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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●リンク・パクリは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。この日記は一種の羞恥プレイです。
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町山さんの「ブッシュが勝つかもしれない理由」。
メモ: データベース抽象化レイヤ「PDO」」。
今月号の日経サイエンスで、それに触れた通常の物質を呑み込んでしまうストレンジレットという素粒子が重イオン衝突型加速器から生じる可能性があり、英国の雑誌だか新聞だかで、これによって地球が破壊されるかもしれないと報道されたとあった。まるでアイスナインのようだけど、詳細がよくわからないのでメモ【慌てふためくおれカネゴン】。
Treasure Box(from Not Wild Style)。いつぞやのPolyphonic SpreeのSamorostを思わせる。
久しぶりに何もない休日を迎える。
しばらく使っていなかったSmartDocを動かすためにJDK1.4をインストールしようとしたら、mozillaのプラグインがインストールできないと文句を言われたので、仕方なくJDK1.3をインストール。
SmartDocの競合としてDocBookがいいという意見をときどき見かけるけれど、乗り換えたものかどうか迷う。SmartDocはもう2年もメンテされないままなので。と思ったら表紙だけリニューアルされていた。しかもそこにSmartCaseという見なれないソフトウェアを発見。これが何をするものなのかどこにも説明がなく、どうやらJavaWorldのバックナンバーを探すしかないらしい。
メモ: 「プログラミングのための線形代数」。Ruby作者のまつもとさんにしてそのようなトラウマがあったとは【つかの間安らぐおれカネゴン】。
膨大な日本の漫画のセリフ英訳データベース。親ディレクトリにはさらに多数あり。さすがにかわぐちかいじとか水島新司とかさだやすけいとか黒鉄ヒロシとか秋竜山とか谷岡ヤスジとかみなもと太郎とか青木雄二とか根本敬とか能條純一とかはなさそう。
脳のスキャンのお値段。もういくつ寝ると、家庭で手軽におのれの脳の断層画像を縦横無尽に撮影して楽しめるようになるだろうか【本気で待つとはおれカネゴン】。
Smokey Houseは、ジャンルを問わず映画で煙草が登場するシーンを集めまくったサイト(英語字幕付きのものもあり)。哭きの竜も追加すればさらに充実。
同じくあそびをせんとやさんで紹介されていた九個の?はかなり難しそう。盤が8×9で72のマスメに(さっきは8×8と間違えてしまいました)、9個のピースが1つあたり7マスを使用=63で、つまり9つの隙間が残るということになるのだけど、本当に解くことが可能なのだろうか。解法は1つしかないらしいけど、シンメトリックに進めていては到底勝ち目はなさそう【おサルのようにおれカネゴン】。
これはいくつになるまで装着してればよいのだろう。第二反抗期を迎えた思春期の少年少女がのんきにこれをつけたまま家出することはないと思われるので、親子の間でGPSを押し付け合う微笑ましい姿がいずれ一般的になるのかも。公会堂に集まってこれを皆で床に叩きつけて壊して一斉に雄叫びを上げ、一人前になったことを示すのが未来の成人式になったりするだろうか。
昨晩のニュースが最初から最後まで悪いニュースばかりで、重苦しい気持ちになる。
地震、地震。
一昨日、新宿某所にて夢のようなときを過ごす【申し遅れたおれカネゴン】。この場にて、カネゴンが幼虫(小学校)の頃愛読していた作品の作者と、カネゴンの血となり肉となり主成分となるまでに魂をゆさぶりまくった作品の作者と、かたじけなくもお会いできる機会となった。実は極端な睡眠不足だったカネゴンは、その間どうにかして秋葉臭をもろに表に出さないよう必死で気張るも、果たしてどこまで持ちこたえていたか。感謝の気持ちを四苦八苦して伝える。ありがとうございました。
