ミラーリングとは相手の行動や言葉を鏡写しのようにまねて、相手に「共感や親近感をわかせる」効果がある、つまり相手に近づく、安心感を抱かせる手法のひとつとして習ったから、今でもネット上でミラーリングしてやったぞ、みたいな言語を見ると不思議な気持ちになる。あなたに共感や親近感をいだかせるために?と。
言いたいことはわかる。
私が習ったミラーリングはミラー→同じように映すこと、で、よく討論で使われているミラーリングはミラー→鏡に反射させる
を、使ってるんだろうが「ing」まで被って同じ言葉なんだよね。これって誤用が広まった形なのか、造語が定着した形なのか。
分野が違っても同じくミラーリングとして使われる言語も「同じものを映す」という方で使われてるんだ。ex.画面をミラーリングする、ディスクミラーリング。
今の用法で最初に使った人は誰なんだろう。どうやって移り変わってきたんだろう。すくなくとも私がこの言葉を学んだ時のミラーリングは親しさをつくるための手段を指すことばかりだったと思う。例えば誤用と知りながらも「すべからく」を「すべて」の意味で使う人がいるように、誤用とわかってて使い続けてるのか。言語が移り変わる時をみてるのかな。おもしろいね。