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So-net blog:WHAT'S NEW PUSSYCAT!?
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「嫌われ松子」内山でドラマ化、ですか。   [小ネタニュース(時事ニュース)]  

「嫌われ松子の一生」内山理名でドラマ化
http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20060629-52810.html

マーケティング、というものがあるとするならば、完璧に読み違えているとしか思えない。プロデューサーの「不器用な女の子を、愛すべき人物として描きたい」という摩訶不思議な言葉で、もうこのドラマの運命は決まったようなものだ。ていうかこのドラマちゃんと「トルコ嬢」っていうんですよね!?そういう放送コードを亡き者とするのなら、私は第賛成ですがそこは「TBSは死んだ」宣言を腐るほど行っている局ですから(温泉キャスターはいまだ軒昂)まあ無理ってなもんで期待するほうがおかしい。そういう部分がぐだぐだになってしまうのが目に見えているから、後はおして知るべし。

その上内山理名ですか。いやこれ「娘時代→紫崎コウ、中年風俗嬢→濱田マリ、老年期→梶芽衣子」とかの怒涛のラインナップにしたほうが見ているほうもアッと(いろんな意味で)思うだろうし、なんとなく映画にもつながるしで、みんなウハウハウハいうとるだよということになりませんかねえ。そっちだったらみるけれども。あの物語を愚直に映像化すると単に嫌な話で終わるってことがわからない人がプロデューサーになっているらしいので、こんなイカしたキャスティングなんて望むべくもないのですが。

ああいう「女の一生」」的物語は美人がやらなきゃ意味がない。転落モノは特にそう。逆におしんとか「後々成功終わりよければ全てヨシ」っていう話はちょっと顔のバランスが不具合な方がやるとよし。ピン子とか。美人だから転落する姿もサマになるのであって、お顔がちょっとアレな方が転落していっても見てるこっちが惨めな気持ちになるだけなのです。美人がのし上がる話はだから嫌味なのである。細腕繁盛記みたいにいじめ役がいないことにはバランスがとれない。

そういうわけでこの松子は美人だからこそその不器用さがひきたつのであって、絵になるってこと。別に内山理名がアレな顔、などという気はさらさらないが、それでも可愛い系の顔が転落してトルコ嬢(現ソープ嬢)になる、なんてありきたりすぎてねえ。個人的には「バンテリンいいですよこれ」女優こと米倉涼子あたりがやってくれるとまた違った切り口になるので、裏の手を使っていきなりキャスト変更とかにならないかしら、と淡い期待。



別館のお知らせ   [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]  

So-net blogがあまりにも毎日シにまくりなので、ちょっくら別館のご案内。

mixi 瑠璃子の日記

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=885573

こちらはほぼ日記ネタとSo-netがぶっつぶれた場合を考えてここの記事を移植中。なんで新味はないかもです。mixi未登録者で読みたい人がいましたら私宛にメール下さい。



相対化(NIKITA女)VS絶対主義(ヨシオ好き女) たけくまメモへのイチ考察続き   [たまには真面目に語ってみる(コラム)]  

昔から男に対する母性本能というのは単なる共依存状態じゃないか、と思っている。つまり母性本能をくすぐられて、というのは幻想であり、あのひとは私がいなきゃだめなの、という女のその「あのひと」はたいていの場合「アナタ」がいなくても駄目な人であるという「定説」でして、基本的には二人の立ち位置は変わらず、ひと~りよ~りふたりがいいさ~というサンバルカンのテーマみたいな状況になるだけ、という気がする。駄目同士が支えあっているよ小さくまとまってバカじゃね?プゲラという言い方をする人もいるだろう。

だが果たしてそれが悪いのか、といわれれば、私はまったく悪いとは思わない。

これは私がなぜNIKITAという雑誌が駄目なのか、という話にもつながっているのだけれども、幸せの追求という命題がある種の絶対性への希求という部分にもリンクしてくるのであれば、他者が幸せであると思っている状況についてこちら側がなにかいうべき言葉があるのか、といえばないのだ。いいじゃないの幸せならば、というヤツである。

