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【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part6|あにまん掲示板
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【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part6

  • 1125/06/15(日) 00:20:51

    マルクトと共に真理探究の旅を続ける話。


    ミレニアムEXPOテロ事件編、完結。


    なお、この物語はPart11前後で完結する予定です。

    スレ画はPart5の181様に書いて頂いたもの。誰も抱かぬ孤高のピエタ、罪なき者の悪徳の始まり。


    ※独自設定&独自解釈多数、オリキャラも出てくるため要注意。前回までのPart>>2はにて。

  • 2125/06/15(日) 00:21:53

    ■前回のあらすじ

    陰謀渦巻くミレニアムEXPOで起きたテロ事件。


    様々な組織が争う渦中に放り込まれた『特異現象捜査部』の一行は、自分たちにかけられた嫌疑を晴らすために事件を起こそうとしている『指示役』を探し出す。


    ようやく判明した『指示役』の正体は音瀬コタマ――驚異的な聴覚を持つ異才であった。

    何とか居場所を割り出し乗り込むと、ひとりでに動き出すマルクトの機体。


    意識が無いはずの『本体』に攻撃されるも応戦し、無事に勝利を納めた。

    コタマも捕まえて事件は解決。しかし、次なるセフィラ――ティファレトが目覚めるまであと三日。


    セフィラ探索の旅路が再び始まろうとしていた。


    ▼Part5

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」Part5|あにまん掲示板一年生のヒマリたちがミレニアムの謎に迫る話。ミレニアムEXPO開催中。スレ画はPart4の188様に書いて頂いたもの。相も変わらず美しい。※独自設定&独自解釈多数、端役でオリキャラも出てくるため要注意…bbs.animanch.com

    ▼全話まとめ

    【SS】マルクト「ヒマリ、千年難題を解き明かすのです」まとめ | Writening■前日譚:White-rabbit from Wandering Ways  コユキが2年前のミレニアムサイエンススクールにタイムスリップする話 【SS】コユキ「にはは! 未来を変えちゃいますよー!」 https://bbs.animanch.com/board…writening.net
  • 3125/06/15(日) 00:25:32

    ※埋めがてらの小話19
    オリキャラに名前はなるべく付けたくない。
    そう言ってはいたものの、書記の挨拶で「名乗らないの凄い引っかかるなぁ!!」となったため解禁しました。

    一応ちゃんとモチーフはあったりしますのでホスト規制が掛からぬうちに紹介をば。

  • 4二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 00:27:23

    立て乙です。
    前スレで残されているのは、会長の謎、正体不明の男「ミスター」の存在、ティファレト……ってとこかな?
    (あと、忘れられたコタマ……)

  • 5125/06/15(日) 00:28:05

    ※埋めがてらの小話20
    書記ちゃんもとい燐銅(りんどう)ハイマ。
    オッペンハイマーですね。映画は多分明日見ます。

  • 6125/06/15(日) 00:30:06

    >>4

    コタマもちゃんと救出されてますぜ!

    正直忘れかけたけどちゃんとマルクトの前に連れ出してくれてます。でぇじょうぶだ。

  • 7125/06/15(日) 00:32:45

    ※埋めがてらの小話21
    会計ちゃんこと久留野(くるの)メト。
    こちらは確か電子顕微鏡あたりから色々捻って作ったものです。

    とはいえ、本作のオリキャラの名前は忘れてしまって大丈夫です。
    主役はあくまでチヒロたち。名前を出すにしても役職付けて出すのでなるべく混乱しないように書きます。

  • 8二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 00:33:58

    >>6

    【悲報】音瀬コタマ氏、スレ主さんにすら忘れられかける


    コタマ「私が何をしたっていうんですか」


    ヒマリ・リオ・ウタハ・チヒロ・ネル・マルクト・会長「「「「「「「ミレニアムEXPOの裏でテロを起こしてマルクト(我)を誘拐し、大惨事を引き起こした。」」」」」」」


    コタマ「……仰る通りです……」

  • 9125/06/15(日) 00:35:27

    ※埋めがてらの小話22
    化学調理部部長こと仁近(にこん)エリ。
    分子ガストロノミーからつけた覚えはありますが、どうやって付けたのかは調べ直さないと思い出せません。

    伏線整理で片付いたので今後出てくるかは怪しいところ。

  • 10125/06/15(日) 00:36:58

    ※埋めがてらの小話23
    古代史研究部部長、神手(かみで)フジノ。
    ……まぁ、古代史で神の手なので、言わずもがなアレです。

    この子は戦犯ではありませんよ!?

  • 11二次元好きの匿名さん25/06/15(日) 03:42:02

    保守

  • 12125/06/15(日) 09:12:08

     その後の顛末は次のようなものだった。

     チヒロ達のトレーラーを修復するべく地下空洞の壁を侵食して機材へと変換を行い、補填は完了。コタマのトレーラーは特に直す理由もなかったため放置。ここまでは少し壁を抉ってしまうにとどまったが、問題は次である。

     トレーラーを地上に戻すためにはイェソドによる転移が必要だが、イェソドの質量より大きなものはイェソドも飛ばせない。そのために必要なのはネツァクがイェソドの質量を増やすことであり、トレーラーより大きくするためごっそりと壁を抉ってしまった。

     その際に送電ケーブルや通信ケーブルが完全に露出してしまい自重で何本か切れてしまったが、『ハブ』が修復しに来るだろう。
     大穴を開けた以上、ひとつを直そうとして下手に手を出し他のケーブルにまで影響が出る方が問題だということでこれは放置。

     ホドに地上を観測してもらい、巨大化したイェソドでトレーラーごと運び出し、ネツァクがイェソドの巨大化を解き、ミレニアムへと帰還する。

     そうして縛られたままのコタマを会長に引き渡すと、後の始末は会長が付けてくれるらしかった。

     どうやら五日目の今日はひとまず檻に閉じ込めて、明日から奉仕作業をさせられるらしい。
     チヒロはその時の会長が浮かべた、いつもと変わらぬニタニタ笑いを見てロクなことにならなさそうだと追求するのを辞めた。

     そしてヒマリとネルのいる部室だが――

    「アスナのやつ、結局来なかったな」

     一切姿を見せることなく一之瀬アスナは姿を眩ませた。

    「諦めたのでしょうか?」
    「まさか」

     ヒマリの問いにネルは鼻で笑った。

    「あいつが望んでんのはあたしとの決着だろ? だったらあたしにとって一番最悪なときに来るってわけだ。ま、それでも負けるつもりはねぇけどよ」

     いずれ訪れるアスナとネルの戦いは今日ではない。もっと相応しい戦場で出会うのだろう。

  • 13125/06/15(日) 09:13:31

     そうしたところでセミナーに寄っていたチヒロたちが部室へ戻って来た。
     セフィラたちもマルクトに率いられながら部室の方へとやってきて、共有ペースは少々手狭な状況である。

    「ほんっっっとうに疲れた!」

     まず声を上げたのはチヒロであった。

    「メイド服を着させられるわそのまま何日も着させられ続けるわ挙句の果てに大爆発。ほんと何だったのこれ……」
    「まぁまぁいいじゃないか。なかなかに似合っていたよチヒロ」
    「そうですチーちゃん。それか次はみんなで執事服でも着てみましょうか」
    「私にコスプレの趣味は無いって……」

     和気藹々と話す一同。その時、セフィラたちがびくりと身体を震わせた。
     どうしたのかとリオがマルクトを見ると、やや青ざめた顔でマルクトが言った。

    「会長が来ました。しっかり『起きて』ます」
    「報酬の話かしら」
    「まぁ、流石にここで嫌がらせしに来ることは……まさかないよね?」

     チヒロが表情を強張らせながら呟いて、インターホンを押される前に部室のシャッターを開く。
     すると普段と変わらず嫌らしい笑みを浮かべる会長が小包を持ってやってきた。

    「やぁやぁご苦労様だねみんな。あ、マルクトは『精神感応』使っても大丈夫だから。こっちの方はとりあえず追い出せたからさ」

     全力で会長から距離を取るセフィラたちに紛れてマルクトが頷いた。
     本当に苦手らしいようで、見ているだけで憐れみを感じるほどだとチヒロは思い、声を上げる。

    「それで、今度は何の用なんですか?」
    「冷たいねぇ~? そこがチヒロちゃんの良いところでもあるけれど、今回は普通に労いに来たんだよ。プレゼントは忘れる前にね?」

  • 14125/06/15(日) 09:15:07

     会長は共有スペースのテーブルに小包を置いて開くとそこには様々なものが入っていた。

     ジャスミンの香水、使い捨てられるラップトップPC、五枚のローリエの葉、それからミレニアムの刻印とバーコードが入った学生証。

     それは全てセフィラたちが望んだもので、チヒロは眉を顰めてこう言った。

    「……どうやって知ったんです? これを欲しがっていること、私たち以外知らないはずですが……」
    「当ててみなよ。君たち、頭が良いんだからこれぐらいの謎は解いてくれないとねぇ~?」
    「はぁ……当てたら何か貰えるんですか?」
    「あげるよぉ~? 僕の作ったミレニアムバッジを贈呈しよう!」
    「要りませんよそんなの……」

     付き合ってられないと言わんばかりにチヒロが視線を逸らすと、がたがたと震えるセフィラたちが視界に入った。

    「ありがとう皆。会長の相手は私たちでするからラボに戻ってて」

     そう言った瞬間、イェソドたちは更に会長から距離を取って――ついでにプレゼントも取って――『瞬間移動』でラボへと逃げる。

     それを見届けた後でチヒロは会長と目を合わせた。

    「それで、私たちへの報酬は無いんですか?」
    「もちろんあるさ! これでも色々考えたんだよ僕も。まぁ人にプレゼントなんて会長になるために色々やってきたから慣れてるけどさぁ~」
    「煙に巻かないでさっさとください。私が喜ぶものでも用意でもしてくれたんですか?」

     チヒロの言葉に会長はニンマリと笑った。

    「もちろんだとも」

     そう言って取り出したのはひとつのリムーブバルディスク。
     ことりとテーブルの上に置いて会長は静かに口を開いた。

  • 15125/06/15(日) 09:16:22

    「僕の論文をあげよう。千年難題の問5は覚えているね?」
    「っ――!?」

     認知科学/問5:364の言語的解析法。
     接頭に付くヒントのうち、最も限定的な千年難題の5番目。

     チヒロが震える唇で会長に訊こうとして、それを制するように会長が口を挟んだ。

    「きっと君が気に入るものだよ。答えじゃないけど答えに限りなく近い。残りは君たちで解くんだ」

     それだけ言って、会長は部室から出て行った。
     残された一同はしばらく身動きすら取れず、その中でヒマリが恐る恐る会長の置いていったリムーブバルディスクを手に取った。

    「……読みましょう。何が書いてあるのかを」

     会長は『何か』を知っている。抽象化するしかないほどの『何か』を。
     もはや全員眠気なんて忘れ切って、それからディスクの中身を開いていった――



     ――その後、ひとり未明の夜を歩く会長はミレニアムタワーにある執務室直行のエレベーターへと向かいながら涼し気な笑みを口元に浮かべていた。

    「チヒロちゃんたちの食いつきよう、凄かったねぇ」
    「彼女たちにとって重要なものなのだから当然だろう」

     気付けば会長の隣にはロボット市民が歩いていた。
     どこにでもいるようなただの市民。しかし学園内を、しかも会長と旧知の仲のように話しているとなると異常以外の何物でもない。

     誰も居ないタワーのエントランス。会長が直通エレベーターへ入ると男はさも当然のようにエレベーターへ乗り込んだ。

  • 16125/06/15(日) 09:17:49

     ミレニアムタワー、超高層建築たるそのタワーの最上階へと昇っていくエレベーターの中で会長が口を開いた。

    「あの子たちの旅路のヒントになればと思って渡したんだけど、与え過ぎかな?」
    「そんなことは無いんじゃないですかね?」

     その声はロボット市民ではない。いつの間にか会長の隣には獣人が現れていた。

    「七つもあるんでしょう? だったらあれぐらいはいいかと思いますぜ」
    「なら良かった。みんなにはマルクトを導いてくれないと困るからね」
    「あれしきで解いた気になるほどではないのだろう?」
    「そうさ。僕の探していた『本物』の『天才たち』……。そもそもみんなセフィラの機能を大きく持ち上げ過ぎなんだよ」

     エレベーターが最上階へとついて扉が開く。
     ミレニアム生徒会長の執務室。会長が許可したものしか入れないその場所に足を踏み入れる頃には、獣人の姿は消えてロボット市民の姿も恰幅の良い『誰か』へと変わっていた。

     会長は、それがさも『普通』のことだと言わんばかりに一切の興味を持たず、執務席にある自らの席に座る。

    「セフィラの機能なんて、会計ちゃんやコユキちゃんの不可思議な異能と全部同じなのにさ。目的のために与えられたギフト。それで言ったらエンジニア部だってそうだよね」
    「その通りだ。数百年に一度の『天才』が一同に会することこそ確率的に『有り得ない』。それこそが奇跡だろう」
    「あの……この後のセフィラたちに彼女たちは勝てるの……?」

     陰気な生徒が最初からそこに居たかのように現れて話し出す。
     会長は驚くことすらせず、平然と言葉を交わした。

    「僕は勝てると見込んでるよ。ただ……ケセド以降は分からないかな」
    「ケセド……『慈悲深き苦痛を持って断罪する裁定者』か」
    「あれは『殺すこと』に特化してるからね。ま、マルクトがいるから多分大丈夫だろうけど」

  • 17125/06/15(日) 09:18:59

     会長があくびをひとつすると途端に消える周囲の存在。役目を終えたと言わんばかりの退場。

     酷い眠気に辟易とする。あの日からずっと眠れておらず、眠気醒ましすら手を変え品を変えて耐性が付かないようにしてきたものの、流石に限界が訪れて来た。

    「早く解いてよね本当にさ。せめて僕が動けるうちに何とかして欲しいんだけど……」

     そう独り言ちたその辺りで、執務室の扉がノックされる。
     会長が許可を与えると、入って来たのは会計だった。

    「き、来たよ会長……」
    「うん、まぁ、座って。君の話でもしようか」

     会長に促されて、会計は椅子に座る。
     それを見届けてから、会長は口を開いた。

    「君の処分だけど、正直難しいんだよね」
    「うん……」

     項垂れる会計。それにはあっけらかんとした表情を浮かべる会長。

     そして、こう言った。

    「君さ、何か悪いことでもしたの?」
    「え……?」

     一瞬、何を言われたのか分からないと目を見開く会計。
     そんな彼女を無視して会長は言葉を続けた。

  • 18125/06/15(日) 09:20:05

    「いやさ、ミレニアムの監視カメラのサーバーにハッキングを仕掛けたのはよそじゃ悪いことかも知れないけれど、僕のミレニアムじゃ『入られる方が悪い』んだよ? 現行の法にも引っかからないし、罰せられるのはみすみす侵入を許したセキュリティの方だ。君じゃない」
    「で、でも、だって――」
    「テロ計画のことかい? 計画するだけじゃキヴォトス全土を見たって罰する法は無いだろうに。まぁ、計画していることが露見して治安に影響を与えたんなら話は別だけど、君は隠しきった。じゃあ別に頭の中の妄想ってことだよねそれ」
    「ちっ、ちが――」
    「ああ、実行して、指示を飛ばしたとかそういうのかい? それは確かに犯罪だ。ミレニアムでも流石に裁く。で、君は『何かした』のかな?」

     会長が浮かべるのは悪意に満ちた顔だった。
     揉み消そうとしていると思った会計だったが、すぐに気が付く。揉み消す必要すら無いのだと。

    「理解したかな? 君は何もしてない。というより『何も出来ていない』んだよ」

     会長が続けたのは最悪のネタバラシだった。

    「君さ、『エキストラ』を雇って『指示役』のコタマちゃんに指示を送ろうとしただろう? あれ、何一つコタマちゃんに届いてないよ。雇った『エキストラ』こそが最大の弱点なんだから」
    「な、何を言っているの……?」
    「君に一つ謎かけをしよう」

     本当の悪が笑みを浮かべた。

    「『エキストラ』の社長は僕の部下だ。『エキストラ』の会長は僕だ。『エキストラ』の創設者は僕だ。僕はこの中で二つ真実を語っている。……さぁ、どれが真実かな?」
    「そ、それは……」

     会計は一瞬視線を床へと落してぼそりと呟いた。

    「ぜ、全部嘘。『二つ真実を語っている』が否定されれば全部嘘になる……」
    「残念。それは本当」

     会計が悲嘆にくれた顔を上げた。
     目と目が合う。悪意に満ちた瞳が会計を貫く。そこに会計の語る『親友』なんて情は一切垣間見えない。

  • 19125/06/15(日) 09:21:11

    「君の指示はさ、僕が全部差し替えていたんだよ。だから君は何もしてないし出来ていない。テロ事件の指示を『指示役』に伝えたのは僕なんだから、君が及ぼした影響なんてブラックマーケットで『買い物』をしたぐらいかな?」

     何も言えない会計に、会長は畳みかけるように言葉を紡ぐ。

    「ブラックマーケットで物を売るなら規制してるけど買うのは別に規制してないからね。君は何もしていないし何も出来なかった。だって、ミレニアムの生徒以外に被害が出たら流石に面倒だろう? 横からかっさらうぐらいは当然するさ」
    「じゃ、じゃあなんで止めなかったの……?」
    「知ってもらうためだよ」

     会長は薄く笑った。
     その瞳は怜悧そのもので、普段の笑みとは隔絶された何かである。

    「この事件でエンジニア部……もとい特異現象捜査部は自らの慢心を『知った』。これからはきっと反省して万全を尽くしてくれるだろう。そして君もまた、いまこの場において自分の『悪意』がどれだけ脆いものかを『知った』。誰かに横取りされる程度の計画に意味は無いし、そもそも君に悪事を働く才能はない。チヒロちゃんの方がまだマシだね。あの子は悪意を知っているからこそ守る手段も知っている。そういう抗争に君はそもそも向いていない」

