デジタルコーディネーター:感動を生み出す仕事を熱望し、アルバイト契約で入社したエンジニアが描くキャリアパスとは?
2025.11.25
さまざまなエンタテインメントビジネスを手がけるソニーミュージックグループで、専門的な知識とスキルを持って働く技術者(エンジニア)に話を聞く連載企画。
第22回は、ソニー・ミュージックソリューションズ(以下、SMS)が運営するソニー・ミュージックスタジオ所属のマスタリングエンジニア・酒井秀和に話を聞いた。
目次
酒井秀和
Sakai Hidekazu
ソニー・ミュージックソリューションズ
関連記事はこちら:レコーディングエンジニア:“正解の音”がないから探究し続ける、好きを極めるための仕事
――初めに、マスタリングエンジニアがどんな仕事なのか教えてください。
マスタリングエンジニアの仕事は、レコーディングされた音源をCDや配信サービス、アナログレコードといった各メディアに適した形に整え、最終的なマスター音源を作成することです。
具体的には、音源全体を通してノイズがないか、意図しない歪みがないかといった品質チェックを行ないながら、音質や音圧を制作者の意向に沿って調整していきます。楽曲がリスナーの耳に届く直前の、いわば“音楽制作の最後の砦”というような工程であり、リスナーと作品の間に立つ“ハブ”のような役割ですね。
――レコーディング後の音源を調整する作業にはミキシングもありますが、ミキシングとマスタリングは、何が違うのでしょうか?
ミキシングは、ボーカルやギター、ドラムといった各楽器の音のバランスを取るクリエイティブな作業です。主に、音源の収録を担当するレコーディングエンジニアの作業領域で、どの楽器を際立たせるか、どんな空間表現にするかなど、楽曲の印象を方向づける工程と言えます。
それに対してマスタリングは、ミキシングが完了し、ひとつにまとめられた音源を預かるところからスタートします。完成された音源を、より客観的な角度から聴き込み、楽曲全体の魅力を最大限に引き出すための最終的なイメージづくり=仕上げを行なうのがマスタリングです。
例えるなら、ミキシングが絵画を描く作業だとすれば、マスタリングは額縁を選び、美術館の照明に合わせて、最も美しく見えるように調整するような仕事。ミキシングされた音源をいかに磨き上げ、商品として市場に出せる品質にするかが、私たちの腕の見せ所になります。
――と、ここまで言葉でマスタリングエンジニアの仕事について説明してもらいましたが、素人からすると、やっぱりイメージが湧きません(笑)。
そうですよね(笑)。では、マスタリング前と後の音を聴き比べてみましょうか。こちらがマスタリング前、こちらがマスタリング後となります。どうですか? 違いがわかりますか?
――わかります! というか……こんなにも変わるんですね!! 音に厚みが出て、楽曲全体がふくよかになり、耳当たりもすごくいい音になってます。なんというか、元の音源がお化粧されてキラキラしている感じがします。
(笑)そういう表現にもなりますね。こうやって聴いていただくのが一番わかりやすいんですが、言葉として表現するとどうしても抽象表現になるので難しいですよね。
――現在、私たちリスナーが音楽を聴く手段は、CD、配信サービス上でのストリーミング再生、最近再注目されているアナログレコードやカセットテープなど、さまざまなメディアがあります。各メディアによって、マスタリングのアプローチは変わるのでしょうか?