だがNIKITAはそれじゃイカンというわけです。地味になるなコムスメに負けるな凄い女になるなと煽りまくる。そうですよ現在30代の団塊のジュニア世代としてはこのテの煽りを小さいころから受け続けているんですよ。隣のやつに負けるな、アレに負けるなコレに負けるな、ときて、ようやく世間に出てみればバブルは終焉不況真っ只中の就職戦線異状ありでまた他者との競合競争闘争の日々。やっと世間的にも不況を脱し景気もよくなってきたと思いきや、今度は自らに忍び寄る老いと戦わなければならない。文字として羅列しただけで嫌になるのがNIKITA世代なんじゃないでしょうか。

しかしねえ、アナタ。そんななかで頑張って消費しましょーと叱咤激励するのはいい。時代が元気を取り戻しているのだから中核になってきた30代女が奮い立たなくてどうする、とは私も思っている。だがNIKITAのコンセプトでまったく納得できないのが「他者を相対化することによって自らの立ち位置を決めている」煽り方、なのだ。なんで買えとだけ煽らないのよ、ってことです。(まあそれだけの煽りだったら他の雑誌で十分ってことなんですが)

私があちこちからパクってテキトウにでっち上げて鑑みるに、70年代は過剰なる自意識が自らの立ち位置を定め、しかるのちに相手との距離感を決めたのではないだろうか。80年代はその「過剰さ」の揺り戻しがきたかのように、自らを枠外においた相対化が図られるようになった。(視点は自称俯瞰だがそれが既に主観であることは棚上げにしていた)相対化し続けることに疲れたのだろうかそれとも不況で比べること自体にむなしさを感じたのか、90年代は絶対性の追及、言い換えれば「私らしい私探し」「代替のない私を求めて」とホロホロ流離うようになった。だが絶対性の追求なんて(相当の指針を自ら勉強する覚悟を決めない限り)途中でナニがなんだかわからなくなり、より過激な経験を求めるという(アフリカに行くとか自傷行為をするとか)ある意味経験インフレに陥る可能性が高くなってしまうだけだったのか。混沌を打開すべく現れたNIKITAは「これとこれは敵だから駆逐せよ」と他者の立ち位置を決めてから自分の位置を決めるという方法論を提示しているように、私には思える。これは非常に楽だが、私のような天邪鬼でマスコミに対して不信感の塊のような悪意の持ち主だと「おめーなんかに決められてたまるかよバーカ」と悪態をつきたくなってしまう、というわけ。だがこういう雑誌が受け入れられているという現状は興味深い。まるでツァラトゥストラのいう「獅子」が「ラクダ」に成り下がったようだ。「自分探し」という名の絶対性の追求は既に支持されず、他者による相対化(価値裁定)を求めはじめているということなのだろうか。価値観が多様化したって割には単純に相対化へレイドバックしただけじゃねぇか。70年代に否定されたことが亡霊のように蘇っているかのようだ。高度経済成長期でも再び迎えりゃいいけど。

それはさておき、やっぱりみんな不安なんだな、と私は思う。獅子の如く荒野で咆哮を続けるのは疲れ、後ろを振り返れば消費を甘受している20代前半世代がラクダでいいよぅと宣言しているように思える、もうこれ以上赤子になる努力を続ける気力もないし、とそんな隙間を突くようにNIKITAはお前の目指すところはコレだ負けるな負けるなと煽る。ああそうねいうとおりね、とふらふらなびいてしまうのは当たり前の話で、誰しも超人目指して孤軍奮闘猪突猛進できるわけじゃないのです。ヨガやったりしてもさあ、俺ジナルな自分獲得とかそういう心境にはなれんのよ、という「おんなの嘆き」が紙面からしとしとと梅雨のように止まず降り続いてきそうな。そういう彼女らにしてみれば、ヨシオ好き女の「いいの駄目同士こうしていれば楽だし」というような「自虐安定」は見ていて自らの生き方を否定されているように思えるのではないだろうか。NIKITAにおける地味女への毛嫌いの仕方を見るにつけ、私はそんな風に思えてならない。