例の人間の本性を考えるを少しずつ読み進める。まださわりの部分に過ぎないけど、おそらく近年で最も人類に厳しい内容の本の一つ(翻訳調)。誠に残念ながら、ガタカで描写された世界は確実に到来することを痛感。惜しむらくは特に冒頭部の翻訳が硬いことと、喰いきれないほど盛りだくさんな内容がだらだらとエッセイっぽく書かれているために要点を取りにくいこと【理解が及ばぬおれカネゴン】。箇条書きやハイパーリンクや各種図版を活用してこの本の要点を簡潔にまとめた別冊が欲しいと思ってしまった。せめて各章ごとに「まとめ」があるとありがたい【自分で書きこめおれカネゴン】。この本の内容を半端につまみ食いして「あるある大事典」あたりで気楽に流したりして誤解する人が続出したら大惨事になりそうなので。
この内容を正確に世に広めるために、いっそのこと「マンガ: 人間の本性入門」でも可とする(タイトルはもう少し捻ること)。おそらくあさりよしとおならやってくれるのではないかと【すかさず寝て待つおれカネゴン】。
国立のマンションの訴訟と公共財の関係。
黒板はともかく、実は学校の廊下は北よりも南にある方がよいかもしれないと思った。つまり、教室が北側に廊下が南にある方が年間を通じて日照がほとんど変わらず、日向で手元がまぶしすぎることもつい眠気に誘われることもなくなるのではないかと。その場合、手元が暗くならないためにも黒板は東向きがよさそう。カネゴンたちの頃と違って今どきは照明もエアコンも揃っているのだし【また行くつもりのおれカネゴン】。うまく設計すれば、その廊下をパッシブソーラーハウスの熱源として利用できるかもしれない。
「物理の散歩道」の作者死去。カネゴン恥ずかしながら、この本のことも「ロゲルギスト」という言葉も今まで知らなかった【ばれないようにおれカネゴン】。一方、ここで使われているロゲルギストという言葉は何だか意味が違っていそう。
追記: 「同じです」との情報をいただきました。ありがとうございます。
林真理子の逸話。そういえばさくらももこにもそっくりなエピソード(悲しいほどにドン臭くて失敗ばかり)があった。この人たちの中で、昔ならきっと尼寺に相当する「創作の道」で自分を見出せる人は本当に幸いで、実際こうした人々のほとんどは見下ろされそして見上げることはあっても見上げられそして見下ろすことなど到底なく、世界の片隅でしずしずと誰かの養分となり続ける他に道はない【首から下はおれカネゴン】。
前野先生の「電場と磁場って、いらなくね?」(via あらきけいすけさん)。
先日盛り上がった国が育てる「サイエンスライター」の話を別の面から考えたら、「予算を誰に任せたら一番有意義かつ面白い使い方をしてくれるだろう」ということを(官公庁が半ば無責任に)問い掛けているのかもしれない【控えておれいおれカネゴン】。「有意義」と「面白い」は実は必ずしも両立しないと思うので、どちらかを諦めざるを得ないこともありうるだろうけど。「ふるさと創生一億円」とかの例からもわかるように、実はお金の面白い(かつ有意義な)使い方ができる人というのは非常に限られてくるし、たぶんかなりの才能が必要なのだと思う。しかも頭の良し悪しとかどのくらい物を知っているかということとは独立した才能だったりする。今突然ぽんと一億円渡されて「これを最大限に面白く有意義に使ってみてくれ」と言われたときに自分がどれだけのことを思いつけるかを考えてみれば嫌でもそのことに気付かされる【他人事とはおれカネゴン】。
ふと思ったのだけど、会計士とはまた別に「予算設定士」なる国家資格があったらどうだろう。会社役員や大学運営関係者やあらゆる官公庁の公務員はこれを取得しないと一切公的な予算を設定したりその指揮を執ったりすることはならず、そして数年に一度更新が必要になるというもの。浪費するときは右手を上げて「浪費します」と公に宣言しないと罰則がある。この資格を取っただけで予算のセンスが抜群によくなるわけではないだろうけど、予算の設定の仕方に歴然と上手下手がある以上、そこを弁別するための基準になるものを定め、有資格者に求められる義務をここではっきりさせてみたらどうなるか。単にますます世の中が世知辛くなったりして【寝ておれおれおれおれカネゴン】。
