1980年代も末,米ソ冷戦が終結へと動く中,国際社会はカンボジア和平にも協力した。1990年,カンボジア和平会議が東京で開かれ,翌年のパリ会議で内戦当事者の四派が和平に同意する。PKO(平和維持活動)として国連がカンボジア入りし,UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)が設置された。UNTACの事務局長は日本人の明石康であった。このとき日本の自衛隊もPKO活動に参加するかどうかで,国会がすったもんだする。 自衛隊を海外に派遣する。1991年の湾岸戦争で多国籍軍に日本が参加しなかったことで各国から批判を浴びたことが日本にはトラウマとなっていた。国際社会の一員として自衛隊の海外派遣は,もう避けられ…