まあとにかくアレですよ。傍からどう思われようと自らが幸せならそれでいいんですよ。あのように駄目人生直球まっしぐらな相田みつを先生も「駄目だっていいじゃないか人間だもの」とおっしゃられている(一部嘘あり)ことですし。そんなわけで私はひそかにこれからは闘争に疲れたNIKITA女による「あらこんなところに幸せが」とヨシオクン再発見の「青い鳥願望」が展開されるのではないか、と妄想しておるのです。よろしく哀愁。

前回
たけくまメモ:『「喪男」は女にモテル!?』についてのイチ考察
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-22-2


参考(NIKITAという雑誌についてアレコレ)
アッコ エロ怖?迫力の大変身
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21
艶女だのちょい悪オヤジだの
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21-1



W杯日本一次予選敗退   [小ネタニュース(時事ニュース)]  

それよりもブラジルから一点取れたことに驚き。すごいなあと。知ってる人は知ってますが、私はブラジルに家族がいる。ウチで一番サッカーに詳しいのは「フッチボール」と呼ぶブラジル帰りの祖母だったりする。そんなわけで私はかなり昔に2ヶ月ほどブラジルへ滞在したことがあるのだが、あの国で驚いたのは貧困層の熱心な蹴球運動だった。道路の中洲に木製看板を勝手にひっぺがして(と思われる)作った家(しかも足りないところは黒ビニール袋で補強)に住んでいる人たちも、子どもたちはサッカーをやっている。その子たちは普段何しているかというとサッカーをやらなければ物乞いである。海岸にはなにはなくとも四角いゴール枠だけは等間隔にある。どこの街にも大きなサッカー場があり、テレビ中継も必ずある。

思うのは日本は数ある選択肢の中にあるサッカーとのしあがるにはそれしかないサッカーの差であるのではないか、ということ。何はともあれ今後サッカー協会は有望選手にカポエイラとサンバの修行(+マスター)を義務付けてみてはどうだろうか。それはともかく、とにかくマスコミは煽りすぎ。勝手に持ち上げて勝手にがっくりしている印象がある。この間の冬季オリンピックもそうだけど、都合よく期待させた挙句駄目だったのはこいつのせいだ!!と犯人探しかよ。もううんざり。


たけくまメモ:『「喪男」は女にモテル!?』についてのイチ考察   [たまには真面目に語ってみる(コラム)]  

たけくまメモ:「喪男」は女にモテル!?
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_1294.html

「どくだみ荘」という漫画を知っている人はどれだけいるんだろうか。うっかりリンク先にコメントしてしまったが、私は中高生の頃なぜかハマってずっと読んでいた。ヨシオくん大好きですよホントに。(しかしなぜあの漫画を読み始めたのかさっぱりわからんちんのとっちめちんです)

レジェンドどくだみ荘伝説

レジェンドどくだみ荘伝説

  • 作者: 福谷 たかし
  • 出版社/メーカー: 青林工芸舎
  • 発売日: 2006/06
  • メディア: コミック

「そんな女がいるのか」といわれたら、いまっせオマンコついてる私がここに、と手を上げるしかないのだが、しかし私の場合(ご承知の方も多いだろうが)サブカル好きという風にいわれることも多く、決して自己の感覚が一般化できるとは思ってはおらず(そんな惑星直列な真似はせんですよ)私が特殊なんだろうかと悩む…というか、そもそも「どくだみ荘」について話せる人は身近にはいなかった。もしかしたらスカしていたあのコもこっそりどくだみ荘でオナっていたかもしれぬ。まあそういう奇跡が起きてくれたら日本も再び大日本帝国として世界を支配下に君臨することができるってなもんです。閑話休題。