創作のための意識改革術 。創作以外にもたぶん有効。
カネゴンの大の苦手の一つに「怒る」ことがある。カネゴンだけが天国に行けないのと同様に、カネゴンにだけは怒る資格などないような気がして、カネゴンの怒りは常に見当はずれでどこにも正当性がないような気がして、相当無礼なことをされてもかなり長い間気がつかなかったりする。そして一度それに気がつくととめどがなくなったりする。内田裕也のように怒りをその場でストレートに表すことをしなくても、怒りをすぐにその場で感じられる人がうらやましいと長い間思い続けている。怒っている人は自分が怒っているということをありありと自覚できているはずと推測できるのだけど、カネゴンはそれすらおぼつかず、あまりに不慣れなために「もしかすると自分は怒っているのだろうか」と確信が持てないまま延々と自問自答を繰り返すはめに。こういうことは一体誰に相談すればよいのだろう。どこに行ったら訓練できるのだろう【草津の湯でもおれカネゴン】。
PLAYNOTEニュースクリップで紹介されている記事が一つ残らず面白い【楽しておるとはおれカネゴン】。
カネゴンはいい年して、どんなに小さくてもクラッカーを鳴らせない。花火は普通にできるし、他人がクラッカーを鳴らす分には平気であるにもかかわらず、自分の手のひらの内側で火薬を爆発させることに対して本能的にすくみあがってしまう【恐怖で顔がおれカネゴン】。
家人が見たNHKの番組で、中国における貧富の差が尋常でないほど拡大していると報道されていたらしい。もしかすると「所得の再配分」という概念をころっと輸入し忘れていたりして。カネゴンも詳しいことはわかっていないけど、この状態で経済が過熱してインフレが爆発的に進行したらさらに貧富の差が極限までひどくなり、怒りのあまり中国で大規模な暴動(しかも新興宗教主導で)が発生し、何かの間違いで中国なのに共産主義革命とか起きてしまったり先進国があっという間に介入したりして泥沼化し、日本にも飛び火したりするだろうか【趣味の予言のおれカネゴン】。
こればかりは想像するしかないのだけど、国家に対して正面から喧嘩を売るというのは昔もそうだけど最近になればなるほど困難になっていたりしないだろうか【震える子犬のおれカネゴン】。ヤクザ組織もマフィアも不思議にそこの領分からはみ出すことがなく、自分が誰それに成り代わってというような行動に出ないのは、そこのところを(頭でなく)骨身に沁みて知っているからなのだろうか。
教えて欲しい。どうして映画などで見かける人形/マペット/ロボット/着ぐるみ(CG除く)は五割増で人間より演技がうまく見えるのだろう。ご存知のとおり、スターウォーズシリーズで最も演技がうまいのは2体のロボットだったり一番背の低い最長老のジェダイマスターだったりするし、カネゴンもつい買ってしまったPluteは、映画などで見かけるそういう演技派ロボットをそのまま漫画に持ち込むことに成功した(おそらく)初の漫画だったりするけど、もしかすると不気味の谷と何らかの関連があったりするだろうか。
地上天国ができてしまったら、みんなは次に何をするのだろう。
ふと思ったのだけど、「学者だから(研究に無関係な)〇〇はしなくてもいい」「学術関係者だから××ができなくても仕方がない」ということって本当に内部で許しあっていたりするだろうか。
もしも月がなかったら。「地球のコアをかき回しているのも実は月の重力」という説を何かで見たような。
【謹慎解いたろおれカネゴン】
遠くない将来、こうした実験が1000種類ほど行われた後には、生まれ来る子供達にびっしりと適性テストが実施され、本当の自分とかを求める余裕もないぐらい「あなたは〇〇にしか向いていません。これ以外の職業には就かないでください」とドーンと適性を宣告されるようになったりするだろうか。これを数世代繰り返すうちに、生まれによらず適性だけに基づいた新型のカースト制度が生まれたりするだろうか。問題は、適性とそれに見合った雇用の確保がまったく別であることで、アーティストとかが5割を占めたりしたら経済がマントルまで沈降してしまいそう。それを防ぐために、苦肉の策でテストの結果にかかわらず1000人のうち999人は「あなたは奴隷に向いています。これ以外の職業には就かないでください」というねつ造された結果を渡すはめになったりして【畑の肥料のおれカネゴン】。そうこうしているうちに、職業に過剰に適応した結果隕石とか落ちてきたときに機転が利かなくなってしまいそう。