     ネルとは違うアプローチでの勝利の方法。
     純粋な勝利とは異なる戦略的勝利。それこそが会長の妙であった。

    「君は正しく善人だ。悪党の真似事なんかに向いていない。君の才能はそんなことに使うものじゃない」
    「し、シオンちゃ――」
    「『僕は誰だ』?」

     会長の言葉に口を噤む会計。恐る恐る吐き出されたそれは悲嘆を語る物であった。

    「ミレニアムサイエンススクール、生徒会長……」
    「そうとも。だから――僕と契約して手駒になってよ」

     浮かべた笑みは狂気のそれである。
     目的の為ならば情を踏みにじる悪の権化。誰も顧みず、ただ先へと進む狂乱の賢者。

  • 20125/06/15(日) 09:22:12

    「わ、私は……」
    「君は負けた。あとはサインするだけだ。僕の邪魔は二度としない。あの子たちに協力する。それと、あの子たちが会長になれるよう教育する」
    「う……あ……」

     キヴォトスにおいて『契約』は『絶対』である。
     会計は頬を強張らせながら、差し出された『契約書』に名前を書いた。

     それでも、会計は会長へと視線を向ける。

    「わ、私は、シオンちゃんの親友だから……」
    「まだ言ってるのかいそれ? 僕は君のことなんて友達の『と』の字すら言った覚えはないんだけれど」
    「私がそう思ってるだけだよ……。シオンちゃんがどう思ってるなんか関係ないもん……」
    「へぇ? そう……」

     会長は少しだけ考えて、それから言った。

    「じゃあ……今度絵を書いてよ、デッサンってやつ。そうすれば君も満足するだろう?」
    「絵……?」
    「モデルは僕ね。書く日は後で連絡するから色使いぐらいは覚えておいて。あと10日ぐらいミレニアムを空けるからその間の対応もよろしくね」
    「え、えぇ……?」
    「それじゃあ帰った帰った。今日までの仕事は終わらせておくから頑張りなー?」

  • 21125/06/15(日) 09:23:13

     会計を追い出して再びひとりの空間に。
     それから会長は穏やかに笑みを浮かべた。

    「ほーんと、馬鹿だよねメトちゃんも。『会計』だって言っているのに全然役割に委ねてくれない。『親友』だってさ。悪意をズタズタにしたのにほんと、馬鹿みたい」

     それから会長は仕事を片付けてエレベーターを降りた。
     これからオデュッセイア海洋高等学校と打ち合わせがある。大事な打ち合わせだ。

    「間違いは正されないといけないんだからさ……」

     ぼやくように叫んだ会長はそのまま始発電車に乗るべく駅へと向かう。
     そこからの行方は、杳として知れぬものであった。

    -----

  • 22125/06/15(日) 18:07:29

     ミレニアムEXPOも五日と続けば、大抵のミレニアム生は展示物を回り終えてしまう頃である。
     この辺りから閉幕五日前辺りまでは校内の様子も徐々に落ち着いてくるだろう。

     そんな昼下がりのこと。
     エンジニア部の部室ではちょっとしたお祝いが開かれていた。

    「それではマルクト。改めてですが……人体獲得、おめでとうございます!」

     クラッカーが鳴らされて、共有スペースを色鮮やかに染め上げた。
     ヒマリが前に出てマルクトの首に学生証が掛けられる。

     ミレニアムサイエンススクールの生徒であることを示す身分証明証であり、各種支払いや金融機関で紐づけた口座への入出金などが行える。他にも交通機関を利用する際にも使われるため、学校外での活動には必須のアイテムである。

    「大事なものなので絶対に無くしてはいけませんよ?」
    「分かりました。ありがとうございますヒマリ」

     続いて前に出て来たのはウタハ。手には変わった形のアサルトライフルを持っている。

    「私からはこれを」
    「銃……ですか?」

     ウタハから受け取った銃は長方形にトリガーとスコープを付けたような見た目をしており、白を基調に黒と金の塗装がなされていた。

    「『G11』をモデルに作った銃だよ。ケースレス弾薬を使うアサルトライフルで、薬莢を使わないから利き手も選ばず銃の手入れも簡単さ。射撃速度も早く命中精度も高いからマルクトにぴったりだと思うんだ。カラーリングもセフィラ仕様にしてみた。銘は『シークレットタイム』。受け取ってくれるかい?」
    「ありがとうございます、ウタハ」

     早速受け取ったマルクトはしげしげと銃を眺めて、それから早速ストラップを肩にかけて背中へと回す。

     自衛においては銃を撃つよりセフィラの機能を使えばいいマルクトがその引き金を引くことは無いだろう。
     しかしキヴォトスにおいて銃の不携帯はかなり目立つ。外に出るなら学生証と並んで必須と言っても過言ではなかった。

  • 23125/06/15(日) 18:08:47

    「次は私ね」
    「それは?」

     そう言って出て来たリオの手には黒いチョーカーが握られており、マルクトだけでなくヒマリも首を傾げた。

    「リオがアクセサリーとは珍しいですね?」
    「違うわ。サイコダイブ装置よ」
    「サイコダ――え、完成したんですか!?」

     それはセフィラ探索をすると決めたあの日のこと、存在命題を見つけたマルクトが世界を滅ぼすかも知れないと危惧していたリオに「何とかしろ」と無理難題を押し付けたときである。

     上位権限からの命令を棄却するための装置。かつて机上の空論であったそれは、同じくセフィラたちの機能によって現実のものへと変わったのだ。

    「まだ試作品なのだけれど、あくまで最終手段として聞いてちょうだい」

     それから語られたのはサイコダイブの機能についてである。

    「まず、これは直接命令を破棄させるものではないわ。精神感応にアストラル投射、ホドによる観測技術を元にした『夢を共有する装置』だと考えてちょうだい」
    「夢の共有……?」

     チヒロの呟きにリオが頷く。

    「セフィラたちは半覚醒状態で顕現するでしょう? その半覚醒状態に戻すのがこの装置。ただし使用には誰かが接触する必要があるわ。正確には、接触者の意識を半覚醒に落としてマルクトに押し付けて自我を隔離。『説得』と『時間稼ぎ』を行うのが目的よ」

     ただし、これはあくまで理論上の話でしかない。
     チョーカー自体もネツァク製の古代由来。使っている技術もイェソドたちの機能に推測を立てながら無理やり小型化したもので、『こうしたら動く気がする』以上のことは何も言えないのが現実だ。

    「臨床実験を行うにも、精神への干渉装置だから出来なかったのよ。もしかしたら動かないかも知れないし、中途半端に動いて夢の世界にマルクトも接触者も閉じ込められる危険性も充分あるわ。だから、これがいま備えられる最終手段」

  • 24125/06/15(日) 18:10:02

     裏を返せば中途半端にでも動いてくれれば世界の崩壊をひとりの犠牲で抑えられる。

     そのひとりは自分であるべきだとリオは覚悟していた。

    「これまでのセフィラの機能を見れば分かるわ。きっとケテルへと辿り着いたあなたは世界を滅ぼせる」
    「リオ! なんてことを言うのですか!」

     咎めるようにヒマリが声を上げたが、ネルがヒマリの肩に手を置いて首を振る。

     リオと向き合うマルクト。リオは静かに言葉を続ける。

    「マルクト。これを受け取るかどうかはあなたに任せるわ。けれど、私が用意できる手段は今のところこれだけよ」
    「我は……」

     マルクトはすぐに手を伸ばすことが出来なかった。
     これは人間側から与えられた枷であり、マルクトに課せられた自己保存のルールを適用すれば『受け取ってはならないもの』に当てはまる。

     製作に協力したであろうセフィラたちはきっとこれが何なのか知らない。でなければ作るはずが無い。
     事実、マルクトもこうして説明されるまでこのチョーカーが何なのかは分からず、危険なものと認識すら出来なかった。

     そのうえでリオはわざわざ説明をしたのだ。
     言わずに受け取らせて付けさせるなんてさせず、マルクトに『選択』することを求めていた――その時だった。

  • 25二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 00:31:02

    保守

  • 26125/06/16(月) 00:43:58

     ――ねぇ、マルクト。
     ――この世界は好き?

     『声』が、聞こえた。

     誰かの言葉。覚えのない誰かの記録。
     振り返って『私』を見てあどけなく笑う誰かに答えた言葉を『私』は知っている。

     ――■■■、この世界が好きです。滅ぼしたくありません。もう誰にも傷ついて欲しくありません。

     ノイズが走る。何処からか流入するのは全てが変わってしまった『あの日』の慟哭。

     ――大丈夫、仇は討つよ。大丈夫。大丈夫だから……。

     気付けばマルクトはリオのチョーカーを手に取っていた。

     これを付けなくてはいけないものなのだと、自己保存のルールすらも超える『何か』に突き動かされるように手に取って首に付ける。自らを縛る首輪を。

    「我は……この世界を滅ぼしたくありません。もしも我が命題が世界の滅亡ならば……」

     命題を、作られた目的を果たせない。それは人間でいう死に匹敵する根源的な恐怖である。
     以前であればその目的が何であれ絶対に果たそうとしただろう。恐怖はある。けれども、皆がいる日々のためならその恐怖も踏み越えられるかも知れない。

    「そのときは、一緒に死んであげるわ」
    「リオ……」
    「あの、辛気臭い話は終わりましたか? というかどうして二人ともそのように死地に向かう兵隊みたいな顔をしているのですか」

     ヒマリが呆れたような顔をして肩を竦める。

  • 27125/06/16(月) 00:45:03

    「生きるだとか死ぬだとかいつまでそのようなつまらぬことを考えているのですか。そもそも世界を滅ぼすためだと言うならどうしてそんな非効率的な設計をしているのですか」
    「非効率的……?」
    「そうです」

     ヒマリが続けたのは『セフィラ探索』というものの歪さについてであった。
     そもそもこの『出現するセフィラを確保して接続を果たす』という流れ自体が奇妙であるのだ。

     マルクトの命題が『ケテルまでの全てに接続して世界を滅ぼす』というのなら、滅ぼされる側の人間の協力無しに確保が行えないという構造は欠陥どころの話では無い。

     人間に見つからないようこっそりと行わなければ妨害される。わざわざ人間対セフィラの戦争を起こす以外にそんな経路でセフィラ確保を行う必要なんて何処にも無いのだ。

     加えてマルクトは感情を学習できるセフィラ。
     人間と接することで人間側に寄ってしまえば全てが破綻する。

    「そんな意味も無く不確定な要素を入れ込むなんて無いでしょう? だからマルクトに与えられている存在意義が世界滅亡なんてつまらないこととは考えられません」

     ヒマリがキッパリと言い放つと、マルクトは少しだけ安心したように頬を緩めた。

    「ありがとうございます、ヒマリ。それにリオも。何があっても後悔しないよう、我も先のことを考えてみます」
    「ええ、それがいいわ」

     その辺りでマルクトが一同を見渡すと、妙に居心地の悪そうなチヒロとネルが曖昧に笑っていた。
     どうしたのかと思っていると、先に口を開いたのはネルの方である。

    「あー、その、なんだ。プレゼント渡す流れになると思ってなくてよ……。今度何か用意するから待ってろ! な!」
    「ごめん、私も特に用意してなかった……。というか先に言ってよみんな……」
    「気持ちだけで充分です二人とも。ありがとうございます」

     マルクトがそう言うもそれはそれで何か後ろめたく感じた二人は、後日に何か適当に用意しておくということでひとまずの決着が付いた。

  • 28125/06/16(月) 00:46:10

    「では我はラボに戻ってセフィラたちとも話してみます。先月と比べて我もこちらの言葉を覚えましたから、改めて当初の翻訳に間違いが無いか確かめて来ます」
    「はい。何か新しいことが分かったら教えてくださいね」

     部室を出ていくマルクトの背を見送る一同。
     その姿が完全に見えなくなったところで「さて」とチヒロが重たい口を開いた。

    「じゃあ、今のうちに話そっか」

     マルクトの前では話せなかった議題が二つ。
     地下空洞で勝手に動き出したマルクトの『機体』と、会長の置いていった『論文』についてであった。

    -----

  • 29二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 01:19:58

    (それっぽい言動をしてると思ったら本当にそれっぽい名前のアイテムが出てきた)

  • 30二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 01:22:39

    保健室での「ぴーす」、そして「シークレットタイム」……

    いや……そんな……まさかな……

  • 31二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 08:46:10

    保守

  • 32125/06/16(月) 09:44:50

     会長が持ち込んだ論文はヘイローと魂、意識界からの流入といった存在論から始まる『存在の記号化』についての論文だった。

     副題は『セイクリッドスターチェイサー』――本質の光と魂の観測技術に纏わる話であり、会長が出て行った直後、いち早く理解したヒマリとリオがマルクトに見せないよう即座に画面を閉じたのだ。

     恐らくこれはマルクトの機能に関するもの。半ば直感ながらに危険な気がして、それから今に至る。

    「とりあえず、全員で流し読みでもしましょうか」

     ヒマリの言葉に頷くネルを除く一同。それから少ししてウタハが早速音を上げた。

    「見慣れない名詞が多すぎて目が滑る……あとは任せたよ」
    「だよなぁ。ポテチ食うか?」
    「貰う……」

     ネルが袋を開けてウタハに食べさせ始める。うすしお味と無難なフレーバーで、ウタハは雛鳥のように口を開けては差し込まれるポテトチップスを軽快な音を立てながら食べ始める。

     チヒロ、ヒマリ、リオの三人が黙ってタブレットPCを操作し続け、最初に口を開いたのはヒマリであった。

    「ここ面白いですよ。『ヘイローとは神界から流出した「意識する私」の表れであり、アストラル界、エーテル界の二つのフィルターを通して物質界に顕在化するものと思われる』……。ミレニアム全土でヘイローの観測を行っていたようですね」

     タブレットを操作してページをめくっていくと、続く内容はこんなものだった。

     ――他者のヘイローが光輪として認識される中、自分のヘイローの形すら知らない者もいる。
     ――これは前述の『意識する私』をどれほど認識出来ているかによって差異が生じていると考えられる。

  • 33125/06/16(月) 09:45:58

     ヒマリは鏡を取り出して自分を映し出すと、相も変わらず美しい自分の顔とその頭上に浮かぶ自身のヘイローが見えた。

     もちろん自分のヘイローの形は分かる。分かるが、派手に首を上下に振ったりしない限りは鏡に映った状態でしか物理的に見えずらいため、わざわざ自分のだって観察する者は多くない。

     正直なところ、そんな他人と比較できず自分でも見えづらい場所にある頭のこれに関心を抱く者はそうそういないだろう。何なら指の爪の形の方が関心を持たれているぐらいだ。

     そのぐらい存在することが当たり前になっている部分がヘイローであり、それにわざわざ疑問を呈するなんて言うのは『何故人の指は五本で二本の腕と足が付いており、左右対称に出来ているのか』と同じぐらい学術寄りの話である。

     そう思いながら読み進めていくと、奇妙な一文が目に入った。

     ――ごく稀にヘイローが変質する者もおり、これは自己に対する認識が大幅に変化した際に発生すると考えられる。
     ――オントロジーの転回が指すのはヘイロー、即ち自己存在の不可逆的な変質を指すと仮定する。

     『社会学/問1:テクスチャ修正によるオントロジーの転回』、千年難題の問1に出て来た言葉が現れて思わず目を見開いたが、それよりも、それ以上に気になったのはそこではなかった。

    「『ヘイローが変質する者もおり』……。どうして変質していると分かったのでしょうか……?」

     まさかわざわざ本人に書いてもらったのだろうか。
     確かに描けと言われれば描けないこともないが、『ごく稀に』とある以上例外中の例外だろう。

     その該当者をたまたま見つけて、描いてもらって比較できた?
     だったらまだ『会長は他者のヘイローの形を認識できる』と言われた方がまだ話が通る。

    「まさか……分かるんですか? 会長には人のヘイローの形が」

     そう考えればミレニアム全土で行われたヘイローの観測も意味合いが少し変わる。
     『あるかないか』に加えて『どんな形か』まで観測していたのなら、観測できたのなら『実験』も出来るはずだ。

  • 34125/06/16(月) 09:47:08

     それはホドを確保してから散々試したこと。見えれば観察できる。観察できれば調べられる。
     ヒマリはこの中で最もホドによる観測実験を行っていたウタハへと視線を向けた。

    「ウタハ、ホドは私たちのヘイローを観測できますか?」
    「いいや。無理だったよ。そもそもヘイローの存在自体認識出来ていなかったんだ」
    「ということは人間にしか見えていないと考えるべきでしょうか……」

     どのみち、ヒマリたちでは観測できない以上、会長が見ているであろう世界を覗くことも出来ない。
     主観でしか証明できないのであれば論文としての体を為さず、だからこそ何処にも発表されずに死蔵していたのだとヒマリは考えた。

     ――ヘイローはその人物の根源であり『本質の光』である。
     ――これは機械にとっての『存在意義』に相当するものであり、人類に課せられているのは自らの『本質の光』を追い求め、魂の格たる神秘を上昇させることで忘れられた神性を呼び起こすのが人類の『命題』とも言える。

    「魂の格……。そういえば前にマルクトがそんなこと言っていたような……」

     思い出すのは初めてマルクトと出会った日。マルクトが言った言葉であった。

    『ミレニアム全土において最も『魂』の格が高かった者がヒマリだったのです』
    『格が高いとキヴォトスへ『流出』させられる可能性の純度が高くなります』

    「つまり……私は可能性の塊だということですね」
    「うん、何の話だい?」
    「いえ、何でもありませんよ?」

     『流出させられる可能性の純度』だとか、今はまだ分からないがひとまず意識の片隅には置いておくことにした。

  • 35二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 17:00:08

    可能性の塊ヒマリ

  • 36二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 20:51:03

    番外編として、スレ主様の「雷帝を討て、空崎ヒナよ」に登場する代表を描きました

    一応ミレニアムには関係のあるお方ということでお目溢し頂ければ

    【SS】マコト「雷帝を討て、空崎ヒナよ」|あにまん掲示板「む……少々時間が空いてしまったな」いつものように事務処理を終えて時計を見ると、時刻は15時を示していた。先生が来るまであと3時間。手持ち無沙汰になってしまった……。(そもそも事務仕事自体、ほとんどイ…bbs.animanch.com

    見た目はイブキをそのまま成長させたような出立ち

    どこまでも「普通」のようでありながら、異常発達したヘイローと第2の光輪のごとく湾曲した角で異質さを表現しました

    ヘイローのデザインは「生徒はヘイローを曖昧な形でしか認識できない」という設定から着想を得ました

  • 37二次元好きの匿名さん25/06/16(月) 20:55:53

    >>36

    統合したものも。

    胸のリボンらしきものはネクタイを強引にリボン状に結んだもの、輪のように見えつつも途切れている歪な一対の角は「限りなく神に近く、しかし紛い物の偽神」というニュアンスを込めてます

    グノーシス主義で言うところのヤルダバオートのようなイメージです

  • 38125/06/16(月) 23:53:56

    >>36

    >>37

    まさかの代表……! ありがとうございます!

