生成AIの「おしゃべり機能」は人間関係にどのような影響をもたらすか。『言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か』(朝日新書)を出した川原繁人さんは「生成AIの“イエスマン”的な応答やスピード感に慣れてしまうと、実際の人間関係が面倒に感じられてくる可能性がある」という――。

いつでも“構ってくれる”生成AIの悪循環

前回に続き「『AIおしゃべりアプリ』に対してどう感じているか」を言語学者33人に訊いたアンケートの結果を基に、本稿を進めていきます。

肯定的見解がある一方で、リスクに関する意見も寄せられました。

例えば、「生成AIはひどいことばを投げつけられても傷つかないので、ことばが人を傷つけうることを学べない」という懸念があげられました。本書『言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か』で先述しましたが、生成AIの背後には感情も人格もないので、この点において生身の人間との対話と大きく異なるわけです。

関連して、「生成AIはいつ、どれだけ仕事を頼んでも文句を言わないから便利だ」という意見を聞いたことがあります。これは確かに事実としては正しい言明でしょう。しかし、これは諸刃もろはの剣だとも感じています。

というのも、子どもがそのような「生成AIに対する接し方」が普通であると考え、人間に対して同じような態度を取るようになったら問題です。生成AIは、いつ何を問いかけても返信してくれますが、人間相手にはそれを求められません。すると、ますます、いつでも「構ってくれる」生成AIを心地よく感じてしまい、悪循環に陥る可能性があります。

“都合の良い応答”にチューニングできる危険性

現状の生成AIでは、それが出した答えが「良い」か「悪い」か、使用者がフィードバックを送れる仕組みになっています。

ということは、それぞれの利用者が「自分にとって都合の良い応答をしてくれる形」にチューニングできてしまうわけです。

しかし、人間の相手の応答をチューニングすることは不可能です。実際の人間関係では、相手が自分にとって「良い」応答をしてくれることのほうがまれかもしれません。

言葉による「すれ違い」も多く経験するものです。人間は、自分と違う意見を持った相手と、時に失敗を経験しながら、やり取りすることで成長していくとも言えます。ですから、相手や状況によって話し方を変える工夫も重要です。

それなのに、自分にとって心地よい返事ばかりしてくれる、いわば「イエスマン」的な生成AIとの応答に慣れてしまうと、実際の人間関係が面倒に感じられてくる――そんな可能性も十分にあると思います。

スマホを操作する子供
写真=iStock.com/Ksenia Valyavina
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