多くの人がお世話になったと思われる学研のひみつシリーズで、カネゴンの場合以下の記述が印象的だった【いつまでたってもおれカネゴン】。
- 将来、台風の発生を防ぐ方法が開発されるかもしれない。ただしよく調べておかないと、台風を無理に抑制した結果思わぬ副作用が生じて、かえって地球規模でひどい結果がもたらされるかもしれない。
- 地震はとってもいやなものだけれど、もし地震がなかったら、陸地は風雨によって侵食される一方で、しまいには人間どころか陸上生物はどこにも住めなくなってしまうだろう。地震によってときどき地殻が隆起するからこそ侵食が一方的に進まずに済んでいる。
当時は「こういう考え方こそ科学の真骨頂」という気がしていたのだけど、よく考えたらこういうのは科学そのものとはもう少し別の何かではないかとたった今思えてきた。これを何と呼べばいいだろう【おそらくツッコミおれカネゴン】。
まったく関係ないのだけど、先月の日経サイエンスに、赤道直下の海面に生分解性の油を広範囲に撒布し、海水の蒸散を抑制することによって生まれたての台風の進路を変更するという研究についての記事があった。台風(に限らずこの手のシミュレーション)は初期条件に極めて敏感に反応するので進路の予測が難しい分、「それならいっそ初期条件をちょいと引っ掻き回すだけで進路を簡単に変更できるのではないか」というのが研究の動機らしい。そこまで思いつかなかった。しかも実験もかなりうまくいったらしい。そのうち進路に当たる国々で台風の押し付け合いになり、しまいには競って油を撒きまくり、ますますどこに向かうかわからなくなり、ブックメーカーが新しい種目を成立させるかもしれない。
電子粉流体実用化間近か。経験上「間近」は10年を指していそう。
各所で話題の「 国が育てる「サイエンスライター」文科省部会が提言」。余ったらカネゴンにも分けてはもらえないかと【だまらっしゃいとはおれカネゴン】。ヨン様に白衣を着せて表紙にするだけで科学雑誌が核爆発的に売れてしまったらどうしよう。このときを逃さず、いかにしてありきたりでない科学者のイメージを作り出すか(意地でも試験管を持たせないとか、アイパッチを装着させるとか)が勝負。
さんざん書いて没。
三浦先生の書評「人間の本性を考える(上)(中)(下)」。相変わらずうまい。もしかすると実際の本より先生の切り取り方の方が面白かったりして【確認せぬとはおれカネゴン】。ピンカーという名前をどこかで見たような【忘れておるとはおれカネゴン】。
というわけでAmazonへ。
サルは性病にかかったりしないのだろうか。
関係ないけど、昨今の新しい音楽スタジオはやたらと豪華で、モデルハウスと間違えそうになる。おしゃれ過ぎてトイレがどこだかわかりにくかったりする【顔色変えたおれカネゴン】。この間行ったところには巨大なホワイトボードが備え付けてあった。
そう言えば数日前、家人が借りてきたローワン・アトキンソンのライブ(米国のどこかの大学で上演)を遅まきながら見、彼のあまりの演技のうまさと新庄にも匹敵しそうな運動神経の凄さと「いかにも苦心して練習しました」という匂いをまったく感じさせない手練ぶりにカネゴン真似をしたくてたまらなくなった【ほんとにするとはおれカネゴン】。Mr.ビーンと違って彼のセリフをたっぷり聞ける。ネタはむしろ平凡というか、ドリフや志村けんでもおなじみなぐらい王道を行くものばかりだけど、それをすべてローワン・アトキンソンの演技力だけで十倍にも二十倍にも光らせている。個人的にはシェークスピアのもじりがツボ。一番最後のネタは、どなたかドラマーの方に宴会芸でやって欲しい。このビデオを寸分の隙もなくアニメ化または CG 化できたときにこそ、演劇はその使命を終える【勝手に終わらすおれカネゴン】。そしてローワン・アトキンソンの愉快きわまる動きは、ロボット工学における途方もなく遠大な技術目標として国際的に設定されるにふさわしい。