それはさておき、該当エントリーのコメント欄に要注目。非常に興味深い話が展開されている(私のバカコメントを除き)。

特にapgさんの「一般的に女ってのは自分より複雑な自我を持つ男を嫌う傾向があると思うんですよ。」という言葉が印象的。そりゃそうです。だってねえアナタ、毎月一回生理があるだけでうんざりなのに、その上毎日違った洋服着なきゃいけない化粧はしなきゃいけない飯は作って香水は気に入ったのよりも体臭とあうものを髪型にも気を配って姿勢はよく云々とまあパタパタママ並の忙しさですよ。

ただでさえそんな状況なのに(んで上記の作業をめんどくさいからと放棄すると「女捨ててる」などといわれる)その上付き合っている男が眉根に皺寄せて「生きててすみません」などというような「複雑自我保持者」だったりしたらもう嫌になってそれこそ玉川上水から飛び降りたくなるわけで、だから基本的には「亭主元気で留守がいい」のです。(まあでも自分が単純であるということにある種の物足りなさやコンプレックスを抱いているような女性は、そのテの複雑時が保持者ダザイ症候群な男性に尽くしてしまうという傾向があるのではないかと思ったりするのですが。もしくは自分が複雑だからこそより複雑な相手を見て安心したりとか。どっちにしろ基本は「ないものねだり」と「隣の芝生は青い」です)

しかし(私も含め)なぜ世の中には「だめんず」に惚れる女がいるんだろうか。例えば世の中の女がみんながみんなNIKITAみたいな上昇志向権力志向にあふれて「戦いこそ我が人生」的な、闘争心で生き抜く都会は戦場よハニーな人ばっかりだったらいいのかもしれないが、そうはいかないのであって、その闘争から「脱落した」女性が彼ら「ヨシオ的男性」のところへ転がり落ちるのだろうか。

いやそうではない、と私は思う。

ヨシオ的男性へ向かうベクトルも、NIKITA的な権力志向も結局のところ方向性こそ違えども、立ち位置としては同じなのではないだろうか。それが(あえていうならば)「上」に向かうか「下」に向かうか、その差という気がする。このあたりは自罰的になるか他罰的になるかということも関係してくると思うけれども。

駄目な男と一緒になるのは、どこか自傷行為と似ている。この場合の「駄目な男」というのは「ヨシオ的マイナス思考男」ではなく「DV等のアグレッシブ男」である。他者(DV男など)に罰してもらうことにより自分の中の被虐願望を満たしているということもあると思う。(自己陶酔的に「あのひとは私がいないと駄目なの」って共依存しちゃったりとか)そこまで積極的ではないにしろ、駄目な男とこじんまりまとまってしまうことを自ら進んで願うことは(どこからかはよくわからんけど)「降りてる」という感じはする。

誰だってNIKITA的なアグレッシブさを始終キープしているのは難しい。つねに自己と他者を相対化して根競べし続ける作業は疲れる。(個人的にはNIKITAという雑誌の存在意義は、常に自己と他者との相対化を義務付け、仮想敵国の存在と出現を煽り続けるところにあると思っている)そんなときヨシオ的な男性がいたらついふらふらと「神田川」(かぐや姫のアレね)したくなる。まるで「ココロの隙間お埋めします」と大橋巨泉に似たおっさん(黒スーツ着用)がそこの路地から現れてくるようだが、まさにそういう間隙をつくのがヨシオ的男性なのだろうか。それは遊びまくりな男性が「家庭的な女の子がイイ」というのにちょっと似ている。

続きはコチラ
相対化(NIKITA女)VS絶対主義(ヨシオ好き女) たけくまメモへのイチ考察続き
http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-23-1

参考(NIKITAについてアレコレ)
アッコ エロ怖?迫力の大変身 http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21
艶女だのちょい悪オヤジだの http://blog.so-net.ne.jp/pussycat/2006-06-21-1


iPod miniがやってきた   [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]  

Apple iPod mini Green 4GB w/USB [M9806J/A]

Apple iPod mini Green 4GB w/USB [M9806J/A]

