我々は子供を殺して逮捕された親が出た時大抵の場合それを「支援を得られなかったせいで、望んでいないにもかかわらず愛する我が子を殺すに至ってしまった可哀想な親」だと認識して社会の責任を追及し親を哀れむが、
子供を殴って逮捕された親に対しては「支援を得られなかったせいで、望んでいないにもかかわらず愛する我が子を殴るに至ってしまった可哀想な親」である可能性をほぼ考慮せず、まるでその親が暴力犯罪者であるかのように当人の責任を追及する。
これでは「子供を殴るのは罪だが、殺害にまで至れば正当化される」かのようではないか?
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