まったく異なります。例えばアナログレコードは、溝にある凹凸を針が読み取って、音楽が再生される仕組みです。物理的に音を刻むため、低音の振幅が大きすぎると針が飛んでしまい、音楽が再生できなくなってしまうといった制約があります。そのため、溝の幅を考慮した調整が必要です。それに対して、CDにはそうした物理的な制約が少ないため、よりダイナミックな表現が可能になります。
そして、現代の音づくりに最も大きな影響を与えているのがストリーミング再生です。各配信プラットフォームは、楽曲ごとの音量のばらつきを自動的に平準化する“ラウドネスノーマライゼーション”という仕組みを導入しています。
この特性を理解せずにマスタリングを行なうと、こちらの意図していない音質の劣化を招く可能性があるので、より繊細なアプローチが求められます。音楽を聴くフォーマットに合わせて、最適な音の鳴り方を技術的にコントロールしています。
――特にストリーミングの普及は、音づくりに大きな影響を与えたということですね。
そうですね。ストリーミングでは、各プラットフォームが基準とするラウドネス値を超えた音源は、自動的に音量を下げられてしまうので、音づくりのトレンドが“楽曲が持つ本来のダイナミクスや表現力をいかすこと”へと変化しました。
そうなると、しっかりとその曲の存在感を出すために、楽器やボーカル、それぞれの動きをちゃんと聴かせる音場を作ることが求められるようになったんです。私にとってそれは、エンジニアとして、本来あるべき音楽的な表現に立ち返ることができた、とてもポジティブな進化だと感じています。
――そもそも、酒井さんはなぜマスタリングエンジニアを志したのでしょうか?
高校時代に組んでいたバンドで、とあるコンテストに出場したんです。それまでは、街の小さなスタジオでしか音を出したことがなかったのですが、大きな会場で初めてサウンドチェックをしたら、自分が叩いたスネアの音が今まで聴いたことがないくらい、いい音がして。
それをきっかけに、音響制作に興味を持つようになり、高校卒業後は音響を学べる専門学校に進みました。音楽をいい音響で届けたいという探究心が、この仕事を目指す原点になりました。
――ソニー・ミュージックスタジオに入社してからは、順調にキャリアを歩まれたのですか?
実は、少し変わった経歴なんです。1995年にソニー・ミュージックスタジオの前身であるソニー・ミュージック信濃町スタジオに入社し、5年ほど経験を積んだのですが、当時進化していた洋楽の音を勉強したくて1年ほどロンドンに渡りました。
ですが、向こうでは望んでいた仕事に結びつかず、帰国後は、エンジニア職のキャリアをいかそうとプロ用の音響機材を販売する会社で営業職に就きました。今思えば、エンジニアとは異なる視点から機材やスタジオビジネスに触れることができ、非常にいい経験になりましたね。
その1年後くらいに、当時の上司から声をかけていただき、2003年に再びエンジニアに復帰。一度外の世界を見たことで、改めてこの仕事の面白さや奥深さを再認識できましたし、その経験がのちの糧にもなりました。
――ちなみに、マスタリングエンジニアとして独り立ちするまでには、どういった過程を踏むのでしょうか。
まずは、マスタリングなどスタジオでの作業がすべて終わった、納品用のマスター音源をチェックするところから始まります。音源にノイズが入っていないか、サウンドに違和感はないかという検聴作業と、スタジオに原盤を保存しておくためのアーカイブづくり、ストリーミングの各プラットフォームに納品するための準備作業などの業務を行ないます。人によって異なりますが、これをだいたい1~3年ほど経験します。
その後、自分で音を判断できる状態になったら、曲ごとの音量感を合わせるようなマスタリング作業の訓練をしてスキルを磨き、独り立ちというケースが多いですね。基礎となるのは“さまざまな音源を聞き込むこと”です。できた音そのものに、ほかのエンジニアのテクニックや音づくりへの考え方が反映されているので、そこから吸収できることはとても多いです。
――では、エンジニアとしての道を歩むなかで、どこに仕事の面白さを感じていますか?
何よりも、音楽を深く探究できることですね。楽曲の構成や流行のサウンドの変化を、音楽制作の最前線で体験できるのは、とても楽しいです。そういった変化をポジティブに受け止める毎日が、自分たちの役割を再構築しているように感じます。
それと、手がけた楽曲にどういうアレンジが施されているのかを分析するのも面白いですね。そのうえで、どうすればボーカルがより輝くか、どの部分の響きを整えればグルーヴ感が増すか、といった最適なサウンドを見つけ出し、音楽としての表現をさらに高いレベルに引き上げられた瞬間には、大きな喜びとやりがいを感じます。
――マスタリングの現場で特に印象に残っているエピソードはありますか?