  • 出版社/メーカー: アップルコンピュータ
  • 発売日: 2005/02/24
  • メディア: エレクトロニクス

お待ちかねのminiがウチにやってきました。(Amazonリンク先と同じものっす)

まあよくなんか買うと上記のような表現をされる方がいるわけですが(お人形さん系だと「お迎えする」とかおっしゃられるそうっすね)つーか銭払って買ってんだからやってくるもへったくれもないわけで、こなければ訴えてやる!!と机をバンバンぶん殴るしかないのです。そんなわけで日々闘争なのです。生存競争ですよ皆様。億の精子が蹴倒され脱落し淘汰されたった一匹がようやく卵子様にご到達あそばす、つまり古来から生存競争の歴史なのです。であればこそ、万国の包茎よ団結せよ!今日までのあらゆる社会の歴史は包皮切除闘争の歴史であるのです。まあいつもの通り脱線しまくりですがそれもアナタ、すべては魅惑の包皮のせいってことでひとつ。

そんなこんなでiPod miniです。nanoの間違いではありませぬ。miniですよmini。すんげーいまさら。超いまさら。まるで三年前に振られた男がひょっこり現れて「さあエンジョイセックス!!」と怪気炎をあげたぐらい今更。しかも生産中止じゃねえかなどと憤りつつアメリカではプレミアがついてるらしいですぜ。転売厨ではないのでそんなことはどうでもいいんですが、まあ仕方ねえよ諸事情ありとはいえ気に入ってしまったのだから。とにかくご相談というかいろいろとお話を聞いてくれた皆様、無事デブーしました。iPodデブーです。シャッフルもってたじゃないかって?いやそりゃそうですがねえ。シャッフルってちょっとおもちゃっぽいし。実質これがデブーです。まあなんだ。いわゆる都会に出てくると田舎で付き合っていた純朴な青年が単なる鈍感無神経ダサキモ男に思えて「なかったこと」にしてしまう、とかそんな感じですね。私、真剣に男の人を好きになったのは貴方が初めてなのYO!とか大嘘をつくときから少女は女へと変貌をしていく。そんな片平なぎさが「まだ終わっちゃいないわ!やり直せるわ!」などと岸壁で叫ぶような展開はどうでもいいんです。全国の童貞処女淫乱絶倫の老若男女諸君、今日も励んでますかすこすこと。レッツ右手。

なんかちっともminiの話とかMacのジョブスはサプライズという名の嫌がらせが得意だなとかそういう話に行き着かないわけですがこのままテケトウにたらたらりんと進むのが俺ちゃんイズムってことでよろしこ(死語)。Macの凄いところっていうのはテキトウに使っているとなんとなく動作を覚えていくってところですかね。説明書見なくてもイージーに動かすとああこんなもんかってな具合で流されるがまま操作を覚えていく。いかにもいい加減な湯加減でちょうどいい塩梅で使用するのがMacというかなんというか。説明書を事前にきっちり読んでからでないと使えない人、構造とか何とかがびしっと頭に入ってないと使えない人には厄介なシロモノかも知れぬ。

さて充電完了したら早速使ってみるかのぅ。



着々と軍事要塞化がすすむ竹富島   [小ネタニュース(時事ニュース)]  


713 :戦艦オチョキン ◆oChokiNhF2 :2006/05/31(水) 22:08:26 ID:LPhz0UWI0
 >>708
強固な防壁で守られた難攻不落の竹富町要塞都市
http://combatechizenya.at.infoseek.co.jp/fortress.jpg
恐るべき竹富町戦車部隊
http://combatechizenya.at.infoseek.co.jp/tank.jpg

716 :列島縦断名無しさん :2006/05/31(水) 23:32:12 ID:vx3DyR/x0
 >>713
戦車部隊テラコワス

717 :列島縦断名無しさん :2006/06/01(木) 01:54:00 ID:kzEwK7XJ0
要塞都市は迎撃準備も万端だね。
屋根の上で威嚇してる動物コワスwww


艶女だのちょい悪オヤジだの   [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]  