    ヘイローがもしはっきりと見えている人だったら、正面から相対するだけで異物感を覚えそうでとても良い……。


    一応私のオリジナル設定的には現在17歳で本来ならばゲヘナ学園三年生ですが、色々あって六月頃に卒業したため本作では出てきませんし語られることもありません。


    詳細は【SS】マコト「雷帝を討て、空崎ヒナよ」にて!(隙あらば宣伝)

  • 39125/06/17(火) 01:05:40

     僅かに脳疲労を起こしたヒマリは瞼越しに目をぐりぐりと押し揉んで、タブレットを手にしたままウタハに餌付けするネルの隣へと座って口を開ける。するとネルがさも当然のようにポテトチップスを口に入れてくれたため、そのまま食べながらリオへと目を向けた。

    「何か面白そうなことは書いてありましたか?」
    「……えぇ、『名と契約』の項を読んでいるわ」

     聞かれたリオは一瞬遅れてヒマリへと言葉を返す。
     リオが見ていたのは契約に纏わる内容であった。

    「神学、宗教学の類いはトリニティがいるからと後回しにされて来たでしょう? 会長、トリニティでも何か調べていたみたいね」

     リオが指し示したのは次の一文である。

     ――トリニティ総合学園での資料には、始まりの神性と『我々』の間に何らかの『戒命』が締結されたと推察できる一文があったものの、それを記した経典は未だ見つかっておらず、ティーパーティー主導で捜索に当たっているとのこと。

    「全体的に論文というより途中成果をまとめただけの考察レポートね。特にトリニティの下りは不確かな根拠に基づいて持論が展開されているだけだもの」

     ずばりと断ち切るような言い様ではあったが、それは決して間違いではない。
     共有されていない観測情報によるデータは主観のそれと同義であり、考察を裏付ける証拠が提示されていないのだ。

     そのことを分かっていながらも、リオもヒマリもチヒロも読む手を止めたりはしなかった。

     いま重要なのは『会長』が『何を考えて』、『何故これを渡したのか』という点である。
     恐らくこれは会長の辿ったかつての道であり、きっと既に答えと言う名のゴールに辿り着いているのかも知れない。

     そのことを踏まえた上で、リオが読み進めていく。

  • 40125/06/17(火) 01:06:42

     ――『名』を用いた『契約』は意識を縛る『呪い』となる。約束を反故にした際に感じる不快感は『神性』へと回帰度合いに比例して大きく増加し、時には物語的破滅を迎えることもある。

     ――つまるところ、認知された『名前』こそが物質界へと『私』を縛る鎖であり楔となる。
     ――そして『名前』は『ヘイロー』と結びつく。『名前』とは本質であり魂である。

    「名前の秘匿こそが『私』の定義を曖昧にする……それが会長の持論のようね」
    「……そういえば、私たちも会長の名前をちゃんと聞いた事はなかったね」

     チヒロが言うと、リオは会計を捕らえた時のことを思いだして言葉を続けた。

    「それについては会計が言っていたわ、『シオンちゃん』と。それが会長の『名前』だそうよ」
    「『シオン会長』、か……」

     会長の名前なんて今まで知る必要も理由もなかったが故に誰も知らなかった。
     EXPOの開催式典ですら『ミレニアムの生徒会長より挨拶を』で済まされるため名前を読み上げられることはない。会長は『会長』であるが故に『会長』と呼べば事足りて、だからこそ今まで気にすらならなかったのだ。

    「でしたら調べましょうか?」

     ヒマリの声にチヒロは難色を示した。

    「いや、これどう考えても罠でしょ……。だって『あの』会長がこんなもの渡して来たんだよ? 大抵のセキュリティなら突破できるあんたがいる『私たち』に。公になっている文書ぐらいならともかく、そこになかったら確実にミレニアムの法に引っかかる場所に隠してるでしょ。それも絶対暴けない場所に」

     自らを悪と自称する会長のことである。用意周到に罠を仕掛けて待っているとチヒロが考えるのも無理はない話だった。

    「これで『じゃあ会計を調べよう』とか考えるのも織り込み済みだと思う。というか、私だったらそうする。ハニーポットとしてあまりに魅力的すぎるし……」

     ホワイトハッカーとして重要なのは『穴をどれだけ潰せるか』である。
     そして原則として防衛側は不利を強いられる。いつだって攻め手が有利なのだ。

     そんな中でわざわざこんな情報を『与えてきた』のは、防衛側が行える自発的攻撃手段に他ならない。

  • 41125/06/17(火) 09:26:14

    保守

  • 42二次元好きの匿名さん25/06/17(火) 17:23:32

    大気

  • 43125/06/17(火) 20:58:05

    「やるんだったら外堀を埋め切った後。最低でも、今やって情報を得てもそれを起点にしたら騙されると思った方が良い」

     それからチヒロは「そんなことより」と話題を変えた。

    「私が気になったのはここ。『名の定義について』」

     チヒロが読み上げたのは、つまるところ『同姓同名は存在し得ない』というものであった。

    「『名前が魂ならば名前こそが私の存在を確立するものである』――まぁ、色々書いてあるけど、結局は『オブジェクト名』が『私の名前』みたいなこと書いてあってさ」

     ざっくばらんな要約は「読めば分かる」と言わんばかりのものであり、ヒマリとリオは該当部分に目を通す。

     ――故に、同じ『名前』は存在し得ない。参照するものが二つとあればエラーが生じる。
     ――肉体が『器』でしかない以上、仮にふたつの魂が存在するような事象が発生すれば『名前』を共有する存在のうち一つを残して眠りに着くことで整合性を取ろうとする。

     ――世界に存在できるのはひとつの名前にひとつのヘイローのみであると考えられる。

    「これってさ、どっちが先なんだろうね」

     不意に呟いたチヒロの言葉にリオが顔を上げる。

    「魂とヘイローの論考を考えていたところにセフィラを知って結論に至ったのか、セフィラを知ってこの論考を辿ったのか、ということかしら」
    「そう。そして会長は何をしようとしているのか。それとも『し終えた』後なのか」
    「少なくとも、このレポートは千年難題の問5に繋がるとは思っているようだけれど」

     『364の言語的解析法』……この『364』が魂やヘイローに関わる何かという示唆だというメッセージは受け取った。

  • 44125/06/17(火) 20:59:25

    「しかし……てっきり魂とあったものですからマルクトの機能の話かと思ったのですが、そういうわけでもありませんでしたね」

     ネルにポテチを食べさせてもらっているヒマリがそう言うと、凝った肩を回しながらチヒロもヒマリの近くに座って頷いた。

    「ただ、マルクトがヘイローを感知しているって考えれば割と筋は通るよ。寝ると消えるし」

     チヒロが口を開けるとポテチが差し込まれる。そこにリオもやってきた。

    「けれどもおかしいわ。同じ名前は同時に存在できないとなると、あの地下空洞で暴走していたマルクトの機体はいったい何だったのかしら」
    「自動防衛機能とか? でもマルクトも知らなかったみたいだよね。確保前のセフィラとも何か違ったし……」
    「そうね。マルクトとは個別に存在していたように見えたわ。知れば知るほど知らないものが増えていくなんて特段珍しいことでもないけれど……」

     理解度や解像度、知識の類いが増えれば増えるほど、自分が如何に知らないかを知ることなんて日常茶飯事。それでも千年難題やセフィラといった『推論すら立てられない』ものについては感覚が違うのだ。

  • 45125/06/17(火) 21:00:48

     常に付きまとうのは分かるかではない。『分かってしまって良いのか』という正体不明の違和感。
     進めば進むほど、自分たちはいったい何に近づいてしまっているのか分からなくなっていく不安。

     未知への恐怖。
     それはきっと、神に近づこうとした先人たちの誰もが感じた神秘に対する畏敬なのかも知れない。

     そんな奇妙な感覚を胸に覚えながら、リオがネルに向かって口を開けると、ネルはぷるぷると震えながらポテチの袋に手を突っ込んだ。そして――

    「…………おい」

     ネルの前には四羽の雛鳥。流石に我慢の限界だった。

    「なんであたしが食べさせてやんなきゃなんねぇんだッ――!!」

     握り潰されるポテチ。そして構えられるサブマシンガン。

    「自分で食えぇぇえええ!!」

     ――ともかく。銃弾が飛び交って今日のところは解散の運びとなったのだった。

    -----

  • 46125/06/17(火) 22:37:56

     それから、三日後。
     チヒロはいつもより少し早めに起きてトレーラーへの積み忘れ――医薬品など――のチェックに入り、忘れ物が無いかを確認し終えて、車両の最終点検を行うウタハへと声を掛けた。

    「問題なさそう?」
    「ああ、準備万端さ」

     オーバーホール自体は昨晩で終わらせていたため簡易的な確認に留まったウタハが声を返す。

     この三日間、チヒロはウタハと共に整備や点検などに費やしていた。
     ウタハの作っている人造セフィラ、ゼウスの調整にかかり切りでEXPOやマルクトには特に構うことも出来なかった。

     その穴埋めにヒマリとリオがEXPOを回っていたのだが……色々とあったらしい。
     昨日の夕方にリオはヒマリとマルクトが静観する中、セフィラ三体に足蹴にされ頭突きをかまされの袋叩きの憂き目に遭っていたが、どうせまた何かやらかしたのだろう。

     詳しい話はティファレトを確保した後に聞くとして、チヒロは大型トラックを自動運転に切り替えてからトレーラーへと乗り込む。

     その辺りでネルがラボの方へとやって来て気だるげに首を回した。

    「今日だな。『廃墟』の方はある程度掃除して来たからティファレトが来る前でも普通に歩けるようにはしといだぞ」
    「ん、助かる。ま、ロボット兵の素材も集まったからね。トレーラーまるごと持って行かれない限りは壊れても補充は出来そう」

     ネルには今日までで出来る限り多くのロボット兵を狩ってもらっていた。
     ネツァクがいる今となっては残骸も立派な資源だ。壊れても資源があれば物品自体は復元できる。

    「そういやぁ、リオたちはどうしたんだよ」
    「マルクトが起こしに行ったからもうすぐ来るんじゃない? ……あ、ほら」

     チヒロが目を向けた先には引きずられるように手を引かれるリオと、引くマルクトと、ぐりぐりとリオの頬を引っ張るヒマリの姿があった。

  • 47125/06/17(火) 22:39:34

    「ほら! いつまで寝ぼけているのですか!」
    「朝は弱いのよ……」
    「もう九時ですよ!? どうしてあなたは……もう!」
    「ヒマリ、リオがだらしないのは今に始まったことではありません」
    「だからと言って見過ごせますか!? 水ぶっかけてもこんな有様なんですよ!?」
    「争いは不毛――あうぅ……」
    「原因はあなたですが!?」

     ヒマリに頬をつねられたリオが情けない声を上げた。
     それを見てウタハが愉快そうに笑う。

    「いつも通り賑やかだね」
    「ちょっとぐらい緊張感を持って欲しいって思うの、間違いなのかな?」

     チヒロは半目でぼやいた。
     イェソド、ネツァク、ホド――これまで三体のセフィラ確保に成功して来たからか、どうにも気が緩んでいる気がすると内心思う。

     とはいえ、こんな緩んだ空気も今だけだと思う自分もいるのは確かであった。
     トレーラーに乗って、『廃墟』に向かう道中には全員準備が整う。戦いの空気が出来上がる。

     セフィラ攻略戦。イェソドから始まってネツァクまで至った自分たちが思い知らされるのは、攻略の難度が上がり続けているということ。

     『瞬間移動』、『波動制御』、『物質変性』――いずれも初見において辛酸を舐めさせられ続けている。

     分からないが故に必中のそれらに対して、いったい自分たちがどれだけ抗えるのか。
     ホド戦においては『逃げられる』という選択肢を潰され、ネツァク戦においては『死なない』という前提を覆された。なら、次は――? 次は何が起こる――?

  • 48二次元好きの匿名さん25/06/17(火) 22:39:48

    みんな口開けて待ってるの可愛い

  • 49125/06/17(火) 22:52:13

    「チーちゃん、顔が怖いですよ?」

     投げかけられたヒマリの声にチヒロが顔を上げる。

     そこにはいつものように笑うヒマリがいた。優雅に、無駄に良い顔で微笑む友人の姿。
     チヒロは声を上げかけて、それを遮るように、分かったように人差し指を口元へと当てた。

    「お忘れですか? 未来の後輩が私たちの無事を証明してくれてます。だから悪いことにはなりませんよ?」

     見透かしたように笑うヒマリに、チヒロは何も言えなかった。
     無事である。それは分かっている。未来から来た後輩の反応から。

     ただ、それにはひとつだけ例外がある。
     それは唯一保障されてしまった『欠損』。その『唯一の当事者』が笑って言った。

    「やれる限りのことをしましょう。私は何であれそのつもりですから」
    「…………そうだね。進もう」

     全員がトレーラーに乗り込んで走り出す。
     そうして始まったのはいつものブリーフィング。いつもの、セフィラ探索の光景である。

  • 50二次元好きの匿名さん25/06/18(水) 03:04:48

    保守

  • 51125/06/18(水) 09:44:36

    「じゃあ始めに、前回のネツァク戦の後で『廃墟』の構造が大きく変わってるからその説明を。マルクト」

     チヒロが通信機に向かって言うと、スピーカー越しにマルクトが頷いた。
     マルクトはトレーラーに乗り込まず部室で待機しており、理由としてはマルクトに何かあればいざというときにグローブを通して停止信号が出せなくなる状況を鑑みてのことであった。

     だが、身体を得た今ではもうひとつの役割が出来た。
     セフィラ戦においてラボで待機してもらうセフィラたちとの仲介役である。

    【ネツァクの機能によってチヒロたちが探索して来た『フラクタル都市』、『兵器工場』、『博物館』は茨に埋もれ、その後に水へと変質しました。この影響により、『フラクタル都市』突き当りの壁が融解し、進行可能となってます】

     『廃墟』の中でもミレニアム側にあったエリア全てを呑み込んだ茨の大海である。
     最後に生じた水が『廃墟』の奥へと流れ込み、地下室などは水没してしまったのだ。

    【ただし、『兵器工場』側は今も茨で覆われているためそれほどの影響は無いようです】

     トレーラー内のモニターに映し出されたのはところどころが水没した朽ちた街並み。
     そこを実際に歩いてロボット兵を排除していたネルが口を開いた。

    「道路の状態はそんな悪くなかったな。むしろ綺麗なぐらいだ。シラトリから人が居なくなって早数十年みてぇな感じで、結構普通だったぞ」

     整然とした不気味さがあった『フラクタル都市』の向こうに広がる『普通』の街並み。『普通』の廃墟。せめて逆だったらまだしもここに来て出てくる『普通』ほど気味の悪いものは無い。

     チヒロがモニターに映るマップの一部を拡大する。
     マルクトがティファレトの発生を予測した今回の目的地。そこにはお椀をかぶせたようなドーム状の建造物が映っていた。

  • 52125/06/18(水) 09:45:36

    「今回向かうのは『プラネタリウム』……なんだけど」

     突然歯切れの悪くなったチヒロに訝しむ一同。その例外であったネルが肩を竦めてこう言った。

    「居なかったんだよ。ティファレトが」
    「居なかったって……入ったんですか!? セフィラがいるかも知れない場所に!?」

     あまりに不用心すぎるとヒマリが驚いて声を上げるが、ネルは耳の裏を掻きながら言葉を続けた。

    「まぁ聞けって。寝てんだったらこっそり入ればいいって思ったんだよ。もちろん罠とかロボット兵とか変なモン見つけたらすぐに引き返すつもりでな。けれど、中は普通の廃墟だった」

     『プラネタリウム』の内部に特出するべきものが何も無かったのだと言い、内部構造もあらかた把握して戻って来たのだ。

     確かにその行動自体は危険を誘発するもので褒められたものでは無いが、持ち帰った情報と差し引いても快挙であるのは間違いない。

     持ち帰った内部構造についてはウタハから説明が入る。

    「『プラネタリウム』はフロントと宇宙劇場の二層から成る簡単な作りでね。フロント部分は死角の少ない開けた場所で特に言うこともないみたいだ。それで、外から見えるこの丸い部分が本体の宇宙劇場。中はすり鉢状になってて観客席が置いてある感じで想像して貰って構わない。ちょうど外から見えるドームと合わせて球体になっているのさ」

     ウタハが手で球体のジェスチャーを取るとリオが眉を顰めた。

    「妙な形ね……。それではプロジェクターが視界に入ってしまうわ。ドーム上部が全面スクリーンにでもなっているのかしら……」
    「そう聞くと何とも贅沢な作りだね。ともかく、一応と特記事項としてはその観客席側だけど、底の方が水没してるんだ」
    「ふふ、それだけ聞くと何だか神秘的ですね」

     ヒマリがそう言って思い浮かべるのは、夜空を映す天井と夜空を映した湖面のイメージ。
     幻想的でこんな時で無ければ見てみたいと素直に思うと、リオが口を挟んだ。

    「放置された汚水は危険よ。ネツァクの時の水であるならそこまで微生物が繁殖していないと思いたいけれど……」
    「…………」

  • 53125/06/18(水) 09:46:37

     ロマンの欠片もないリオに無言で抗議を目を向けるヒマリ。
     ともかく、状況は分かったところで改めてチヒロが一同を見渡す。

    「ティファレトが中に居ないってことはつまり、セフィラは目覚めて――いや半分寝てるんだけど、その瞬間にその場所へ『発生』するものだと考えられるよね。だからまず、ティファレトが出現するまでは『プラネタリウム』を目視で確認できるギリギリの位置で待機。その後、中には入らないで外から調査って形で行くよ」

