これどけフェミニズムに対する反応があちこちで火を噴いているのに全く名前が挙がらない事に疑問を感じている上野千鶴子だが、今となっては誰も彼女に注目していないのか分からないがとにかく名前を聞かなくなった。
私がまた10代の頃に何かにつけて離婚だ離婚だと騒ぎ立てるうるせえオバハンがいる、というイメージはあった。この手のオバハンたちはそれが真実かどうかなどはどうでもよく、とにかく自分の言ってることが正しい、お前らは首を縦に振ってさえいればいいのだと傲慢な態度をとって人々から嫌われていたのだが、おそらくこの手の話の震源地が上野千鶴子だったのだろう。
なぜかと言うと彼女はラディからフェミニズムを日本に持ち込み、女は結婚するな、離婚しろ、男に依存して生きるくらいなら貧しくてもいいから自分の力で生き抜けと言っていたからだ。
そんな彼女は今は東大で教鞭をとり、タワマンに住んでいると言うことで嫌われてるようでもあるが、ラディカルフェミニズムからしたらあるべき結果の一つでしかない。
それはさておき、フェミニズムと言ったら上野千鶴子だと言わんばかりに彼女はフェミニズムとセットで語られている。たが、実際にフェミニズムという思想全体で見たときに彼女の功績ははっきり言うとよくわからない。
もっとむかしのフェミニズムである津田梅子は女といえどもしっかりと教育を受ければ男と対等に社会で渡り合えるという信念から津田塾を作った、という功績がある。
市川房枝は日本で初の女性政治家になり、女が政界で戦うための突破口を開いた。
高市早苗は日本初の女性首相になるという日本女性史における最も偉大な功績をたっせいしたといってもいいかもしれないが、フェミニズム界隈からは否定的な声も聞こえる。
フェミニズム界隈から聞こえる評価は、所詮日本は男社会なのであるというものであり、客観的に見てもその評価方法は無理やりだ。そうまでして高市早苗の首相就任をフェミニズムにおける重要なマイルストーンとみなさない、というフェミニストが見られるのはなぜか。
市川房枝以来の素晴らしい功績であるとたたえるフェミニストの声が聞こえないのはなぜか。
上野千鶴子以前と以後でフェミニズムはおそらく性質が変わっていると思う。そこに彼女の成し遂げた何かがあるのだろうと思っている。
上野千鶴子はもともと何をしていたのだろうか?
彼女の生家はいわゆる父権的な家庭だったようだが、京都大学に入学するというインテリジェンスの高さはあった。
京都大学で学生運動に出会い、革命運動に参加することとなった。
なぜかといえば、女は添え物であるという扱いに対する不満から学生運動をやめた。
そこでその怒りの受け皿としてフェミニズムをすることにした、つまり、男に対する相悪が彼女にとってのフェミニズムのモチベーションとなっている。
その後彼女はマルクス主義フェミニズムに出会い研究を開始する。
その中で日本における女性の問題の整理も行うことで、いわゆるジャパニーズ・フェミニズムとでも言うべきスタイルを確立した。
大まかな来歴はこんな感じなのだが、功績は2つあると言っていい。
一つはジャパニーズ・フェミニズムとでも言うべき日本ならではのフェミニズム運動を作り上げたこと、そしてマルクス主義フェミニズムの日本への輸入だ。
ではマルクス主義フェミニズムとは何か?ラディカル・フェミニズムとは何か違うのか?一言で言うのは難しいかもしれないが、共通しているのは女性が家庭に対して無償奉仕を強いられている、という点から開始している点である。
違うのはラディカル・フェミニズムは男性による支配構造に原因を求め、マルクス主義フェミニズムは資本主義の構造にその原因を求めている。
マルクス主義を考えるには資本の再生産を考える必要があるが、要は資本家が企業を運営し、男性が労働者として搾取されている、という構図を支えているのは、搾取される労働者の家庭に無償奉仕する女性がいるからだ、とでも言えばいいだろうか。
さて、この理屈の重要なポイントは、マルクス主義者が戦うフィールドをずらすことを正当化しているという点だろう。
日本のフェミニズムを見ているとやたらとマルクス主義的な動きが見えることがあると思うが、個人的にはこれて合点がいっている。
要は資本家vs労働者の闘争に敗北したマルキストたちが、フェミニズムを新たな戦場に選んだ、と言うことである。
つまり上野千鶴子が成し遂げた功績は、一つは日本独自のフェミニズムを作り上げたことであり、これは賞賛されるべきことだろうと思っているが、このフェミニズムは今はもう息をしていない可能性がある。
もう一つが日本のマルキスト、社会主義者たちが革命を諦めなくて済むための道筋を提示した、ということなのかもしれない。当然メディアては好意的に扱われるだろう。彼らがあきらめなくて済むのだから。
トークン切れ?