「モテようと思うとモテない」という人生の真理をはいたのはカサノヴァだったと思うんですが(嘘ですテキトウにいいましたすみません)まあそんなもんなんですよ。モテたいモテようと考えるのは簡単ですが実行するとなると人間の一番大事な部分を捨て去る行為に等しく、含羞とのハザマであっちこっちして人は生きているというかなんというか。

たまにいますけどね。少林寺実践派な方。木人も三十六房もどんとこい!てな具合に完璧に決めてらっしゃる。だがどうやらご自身でお顔をチェックしてないんでしょうかね。そういう方はお顔に泥沼の表面の如く輝く欲望がべったりと張り付いているわけで。あんなツラ、マトモな人の前にひょいと出されたらそれこそムジナでもあらわれたんか、と純朴な人なら「都会はオソロしかとこよ妖怪がおるでよ」とトラウマになってしまうのでご注意忠告。

枯淡だの恬淡だの天命だの己を知るだのそういう言葉は死滅しつつあるんかね。そんなにやりたいのなら素直に「チンコ頂戴」とか「おまんこはめたい」とかストレート・トゥ・ヘルに叫んでみればよろし。そんな崖っぷち背水の陣で賽を投げまくりな真似は「俺の(アタシの☆)プライドがゆるさねえ」などとぬかしちゃうんでしょ?股か頭がゆるい割にはそういうツマラン計算をしちまうところが哀れだなとは思うんだけれども。

だが、しかし。そんな風に蔑んじゃうのは簡単なのわけだけれども、それじゃあんまり意味がない。私としてはそんな紋切り型な蔑みよりもむしろ「みんな大変だな」と同情の気持ちが、この悪意で満ちた汚泥のようなココロからふつふつとメタンガスのように湧き上がってくるのです。20代のうちは「ジジババには負けないぜ」みたいに気負って乗りきり、30代になって落ち着くかと思いきや「コムスメには負けないわ!」と踏ん張り、40代になって惑わなくなるわけでもなく「いま知ってる?流行はちょい悪オヤジだよ??」と苦笑しつつまだマニュアルに左右されちゃったり。

ああカミサマ。愚かなるこの民草に安寧を与えたまえ。チンチン。



アッコ エロ怖?迫力の大変身   [小ネタニュース(時事ニュース)]  

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060621-00000022-spn-ent

毎度おなじみ和田アキオこと和田アッコさんがついにNIKITAに登場とのことです。NIKITAに和田さん。ある意味最強というか最凶というか最狂というか。最終兵器でもあるような気がします。虎にバズーカー、ジャック・ハンマーにドーピング、範馬刃牙に松本梢江(SAGA限定)わかりにくい例えですみません。

NIKITAってなんよ?焼肉屋?などと反応するやつはいないとは思うがねぇ、まあNIKITAっつーのは雑誌っすよ。オンナ向け雑誌。詳細は以下で確認されたし。

30代の艶女(アデージョ)のための新女性誌「NIKITA(ニキータ)」誕生!
http://www.fujisan.co.jp/Product/1281680890/

しょっぱなから「凄い女になりたいですか?それとも…」なんてアナタ、男なら目指すは世界最強だろッッッ!と背中に鬼の顔を浮かべて範馬立ちするしかないわけですが(ってバキネタ連荘ですみません。とりあえず対抗手段として思いついたのがコレだけだったんで)凄い女っていうのはどうもアレな女性(解釈はおまかせします☆めんどくさいんじゃなくてまあその略)を指しているようですが、この「凄い女」が拳で石を削って丸くできる(ふふふ打岩でございますよ)とか北極熊を素手で倒せるとか(もうバキネタはだしませんごめんなさい)そういうのならなりたいなあ。ああ、あと数秒で10人イッてイッてイキまくりよ~~とか。でもそういうベクトルとは違うことを真面目に考えている気がするよNIKITA。いやもうこの煽りだけでお腹いっぱいな感が濃厚ですが気合を入れてもう少し考えてみる。(どうでもいいが艶やかな女って意味で「艶女(アデージョ)」とかいってんだろうけど、気持ち悪いからこんなわけわからん読みはやめろよ。「出発」と書いて「たびだち」などと読ませる松山千春的浪漫主義は単なる悪趣味と同義語です)