     ホド、ネツァクと続いて思い知ったのはファーストコンタクトの際の対応方法である。
     出現したてが一番セフィラ側もまともに動けていないことは分かったが、それでも未知の機能は『未知』である時が最も危険であるということ。

     速攻は完全な悪手。多少時間をかけてでも『何をしてくるのか』の割り出しが優先だった。

    「外からの調査が終わったらウタハにゼウスを投入してもらって状態を探る。ゼウスについてはウタハ。説明よろしく」
    「ああ、任せてくれ」

     それからウタハが語ったのは、今回ゼウスに搭載した新機能についての話であった。

    「地下空洞でも見せたけど、ゼウスにはイェソドの機能をモデルにした移動能力を追加してある。半径5メートル圏内に打ち込んだ発信機の場所に瞬間移動する機能だ」

     以前から構想はあった『緊急脱出装置』を作る過程で生まれたものである。
     ゼウスの後ろ脚に仕込んだ五つの発信機を探索中に設置していくことで、最大五回までの瞬間移動が可能となる代物だ。

    「ただ、今はまだ使い捨てでね。ネツァクに作ってもらう必要があるから使い切ったらラボまで戻らないといけないのが難点かな。あとは瞬間移動時にゼウスの機体に異常が起こっていないかオーバーホールする必要もあるから普段使いは難しいのも難点でね……」

     まだまだ課題は存在するが、少なくとも限られた資源をやりくりして何とかしていた時とは違う。まさにネツァク様様であった。

     その辺りでチヒロが外を映すモニターを見ると、トレーラーは既に『フラクタル都市』を抜けて隣のエリアへと入るところであった。

  • 54125/06/18(水) 09:47:38

     映し出された景色は誰も居ない繁華街。
     損耗はしているが特段派手に壊れている建造物の類いは無く、ある日突然人類が消滅して取り残された街並みと表現した方が良いほどである。

     テレビ局や店舗、屋台などがそのままなっていたが、奇妙なことに、見える街並みの全てに文字が存在しなかった。

     人と共に文字さえ消されてしまったようにも思えるこの街は、まるで誰かが作った原寸大のミニチュアでもあり、じんわりとした薄ら寒さが肌をなぞる。

     そんな時、ふとリオが声を上げた。

    「……ねぇ。いま何か光っていなかったかしら?」
    「え?」

     チヒロが首を傾げると、リオはモニターを指差す。
     いま進んでいる大通りの先の交差点。目を凝らしてみるとその中央で時折、何かが弾けるような光が見えた。

    「……ちょっと車を止めようか」

     そう言って運転部へ戻ろうとした――次の瞬間だった。

    【ティファレトが目覚めます!! チヒロの前方です!】
    「はぁっ!?」

  • 55125/06/18(水) 09:48:39

     チヒロが大慌てで運転部へ戻り座席に座る。
     視界の先、フロントガラスの向こう側――約200メートル先の道路の真ん中に『真四角の光』としか呼べないような何かがあった。

     急ブレーキをかけると同時に前方の光が砕け散る。
     光の跡に残ったのは何度も見て来た白い機体。カイコの成虫のような丸っこいフォルムの後ろ姿。

     本体の大きさは普通自動車ほどで、ゆっくりと羽根を広げたそれはトレーラーの全長ほどまで空間を占有する。

     こちら側にはお尻を向けているような状態ではあるが、自分たちの存在に気付いているのかいないのかは分からない。ただ、羽根をゆっくりと上下させているだけだ。

    「…………距離が近すぎるから、ちょっと車回すよ」

     チヒロはいつでも逃げられるよう『フラクタル都市』側に向けて車を回した。
     ティファレトから500メートルほど距離を空けて停車。ゼウスのみを下ろして様子を見ることにする。

  • 56二次元好きの匿名さん25/06/18(水) 18:28:45

    待ちます

  • 57125/06/18(水) 22:16:23

    念のため保守

  • 58125/06/19(木) 02:38:32

     ウタハがゼウスを直接操作するためのヘッドセットディスプレイを装着するのを横目に、チヒロはマルクトへと連絡を入れる。

    「ねぇ、『プラネタリウム』に出て来るんじゃなかったの?」
    【も、申し訳ありません、チヒロ……】

     聞こえた声色にチヒロは思わず瞠目して、額を掻きながら慎重に言葉を選んだ。

    「え、と……ごめん。責めてるように聞こえたよね? その、調子が悪かったりしたのかな、って……」

     『魂の感知』を見誤るということが果たしてあるのだろうか。存在の本質を射抜く神の目とも言えるその機能が。

     ティファレトが目を欺く何らかの術を持っていたのか、それともマルクトの方に何らかの変化が起きているのかが気になっての問いかけであったが、マルクトから返って来たのはこんな答えだった。

    【問題……ありません……】
    「……そっか」

     マルクトは何かを隠した。それはまるで風邪を引いているのに強がるようで、失敗の原因に思い当たることがあっても叱られるのを恐れて隠すような態度で。

     人間であれば有り得るだろう。しかしマルクトは機械だ。機械は隠匿を行わない。
     地下空洞内の時からマルクトが『人間らしく』なり過ぎているのだ。感情の模倣と学習以上に、何かマルクトの中で大きな変化が起こってしまっているとチヒロは感じた。

    「チーちゃん。準備、出来たとも」
    「あ、うん。そうだね。ティファレトにちょっかいかけてみよっか」

     チヒロの合図でウタハはゼウスの操作を開始する。

     ゼウスの視界は地面が近く、それを操作するウタハの姿勢を無意識に前のめりになる。
     脳波コントローラーを兼ねるこのヘッドセットディスプレイの最大の目的は、瞬間移動の第一条件となる『意識の移動』を行うためである。

  • 59125/06/19(木) 02:42:47

     片手間の並列思考では駄目だ。八割はゼウスに意識を割かないと意識に機体が引きずられない。
     加えて二割は移動先やウタハ自身の感覚器で得た情報へ思考を割かねばならず、言ってしまえばゼウスに与えた機能をフルで活用するにはウタハが無防備になるという弱点があった。

     過度な意識の集中による脳波コントロールでは性能を殺してしまうピーキーな機体。まさにウタハ専用機と言っても過言ではない。

     地を這うゼウス。変幻自在たる神性の名を冠する機体が路上を走り、ティファレトへと近付いて行く。
     異常は、彼我の距離を100メートルにまで達したところで発生した。

    「これは……」

     100メートルの壁を越えた瞬間、走るゼウスの前足は地面に着地することなく、そのまま上体が持ち上がって後ろへ倒れ込んだのだ。
     それはまるで、足を上げたら踏み下ろせずにそのまま上げ続けてバランスを崩すような転倒の仕方。若干目を回しながらゼウスを立ちあがらせる。

    「どうしたの?」

     チヒロの声にウタハは答えた。

    「100メートル以上近付こうとすると『転ぶ』んだ……。正直酔いそうになるね……」

     そう言いながらも何度かチャレンジするも、ゼウスではティファレトの100メートル圏内に近付くことは出来なかった。
     入射角を変えるように近付くも転ぶ。助走をつけて飛び上がって侵入するも同じく、すぐに勢いが減衰して後方へと飛ばされる。

    「『斥力フィールド』みたいなものでも張られてるのかな。SFだけど」
    「今更でしょそれは……」

     残るアプローチは銃撃だが、現状近付こうとしても近付けない今はティファレトも特に反応を示さず羽根をゆっくりと上下に動かすだけだ。

     攻撃したときに反撃してくれるならまだいい。逃げられた場合は情報を得られないまま時間だけ与えてしまう可能性がある。

     これはリスクを先に受けるか後に回すかの話であった。先に受ければ最低限の機能による損害は受ける。後に回せばより攻撃性と確実性の高い攻撃を受ける。二者択一。判断材料がない今において正解は見えず、ギャンブルに身を投じるようなものである。

  • 60125/06/19(木) 02:51:03

     どうするべきか……そのことについてチヒロが考えを巡らせていると、口を挟んだのはヒマリであった。

    「ひとまず私たちで100メートル圏内まで行ってみませんか?」
    「一応聞くけど、根拠は?」
    「ゼウスでは分からない謎の力場……とも言うべきでしょうか。ですが、そのゼウスの感覚器官は人間のそれとは違う。そういう認識で合ってますよねウタハ」

     水を向けられたウタハが頷くと、ヒマリは言葉を続けた。

    「でしたら、体感による調査も行った方が良いと思います。案外馬鹿になりませんからね感覚というものは。少なくとも、100メートルの壁を越えられない現状ではティファレトも私たちに関心を持っていないようですし」
    「…………そうだね。一理あると思う」

     チヒロは頷いて一同を見渡した。

    「一応聞くけど、誰が行く?」
    「私ですね」
    「あたしも行くぞ。何かあった時のためのバックアップは必要だろ」
    「私も行くわ。それが合理的だもの」
    「はぁ……だよね。」

     分かり切ったようにヒマリ、ネル、リオの三名が立候補した。
     となるとトレーラーの操作は自分が行うしか無くチヒロは待機。ウタハはゼウスを操作中のため当然待機。結局前回のネツァク戦と同じメンバーで、チヒロは若干の申し訳なさを感じながら口を開いた。

    「危険な場所に飛び込んでもらうのはこう、色々と思うところはあるけれど……」
    「何を言っているのですかチーちゃん。私たちに何かあった時には何とかしてもらうのがチーちゃんの役目ですよ?」
    「まったく……責任重大な中間管理だね」

     半ば皮肉気に笑うが仕方がない。だったらセーフティネットとして出来る限りのことをするしかないと腹を括った。

    「三人は下車してティファレトへ接近。何かあっても致命傷じゃないと判断したら逃げるからね」
    「そこで逃げられるのがチーちゃんの強みですよ。全滅したら誰も助けてくれませんからね」

  • 61125/06/19(木) 02:59:53

     ヒマリが笑ってトレーラーから降りる。続くネル、リオもトレーラーを降りてティファレトの方へと向かって行った。

     一同の脳裏を過ぎるは届かない100メートルの壁。斥力の発生がティファレトの機能であるならば、確かにコンタクトの難しい機能であり、接触が停止信号の条件であるこちら側にとっては極めて不利。
     どうやって攻略するかを考えているうちに、三人は先行するゼウスの元まで辿り着いた。

    「とりあえず、私から行くわ」

     リオが声を上げて、それから両手を前へ突き出しながらゆっくりと歩く。
     徐々に近づき、その指先が100メートル圏内に入り、肘まで入ったところでリオが口を開いた。

    「何だか指先が痺れ始めて来たわ」
    「ああ?」

     ネルが声を返すと、リオは前へ進みながら答える。
     そして一歩踏み出した瞬間――リオはまるで見えない指先に押されたかのようにそのまま後ろへ倒れ込んだ。

     背中を地面に強打したリオはげほげほと咳き込みながら身を捩る。
     それを見ていたヒマリもネルも、心配より『何が起こったか』に対して思考を巡らせていた。

    「あたしが行く」

     ネルが声を上げてティファレトへ歩み寄る。
     100メートル圏内。何かをされるその一歩を踏み出した瞬間、その一歩は地面を踏めず、瞬時に身を捩ってバックステップ。無様に転がることを回避したものの、確かに感じたのは前方から来る『何らかの力』であった。

    「空間が押してくる、って感じかこれは。助走付ければ割と近付けそうだけど、どうするよ」
    「でしたら頑張ってもらいましょう。リオ、今の時点で分かることは?」

     ヒマリの言葉にリオは目を凝らす。気付いたのはひとつだけであった。

  • 62125/06/19(木) 03:26:19

    「ティファレトの足……地面に突き刺さっているわね」

     カイコのような身体をしたティファレトの六本の足がコンクリートに突き刺さる形でめり込んでいる。
     それだけ重量があるのかはさておき、リオですらそのぐらいしか見えないのであれば現状それ以上の情報は得られる術もなかった。

    「では、私たちは少し離れますので、合図を出したらティファレトへ全力で近づいて頂いてもよろしいですか?」
    「ああ、任せな」

     ネルが数メートル離れてクラウチングスタートの構えを取る。
     それを見てヒマリとリオはティファレトから更に離れる。距離にして約300メートル。トレーラーとティファレトの中間地点。どちらに向かうにも最短距離である最も中途半端な距離。

     準備が出来て、ネルが声を上げた。

    「じゃあ……行くぞ」

     ギリギリと引き絞った弓のように地へ低く、前だけを見つめるネルは一本の矢であった。
     ガリ、と地を削る音を後に残してティファレトに突進するネル。故に――異常の正体には誰よりも早く気が付いた。

     70メートルを越えて気が付く自らの状態。踏み切る地面が徐々に遠くなる感触。ティファレトが足を『突き立てながら』振り返る――

     先ほどからの『押し出す力』は斥力ではない。
     振り返るティファレト。視界の端に映った黄金の瞳と根源たるグリフの紋様。

     ティファレトの機能を悟った瞬間にネルは叫んだ。

  • 63125/06/19(木) 03:31:22

    「こいつの機能は『重力――

     言葉は掻き切れ、そのままネルはティファレトの回転に合わせて『真横』へと『落ちて』いった。
     ヒマリとリオが目にしたのは走り出したネルの姿は中空で横に落ちていく姿とその声。リオがネルの言葉を継いだ。

    「逃げて!! 『重力操作』! 頭から尾にかけて重力が流れて――」

     ティファレトの方へと引かれる感覚に怖気が走る。
     距離は100メートル。つまりはおよそ33階の高さから落とされるに等しい力が自分に迫りかかっているのだと。

     末端速度は約160キロメートル。そこまで考えたところでリオの身体は向き直り迫り来るティファレトの頭部へ向かって落下していく――

    「リオ!!」

     ヒマリの言葉が遠くに聞こえる。
     半径100メートルならば直径200メートル。最終速度は225キロメートル。ティファレトの頭から尾にかけて『地面へ水平に』落ちていくリオの耳は何も聞き届けられなかった。

     全力で逃げるヒマリの後方で『落ちていく』リオ。その重力がヒマリの背部を僅かに掴む。

     それで充分だった。

    「今すぐ離脱を! チーちゃん!」
    「――ッ!!」

     チヒロは即座にアクセルを踏み切り急発進するトレーラー。
     ウタハはゼウスとの同調をとっくに切っていて、トレーラー後部の搬入口を開いてはサブマシンガンを構えて引き金を振り絞る。

  • 64二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 09:48:46

    保守

  • 65二次元好きの匿名さん25/06/19(木) 16:05:12

    保守

  • 66125/06/19(木) 23:07:16

    「止まってくれよ頼むから――!!」

     半ば願うように放たれた弾丸。それはヒマリが重力の見えざる手から逃げようと屹立するビルの入口へと走り出すと同時に撃たれたものだった。

     だが――ヒマリが見たのは自分に向かって道路を走るティファレトの姿。即ちトレーラーに対して軸の歪んだ横方向への重力。弾丸は逸れて空を切る。

     ヒマリが飛びずさったビルの入口は僅かに指を指し込める程度に開いた自動ドア。
     身体を滑り込ませるべく開けようとして、それから気付くは『まるで動かない』という事実。

    (ビルの模造――!?)

     そこにあったのは『半開きの自動ドア』を再現しただけの扉であって、可動域なんて最初から無かったという事実。
     ミニチュアのように感じた『普通の街並み』は真の意味で『原寸大のミニチュア』でしかなく、巨大な模型でしかなかったのだ。

     その背中に迫るティファレト。自転車程度の速さで迫るその体躯も、人の身では逃げ切ることすら難しい。

     ――そして、100メートル圏内。ヒマリの身体を見えざる重力の手が掴んだ。

    「あっ――」

     指先だけで身体を支えられる者はごく僅かで、ヒマリはその『僅か』の中には居なかった。

     ティファレトへ向かって落ちていく身体。
     身を捩ってせめてティファレトにしがみ付こうとして――直後、突進して来たティファレトの身体に衝突。それは時速100キロで走る自動車に撥ねられたかのような衝撃。意識を保てるわけもなく気絶。ティファレトの後方に『落ちて』いき、ビルに激突し何処かへと転がっていった。

  • 67125/06/19(木) 23:34:26

     その全てを見届けたウタハは苦い顔をした。

    「ヒマリもリオも24時間はダウンするねあれは」
    【でも致命傷じゃない。地面へ垂直に落下するならまだしも100メートル圏内から離れれば凄い勢いで転がって擦り傷だらけになる『ぐらい』では済むから……】

     運転部と繋がったスピーカーから聞こえる声にウタハが頷く。

     それなりの怪我はしても致死的ではない。意識を失ったとしても戻りさえすればグローブ越しに連絡が取れる。半覚醒のセフィラの行動が自動防御の結果であるなら意識を失っている存在への追撃は無いはず。つまりは後で回収すればいい。

     ウタハは『ダウンしていない前提』でネルへと連絡を送った。

    「聞こえていたかも知れないけれど、ヒマリもリオも多分気絶している。応答が無いからね」

     返答はすぐにあった。

    【だろうな。あたしは隣の通りを走ってっからもうちょいしたら合流すっぞ。ティファレトの速さはどんなもんだ?】
    「自転車ぐらいかな。車なら問題なく撒ける。ネルは?」
    【はっ――自動車だって追い付いてやるよ】
    「頼もしい限りだよ。落ちた二人の回収には手伝ってもらいたいから、安全が確保されるまでそのままミレニアムに向かってくれるかい?」
    【了解】

     案の定、ネルは無事だった。声の調子からして恐らく無傷だろう。

     正直、ネルの身体能力は人間のそれを越えている。そもそもからしてティファレトが尾っぽを向けていたあの状況で――いわば垂直の壁を30メートルも走り迫るところからしてだいぶおかしい。
     つくづくネルが敵で無くて良かったと安堵せざるを得ず、ウタハはトレーラーのハッチを閉じようとボタンに近付く――そのときだった。

  • 68125/06/19(木) 23:53:51

    「嘘……だろう……?」

     その視界が捉えたのはトレーラーの遥か後方。こちらに向かって『落下』してくる白い影。
     中空に浮かんで地面へ『水平に』落ちてくる白い影は重力加速度に従って後部を見せたままトレーラーへと『落下』してきた。