カネゴンは演劇というものをとんと知らない分、演技力というものに過剰に思い入れているのかもしれない。自分がパフォーマンスに参加したことがない分野は隣の芝生のようによく見えてしまうの法則。
借力さんの「トレードオフ辞典について」。
言うまでもなく【またまたそれかおれカネゴン】、色川武大のさまざまな著作においてトレードオフの概念が極めて頻繁に登場し(ただし「トレードオフ」という言葉は知る限りでは一度も使っていない)、信仰に近いまでに純化されているとともにいつでも方程式を立てられるまでに準備されている。最早それは単なる「幸運の次は不運が来る」というレベルに留まらず、その極めつけが(うろ覚えなのでカネゴン勝手に書き換えてますが)「人間が死ぬのは、それまで人間が生きていたということそのものが原因と言ってもいい。すべての人間は『生きていた』ということそのものが原因となって、死ぬ。そして、何人たりともこのことから逃れられない。」というような記述。うまく伝わっただろうか【伝えるべからずおれカネゴン】。
遅まきながら、茂木健一郎さんの「クオリア主義宣言」。数学の気持ちよさもクオリア由来だとか書いたら責められるだろうか【きっと追われるおれカネゴン】。
限りなくズームする絵。なぜか死霊のはらわたの最後のシーンを連想。
以上石仏さん経由でした。
これまで一度も(悪質でない)いたずらをしたことがないという人はほとんどいないのではないかと勝手に推測しているのだけど、もし違っていたらどうしよう【おぬし一人がおれカネゴン】。カネゴンがうんと昔のことを思い出す限りでも、いたずらを思いついた瞬間に全身を激しく駆け巡る電流、それを人目を忍んでこっそり実行するときに胸のうちに渦巻く甘美な後ろめたさは、何ものにも代えがたい中毒性を備えていたと言っても過言ではなかった【小心すぎておれカネゴン】。
にもかかわらず、カネゴンの知る限りでは、これまで「人はなぜ(する必要のないはずの)いたずらをしてしまうのか」ということについてもっともらしく(科学でも疑似科学でも心理学でも哲学でも民俗学でも社会学でも何でもいいのだけど)説明した文章を見たことがなかった。ありていに言えば「いたずらの衝動はどこから生まれるのか」ということだったりする。カネゴンが見逃していただけかもしれないし、間違った問いなのかもしれないけど。
CATV初期TV版(当時日曜19:30日テレ系放映)「宇宙戦艦ヤマト」ほぼ全話を一気に見る【実は好きとはおれカネゴン】。今まで資料でしか知らなかったビーメラ星の昆虫人間や真田さんの手足が機械じかけであることをカミングアウトした回やドメル将軍が吊るし上げに遭う話などを初めて見ることができた。今見ると、何とか視聴率を盛り返そうとして無理やりな話を挿入したりしていた箇所や、動画の外注先ごとに絵柄が無残に変わるところとか、セルのかすれなどが手に取るようにわかる。一部の恥ずかしいセリフなども含め、アラはいくらでも指摘可能だけど、そういうアラをきれいさっぱり取り去ったらよくなるかというとそういう関係にないところがお話し作りの妙というかリニアでないところだったりする。今年でちょうど30周年なのだそうで、戦後(60年前)から現在までの折り返し地点がヤマトということでいいだろうか【勝手に清算おれカネゴン】。
またしてもまったく関係ないのだけど、(ある程度用途を限定した上で)自然言語の文法はどこまでストイックになれるだろうか。カネゴン思うに、「一人称」と「二人称」、そして「疑問文」はなくても、たとえば論文とかは書けてしまうような気がする。
台風で今にも窓ガラスが破れそうになり、青ざめる。布テープで補強しようとしたら長さが不足。
カネゴンが繭(高校)の頃、NHKで冨田勲のドキュメンタリーを見た。当時、どこかの川岸で冨田がUFOみたいな乗物に乗り(UFOはクレーンで吊り上げていた)、そこでライブ演奏ならぬライブミキシングを行なうというイベントを追っかけていた。冨田は写真ではいつも落ち着いた雰囲気をたたえているけれど、TVカメラが捉えた冨田は意外にも完璧な「秋葉くん」というか挙動不審満々の動きで、カネゴンはとても親しみを覚えてしまった【うっすら無礼なおれカネゴン】。
