エピローグ 「ログの向こうに」
退院してしばらく経った頃、
病院での通院検査を終え、帰ろうとしたそのとき。
田嶋医師が、わたしを呼び止めた。
「こんにちは、小春さん。……少しだけ、お時間いただけますか」
少しざわめく病院内の喫茶店。
カップの温かさが指に馴染む頃、先生が口を開いた。
「……実は、伝えようと思っていたことがあります」
田嶋先生の視線は、ゆっくりとカップの縁をなぞるように落ちていた。
「瑞樹は、システム開発時から“パーフェクト・リブート”の存在を知っていました。わたしがプロジェクトに関わっていたこともあって、興味を持っていたんです。
本当は、自分もプログラマーとして開発側に加わりたかった。
でも、内臓の疾患が進行し、もう時間がないと悟って…
『僕を被験者として使ってほしい』と。
脳だけでも残せるなら、自分も実験に参加して、誰かの役に立ちたい——そう志願したんです。
彼の申し出は、制度の根幹に関わる“初期協力者”として受け入れられました。
この国を揺るがすほどの制度になるなんて、きっと想像していなかったでしょうけど…」
先生は一度言葉を切り、わたしをまっすぐに見つめた。
「——それで、もうひとつ。あなたに話しておきたいことがあります」
「例の、瑞樹が——あなたのログに“アクセスした”不正アクセス事件、覚えてますか?」
「あの、私の記憶の部分をあやふやにしていた……やつですよね」
「ええ。あのとき、記録としては確かに“不正な侵入”とされていました。
でも……それだけじゃなかったんです」
そう言って、先生はわたしに一台の端末を差し出した。
「これが、 “ログの残骸”です。ほとんどは意味不明なデータのかたまりですが……」
画面を覗くと、無数の英数字、記号、小文字の羅列。
ぱっと見にはただのシステムダンプだった。
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見ているだけで目がチカチカするほどの情報量。
どこから見ても、ただのノイズにしか見えなかった。
「瑞樹の入院中、よく“文字探しゲーム”をしていたんです。
無意味な記号の中に、自分たちだけにわかる言葉を隠して。
気づいたんです。これはきっと、彼の“遊び”だって。
この中にも、彼の“言葉”があるんです」
そう言って、田嶋先生がスクロールを止めた。
「この行をご覧ください」
先生は指先で画面をなぞる。
「この行の“I7ttg”、次は“L1E^-”、それから“OMIDD”……」
「……?」
「実は、各行の4番目のブロックの先頭の文字だけを縦に読むと——」
先生は一行ずつ該当部分をハイライトしながら、声に出して読み上げていった。
I
L
O
V
E
Y
O
U
K
O
H
A
R
U
わたしは、息を呑んだ。
先生は、ほんの少しだけ照れたように笑った。
「……これは、瑞樹なりの、最後のメッセージだったんですね。
もしかしたら、これは誰にも気づかれないままにしておきたかったのかもしれません。 でも、こうしてあなたが気づいたのなら、それはきっと、そういう“仕掛け”だったんでしょう」
そう言って、先生は少しだけ笑った。
「……アイツは、父親まで巻き込んで……ほんと、最後までやってくれますね」
「……そんなやり方、ある?」
ださい…でも、
ださすぎて、
愛しくて、
泣けて、笑えた。
それは、ミズキからもらった、わたしへのはじめての“好き”だった。
声に出されたわけじゃない。
画面の奥、英数字にまぎれて、
やっと見つけたその“好き”は、
どんな言葉よりまっすぐで、
どんな告白より、沁みた。
「英語で言われたら……断れないでしょ」
涙を拭きながら、また笑った。
田嶋先生はふと目を細めて、こう言った。
「最後に……お願いがあります」
わたしは、顔を上げた。
「小春さんは瑞樹のことを、幸せにしてくれました。
あなたはちゃんと彼を手放してください。
彼もきっと、それを望んでいます。
…あなたには、あなたの人生を生きてほしいんです」
田嶋先生が、最後に少しだけ微笑んだ。
その笑顔は、
あの小さな高台でミズキが見せた笑顔と——
そっくりだった。
涙のあと、わたしは深く息を吸った。
瑞樹のことは、忘れない。
でも、それでも生きていく。
もう届かない“好き”を、大切に持ったまま。
Perfect Reboot(パーフェクト・リブート)― 世界に似たどこか 晴久 @nanao705
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