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言葉にならない痛みを、言葉で紡ぐ試み - FakePlasticTree
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ひびのいろいろ

言葉にならない痛みを、言葉で紡ぐ試み

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高校銃乱射事件の被害者家族と加害者家族による対話を描いたドラマ「対峙」。この作品は、言葉では到底表現できないほどの喪失と向き合い、それでもなお対話を試みる人々の姿を、静かに、しかし力強く描き出している。

物語の終盤で発せられる「私も話したかった」というセリフが、個人的には最も印象に残った。この短い言葉の背後には、長い間抑え込まれてきた感情の重みが込められている。被害者家族だけでなく、加害者家族もまた、語るべき言葉を持っていたのだ。しかし、その言葉を発する場が存在しなかった。

映画を観ながら、日本においてこんな対話の場が作れるだろうか、と何度も考えさせられた。日本人というのは言語化が非常に苦手な国民だと思う。一方で、西洋人というのは、本当に言語化が得意なのだろうか。それとも、論理的に考え、感情を言葉に変換する習慣が身についているのだろうか。

しかし、自分の子供が殺される。これほど論理が通じず、感情的になる出来事があるだろうか。そのような極限状況においても、対話を試みる人々の姿は、言葉の力を信じる希望そのものだった。

「結ぶ絆に祝福あれ」「心の交わりこそ、いとも尊きもの」という言葉もが最後に流れこの映画の核心を表しているように感じた。対話を通じて生まれる絆、心の交わりこそが、人間にとって最も尊いものなのだ。

一貫して緊張感にあふれる映画だった。映画の中にBGMや効果音が一切ないのも印象的であった。その静寂が、かえって登場人物たちの内面の声を際立たせ、観客を物語の深層へと引き込んでいく。余計な装飾を排した演出が、この作品の真摯さを際立たせている。

人生は本当に切なくてやりきれない喪失の連続だ。それでも誰かとつながること、結びつくことが人間の救いになるのだと思う。「対峙」は、そのことを静かに、しかし確かに教えてくれる作品だった。