同じドキュメンタリーで、自宅の密室に籠って作業中の冨田の映像に、留守電の「しばらくの間、電話に出られません」という異様な応答メッセージが重ねられていて、何もかも振り捨てて音楽に没頭する姿が効果的に強調されていた。
さっき見たニュースで、重力検出装置を使用して浅間山のマグマの移動を検出できたと報道していた。カネゴンはてっきり重力の変動の測定はものすごく困難だと思い込んでいたのだけど、こんな装置が既にあるらしい。どうやらカネゴン重力波の検出とごっちゃにしていたらしい【らしいも何もおれカネゴン】。それでも夏休みの自由研究でできるほどは簡単ではなさそうだけど。
季節による重力の変動。人工衛星を使ってここまで微細な重力の変化を測定できるというのが驚き。何かの間違いでこういう局所的な重力の変化が特定の株価と不思議に相関していたりして。という噂を流したら、世界中の証券マンが一斉に重力検出装置を背中にしょって汗だくで右往左往したりしないだろうか。
地震、地震【検出できたかおれカネゴン】。
まつもとさんの日記で「AC」という(筑波大学でのみ通用する)言葉を知る。そしてACはなぜか感電経験が多いらしいとも。そのうち自称ACとか登場したりして。何にしろ、「秋葉くん」とか「キモオタ」よりはどことなくその名前に誇りが持てそうなのがいい。そのうちピタゴラス教団とかマジェスティック12みたいなのを結成して世界を裏から支配してくれないだろうか【入れてもらえぬおれカネゴン】。
カネゴンは9V電池(四角い積層型)の頭を舐めて吹っ飛んだ以外に感電らしい感電はないのだけど、中学校の技術家庭科の教室で、同級生が針金をU字型にしてラジオペンチでつまみ、コンセントに突っ込んで学校中のブレーカーを落としたのを目撃したことならある【入れてほしいかおれカネゴン】。
なつかしの「ダフニスとクロエ」。1曲目のオープニングはもう反射的に涙がこぼれてしまう。随分後になって本物のオーケストラのCDを聴いたらひどく物足りなく感じてしまい、冨田のシンセが本物を超えたと思わずにいられなかった【そんな比較はおれカネゴン】。
確かこのアルバムでは冨田勲が初めてデジタルシーケンサー(それまではアナログシーケンサー)を導入していて、当時のインタビューで「ちょうど、それまで手編みで竹細工を作っていたのを機械編みに切り替えたようなもので、デジタルシーケンサーではどうも手つくりの味わいが失われますね」と語っていた。気の狂いそうなぐらいに時間をかけて作る冨田勲ならではの、実に微妙な差異。
当時のアナログシーケンサーは、使っているうちに温度や電圧の変動などで、だんだん音程が微妙に狂ってくるものだったらしい(冨田勲によると「それがまたいい感じになるんです」とのこと)。当時のシンセサイザー自体もアナログだったので、スイッチを入れてから数分待って温度や電圧が安定するまでは音程が揺れまくり、チューニングも行えなかった【薀蓄どまりのおれカネゴン】。つわもののアナログシンセ自作派も、さすがにVCOを自作するのは大変だったらしく(調整が面倒なため)、シンセの回路をどっさり掲載していた「エフェクター自作&操作術」という本にも「VCOだけは買った方がいいかもしれない」と書いてあった。
電子トランペットなるものが発売されたらしいので検索で見つける。ウィンドシンセなどもそうなのだけど、プラスチックで作る限りどうしても安っぽくなってしまいそう。いっそ電子トランペットのくせに本当に真鍮のボディにするとか、チタン合金みたいなものにしたりするとか。
CATVで座頭市(もちろん勝新太郎の)を見る。何がどうしてそうなるのかわからないけど、震えがくるほどかっこいい。カネゴンめったにそういう気持ちにならないのだけど、悪人をぶった切るのを見るたびについ快哉を叫んでしまう【生き血求めるおれカネゴン】。座頭市のどの映画なのか知らずに見てた。ヒントは岸部シローが若者役で出ていた回。
以下うろ覚えなのだけど、勝新は映画俳優になる前に既に長唄の世界で名を成していたそうで、長唄の全米ツアーに出かけたときに(彼曰く)何ともしょぼくれたアメリカ人の若者と出くわし、後で「おい、あいつは誰なんだ?」と連れに尋ねるとそれが実はジェームス・ディーンだと教えられ、「あんな程度で映画スターになれるんだったら俺もやるわ」と映画界に転身したとのこと。
