスは1968年の唯一のアルバム『レット・イット・アウト(レット・イット・オール・ハングアウト)』に収録した[24]。
- ジョージ・フェイスは1977年のファーストアルバム『トゥー・ビー・ア・ラヴァー』で「ミッドナイト・アワー」とのメドレーを収録した[25]。
- トリオは1981年、ファースト・アルバム『トリオ』[26]とライブ・アルバム『トリオ・ライブ・イン・フリュー82』[27]に収録した。
- リー・マイケルズは1971年のアルバム『5th』に収録した[28]。
- アイク&ティナ・ターナーは2004年のコンピレーション・アルバム『ヒズ・ウーマン、ハー・マン:ジ・アイク・ターナー・ダイアリーズ』に、1970年代初頭にカバーしながらが未発表だった本作を収録した[29]。
- スティーブ・ミラーは、1988年のアルバム『ボーン・トゥー・ビー・ブルー』でこの曲をカバーした[30]。
フランスでは、ジョルジュ・アベールとリュシアン・モリスによってフランス語歌詞がつけられ、当時流行していたツイスト・ビートにアレンジされた「ヤ・ヤ・ツイスト」が制作された。
- 1962年、フランスのロックン・ロール歌手ジョニー・アリディのバージョン[31]は、ベルギーのフランス語圏ワロン地域で1位を獲得した[32]。
- 同年、イギリスの歌手ペトゥラ・クラークのバージョン[33]は、フランスで1位[34]、イギリスで14位にランクされた[35]。
- 同年、フランスのロックン・ロール歌手ヴィック・ローレンスが率いるレ・ヴォトゥールによっても録音された[36]。
- 同年、フランス人歌手のダリダは「ヤ・ヤ・ツイスト」のドイツ語バージョンをリリースした[37]。
- 2007年、フランス人歌手のシルヴィ・ヴァルタンは、アルバム『ヌーヴェル・ヴァーグ』に収録した[38]。
脚注
注釈
- ^ アルバム収録時はC.L.ブラストもクレジットされていた[3]が、シングル盤からは外れていた[4]。後にモリス・レヴィも加えられたが、実際にかかわっていたかは疑問視されている。
- ^ スペクターは3月31日に交通事故で瀕死の重傷を負って入院、セッション・テープの所在は分からなかった。
- ^ 後に「失われた週末("Lost Weekend")」とレノンが語ったこの時期、パンの尽力により、前妻シンシアとの間に生まれた息子ジュリアンとの再会を果たしていた。ある日のセッションの休憩中、当時11歳だった息子がドラムを叩き、レノンが合わせてピアノを弾きながら歌った即興演奏が録音され、その1分ほどの断片が収録されていた。
- ^ 1984年の『The Early Tapes of the Beatles』のビル・ハリーのライナーノーツによると、参加ミュージシャンはトニー・シェリダン(ギター&ボーカル)、リッキー・バーンズ(サックス)、ロイ・ヤング(ピアノ)、ピーター・ウォートン(ベース)、ジョニー・ワトソン(ドラム)。
出典
- ^ (英語) Ya! Ya! by Lee Dorsey on Apple Music, (1961-02-07) 2024年5月10日閲覧。
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参考文献
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- Womack, Kenneth (2019). Solid State: The Story of Abbey Road and the End of the Beatles. Ithaca: Cornell University Press. ISBN 978-1-5017-4685-7
外部リンク
- John Lennon
YAYA(やや)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:47 UTC 版)
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