    「チーちゃん! ティファレトが『落ちて』来る!!」
    「なっ――!?」

     落下しながら自らの射程にトレーラーを納めたティファレト。トレーラーが『進行方向』へと『落ち』かけてブレーキがイカレた。

     アクセルは『ベタ』で踏んでもうこれ以上の速度は出せない。ぐるりと身体を捩じるティファレト。重力に従って道路脇のビルへと叩きつけられるトレーラー。ウタハは触れられるテーブルにしがみ付く。転んだ拍子で重力に『掴まれる』両足。重力が車外へと引きずり出そうとする感覚にウタハの顔が歪んで叫んだ。

    「掴まれた!! 脱出は!?」
    【これ以上は無理! トレーラー切り離すからもうちょっと耐えて!】

     チヒロは即座にトレーラーのアクセルを全開にして固定し、いつの日か用意して使われなかったロープを握って牽引するトレーラーへの連絡通路へと足を踏み入れる。

     同時刻。必死にテーブルにしがみ付いて落下から免れようとするウタハの目に映ったのは最悪の光景だった。

     ――ティファレトが宙へと飛び上がった。

    「はは――昔のカイコは飛べるんだね……」

     空中で静止したティファレトはゆっくりと頭を下へと向ける。
     重力が真横から空へと曲げられていく。トレーラーの連結部から鋼鉄の捻じ曲がる嫌な音がした。

    「チーちゃん。今すぐ車から降りて。『駄目』だ、これ」
    「ウタハ!!」

  • 69125/06/20(金) 07:42:54

     ばぎん、ばぎんと――トレーラーと連結部の間から聞こえる『ボルトが弾けて飛んだ』音。連結部から悲鳴のように鋼鉄のへし曲がる音が聞こえた。自重に耐えられず砕ける音が聞こえた。

     そして――ぱん、と嫌に軽い音が響いた。

     ティファレトの頭部は地上に尾は天に。重力は裏返り連結部が弾け飛ぶ。

     連絡通路に踏み入ったチヒロの眼前に迫ったのは吹き飛んだ散弾じみた数多のボルト。跳ね上がった床が顔目掛けて飛んでいき、チヒロの意識は消失。

     上空へと投げ出されるトレーラー。牽引するべきものを失ったが故に走り出す運転部。

     ウタハは声を上げる間もなく空に向かって墜ちていく。
     視界に映るのは遠ざかる地上。壊れたトレーラー。空中に飛散する血液。はためく白衣。

     ぐったりとしたまま自分と同じく墜ちる親友へと手を伸ばし、ウタハは自分の元へと引き寄せた。

    (ああ――)

     強く抱きしめる。もはや全身にどれだけの重力加速による負荷が掛かっているのかも分からない。
     ただ、意識がブラックアウトしかけて、恐らくすぐに自分も意識を失うことは分かった。

    (私だけなら良かったんだけどね――)

     浪漫を追って死ぬなら仕方がないと割り切れた。自分で決めたことだ。それは問題ない。
     けれど、親友は駄目だ。このままでは二人とも空に落ちて、空から落ちて死に至る。

    (何か……何か無いのか――)

  • 70125/06/20(金) 07:50:18

     ロープ。白衣。グライダー。パラシュート。ネツァクの変性。
     こんな状況でも思いつくことなら幾らでも出来る。しかし、それだけだ。何も変わらない。

     落ちる速度が徐々に緩やかになっていく。本来の重力が自分たちの速度を落としているのだ。
     速度が完全に相殺されて、一瞬遥か上空で身体が止まる。輝く太陽が眩しくて手を伸ばす。

    「せめて……。私の身体が少しでもクッションになってくれればいいんだけどね」

     胸に抱くチヒロの身体が上になるように調整する。
     重力。見えざる手。星が持つ大きな腕が二人の身体を掴まえて、地上へと引き寄せ始めた。

     再び落ちていく感覚。速度が徐々に上がっていく。
     そんな薄れゆく意識の中でウタハは、妙な音を聞いた気がした。

    (爆発音……。ミサイル……?)

     ずっと下の方でそんな音が聞こえたのだ。
     それから遠くで破砕音が一回。何かが壊れた音。

     落下を続けるウタハの視界に映る空。
     その時、不意に何かの影が自分たちの真横を通り過ぎて空へと向かったのが見えた。

    「ティファ、レト……っ!」

     トドメを刺しに来たティファレトが太陽と自分たちの間に入るようにぐんぐん空へと昇っていく。
     先ほどとはまるで違う滑らかな飛行。不意に上空で止まり、落ち続ける自分たちに向かって大きく羽根を広げた。

     瞬間――空に漆黒の円盤とも言うような重力の『捻じれ』が発生した。

  • 71125/06/20(金) 08:18:59

     『捻じれ』から生み落とされた漆黒の球体。光すらも捻じ曲げる小さな重力球が四つ現れ、ティファレトの周囲を飛び始める。

     そしてティファレトは身体を向きを転回。ウタハたちに頭部を向けて、凄まじいスピードで突進を仕掛ける。
     避けようがない。ウタハは咄嗟にチヒロを守るように身体を位置を入れ替えてティファレト側へと背を向ける。地上が近い。振り返りティファレトを睨みつけると、その目に映ったのは手を伸ばせば触れられる距離を保つティファレトの姿だった。

    (何を――)

     周囲を飛び交う重力球がティファレトから離れ、ウタハたちの周囲を取り囲む。

     まず感じたのは身体の異常。見えない指がウタハの頭と爪先をそっと摘まむような感覚。
     それから大きな手が優しく身体を握るような、身体の両方向から生じる僅かな圧迫感。緩やかになっていく落下の速度。

     そして、地上1メートルにも満たない空中で、二人の身体は縫い留めれたかのように静止した。

    (何で……急に……)

     ティファレトの行為を理解できないままに、不意に重力球が消えてウタハたちは地面に落ちた。
     身体をしたたかに打つが大した痛みではない。そのことを理解した瞬間、急に汗が吹き出し始め心臓が早鐘のように鳴り打ち始めた。

  • 72125/06/20(金) 08:29:30

     ――死んでいた。間違いなく。

     ぐっと胸を押さえながら荒く息を吐くと、その隣にティファレトが降り立った。

    「は、ははっ――」

     震える身体を何とか押さえようとしながら上体を起こすと、ティファレトがこちらをじっと見ていることに気が付いた。
     どうみても完全に自分の機能を使いこなしているかのような練度。ウタハは思わず呟いた。

    「君は……なんだ?」

     ティファレトはこれ以上何もせず、ただ静かに空へと舞い上がる。
     そして『プラネタリウム』の方角へと飛び去って行くと、すぐにビルの影に隠れて見えなくなった。

    【ウタハ……】

     不意にグローブから声が聞こえた。マルクトの声だ。
     だが、妙に声が震えている。ウタハが応答するとマルクトは奇妙なことを言った。

    【いまのティファレトは……二体目です】
    「二体目……?」

  • 73125/06/20(金) 08:30:53

     セフィラは一体ずつではなかったのか。
     内心首を傾げると、マルクトは取り乱したように叫んだ。

    【有り得ません……! セフィラは一体しか存在しません! ただ、ウタハたちが飛ばされたあと突然現れたのです!】
    「待って、君は『見えていた』のかい?」
    【はい……巻き上げられたトレーラーの中の『クォンタムデバイス』から、全部――】

     マルクトが言うには、二人が空へと墜ちていく中で突然どこからともなく巡航ミサイルが飛んできたらしい。
     それがティファレトに直撃して爆発。その衝撃で『プラネタリウム』の方角へと飛んでいったにも関わらず、何故か爆発したその場所に『二体目』のティファレトが居たのだという。

    【何が、何が起きているのですか……? まさか我の知識が『また』間違って――】
    「マルクト。とりあえずみんなを回収したら戻るよ。分からないことはみんなで考えようか」

     ウタハが宥めるようにそう言うと、マルクトは【はい……】とだけ言ってこう続けた。

    【皆さんの帰還を待ちます】

     秘儀に捧げられし美しき殉教者――第六セフィラ、ティファレト。
     『美』の象徴とのファーストコンタクトは、何もかもが例外で終わった。

    -----

  • 74二次元好きの匿名さん25/06/20(金) 15:50:49

    保守

  • 75二次元好きの匿名さん25/06/21(土) 00:04:22

    待機する

  • 76二次元好きの匿名さん25/06/21(土) 04:27:57

    保守

  • 77125/06/21(土) 10:23:04

    「う、うぅん……おや?」

     ヒマリが目を覚ますと、まず見えたのはトラとオウムとウシがこちらを覗き込む顔だった。
     自分が寝ているのが以前購入したまま放置されていたハンモックの上だということに気が付いて、それから隣を見ると寄り添うようにマルクトが寝ているのが目に映る。どうやらセフィラたちはマルクトの様子見がてらに自分を見ていたらしい。

    「おはようございます。イェソド、ホド、ネツァク。もしや手当をしてくれたのはマルクトですか?」
    【肯定……】

     ノイズを出し続けるスピーカーからホドが答えた。
     マルクトが居ない時でも意思疎通が図れるようにと置かれたものだった。

    【女王……休息……必要になられた……。原因不明――】
    「確かに眠る姿を見るのは初めてですね……」
    【人に……かづいている……】

     雑音が多いのはホドが大して伝える気が無いせいだろうと解釈した。
     眠るマルクトに目を向ける。呼吸はしていないからか、人形のように微動だにしないその姿。髪を軽く掻き上げてやると睫毛の長さまではっきりと分かる。

     マルクトは人に近づいている。それは心だけではない。ホドが言うには、何故か、身体も。

     本人が望んで近付いているのなら素直に歓迎も出来るのだが、恐らく違う。
     何らかの要因で『近付いてしまっている』のだとすれば、放っておくこともできない。

    「……今は、ティファレトが先決ですね」

  • 78125/06/21(土) 10:25:36

     近付く全てを足下に落とす『美』のセフィラ。
     ネツァクとは違う、機能そのものが人を殺し得る『重力操作』。ここからより分かりやすく脅威度が上がってくるのだろう。

     それでも大丈夫だ。誰も死なない。それは『未来から来た後輩』が保証してくれている。

    (――私の足以外は、ですが)

     安いものだ。ヒマリは素直にそう思った。

     手だったら惜しいが、ウタハがやっているように脳波コントローラーで代替は可能。
     目はどうか。まぁ困る。治療不可能なまでに傷ついたら現状機械で補うのは困難。それはちょっと迷いが生じ始める。
     なら脳は? 流石に躊躇う。もし『かの後輩』が認知機能や思考が困難になるような未来を示唆したのなら、初めてマルクトを見つけた時にあそこまで強気に出ることも無かったかも知れない。

     しかし、足。ただ歩けなくなるだけである。
     確かにひとりで生活するのも困難になるだろう。シャワーを浴びるのだって恐らく一苦労だ。トイレだって慣れるまでは難しいだろう。生活環境は歩けないことを前提にしたものに変えないといけないだろうし、社交ダンスもスキーもテニスも身体を動かすような趣味は諦めなくてはいけない。少なくとも今と同じには決してならない。

     ただ、それだけだ。それは自らの本質ではない。
     キヴォトスでも二人と見ない『超』が付くほどの『天才』であり、誰もが振り返る『美少女』の『ハッカー』。
     例え足を失いこれまでの生活が一変してしまったとしても、自分の『核』であり『芯』であるこの『本質』は揺らがない。

     何より――『未知』だ。培養槽の中に浮かぶ『未知』に目を奪われてしまった。
     知りたいと思うこの心が、この好奇心が罪であるというのなら、喜んで知恵の実へと手を差し伸ばすだろう。

  • 79125/06/21(土) 10:28:58

     『未知』とは即ち『神』である。
     かつて人は炎を、嵐を、海を、雷を、人の手の及ばぬ『名も無き神々』の領域を畏れた。

     けれども、それを畏れぬ者たちがいた。『未知』を解体しようとして立ち向かった者たちが存在した。
     かの先人たちが残した足跡。その歴程こそが科学技術であり文明である。その傲慢たるや、人類の原罪と呼ぶに相応しい。

    (世が世でなくとも、この気持ちは『狂気』と呼ぶべきものなのでしょうね)

     ――進み続ける旅路の道程に失われる人命が無いのなら、歩みを止める理由は無い。

     ウタハが『激情』を手にするように。
     チヒロが『知性』を檻とするように。
     リオが『恐怖』を抱き続けるように。
     ヒマリは『神秘』を求め続けていく――。

    「……ヒマリ?」
    「おはようございますマルクト」

     ぱちりとマルクトは目を開けて、それから上体を起こす。
     遅れてヒマリも身体を起こすと、身体の節々に僅かな痛みが生じた。『それだけ』だ。

    「手当をしてくださったのですね。ありがとうございます」
    「いえ……」

     僅かに目を伏せるマルクトは、ティファレトの出現予測を外したことに強い後悔を抱いているように見えた。

     ヒマリは慰めるようにマルクトの髪を撫でる。か細く見えた友へと手を伸ばす。

    「多くの謎が――『未知』が、この世界には溢れています。ならば解き明かすだけ。『楽しみ』ですね、マルクト」
    「たの……しみ?」

  • 80125/06/21(土) 10:31:27

     そうです、とヒマリは微笑んだ。

     未知という『神秘』とは本質的に『恐怖』である。正しさが誰かの歩んだ轍であるなら、道なき道を歩む恐怖はどれほどか。
     それは切っても切り離せない『崇高』。対して人類が持つ武器は二つだけ。『知性』と『激情』。理性と感情。原罪を抱いて歩むのならば、せめて『楽しまなければ』誰も前には進めない。

    「マルクト。あなたの『未知』は我々が解決します。『我々』です。そこに誰が含まれているか、聡明なあなたならば分かりますよね」

     人に近づきすぎてしまったマルクト。感情に支配されるという『未知』は、機械の『恐怖』であろうとも。

    「分からぬ全てを『解体』しましょう。こういうの、なんて言いましたっけ? 幽霊の正体――おっと、忘れてしまいました」
    「枯れ尾花ですか?」
    「ええ、そうです」

     それは一輪の『何か』ではない。
     世界に溢れ、鮮やかに彩る数多の未知こそが進むべき暗闇。

     ――レヴァナー。月の亡霊。
     ――コカブ。星の輝き。
     ――ノガー。光るもの達の愛。

     セフィラを巡るこの旅は、どこかで望んでいた非日常の探究である。
     故に、どれほど危険でもやることに変わりは無い。

  • 81125/06/21(土) 10:42:19

    「不可思議な事象。これまで遭遇して来た多くの『有り得ないもの』。私たちの知らないことは沢山あります。ですから、全て調べて解析と分析を完了し続けて行けば、きっとあなたの進む『道』も見えてくるはずです」
    「ヒマリ……」

     安心させるようにマルクトの背中を軽く叩くと、マルクトは頷いてヒマリに言った。

    「ヒマリが眠っている間にウタハたちが状況をまとめてくれました。我の事も、ティファレトの事も」
    「はい」
    「ただちに合流しましょう。全ての謎を解き明かすために」

     ティファレト戦からほぼ一日もの間、昏睡し続けていたヒマリの帰還。
     絶対的な機能の行使者を分析し、解体する『人間』というシステムの再稼働。

     かくして、二人は未知を解き明かすべく部室へと向かって行った。

    -----

  • 82125/06/21(土) 14:30:26

    「よし、全員集まったね」

     エンジニア部の部室。共有スペースのモニターの前にはチヒロが立っており、これまでと同じように特異現象捜査部のメンバーが揃っていた。

     参加しているのはチヒロ、ウタハ、ネル、リオ、ヒマリ、マルクトの六名。
     ひとまずは、と言った形で情報共有を済ませると、チヒロがいくつかモニターにまとめていく。

    「『重力操作』への対処、決戦までの期限……考えないといけないことは沢山あるけど、一番重要なところから話し合おっか」

     チヒロはマルクトに目を向ける。マルクトは背筋の伸ばして頷いた。

    「我の不調……ですね。『魂の感知』にズレがあれば皆さんが危険にさらされます」
    「あー、そうだけど、重要なのはそこじゃないよ」
    「違うのですか?」

     チヒロは頷いて口を開いた。

    「不安でしょ?」
    「っ――はい」
    「だから話し合うんだよ。『魂の感知』の正確性とかじゃなくて、不安な気持ちが続くのは良くないから」
    「で、ですが……我は役目を果たせてません」
    「その結論は早いわ」

     リオが口を挟んだ。

    「ティファレトが特別異常だったのかも知れないわ。いずれにせよあなたの観測が間違っていると決めつけるのは早いのよ」
    「そうですよマルクト。ちなみに今の有機割合はいくつですか?」

     はっとした顔で自分の身体を調べるマルクト。
     すぐに気づいたのはいつの間にか八割方『人間』になってしまっているということで思わず目を見開いた。

  • 83125/06/21(土) 14:31:30

    「どうして……」
    「完全に人間になってしまっても、そこから機械に戻ることは可能ですか?」
    「それは……出来ます。接続されたネツァクの機能は物理的な器官として存在するのではなく、魂に紐づいたものですので」
    「ならその点は問題ありませんね。不可逆であるなら気を払う必要がありましたが……せっかくなので『十割人間』になってみたらどうでしょう?」
    「『十割人間』って何だか映画のタイトルみたいだね。B級の」

     ウタハが茶化すとリオが「ただの人間じゃない」と真顔で応えていた。
     そんな二人を横目にマルクトは自身の身体を全て有機物に置き換える。メモリは脳に、永久機関は心臓に。

     その過程で気が付いたのは、機体に内蔵された器官は物質に依存するものでは無いということだった。
     つまり、仮に機体を解体されてメモリや永久機関を摘出されても致命ではないという事実。

     機械にとって『解体』と『死』は異なる概念である。
     オーバーホールは『点検』であって『破壊』ではない。意志を持つ機械であっても『同一性』は保持される。

     ただし、『人間』の身体は違う。
     『人間』には『死』の概念がある。つまり『殺せる』のだ。

     マルクトがそのことを皆に話すと、チヒロは確かめるように言った。

    「つまり、セフィラは本質的に『不死』ってこと?」
    「はい。ですが、機体を完全に破壊され切った場合は『同一性』が失われます」
    「同じ機能を持つ別個体、って感じか……」
    「そう言えば『同一性』の思考実験があったね」
    「『スワンプマン』ですね」

