親鸞の告白
付・梅原猛の現代語訳『歎異抄』を読む
小学館文庫う 7 4
著:梅原 猛
出版社:小学館
本書は、親鸞を中心とした日本仏教の解説書である
■仏教の本質
仏教は、2つの大きな思想をもっている
1つは、悟りであり、もう1つは、平等である
人間は徳と能力で評価されるべきであり、仏教の平等精神に則って、日本国家を建設しようとしたのが聖徳太子である
煩悩の中に悟りが隠れており、煩悩を離れては悟りのないのが仏教である。仏教というのは、そういうパラドクスであって、そのパラドクスを信じることが信仰なのだ
宗教というものは、道徳の延長や知識の延長にあるものではない
そういうパラドクスの激...続きを読む 烈なものを含む、そのような激烈さをいちばんはっきり表現したのが親鸞である
この世は苦悩に満ちた汚い世界であり、あの世、すなわち極楽浄土こそ、この上もない楽しみに満ちた世界であるとすれば、どうして、一刻もはやく、この世に別れを告げ、あの世にいこうとはしないのか
大無量寿経の阿弥陀如来の四十八願の1つ、第十八願、「念仏往生願」十方衆生が至心を信じて、念仏を称えれば、かならず極楽浄土に往生できるという教え、が真なら、釈迦の説教も間違っていない
■親鸞の仏教
親鸞は叡山の現実にも絶望する
当時の叡山は堕落の極みにあり、上級の僧は、外面は偉そうにしているが、裏では政治権力と手を結んで名利に明け暮れる。また一方、密かに妻を囲って女犯戒を犯している
また下級の僧も武器を携え、僧兵となって強訴をしている
親鸞という人は、事を決めるまでは非常に慎重です。ところが、いったん事を決めたあとの親鸞は極めて果断です
親鸞の仏教は、法然と、聖徳太子を加えたものです
親鸞は、現世往生、現世において阿弥陀仏に救済されたことの喜びをひたすら説いている
親鸞の主張とはなにか、ずばり二種廻向という思想である
阿弥陀仏が法蔵菩薩であったときに実に多くの功徳を積んだ。念仏を唱えることにより、その功徳をもって
極楽浄土へ成仏できる これを、往相廻向という
そればかりではなく、極楽往生から現世へももどってこれる。これが、還相廻向という
真仏土、絶対他力で、極楽の中心にいける
化仏土、絶対他力をつかわないと、極楽の周辺にしかいけない、しかも、現世にも戻ってこれない
■親鸞と聖徳太子
親鸞は、聖徳太子が造った六角堂で、延暦寺の仏教と決別する
聖徳太子の化身と考えられる救世観音の導きによって、専修念仏の教えに踏み切り法然の門をたたいた
救世観音が夢にあらわれ
行者宿報ありて、たとい女犯すとも、
われ玉女の身となりて犯され
一生の間よく荘厳して
臨終に引導して極楽に生ぜしめん
と語った
肉食妻帯を許す夢告である
聖徳太子こそ、仏教者でありながら、多くの妻をめとったその人だからである
■親鸞と法然
法然は、論理を突き進めたけれども、実行はしなかった
親鸞は、理論と実践が一致している。実行をした
法然は、流罪について、多くを語ろうとはしなかった、が、親鸞は違った。
親鸞は、僧としての名を失ったばかりか、流人として、俗名をもうしなった。なので、自ら、愚禿となのった。
これは、治外の民、やくざであると、自ら言っているのと同じである。
■日本仏教の流れ 平安時代~鎌倉時代
奈良時代の仏教は、まだ輸入仏教の性格が強く、仏教が真の意味で日本的な仏教になったのは平安時代からである
空海は、この現実世界で、肉体を持った人間がそのまま仏となる、即身成仏をとなえるが、
最澄は、善行をつんで何度か生まれ変わったのちに、初めて、仏になるととく
山川草木悉皆成仏 すべての生きとし生けるもの、山や川のような無機物さえ、仏になれるという教え
釈迦がなくなって、500年間は、正法の世、つぎの500年間は、像法の世、そして、最後の500年が末法の世である
鎌倉時代の宗教家たちは、それぞれの主体的決断において、もっとも簡単に、しかも、もっとも、真実の仏になりうると思われる道を選んだ。法然の念仏、日蓮の題目、そして、道元の座禅である
■親鸞と蓮如
蓮如によって浄土真宗は日本に広まった。
親鸞がキリストであるのなら、蓮如は、パウロになる
親鸞が思索の人であれば、蓮如は、実践の人である
■歎異抄
歎異抄の著者とは、だいたい唯円ということになっている
中世とは明晰に人間の運命を見つめていた時代である。
徒然草、方丈記、そして、歎異抄
現代とは末世であるから、これからも歎異抄は読み継がれていく
近代という世界はもう行き詰まっていて新しい文明の原理が必要な時代が目の前に迫っている
たとひ法然上人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。
専修念仏の輩の、「わが弟子、ひとの弟子」という相論の候らんこと、もってのほかの子細なり
親鸞は弟子一人ももたず候
念仏は無義をもつて義とす
経釈をよみ学せざるともがら、往生不定のよしのこと
この条、すこぶる不足言の義といいつべし
目次
Ⅰ 極楽浄土から還ってきた親鸞
Ⅱ 親鸞は日本人の精神的「故郷」である
Ⅲ 『歎異抄』と本願寺教団
Ⅳ 思索の人・親鸞と実践の人・蓮如
Ⅴ 『歎異抄』はなぜ現代人を惹きつけるのか
第1章 「歎異抄」わが心の恋人
第2章 「専修念仏」への道
第3章 法然、親鸞、そして、唯円
第4章 道徳の延長線上に宗教はない
第5章 弥陀を信じた親鸞の究極の境地
付 梅原猛の現代語訳『歎異抄』
解説 杉浦弘通
ISBN:9784094056242
判型:文庫
ページ数:336ページ
定価:619円(本体)
発売日:2006年01月01日初版第1刷発行