健康優良児としてこの世に誕生した「私」だが、5歳で「若年性多関節リウマチ」と診断され、突然歩けなくなってしまう。でも、それがどうしたっていうんだろう?行きたい学校、入りたい部活、やりたいことは全部やる!そしていつしか、身体障がい者の心のケアをしたいという思いからある夢を抱くようになって…。決して強かったわけじゃない。気弱で優しい女の子の、たったひとつの物語。※本記事は、上原 寛奈氏の書籍『車イスの私がアメリカで医療ソーシャルワーカーになった理由』(幻冬舎ルネッサンス)より、一部抜粋・編集したものです。 【前回の記事を読む】「これ以上どう頑張ればええねん」女児の心の叫び。「早く元気になろうね」という看護師さんの言葉が宇宙人語のようだった 二章 大阪警察病院入院時代 どじょうvs.金魚の戦いの陣 大事に大事に育ててきたその金魚たちは退院後も飼い続けた。鮒ほどの大きさになり五年近く生きた。大きく