※本稿は、阿部恭子『近親性交』(小学館新書)の一部を再編集したものです。
なぜ近親性交は禁忌なのか
「インセスト・タブー(近親性交の禁忌)」は、最後の人権問題と呼ばれることもある。成人同士の合意による性交であれば、家族同士であっても法的に禁止されているわけではない。
しかし、「倫理」という実に曖昧な概念によって、「普通の人はしないこと」としてポルノの世界に閉じ込められてきた。近親性交は遺伝性疾患を持った子が生まれるリスクが高いという説も、法律で婚姻の範囲を制限している根拠のひとつといわれているが、障がいのある子を産んではいけないというのは差別である。
血縁でありながら異なる環境で育った家族が、たまたま出会って恋に落ちるメロドラマのような出来事が、絶対に起こらないとは限らない。かつてタブーとされてきた同性間の結婚を認める国も増えており、日本でも訴訟が提起されるようになった。「結婚」という制度や「家族」の概念が再定義される時代、家族間の性交や結婚を認めよというカップルが現れても不思議ではない。
日本の近親性交は「家族による性の束縛」
しかし、日本の近親性交の実態は、性の解放を求める家族同士の積極的・肯定的な結びつきではなく、社会に居場所を見つけられず家庭にこもり、家族に依存した状況下で生じる「家族による性の束縛」だった。
近親性交の当事者たちは、たとえ両者合意の上の関係であっても、家族と性交した事実を後ろめたく感じており、権利を主張するどころか事実を伏せたまま、いかに普通の家族と化して生活を送るかが課題なのである。
インセストも含む「禁断の愛」は、しばしば文学や芸術のテーマとして扱われてきた。恋人同士が、身分の違いや周囲の反対を乗り越えて結ばれる物語は、いつの時代もラブストーリーの定番と言っても過言ではない。その愛が、タブーであればあるほどふたりは燃え上がり、絆を強くする。愛は社会と戦う力になり得るものである。
しかし、世間を敵に回してもふたりの愛を貫こうという強さを具えたカップルは、本書(『近親性交』)には登場していない。現代社会の価値観を揺るがすような家族同士の愛は、存在しなかった。