まあとにかく「コムスメには負けないわ!!!」という20代でオイシイ思いマンキツ野郎が世代交代を強いられた挙句の逆切れヒステリー(まだ更年期障害じゃないわ☆)おこしているとしか思えないっすよ。こういうのを真面目に読んでる人はとりあえず毎日違う男と寝てみたりするのはどうだろう。紙面から漂うのは「机上の空論」って言葉だけ。ananのセックス特集でも思ったんだけど、実際やってなさそうなヤツヤカラがこういうのを買うことによって「私だってまだまだ」みたいな膣にくもの巣張り掛けてるようなそういう現実を直視しないための方便にしてるんじゃないのか。ananのセックス特集を真面目に実践しちゃう人(ハウ・ツー・オナニーとか)とNIKITA読んでコレがアタシのライフスタイルとか気取るのも同レベルというにはあまりにも地獄の釜の飯を一緒に食った俺たちは同期の桜的な同志愛を感じます。いやほんと。NIKITAの中の人は生真面目だなあという印象もありつつ。

てめえの身体を安売りしようがどうしようがいいんですよ。つまらんプライドにしがみついてご開帳から遠ざかって幾星霜状態よりは。しがみつけばしがみつくほどプライドは山よりも高く海よりも芳醇になってつまりは腐敗臭に満ちていくだけだし。とりあえず隣に座った男子に「や ら な い か ?」って声かけてみるところからはじめましょうよ女子たち!さすれば開かれん紅海じゃなくてビーナスの丘ってことで。



今年の夏休みの課題   [ごきげんいかがワン・ツゥ・スリー(日記)]  

恒例の夏休み中の課題つーか時間があるから気になっていることを調べようってことなんですがね。

■ユダヤ民族問題について
私もつい最近まで誤解していたんだが、ユダヤ教徒イコールユダヤ民族と解説している本が多い。実際はユダヤ教徒とユダヤ民族はイコールではない。(十分条件というか、ユダヤ民族はユダヤ教徒ではあるけれども、ユダヤ教徒だからといってユダヤ民族ではない)そして東欧におけるユダヤ民族問題といっても実際はユダヤ民族ではない可能性が高い。彼らはアシュケナジー系ユダヤ人がほとんどで、実は改宗してユダヤ教徒となった人々の子孫である(といわれる)。そして古来より伝わるイスラエルの民の子孫(といわれる)スファラディ系ユダヤ人は現在、イスラエルにおいてアシュケナジー系ユダヤ人より差別され迫害されている(といわれている)。wikipediaを読むとアシュケナジー系ユダヤ人が「アシュケナジムとは、元々、9世紀頃にライン川流域に定住したユダヤ人を指した」とだけ書かれていて、なぜ彼らがライン川へ定住したか、そもそも彼らはユダヤ十支族の末裔なのかについては触れていない。このあたりにある種の事情が伺えるが、まあ私が調べた内容が間違っている可能性もあるのでこの夏を使っていろいろと勉強したい。

■被差別部落(エタとヒニンとサンカ)について
日本における被差別民族であるエタ・ヒニン・サンカと呼ばれる人々についても調べてみたい。私は沖縄(とその神話、民族など)について以前からずっと調べているのだが、そのうち海の民はいても山の民はいなかったのだろうか(アイヌなどの他民族は除く)とサンカにいきつき、サンカに関する本を読んでいるうちに谷川健一のサンカに関する談話、非定住系の彼らはヒニン系じゃないか、を読み、定住か非定住かによって呼び名が異なることを知った。では何故呼び名が異なるのか?そういう形で興味がのびていった。できるならば解放同盟支部にゆき直接話を聞いたりできればな、と思っている。




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