     ウタハの言葉にヒマリが頷いた。

  • 84125/06/21(土) 14:33:38

     『スワンプマン思考実験』。死んだ直前の情報を完全に再現して生まれた人間は、死んだ人間と同じであるか否か。

    「私たちの目線ですと誰にも気付かれないただの事故死ですけどね。本人死んでますし。機械目線ではどう思いますか?」
    「同じです。損壊しても同一の機能を持っているならば、それは『欠落』を意味しません」

     即答で返すマルクト。人間と機械の決定的差異がそこにはあった。
     『個』という『自己の保持』を重視する人間と、『機能』という『役割の保持』を重視する機械。

     続く者に希望を託すのは失われる自己を他の誰かに仮託するという行為であり、代替の許容とは異なるのだ。
     裏を返せば、機械は何も託さない。求められた役割を果たすよう『努める』ことが意義であり、たとえ動作の先に役割を果たすことが出来ずとも問題は無い。後悔とは人間だけに与えられた『感情』なのだから。

     そんな時だった。不意にリオが口を開く。

    「ちょっと……待ってちょうだい……」

     思考を巡らせながら考えを話そうとするときに発せられるリオの口癖。
     この流れで出てくるいつもの言葉が妙に不吉なものに聞こえて、ヒマリは僅かに顔を歪めた。

    「……なんですかリオ。あと、もっと明るい感じに言ってくれませんかその言葉? 最近それ聞くと身構えそうになるのですよ」

     ヒマリがぼやくとリオの耳には届いていないようで、リオはそのまま言葉を続けた。

    「マルクト。あなた、何体目かしら?」
    「なん……体目……?」

     それには流石のマルクトも顔を強張らせた。マルクトだけではない。他の皆も同様で、一瞬固まってからチヒロは溜め息を吐いた。

    「リオ、説明」
    「分かったわ」

  • 85125/06/21(土) 15:14:13

     それからリオは自身の推論を話し始めた。

    「最初に私たちがマルクトを見つけたとき、あなたは培養槽と思しきカプセルの中にいた。けれどもティファレトの出現方法は『光の発生』を伴うものだった。つまり培養されて生み出されるものでは無いということよ」
    「ティファレトが例外だったのでは?」

     悪魔の代弁者を務めるヒマリが言葉を投げかけると、リオは首を振る。

    「マルクトの『魂の感知』を出現場所と考えるのなら、セフィラはそのポイントに最初から居る。もしくはそこで製造されていると考えられるわ。『目覚める前』から大まかな範囲を感知出来ているもの。でも、ティファレトは『プラネタリウム』には居なかった」
    「外部から転送されている、というのはどうでしょうか? 転送先となる座標で観測できるものを『セフィラの反応』であると誤認している可能性は?」
    「あの、ヒマリ。それは無いと思います」

     マルクトが声を上げた。

    「ラボ内でイェソド、ホド、ネツァクの反応をそれぞれ感知できてました」
    「出来ていた?」
    「はい。今は『十割人間』なので『魂の感知』が出来ていないのですが……」
    「本当に『人間』になっているのですね……」

     想定外の事実が出て来たが、リオは話を戻す。

    「セフィラの出現は物理的事象とは異なると考えられるわ。数多の意志がひとつの焦点へと集約して発生する『特異現象』。それなら、マルクトは『いつ』発生したのか」

     少なくとも、物理的に『培養』されていたのなら『発生時期』は更に昔である。

    「あなたはずっと前にミレニアムで『発生』していた。にも関わらず、あなたは培養槽の中にいた。いえ、今にして思えばあれは本当に『培養槽』だったのかしら」

     あの時のマルクトはほぼ全損していた。
     腕も、足も、下半身も壊れていた。あれを『破壊された』と考えずして何と考えよう。

    「あなたは少なくとも一度、『何者か』に破壊されている。セフィラの再発生原理は分からなくとも、ひとつ言えることは誰にも回収できない状態であの『培養槽と思しき何か』の中に封印されていた――そう考えることも出来ると思うわ。だからひとつ、聞かせてちょうだい」

  • 86125/06/21(土) 15:45:30

     リオは指を一本立てた。

    「完全に破壊されたとき、あなたたちはリブートと初期情報の再インストールに似た挙動を行う、で合っているかしら」
    「っ――!!」

     マルクトは息を呑んだ。

    「そう……です。我々は機械であるが故に、破壊されても機体が再製造されればそこに初期情報のインストールが始まります」
    「なら、あなたとセフィラたちの情報の差異にも説明が付くわ」

     遥か昔に発生し、破壊された原初のセフィラ。
     その状態で固定され、現代まで保存され続けていたとしたらどうだろうか。

    「あなたが最初のセフィラであるなら、その後継であるセフィラたちの製造計画があったのかも知れない。けれども何らかの理由で潰えてしまった。作られるはずのセフィラは作られず、ただ『名前』だけがそこに残されて、残された『名前』に集まるように今のセフィラの原型となる『意識』が集まって『発生』した――そう考えればあなたもイェソドたちも矛盾しない『合理』が成り立つわ」

     リオが導き出したのは、語られた全てを繋ぎ合わせるひとつの推論である。
     セフィラ探索――これはいったい誰が、どんな目的で生じたものなのか。

    「私が思うに」

     紡がれる言葉は『真理』へと手を伸ばすための結論。

    「遥か過去に作られて壊されたあなたを蘇らせて、現在のセフィラへアップデートする。段階を経るが故にイェソドたちの持つ知識にも穴が存在する。これは、あなたがあなたの知らない『未知』を知るための儀式なのだと私は思うわ」

     遥か遠い世界の果てから『現在』に至り、『先』へと続く遠い旅路。

     ならば、その先にあるのは何か。

     リオは言った。

  • 87125/06/21(土) 15:56:00

    「『絶対者』――つまりは技術による『神』の再現」

     これはマルクトが『神』に至るための数えきれない歳月を越えた長きに渡る道程。
     『未知』へと挑む古の超科学技術が経て来た歴程を辿るマルクトの紀行。

    「『千年紀行』――」

     マルクトの呟きにリオは頷いた。

     『分からない』ということすら組み込まれたセフィラの難題。
     意図的に欠損された記録が導くは段階を経た上昇原理……なのかも知れない。

    「つまり、あなたの記録とセフィラの記録の食い違いはどちらも正しく成立し得るということ。『分からない』ことこそが正しいプロセスであると思うのよ」
    「確かに。そうでなければわざわざ『人の形』をしている理由にはなりませんからね」

     ヒマリが笑ってリオに『同調』した。

    「たまにはリオも良いことを言いますね」
    「それが合理的じゃない。ごく自然に導き出された解がこれよ」
    「リオ……」

     マルクトは僅かに顔を歪めた。不快からではない、決して。
     それは何も否定しない純粋な論理。ヒマリは『笑った』。

    「マルクト。私も考えたのですが、あなたが人間に近づいている理由に心当たりがあります」
    「本当ですか?」
    「単純な話です。ネツァクの機能を得たあなたが機械にあるまじき『感情』を持ったが故に発生したエラー。だから無意識に身体を『変性』させてしまうのでは無いでしょうか?」

  • 88二次元好きの匿名さん25/06/22(日) 00:10:43

    まつ

  • 89二次元好きの匿名さん25/06/22(日) 00:36:33

    このレスは削除されています

  • 90二次元好きの匿名さん25/06/22(日) 00:40:58

    過去のティファレトを描きました

    虫のセフィラなのでやや変化球的なデザインに

    真ん中の黒い球体パーツが重力を発生させて各パーツを結合させているイメージです

  • 91125/06/22(日) 04:10:09

    >>90

    ティファレトだ!! どんな姿か書いた私もぼんやりしていたのですが、実際描かれるとイメージが定着しますね! こんな姿だったんだなティファレトよ。


    「秘技に捧げられし〜」は割と本気で預言者名を当てに行って外した名前です。苦難称える美しき贖罪者ーーいやそっちかぁ!!


    今回は重力。引き寄せ紡がれるような、机上でのみ存在する重力子を手繰る者が相手です。

    裁定するは上と下。万物の中心たる存在にどう立ち向かうのかは、もうしばらくお待ちください(ホスト規制)

  • 92125/06/22(日) 09:00:06

     本来ならば絶対なる統制を持って排された暴発のリスク。
     しかし、感情とは強い原動力になる反面、安定性を『排する』という側面もある。

     故に、今のマルクトは人間の身では扱え切れない権能を有した人間に近い存在とも言えるのだから、自身の形すら変えられる『物質変性』という機能が『感情』と相性の悪い物であるのは容易に想像できる。

    「恐らく、ネツァクの前にホドが来るのは無意識に変わってしまっても修正するため、では無いでしょうか?」

     セフィラの順番とセフィラの持つ機能。それにだって意味はあるのだとヒマリは言った。

     リオの推論。ヒマリの言葉。その二つが示すのは『その違和感は異常ではない』ということ。
     マルクトが感じたのは色覚の彩度が上がったような感覚――機械には無い、心によって受容体から得られる情報が変わるというもの。

     だからだろうか。ふと、マルクトは呟いた。

    「…………皆さんの顔が先ほどよりも見えるようになりました」

     払底とまではいかずとも、ひとまずの納得と理解を得て晴れる気鬱。
     ネルがマルクトの頭をがしがしと乱暴に撫でまわすと、マルクトは少しばかり気恥ずかしそうに声を上げた。

    「な、なんですか一体……」
    「いいや? 何となくそうしてみたくなっただけだ」
    「ではもう少し優しく撫でてください」
    「注文まで付けられんのかあたしは……」

     確実にヒマリから悪い影響を受けているマルクトがふてぶてしく言うと、ネルは呆れながらも素直に従う。
     そんなところで話はティファレト攻略へと移っていった。

  • 93125/06/22(日) 09:03:38

    「ねぇリオ。ティファレトが二体いたことについてはどう思う?」

     チヒロがそう尋ねると、リオは既に考え付いていたと言わんばかりに見つめ返した。

    「そもそもなのだけれど、これまでのセフィラも本当は二体以上……というより二体ずつ出現していたと思うわ」
    「理由は?」
    「セフィラの機能が危険すぎるからよ」

     これまではセフィラ確保も何とかなって来ていたが、それはあくまでマルクトを見つけたのがエンジニア部だったからでしかない。
     もし仮に他の誰かであったのなら確保に失敗していてもおかしくはなく、自由にミレニアム自治区を動き回るセフィラなぞ災厄そのものである。

    「イェソドの確保は場所が分かっていたから出来たようなものよ。もし自治区内を自由に動き回れたら誰にも捕まらず一方的に攻撃をしてくる危険な存在になったでしょうね。銃すら聞かないのだから本当に誰にも止められない」

     そんなイェソドに対抗できる存在はまさしく『イェソド』しか居ないのだ。

    「つまりはセーフティとしてセフィラを止められるもう一体のセフィラが実は現れていた……だからネツァクの変性は『廃墟』の中だけに留まっていたと考えられるわ」
    「いま残っている『兵器工場』側の茨がそうだってこと?」
    「ええ。本当はもっと爆発的に増えるはずだった茨はもう一体のネツァクによって食い止められていた。だからネツァクが茨を水に変性したにも関わらず、『兵器工場』側の茨に似た何かはまだ残っているんじゃないかしら」

     セフィラが世界を壊さないためのセーフティ。鏡合わせの二体目。
     実のところリオ自身も恐らく止まりの思い付きでしかないが、マルクトが神に至るための儀式であるなら捕まえなくてはならないセフィラは一体ずつとも思えた。

     もちろん穴は残っている。二体目の存在をマルクトが感知出来ていなかったのは何故かという点だ。
     ティファレトについてもマルクトは『クォンタムデバイス』を通して初めて観測したのであって、『魂の感知』では二体目を検出できない可能性が高い。

     つまりは意識なく自動的に動作するもの。
     地下空洞で戦ったマルクトの抜け殻たる暴走機体もその手のものではないかと推測できる。

  • 94125/06/22(日) 09:06:40

    「結論、『二体目』はセフィラの存在を管理しマルクト陣営以外の手からセフィラを守ると同時に、セフィラが及ぼす影響を最小限に止める機構――いま思いつくのはこれだけよ」

     それは半ば願望の入り混じったものでもあった。
     少なくとも一体だけでも死線を潜り抜けるのに精いっぱいで、二体同時に相手なんてどうやっても勝ち目がない。

     逆説的に、勝ち目のない戦いを強いるのであればイェソドの時点で攻略できないはずである。
     なにせ空間を対象にした広範囲爆撃だってイェソドなら逃げ切れる。銃撃は効かず神出鬼没に現れては一方的に攻撃できる現代最強の兵器なのだから。

     そう結論付けて、一旦『二体目』については保留となった。
     もし二体同時に襲い掛かってきたらその時はその時。対処のしようがないことに割くリソースは存在しない。

    「それじゃあ一体目の攻略についてだけど……ティファレトと戦うためにはあの『重力操作』を何とかしないといけない」

     チヒロの言葉に皆が頷いた。
     『重力操作』。頭から尾にかけて流れる絶対的な力の流れ。迂闊に近づけば例外なく失墜させられる。

    「射程距離はおよそ100メートル、でしたか」
    「走る分には良いけれど、落ちるとなると話は別だね」

     ヒマリとウタハが口々に言うと、リオが顔を上げた。

    「空中戦の備えが必要ね」

     重力という星の法則に抗う方法。ただこれだけであれば手段はある。
     大気圏外へと脱出する推進力などはが代表例に上がるが、問題なのは重力の向きが一定の方向では無いことにあった。

    「ティファレトが身体を向きを変えるだけで重力の流れも変えられる。必要なのは全方向に向けられる推進力よ」
    「ウタハ、何かアイデアある?」

     チヒロが発明王たるウタハへと水を向けると、ウタハは少しばかり考え込んでから口を開いた。

  • 95125/06/22(日) 09:07:50

    「全方向なら球形の搭乗機が最適だね。ネツァクもいるから設計図さえ作れば作れるけど、問題なのは大きさかな」

     屋外戦を想定するなら逃げるティファレトを追えるような形にする必要がある。けれども球形では速度は出せない。
     屋内戦を想定するなら大きさに制限がかかる。出来る限りコンパクトに、動力系への制限は免れない。

    「あとスタビライザーも必要かな。上と下が頻繁に入れ替わるんだったらそっちにも気を回さないといけないし、誰が乗るかも重要だね」

     交戦において求められるのはぐるぐると変わり続ける重力の嵐にも対応できる反射神経である。
     一同の目がネルに向かうと、ネルは首を振った。

    「いや、あたしに機械の操作なんか期待すんなよ……。っつーか、別に真上じゃなけりゃ走れるぞ?」
    「え、重力に逆らって走れるのかい?」
    「真横でもねぇけどな?」

     足場と勢いさえあれば『上』に走ることは出来ずとも何とか出来るとネルは断言し、チヒロは頭を抱えるように笑った。

    「規格外、なんて今更か」
    「重力に逆らって蹴ればいいだけだろ」
    「それが規格外って言ってんのよ」

     とりあえずネルには最悪真上に落ちたときのためにジェットパックかパラシュートを付けて置けばいいことが分かったところで、ヒマリが口を開いた。

    「でしたら私でしょうか。運動神経ならネルを除いた中では最も高いですし。あと天才ですし」
    「そう……だね。今回は『重力操作』に対する備えが無いとそもそも近付いちゃいけない足切りの戦いだし……」

     戦力が多いに越したことはないが、そもそも参加できるメンバーが限られている。
     その中に少なくともリオとチヒロは含まれていない。ウタハはどうかと目が集まれば、本人は飄々とした様子でこう言った。

    「ゼウスを介してなら参加可能かな。ティファレト戦向けに空中機動の改造をすれば対処可能だよ」

  • 96125/06/22(日) 09:12:48

     その言葉でひとまずの戦闘員は確定した。

     規格外の体現者、美甘ネル。
     万能の天才、明星ヒマリ。
     発明の主、白石ウタハ。

     この三名でティファレトを確保する。

    「だったら案があるわ」
    「なんだい?」
    「戦闘区域を限定してヒマリの搭乗する機体性能を限定しましょう」

     屋外、屋内、全てに対応した機体となればどっちつかずの中途半端なものになるのは確定していた。
     加えて、『重力操作』という機能に対して屋外戦を仕掛けるのは極めてリスクが大きすぎる。

    「あの時ティファレトは私たちを追って来た。つまり『誘導』が出来るということ。最悪屋外での遭遇戦が始まったのなら、屋内まで誘導して倒せばいいのよ」
    「一応だけど、誘導されない知性があったら?」

     ウタハがそう言うと、リオはあっけらかんにこう言った。

    「だったら屋外での戦いに備えれば良いだけよ。ワイヤーでも何でも、足場に成り得るものを張り巡らせればネルの戦場は作れるわ」
    「あたし的にゃそっちの方が戦いやすいな。掴めるし落ちても反動で跳べるってんならよ」

     ネルが笑うと、マルクトは視線を宙に漂わせて口を開く。

    「現在ティファレトは『プラネタリウム』に居ます。この観測が正しいのかは分かりませんが……」
    「それならまずは屋内戦の準備をするのはどうでしょう? もし外れていたら誘導できるかどうかをネルに確かめて貰って、私たちは即時撤退ということで」
    「ちっ――なんか釈然としねぇけど、まぁ、そうだな」

     まずは期限厳守で屋内戦の準備。予想が外れたら追試とでも言うように屋外戦の準備を行うことに決定した。

  • 97二次元好きの匿名さん25/06/22(日) 09:36:25

    このレスは削除されています

  • 98125/06/22(日) 09:37:29

     その辺りでウタハがチヒロに視線を向ける。

    「分かっていると思うけど一応。全方向に対応できる機体の設計は出来るだろうけど、そんな複雑なプログラム、流石に私も無理だね」
    「はぁ……。『クォンタムデバイス』より難しいだろうけど何とかするから後で話そ」