アーティストご本人がスタジオのスピーカーで音を聴きながら、腑に落ちない表情で「声が、自分が見たい景色にいない」という意味のことを、とても詩的な言葉でおっしゃったんです。
違和感の正体を探ろうと音源を注意深く聴き込んでみると、伴奏とボーカルのバランスが、ほんの少しずれているように感じて。そこを調整したら、納得していただくことができました。アーティストが頭のなかで鳴らしていた理想の音と、現実の音とが一致した瞬間で、とてもうれしかったですね。
私もキャリアを重ねるなかで、いろいろなヒット曲が生まれようとしている瞬間や、アーティストの音楽に対する強い想いを共有させてもらった瞬間など、かけがえのない経験をこのスタジオで何度もさせてもらえて幸せに感じています。
――さまざまなアーティストの作品に携わる機会があるスタジオエンジニアですが、そのなかでもマスタリングエンジニアならではの、難しさやこだわりはありますか?
例えば、1曲だけを完成させる場合と、複数曲が入ったアルバムを完成させるのでは、こだわる部分がまったく違います。特にアルバムは、作品全体を貫くコンセプトがあり、それに沿って作品を作り上げていくのですが、複数のレコーディングエンジニアやミキシングエンジニアが関わっている場合、それぞれの楽曲の音質や音圧はバラバラなことが多くて。
それをひとつの作品としてまとめ上げ、曲から曲への繋がりが自然で、かつアルバムとしての統一感が生まれるように流れを整えるのが、重要な役割になります。リスナーが心地良く聴き通せるようなストーリーを音で構築していく作業は、アルバム制作ならではの難しさであり、醍醐味でもありますね。
――マスタリングが完了した最終的な音の確認は、どのような環境で行なうのですか?
スタジオにあるプロ用の高解像度なモニタースピーカーでチェックするのが基本ですが、それだけでは不十分なんです。最終的にリスナーが、どのような環境で音楽を聴くかはさまざまなので、できた音源をヘッドホンやスマートフォン、テレビのスピーカーなどのリスニング環境でも再生して、それぞれの環境でもアーティストが伝えたかったニュアンスが失われずに届くかを確認します。プロの耳だけでなく、リスナーの耳を常に意識することは、この仕事では非常に重要ですね。
――エンタテインメント全体に言えることですが、音楽制作も“これが正解”という答えはないと思います。そのなかで、酒井さんは何をゴールと設定していますか?
私にとってのゴールは、アーティストやディレクターが“この音だ”と納得し、満足してくれる音が完成したときですね。彼らが心から喜んでくれることが、この仕事の達成感そのものです。
ですが、それはあくまでプロジェクトとしてのゴール。例えOKが出た音源であっても、“もっといいアプローチがあったのではないか”“あの部分の響きは、もっとこうできたかもしれない”と、常に自問自答はしています。100%満足することはないからこそ、次はさらにいい音を、と常にうえを目指し続けることができるのだと思います。
――これからマスタリングエンジニアを目指す人には、どのような素養が必要だと思いますか?
何よりもまず、ジャンルを問わず、あらゆる音楽を聴くことが重要ですね。私たちの仕事には、映画のサウンドトラックやクラシック音楽から最新のヒップホップ、アイドルソングまで、本当に多種多様なジャンルの楽曲が持ち込まれます。
午前中にヒップホップを仕上げて、午後はJ-POPとクラシックを手がけるというようなことが、日常茶飯事です。それぞれの音楽への知見も必要ですし、バランス感覚を持っていないとできない仕事なので、普段聴かないジャンルの音楽にも積極的に触れて、自分の引き出しを増やしておくことが、どんな依頼にも応えられるプロとしての土台になりますね。
――特に重要なスキルは何でしょうか。
“技術は後から身につくもの”という意味では、音楽をいろいろな角度から見ることを意識しておくのは重要ですね。その曲の構成や全体のイメージを把握することは、それぞれの音をどういうふうに聴かせるかを考える際に、とても役に立ちます。
例えば、作曲やアレンジの勉強をしておくと、アーティストやディレクター、プロデューサーが、どういう音を求めているのかにも気づけますし、エンジニアとしての信頼度も増します。そこで不可欠なのが、コミュニケーション能力なので、そこもぜひ磨いておいてほしいと思います。
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文・取材:阿部美香
撮影:干川 修
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