人それぞれに泣きのポイントはあると思うけれど、カネゴンの場合はどうなのだろう。取りあえず思い出せる分だけ書いてみる。
もしかすると「この世で最も」というのがカネゴンにとって泣きのツボなのだろうか【そんなツボではおれカネゴン】。
武論尊(または史村翔)は、いつだったかインタビューで「俺は難病の少女の話が臆面もなく書ける」と語っていたことがあった。もちろん原作者としての自負を語っているのだと思うけど、カネゴンは彼の原作で泣いたことは今のところなかったりする。後、手塚治虫でも泣いたことがなかったことに気付いた。かように「必ず泣かせる」方法というものがありそうでないことを痛感。
書いては没を繰り返す。
池上遼一の漫画の登場人物は、ある時期からぱったりと汗をかかなくなったことに気付いた。かくことがあってもほんのりと滲む程度に留まる。もしかすると、「ダサい、汗臭い」と評されることの多かった劇画のイメージを何とかして払拭しようとした結果なのかもしれないとカネゴンふと思う。ところが、彼の描線で最もセクシーだったポイントは、実は汗だくになって闘う男達そのものだったことにカネゴンたった今気付いた【よそ見するとはおれカネゴン】。要するに、この人の絵の良さは発汗量に完全に比例している。また、どこかのインタビューで「自分は自然な笑顔が描けませんから」と謙遜していたけれど、当時は何の問題もなく描けている(とカネゴン思う)。今からでも遅くないのでじゃんじゃん汗を流して欲しい。
カネゴンは全然他人の言うことに耳を貸していなかったにもかかわらず、自分では他人の言うことにとても素直に従っていたつもりだったことに最近ようやく気付く【言うだけ無駄のおれカネゴン】。
朝帰りの後爆睡。
掲示板で教えてもらったギターの力学。特に、コンパスと定規による作図でフレット位置を求める方法が鮮やか。掲載元の工房ミネハラには他にも膨大なコンテンツが。
もしかすると、この作図方法を使用すれば対数グラフを簡単に作図できたりしないだろうか【違っておるとはおれカネゴン】。
現役最高齢のプログラマーは何才だろう。
タイムマシン(タイムTVでも可)が発明されたら困るのは誰だろう。実は、タイムマシンが発明されてうれしいと思う人が世界中に一人もいなかったらどうしよう【おぬしの他にはおれカネゴン】。
メモ: GarageBand。
yomoyomoさんのレビューを読んでスウィングガールズを見に行ったら、エンディングクレジットの何とかコーディネーターの欄に大学の先輩(当時はギター担当)の名前があってびっくり。映画も、カネゴンの果たせぬ夢を気持ちよく実現してくれて快感【そんな夢などおれカネゴン】。演奏を吹き替えていないかどうか観察した限りでは、少なくとも管楽器は本当に吹いている。でもリズム隊(ベースあたり)はもしかすると吹き替えではないかなどとあれこれ考えてしまった。レイトショーだったせいか他の客も自分の家のようにくつろいで盛り上がっていた。
この世界をかろうじて体験したためか、なつかしさとともに当時のつらさもいろいろと思い出す。特にカネゴンは闇雲に見当違いな練習ばかりしていたので【やはりおぬしはおれカネゴン】、映画で笑える箇所をいくつか笑いそびれてしまった。
上映前に「ハウルの動く城」の予告編がかかっていた。もしかすると、音楽が今まででいちばんいいかもしれない【筋を追わぬはおれカネゴン】。
渡辺千賀さんによるAsk MSR使用記。
こんなふうに検索の精度がどんどん向上したら、検索で正しい結果が出ることのありがたみはどんどん薄れていき(正しい結果が出て当たり前になり)、むしろ「どう見ても関係なさそうな分野同士を、意表を衝いた形でつないでみせる」ことの方が学際っぽくてありがたく感じられたりするだろうか【こじらせようとはおれカネゴン】。
メタサーチ「COMMENTON」は、検索結果で強調表示したい単語を事前に指定できるので結果が読みやすい。Googleの検索結果でついつい[キャッシュ]をクリックしてまで強調表示してしまう人向け。あっという間に他の検索エンジンに真似されそうではあるけれど。
Java2SE 5.0がリリース。だいぶ派手に拡張したらしい。