     搭乗者が居る以上ハード優位。ソフトでそれに合わせていくしかない現状、正しく動作するかにおいてはチヒロの手腕にかかっていた。

     プログラムとは一切の『遊び』も許さぬ絶対の命令。
     だからこそ、全方向に作用する重力に対応できるなんて機体の製造には、ウタハとチヒロの二人を除いて誰にも出来ない。

     さらりと流される常軌を逸した偉業。そんな環境であるのが天才たちの集う部活であるのだ。
     何とか出来るのが『当たり前』――それこそがミレニアムの最たる『特異』に他らならないことを本人たちだけが知らない。

     チヒロが皆を見渡した。

    「それじゃ、リオとマルクトの二人は好きに過ごしてて。ネルは足場のない状況で放り出されたとき用の備えが出来たら呼ぶから。私とウタハはヒマリの乗る機体の製造。ヒマリ、あんたにも付き合ってもらうからそこはよろしく」
    「私が乗るに相応しい美しい機体を楽しみにしますよ」
    「ああ、誠心誠意努力するよ」

     ヒマリとウタハが笑って会議は解散となった。
     屋内戦。死なないことを前提に、最高の機体を作ってティファレトを倒す。

     時間に追われる中で出来ることはそれしか無いのだから。

    -----

  • 99二次元好きの匿名さん25/06/22(日) 17:56:21

    待ち

  • 100125/06/22(日) 18:33:59

    「とりあえず……どうするよ?」

     学園敷地内を歩くネルは、後ろを歩くリオとマルクトに声をかけると二人は顔を見合わせた。

    「そうね。ここしばらく自室に戻っていなかったら荷物を取りに戻るつもりよ」
    「リオに自室があったのですか?」

     首を傾げるマルクト。だが、そう思われてもおかしくないほどにリオは部室に入り浸っていた。
     その様子はもはや住み着いているに等しいほどで、何故自室があるのに帰らないのかと尋ねるとリオは平然と答えた。

    「部室だとゴミをまとめて外に出しておけば回収してくれるでしょう? それにゴミを出し忘れても誰かがやってくれるもの」
    「誰かを当てにすんなよな……」

     遠い目をしたネルの脳裏を過ぎるのは、たまに部室内で見かける謎のゴミ袋の山だった。
     分別はされていたため外に持って行くだけで良かったが、あの山の下手人はどうやらリオだったようだ。

    「ま、ちゃんと分別してんのは偉いけどな」
    「それは……分別しないとチヒロに撃たれるから……」
    「撃たれる、とは?」

     マルクトが聞くとリオはぶるりと身体を震わせながら語った。

    「エンジニア部を作った頃なのだけれど、その、ゴミを少しだけ片付け忘れてしまったのよ。それで全部袋に詰めて渡したら……その、舌打ちされて……」
    「めちゃくちゃブチ切れられてるじゃねーか」
    「それからせめて分別してまとめておけと言われたのよ。分別表渡されて、ひとつ間違える度に三発ずつ撃たれて……ひどいわ」
    「むしろどんだけ汚かったんだよ……。相当だろそれ……」

     壊滅的な生活力の無さに呆れるしかないネルだったが、そこでふと思ったのは『こんな』リオの自室である。

     おぞましい想像が脳裏を過ぎって、ネルの額に嫌な汗が滲む。

  • 101125/06/22(日) 19:19:22

    「……おい。最後に部屋の片づけしたのいつだ?」
    「ちょ、ちょっと散らかってるだけよ……?」
    「はぐらかすな。いますぐお前の部屋まで案内しろ。マルクト、お前も来い」
    「分かりました」

     ネルの表情からただ事ではないと悟ったマルクトが頷くと、リオは諦めたように肩を落とした。

    「な、何があっても私のことは怒らないでちょうだい……」
    「何があんだよお前の部屋……」

     あまりに不吉過ぎる予防線に戦慄するネル。
     キヴォトス広しと言えど、美甘ネルを戦慄させることが出来る者がいったいどれだけいるだろうか。

     そして……リオの自室に着いたマルクトとネルが見たものは、想像を超えた最悪だった。

    「な、何だよ……これ」

     ゴミで埋め尽くされて床すら見えず、壁には黒カビが大繁殖。
     それどころか所々コケまで繁茂していて、アシダカグモが視界で横切った。

     まさに廃墟。決して人が住んでいいわけの無い魔境。こんなところで一晩過ごせば聞いた事も無いような病気にかかってしまいそうなほどの腐海。あまりの惨状にマルクトがぼそりと呟いた。

    「ど、ドブ……」
    「ちっ、違うわ! ここまでは酷くなかったのよ! むしろ……私も驚いているわ。恐らく何かの陰謀よ」
    「マルクト。ラボから火炎放射器持ってこい」
    「分かりました」
    「ちょっと待ってちょうだい!! 中には大事な試料も残っていて――」

     リオが駆け出そうとしたマルクトの腕を掴むと、マルクトは悲しそうに首を振ってそっと手を重ねた。

  • 102125/06/22(日) 19:20:35

    「もう……無理ですよ。リオがどうこう出来る問題ではありません」
    「それはっ――」
    「この世にはどうやっても救えないものがあります。だから、この手を離してください」
    「……いいえ、離さないわ。ここで離してしまったら、後でチヒロに怒られるもの」
    「我が身可愛さかよ」
    「まずはティファレトを倒してからにしましょう」
    「リオ、この部屋の汚さとティファレトを並べるのは流石にティファレトがあまりに可哀そうです」

     『美』のセフィラと『汚』の人間。なんて酷い対比だろうか。
     ネルは大きく溜め息を吐くと、頭をがしがしと掻き毟った。

    「しゃあねぇ! あたしらで掃除すっか。こいつがチヒロに怒られんのはどうでもいいっつーか怒られた方がいいのは確かだけど、あいつらもティファレト対策で忙しいからな。水は差したくねぇ」
    「ネル……!」
    「マルクト。ちょっと購買でゴミ袋まとめて買ってこい。あと掃除道具も。火炎放射器はともかく今からこの部屋のモン全部捨てっから」
    「ネルぅ……!!」

     どんどんしわしわになっていくリオを横目にマルクトは頷いた。

    「では、せっかくですので」

  • 103125/06/22(日) 19:21:59

     そう言ってマルクトは自分の制服をメイド服へと変性させた。
     チヒロが着ていたものと似たデザインだが、質量の問題から袖までは作れず随分と薄着になってしまったが、それ以外は特に問題はなさそうである。

    「なんだそれ?」
    「ヒマリたちから聞きました。掃除や食事、ハウスキーピングを行うのがメイドの仕事。であるならば、相応しい仕事服に着替えた方が良いかと思いまして」
    「それはまぁ……そうか」

     特に反論らしい反論も思い浮かばなかったネルはひとまず納得する。

    「それでは、行ってまいります」
    「おう、頼んだ」
    「わ、私の部屋……どうなってしまうの……?」
    「もうどうかなってんだよ諦めろ」
    「うぅ……」

     ネルとリオの様子を見ながら、駆け出していくマルクト。
     その表情には、どこか笑みが浮かんでいた。

    -----

  • 104二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 00:33:55

    保守

  • 105二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 01:20:14

    分析中はめちゃくちゃ頼もしいのに
    あまりに要介護が必要

  • 106二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 02:01:31

    >>105

    ※後のミレニアム生徒会長です

  • 107二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 08:12:53

    後に自分の出したゴミにうずもれる生徒会長…

  • 108125/06/23(月) 15:08:53

    「駄目だ……何かもバランスが取れない……」

     呻くようにウタハがコーヒーカップに口を付けて、中身が空だということに気が付き溜め息を吐いた。

     リオ達が去ってから数時間。部室の共有スペースでは憔悴しきったチヒロとウタハの姿があった。
     狂う重力への対抗機の設計を始めた三人だったが、全方向への推力を得られる方法を探して結局見つからず、こうして力尽きている。

    「スタビライザーを付けるためには空中で安定させなきゃいけないし、安定させるためにはティファレトが重力を回しても耐え切れるぐらいの推力が必要で、その推力を出すためには燃料が必要で、燃料を積むと重量が増えてもっと燃料が必要になって……うがぁぁぁ!!」

     チヒロが頭を抱えて大きく吠えたが、それも仕方のないことだった。

     重力とはまさに天と地を分ける力。どれだけ強い風に横から煽られたとしても重力だけは『絶対』なのだ。
     その根幹が崩れると言うのは、言うなれば空で静止するドローンを掴んで逆さにして手を離すに等しい。当然落下する。姿勢制御も何もあったものではない。

    「分かっていたけれど、屋内戦向けに小型化するのが最大の障壁だね」
    「ヒマリが焦げてもいいならもう少し何か出来そうなんだけどさ……」
    「何か物騒なこと言ってませんかチーちゃん」

     ヒマリがサーバールームから現れて共有スペースのソファに腰かけると、チヒロは憔悴しきった昏い瞳でその身体をじっと見つめた。

     運動もしているヒマリの身体のプロポーションは確かにこれ以上ないほどに最適化されている。
     引き締まって張りのある筋肉。太すぎず、細すぎず、余分な贅肉など無い肉体美――

    「どうしましたかチーちゃん。目の保養ですか?」
    「いや、ヒマリをもっと軽量化できないかと思って……」
    「私を部品に見立てないで下さい! これ以上削げる肉なんてありませんよ!?」

  • 109125/06/23(月) 15:16:01

     抗議の声を上げるヒマリにウタハが横から声を掛けた。

    「ところで、ティファレトの倒し方については何か見つかったかな?」
    「ええ、ある程度は」

     ヒマリがサーバールームで見ていたのは、ティファレトから逃げる最中にトレーラー内部から撮られたティファレトの映像であった。

     普段であればリオに見てもらうのだが、セフィラ探索が始まってから流石にリオを酷使し過ぎたという思いがあったため、意図的に今回の対策立案から外したのだ。

     何せテロ事件のせいでリオだけ全く休めていない。
     本人は気にしていないだろうが、自分の体調にすら鈍感なリオのことである。気晴らしのひとつでもさせておかないと突然ダウンすることだって珍しくないのだ。

     その点ネルは目端が利くためリオの面倒を見させるにはちょうどよく、またマルクトも例の暴走を始めとした不安定な状態が続いているのは確かであり、そちらはリオが見ていれば何かに気付くかも知れないという期待もある。

     結果として三人にはしばらく休暇を取ってもらうことにして、残ったヒマリたちである程度までは詰めてしまおうという結論に至った。

    「ティファレトの飛行についてですが、如何なる推進機関も見受けられなかったことから重力を操作して『上へ落ちている』のだと思います」
    「つまり……ティファレトは何層も重力の膜を張っている……みたいな?」

     チヒロの言葉にヒマリが頷く。

    「恐らく自分の周囲に二層。それから更に外側――私たちを掴まえた100メートル圏内ですね。そこに一層の計三層かと」
    「出現直後に三層ね……。ウタハが見た『二体目』はどうだった?」

  • 110125/06/23(月) 15:19:39

     水を向けられたウタハは肩を竦めた。

    「あれはもう何層って括れるものじゃないと思うよ」

     あのとき頭上に広がった『黒い円』は光すら閉じ込めるほどの超重力だったのだろう。
     そこから生成された小さな重力球がどれほどのものかは分からないが、重力の制御が自分の周囲では無くなっている以上あそこまで成長してしまったら対処の仕様がない。

    「それに落ちていくとき、こう、上下に摘ままれる感覚があったんだけど、何か分かるかい?」
    「ヌードル効果では無いでしょうか?」

     頭と爪先にかかる重力の差によって物体が一本の麺のように引き延ばされるという現象である。
     当然だが、生物がそんな現象に巻き込まれれば普通に死ぬ。流石のウタハもこれにはぞっとした表情を浮かべた。

    「じゃあ私たちはあの時、完全に生殺与奪を握られていたんだね……」

     それもただ握られていただけではない。
     何度も重力を反転させ続けて下ろすような乱暴な方法ではなく、極力人体に負荷が掛からないよう緻密且つ精密に落下速度を殺しきったのだ。

     そこまでの操作ができるのならどんな対策も意味を失くす。
     必要なのは、自動迎撃モードであるティファレトにどんな制限が掛けられているかという点である。

    「私が見たところですが、恐らくティファレトは重力の向きは変えられても強さまでは変えられないと思うのです」

     ヒマリが見た映像では、ティファレトの『重力操作』は全て自由落下の速度であった。
     異なる重力を同時に発生させて対象を捻じ切るようなことは出来ないと考えており、出来ても拮抗。その場に留める力の発生である。

     また、イェソドもネツァクも最初に見せた機能から二回目に戦って見せた機能は大きく変化していない。
     あくまでより早く、より精密に出来るようになっていたに留まっていた。

  • 111125/06/23(月) 16:46:03

    「そこから推測できるのは、頭から尾にかけて流れる重力の軸を外せるようになる。あとは重力を機体ではなく空間で固定する、あたりでしょうか」

     重力域を設置しながら屋内を自由に『落下』するティファレトの姿を想像して、思わずチヒロが呻いた。

    「じゃあやっぱりこっちも飛び回れないと話にならないか……」
    「加えて異なる重力層を跨いだ際に生じる回転にも対応しなければいけませんね」
    「ちなみにヒマリ。どう倒す?」

     それこそが本題。ヒマリは頷いた。

    「ティファレトにブースターを取り付けて壁や床に押し付けて固定します。そこで取り押さえて停止信号を流し続ける。これが一番かと。問題は――」
    「ブースターをティファレトに取り付ける部分だね。ちなみにブースターを取り付けられるぐらいまで近付けたのならそのまま停止信号を流すのは?」
    「しがみ付こうものならそのまま100メートルの高さからボディプレスですね。良くて気絶。普通に骨折。悪ければ死にますね」

     あくまで重要なのは『壁際まで追い込む』ことと『動きを封じる』の二点である。
     ある程度まで追い込めばワイヤーを壁に打ち込んで固定することも出来るが、停止信号が完了する数十秒さえ止めることを考えれば推力で潰す方が工数だけ見るのなら少ない。

     どのみち接近しなくてはいけない以上、やはりネル、ウタハ、ヒマリの三人で何とかしてティファレトを取り囲むように近付く必要があった。

    「はぁ……空中機動戦だってのにどんどん荷物が増えていく……」
    「仕方ないさ。とりあえずもう一度ヒマリの機体について考えよう。この際ヒマリも頑張れば使えるぐらいのピーキ-なものも考えてみようか」
    「ふふっ、私が黒焦げにならないようにお願いしますね? ……本当にお願いしますよ?」

     ヒマリの念押しに「努力するよ」と答えたウタハは再びチヒロを話を詰めていく。
     しばらく続きそうな様子にヒマリは立ち上がって、二人に軽食でも買って来ようと外へ出た。

     ティファレトとファーストコンタクトを取ってから二日目。夜の帳が下り始める頃のことだった。

    -----

  • 112二次元好きの匿名さん25/06/23(月) 23:14:34

    保守

  • 113二次元好きの匿名さん25/06/24(火) 00:09:43

    このレスは削除されています

  • 114二次元好きの匿名さん25/06/24(火) 07:40:14

    保守を追う者

  • 115二次元好きの匿名さん25/06/24(火) 14:14:20

    マチ

  • 116二次元好きの匿名さん25/06/24(火) 16:46:11

    このレスは削除されています

  • 117125/06/24(火) 16:47:15

     午前八時。

     ネルが自室のベッドで目を覚ますと、隣で眠るマルクトの姿があった。
     その寝姿は両手を胸の上で重ねており、ベッドの上よりも棺桶か人形のケースの方が似合うほどでぴくりとも動かない。

    「そういや……あの後うちに泊まったんだっけか」

     身体を起こして足を床に降ろすと、つま先に柔らかい感触があった。
     ぐいと軽く踏んづけると、下から「うぐぇ……」と生き物の声がした。

     リオである。寝袋にくるまってミノムシみたいになっているリオがいた。

    「おい、起きろよ朝だぞ」

     そのまま何度か軽く踏んづけるとその度に鳴る呻き声。

    「おら、早く起きろー」
    「ぐぇぇ……」
    「ほらほらぁ。いつまで寝てんだー」
    「うぐぅ……」
    「まだお前の部屋の掃除終わってねぇんだぞー」
    「……ぐぅ」
    「二度寝……だと――!?」

     思わず戦慄したネルは起こすことを諦めてリオを跨ぐと、そのまま顔を洗いに行った。

     ティファレト対策が難航する中、リオの部屋の掃除もまた難航していた。
     ネルとマルクトの二人がかりであっても終わらず、一旦家具を含めた部屋の中のものを全て廃棄することに決めて諸々を運び出し、分別したのが昨日の進捗。

     途中住処を奪われた虫たちが一斉に這い出て来るといった事件もあったが、Gから始まる恐ろしい存在はいなかったことが不幸中の幸いか。マルクトが淡々と捕らえては外へ逃がしていてくれたことにはリオもネルも安堵した。

  • 118二次元好きの匿名さん25/06/24(火) 22:12:33

    二度寝…?気絶では?

