大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)では幕府の出版統制・検閲が始まり、版元の蔦屋重三郎(横浜流星)らが苦境に陥る。歴史研究者の濱田浩一郎さんは「当時のベストセラー作家・山東京伝は遊郭に通って戯作を書き、その内容が問題になった」という――。
鳥橋斎栄里画『江戸花京橋名取 山東京伝像』、18世紀
鳥橋斎栄里画『江戸花京橋名取 山東京伝像』、18世紀、メトロポリタン美術館蔵(写真=CC-Zero/Wikimedia Commons

山東京伝は“できる”商人の父に溺愛された

大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」(NHK)において、戯作者で浮世絵師の山東京伝を演じるのは俳優の古川雄大さんです(朝ドラ『エール』、『大奥 Season2幕末編』などに出演)。京伝が生まれたのは宝暦11年(1761)8月15日のこと。江戸、深川木場町の質屋において京伝は誕生します。

京伝の父は岩瀬伝左衛門(伊勢国出身)と言いました。伝左衛門が奉公したのが深川木場の質屋(伊勢屋)であり、彼はそこの主人に認められて、ついに主家の養子となります。堅実で弁舌も巧みであったことがその要因だったようです。伝左衛門が結婚したのが大森氏の娘でした(伊勢屋は大森氏の実家)。京伝が生まれた時、父は40歳、母は30歳を過ぎていたとされます。

京伝の幼名は甚太郎。京伝は年少の頃より物を大切にする性格であったようで、父から貰った糸印や机を長じてからも大事にしたとのこと。京伝は愛くるしい少年だったようで、両親に溺愛されたと言われています。ちなみに京伝には弟がおり、戯作者として著名になる山東京山がそれです。

安永2年(1773)、京伝の家は木場から銀座に移転します。家が銀座に移ってから、京伝は長唄と三味線を堺町の松永氏から習ったのですが、モノにならなかったようです。しかし、その頃から京伝は浮世絵師の北尾重政(「べらぼう」で橋本淳が演じる)から浮世絵を習っています(京伝は画家としては北尾政演と号します)。多くの小説類を読み、狂歌や俳句を詠んだことも、戯作者・京伝の血肉となったでしょう。京伝の代表作としては黄表紙『江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき』が知られています。

山東京伝作『江戸生艶気樺焼:3巻』、天明5年(1785)、出典=国立国会図書館デジタルコレクション
山東京伝作『江戸生艶気樺焼:3巻』、天明5年(1785)、出典=国立国会図書館デジタルコレクション

遊郭に通って人脈を作り、才覚を発揮

京伝は若き頃から遊里(遊廓)に通うようになりました。遊郭というと性風俗というイメージを持つ人も多いかもしれませんが、そうしたイメージのみで塗りつぶせるものではありません。「当時の紳士の交際場」であり「富豪や地位の高い武士たちの洗練された遊び」が展開されたところでもあったのです。遊郭は若い芸術家・京伝の「最高学府であった」とするのは日本近世文学の研究者・小池藤五郎(元・立正大学教授)です。遊郭において京伝は繊細な人情の動きなどを学んでいったのです。それが後の作品作りに際して活かされているということです。