  • 119125/06/24(火) 22:50:10

     そして、今日は分別したゴミを捨てに行くこととカビやコケに侵食された室内の清掃がノルマであった。
     もはや作業規模が業者のそれであったが、やると決めた以上は完遂するほか無いのがネルの信念である。

    「ええーと、たまご~、たまご~っと」

     小気味よく囀るように冷蔵庫を開けると、ちょうど鶏卵が三つと薄いベーコンが六枚。
     しかしそれ以外の食材はちょうど切らしていたことを思いだして舌打ちをする。

     米はあるが炊いていない。冷凍庫にも備蓄は無し。
     どうするかと考えたところで半切れのバゲット。よし、と頷いて早速準備に入った。

     まずは鍋に水を張って火にかける。ついでにコップに水を注いで一気に呷ると溜め息を一つ。
     部屋に戻って着替えながらまずはマルクトを揺すって起こすと、ぱちくりと目が開いてネルと目が合った。

    「……おはようございますネル。まだ慣れませんね。睡眠というのは」
    「おう、調子はどうだ? 今の身体は?」
    「人間体です。状態は安定。問題ありませ――ふあぁぁぁ……」

     目じりに涙を浮かばせて小さく欠伸をするマルクトは、もうどこからどう見てもただの人間だった。
     ネルが顔を洗うように言うと、マルクトは「不要です」と答えて目を細めた。

    「一度機械体へ戻した後に人間体へ変性させます――機械体へ変性完了」
    「便利なんだか便利じゃねぇんだか……」

     少なくとも、人間の身体にしておくことでマルクトの身体は安定するようではある。
     『精神感応』や『魂の感知』が行えないから安定しているのか、それとも人間の身体だから安定しているのか。それを考えるのはネルの仕事ではなく、ネルもまた、大した関心は抱いていない。調子が悪くないならそれでいい。それだけだった。

    「マルクト、人間体に変わる前にリオを起こしてくれ。飯の準備はあたしがすっから」
    「分かりました。リオ、起きてください」

  • 120125/06/24(火) 23:23:32

     リオを揺さぶるマルクト。リオが僅かに目覚めて呻いた瞬間、マルクトが『精神感応』で『言葉』を流し込む。
     いったい何を囁いているのかは分からないが、リオは「チヒロ……チヒロ……」と呟き始めたところを見るに恐らくチヒロに怒られるとでも言われているのか。

     ネルは布巾でテーブルを拭いてからキッチンに戻ると、コップをふたつ並べて出して、オレンジジュースを注いで運ぶ。
     テーブルに置いて「飲んで待ってろ」とだけ言うと、再びキッチン。バゲットを六当分にして、うち三つにバターを塗ってトースターへ。スイッチは入れずに網へと並べる。

     今度はスキレットをコンロに置いた。最近育て始めた鉄製で、油ならしの甲斐をあってか綺麗に黒光りするようになっている。
     油を引いて火にかける。その辺りでお湯が沸き始めたため、鍋に塩と酢を入れて軽くかき混ぜてから火を止めた。

    「んじゃ、やってみっか」

     卵を三つ取り出して、ひとつを掴みながら菜箸で湯の入った鍋を大きくかき混ぜる。今日作るのはポーチドエッグだ。
     渦が出来たところでそっと卵を割り入れて、白身が中心に集まるよう水流を作りながらベーコンをスキレットに投げ入れると、肉の焼ける音と共に香ばしい匂いが広がっていく。

     卵がまとまり始めたところでトースターのスイッチを入れながらベーコンへと取り掛かる。両面焼いて皿に上げると、出来上がったポーチドエッグを冷水に取る。続けて二つ目。渦を作ってから卵を入れてもう一度。今度はもう少し熱にかけても良いかも知れない。

     バゲットが焼けたため、バターを塗っていない方を一切れ取り出して、ベーコンを二切れ、先ほど作ったポーチドエッグを乗せて出来上がるはエッグベネディクト風の何か。口に含むとかりっとしたバゲットとふわりと柔らかな卵の感触が口内に広がって、ネルは一言。

    「やべ、なんか薄いわ」

     ポーチドエッグもエッグベネディクトも作ったことは無かったために全てうろ覚えで作っているのだが、せめてベーコンに塩コショウを振るぐらいはしても良かった。とりあえずマヨネーズをかけて食べるとまぁ、悪くは無い。マスタードを混ぜても良いだろうが、人に食べさせるもので下手に冒険するのは話が違う。それはおいおい試すとして、今回はマヨネーズのみで妥協することとする。

  • 121125/06/24(火) 23:55:48

     そのまま二人分のエッグベネディクト風の朝食を作り上げると、バターを塗った自分の分を咥えながら部屋へと戻った。

    「おーい。出来たぞー」
    「おはよ……ねる……」
    「それはあたしか? それとも三度寝するつもりか?」
    「どっちも……」
    「そこはあたしにしとけよ」

     テーブルに置くと匂いに誘われた獣がのそりとテーブルに着く。そのまま無言で手を伸ばそうとしたため、ネルはその手を軽く叩いた。

    「いただきますは?」
    「……いただきます」
    「よし、食え」

     なんだか途中から犬に餌でもやっている気がして来たネルだったが、流石にそれを口にはしなかった。
     その隣でマルクトが丁寧に手を合わせて「いただきます」と言って食べ始めたが……どうしてか、忠犬と駄犬が脳裏を過ぎった。

     そんな穏やかな朝。ふと、咀嚼し終えてオレンジジュースを飲んだマルクトが口を開いた。

    「なんだか、平和ですね」
    「ああん?」
    「ティファレトとの戦いを控えているというのに、不思議な気分です」
    「はっ、怖気づいたか?」
    「我が前線に出るわけではありません。ですが……」
    「考え過ぎなんだよお前は。っつーか別にあいつら、お前のためだけにセフィラをやり合おうってわけでもねぇだろ」
    「それは……そうかも知れませんが……」
    「お前が戦いに巻き込み続けてるわけじゃねぇだろもう。今更辞めようっつったってあいつら勝手に続けるぞ?」

     そう返すもマルクトはどこか釈然としない様子である。
     ネルはエンジニア部と出会ったばかりのマルクトを知らない。聞いた話でも先月頭に出会ったばかりというのは知っているが、今ほど人間らしくなかったというのはヒマリたちを見て薄々勘付いていた。

  • 122二次元好きの匿名さん25/06/25(水) 05:23:56

    決戦前だもんな…

  • 123125/06/25(水) 09:28:42

     きっと色々変化があったのだろう。振り返ればたった一瞬の一か月半。しかしそんなことを言ったら自分だってエンジニア部とつるむようになってからまだ半月程度。それなのにもうすっかり馴染んでしまっている。

     一か月半――生徒にとっての一か月半はあまりに長い。
     一年はある種の『一生』に等しく、その十二分の一を過ぎれば受ける影響もどれほどか。

    「情が湧いた。危険な目に遭って欲しくない。心配すんのは良いけどよ、罪悪感っつーの? それはどんだけ偉ぶってんだって話だろ」
    「偉ぶる……?」
    「だってそうだろ? それともお前のため『だけ』に皆が『嫌々』やってるとでも思ってんのか? あいつら……っつーかこいつもだけど、そんな殊勝なタマかよ」
    「おいしい……」

     リオが寝ぼけ眼でもぐもぐと食べきると、そのままとろんと微睡んだ瞳でネルを見つめた。

    「足りないわ……」
    「図々しいにもほどがあんだろこいつ……」

     ネルが身を乗り出してリオの額に軽くデコピンを放つと、「あぅ……っ」と額を押さえてリオは倒れ込んだ。

    「ま……つまりは、だ。どいつもこいつも好き勝手やってんだから、お前も余計なこと考えねぇでやりたいようにすればいいだろ? それに、お前が巻き込んだと思ってるこいつらは普通じゃねぇ。そこはあたしが保証してやる」

     ミレニアム最強の規格外からのお墨付きが入るほどの『異常』。
     褒めているのか貶しているのか――分からずとも何となく両方な気がするほどには情緒が育っていたマルクトである。

  • 124二次元好きの匿名さん25/06/25(水) 15:35:08

    まち

  • 125125/06/25(水) 22:25:39

     ヒマリたちと出会った頃には知らなかったことが本当に増えた。マルクトは素直にそう振り返る。
     あの頃はヒマリたちの心配なんて思いつきすらしなかっただろう。人間を知らず、感情をロジックでのみしか知らなかったあの頃の自分であれば。

     ――そんなことを考えた時、自分の中で何かの『錠』が落ちる音が聞こえた気がした。

    「……ネル。いま、参照できるようになったデータがあります」
    「ああ?」

     訝しむような顔をするネル。しかしそれはマルクトも同じだった。
     何故こんな記録が突然分かるようになったのか分からず、そのまま声に出した。

    「天はケテル。地はマルクト。間に収まる万物の中心。それがティファレトです」
    「『生命の樹』の配置ね」
    「うおっ、急に目ぇ覚ますなよリオ……」

     寝ぼけ眼はどこに行ったのか、よほどデコピンが効いたのかはさておき、リオは突然起き上がってマルクトに視線を向けた。

    「ヒマリが何処かで見つけた『生命の樹』にセフィラの配置が記されていたのよ。下から順にマルクト、イェソド、ティファレト、ケテルで並ぶ直線。その右側、ネツァク、ケセド、コクマーの直線。反対側左方、ホド、ゲブラー、ビナーの直線。それが何を意味しているのかまでは分からないけれど」

     あの配置図もまた正体不明のものである。
     『生命の樹』、『炎の剣』、『知恵の蛇』――いずれもヒマリがどこかで見聞きしたものらしいのだが、肝心のヒマリは『何故か』どこで見たのかを完全に忘れてしまっていた。

    「変なのよ。ヒマリは別に完全記憶能力を持っているわけでは無いけれど、うろ覚えでも思い出したことを調べ直せないままで……」
    「あん? そんなの普通――って、お前らは別か」
    「ええ、ヒマリならどんなに隠したって見落としたって『ある』なら必ず手掛かりを掴むわ。でも全く引っかからない。誰かに消されたのよ。ヒマリが見たものを。セフィラに繋がる何かを」
    「つまり……なんだ。ずっと前から残っていたセフィラの話をここ最近で消し回っているヤツがいるって言いてぇのか?」

  • 126125/06/25(水) 22:47:00

     リオは恐らく、と答える。
     ここ最近が一年なのか二年なのかは分からないが、少なくともヒマリが自称『ただのネットサーフィン』を行った後だと考えれば三年以上前では無いはずだと当たりを付けていた。

    「マルクト、あなたが参照可能になった情報は『生命の樹』で間違いないかしら」
    「は、はい。セフィラの序列の中でも四つの階層が存在するというものです」

     リオに少々気圧されながらもマルクトは『分かるようになった』情報を話した。

     『生命の樹』は四つの階層が存在する。
     第四流出界、アッシャー。もっともこの地に近き場所。対応するセフィラはマルクト。
     第三流出界、イェツィラー。地に降り注ぐ光の座す空間。対応するセフィラはイェソド、ホド、ネツァク。
     第二流出界、ブリアー。『無限』が『有限』へと変じる領域。対応するセフィラはティファレト、ゲブラー、ケセド。
     第一流出界、アツィルト。もっとも天に近き概念。対応するセフィラはビナー、コクマー、ケテル。

    「第三流出界は例えるなら一年生です。そこから上に上がっていき、第一流出界。ビナー、コクマー、ケテルの三体が三年生。そしてケテルは原初の光。生徒会長みたいなものだと考えてください」
    「そう考えると、マルクトは新入生というところかしら」
    「つーかよぉ……ケテルの例えが『生徒会長』ってのはその……なんか嫌だな」

     ネルが苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべると、リオもマルクトも釣られてげんなりとした表情を浮かべる。

    「有り得ないとは思っているけれど……、どうしてなのかしら……」
    「会長の正体が実はケテルと言われてもあまり違和感がありません……」

     セフィラは順番でこの地に顕現する儀式めいた法則が存在する。
     しかし何故だろうか。三人の脳裏を過ぎるのは「君たちの活躍はちゃぁんと見てたよぉ~?」と言いながら両手を広げて相対する会長の姿。そんな光景を想像してしまったネルが頬をひくつかせる。

  • 127125/06/25(水) 23:19:46

    「そんときゃ……そうだな。『だと思ったよ!』とか言いながら銃弾ありったけ叩き込むわ」
    「我も全力で封じ込めます」
    「悪い人ではないけれど、ずっと傍にいるのは大変そうね」
    「いや悪人だろあいつは」

     などと与太話をしながらも、リオにはひとつの確信があった。

    (会長はセフィラを知っている)

     遥か昔からある伝承だと考えず、本気でいずれこの地に顕現すると予想していたに違いない。
     魂の考察論文からも見て取れた。会長は決して無関係では無いということに。

     そして、セフィラに関する情報や伝聞を消して回っていたのも会長だというのも、リオは考慮のひとつには入れていた。

     分からないのはその動機。故に会長の情報操作という陰謀論は陰謀論で止まっている。
     配役、役割、立ち位置――その全てが確定できない。会長のことを考えれば考えるほど、霧掛かったように霞んでいくのは自分の想像が的外れなのか、単にピースが足りないだけか。

    (会長、あなたは『誰なの』……?)

    「おいリオ」
    「あうっ――」

     考え込んでいた頭にデコピンが炸裂してリオは再び倒れ込む。
     そんなリオにネルが呆れたように言い放った。

    「考える前に身支度しろって。片付けはあたしがやっとくから。部屋の掃除、まだ終わってねぇんだからよ」
    「ゴミ出しをして終わりではないの……?」
    「カビやら何やら元気いっぱいに溢れてんだろうが! 片付くまでは泊めてやっから、考え込むならやることやってからにしろ」

  • 128125/06/25(水) 23:21:24

     毅然とした態度でそう言うと、リオは「はい……」と肩を落としてそう言った。

    「あの、ネルも何だかんだでリオに甘くないですか?」
    「こいつもう要介護者の類いだろ……。ま、出来ねぇもんは仕方ねぇし出来るところはそれなりに頼りにしてっからよ」
    「役割分担、ということでしょうか?」

     マルクトがそう言うとネルは笑って頷いた。

    「あたしだってこいつらと比べたら勉強できねぇしな。でも戦うってんなら誰にも負けねぇ。ここにいる奴らはみんなそう言う『誰にも負けねぇ』ってものを持ってるからよ。出来ねぇもんとか誤差だろもう」

     個人で見ればひどくアンバランス。何かに特化しているが故に『普通』に擬態しきれないハグレモノたち。
     だからこそ寛容にならざるを得ない。天才たちの集うこの場所においてはその類まれなる才も比類なき欠点も、色眼鏡なく正しく公正かつ公平に判断されるのだから。

    「じゃ、今日も頼むぞマルクト。こいつの部屋片づけてティファレト対策の方に合流しねぇとな!」
    「はい!」
    「あの、私の部屋がティファレト対策に並ぶのかしら……?」
    「行きましょう!」

     ネルとマルクトが意図的に答えなかったことが何よりの答えである。
     汚部屋掃除――それが『美』を司るティファレトに比類するならばティファレトにも怒る権利があるかも知れないが……そして次の日。

     チヒロたちのティファレト対策はある程度の形を掴み始めていた。

    -----

  • 129二次元好きの匿名さん25/06/26(木) 07:31:01

    待ちます

  • 130125/06/26(木) 15:19:18

    保守

  • 131125/06/26(木) 20:59:27

    「失礼します」

     扉をノックして開けられたセミナー本部へと踏み入れるチヒロ。
     ミレニアムタワー最上階。野球でも出来るぐらいに広いそのフロアには、多くのデスクに多くの端末が置かれたミレニアムの中枢である。

     そんな、セミナー部員で無ければ早々立ち入ることも出来ないこの場所に来たのは、ひとえに競技場およびヘリの貸出許可を直でもらうためだった。

    「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

     扉を開いたハイマ書記の案内で本部の奥へと向かって行くチヒロ。
     その先に居たのは会長――ではなく件のテロを起こしたメト会計。チヒロは思わず声を上げた。

    「更迭されたかと思ったのですが……現職復帰なんですね」
    「う、うん……まぁ……」

     気まずそうに目線を逸らす会計。彼女の座る席は本来会長が座るべきはずのもの。
     デスクの上に書類の束は無いものの、ほぼ全てが電子化されたミレニアムではそれは普通のこと。しかし視界に入る直前までとんでもない勢いでバーチャルキーボードを叩き続けていたことから会長から何らかの仕事を押し付けられていることはチヒロの目でも理解出来た。

     恐らくではあるが、事件を揉み消した代わりに内々でそれなりの処罰を受けたのだろう。
     直接的な被害を被った恨み言を言えば良いのか、それとも会長への愚痴を言えば良いのか一瞬迷ったチヒロだったが、チヒロが口を開く前に会計はがたりと立ち上がって頭を下げた。

    「ごめんなさい。私とシオンちゃんのことで巻き込んで……その」
    「あぁ、いえ。まぁ……」

     思わず面食らって言い淀むチヒロ。リオとネルから人柄について聞いていたとはいえ、もっと悪役然としてさえくれればやりやすいのだが――こうまで潔いと恨み言のぶつけ先に困ると言うのが本音である。

     そこで気を遣ってくれたのがハイマ書記であった。

  • 132125/06/26(木) 21:10:59

    「私は書記の業務に戻った方がよろしいですね。ここはスプリットの場面かと」
    「よく分からないけど……うん。ちょっと個室の方が良いかも……」
    「分かりました。ガンクの用意はしておきましょう」
    「ガン……? うん、よく分からないけど分かった……」

     ハイマ書記が去っていくと同時にメト会計は応接室へと案内した。

     誰も居ないその小部屋はテーブルと椅子だけが置かれた簡素な部屋である。
     ありとあらゆる方法で外部からのハッキングを許さないその部屋は、密談に相応しいミレニアム最高峰の電脳暗室。その椅子に座ってから、会計はおどおどとした様子でチヒロに瞳を向けた。

    「こ、ここなら誰にも聞かれないから大丈夫だよ……」
    「……では、メト会計。要件ではないことを聞きますが、どうして私たちを嵌めようとしたんですか?」

     脱線してでも聞きたかった質問。会計はそれに素直に答えた。

    「シオンちゃんを会長の立場から引きずり下ろしたかったの。このままじゃ一線を越えちゃうって思って……。でも失敗した。私は何も出来なかった。『会長』は会長のままで、私は何も出来なかったんだぁ……」

     含みを持った言い回しに、チヒロは眉を顰めた。

    「具体的には?」
    「言えないよ。私と『会長』の間に結ばれた約束だから破れない。だから――答えはみんなで見つけて」

     痛々しく笑うその姿にチヒロが言えることはひとつも無かった。
     代わりに口を吐いたのは本来の目的、要望の話である。

    「実験のために競技場の貸し出しと上空への輸送ヘリを借りたいのですが……可能ですか?」
    「うん。『会長』から申し送りがあったから……。競技場はなるべく空けておくこと。エンジニア部が申し出をしたら受け入れることって……。あ、会長はいまオデュッセイアとの会合に行ったからいないよ?」

     疑問を先回りして潰す会計にチヒロは息を呑んだ。
     理解したのは『こちらの思考』に合わせようとしている事実。性質としてはリオに近い『生粋の天才』、しかしてスピードコントロールにおいては『二年先の天才』たる所以を知るところである。

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