1963年に日本プロレスでデビューし、力道山の最後の弟子となった山本小鉄氏は、妥協を許さない指導... 1963年に日本プロレスでデビューし、力道山の最後の弟子となった山本小鉄氏は、妥協を許さない指導法で数々の名レスラーを世に送り出した。そんな小鉄氏が波瀾万丈のレスラー人生を振り返る。アントニオ猪木、ジャイアント馬場さんの秘話や、トップレスラーとなった愛弟子たちの知られざる若手時代も公開する。 次の話へ パン屋を掃除してテレビを見た、ブラウン管の中に力道山先生がいた まだ戦争中の1941年10月30日、俺は神奈川県横浜市の中村町で産声を上げた。周りの雰囲気はというと港町に近く、簡易宿泊所が密集する貧しいエリアだった。労働者は日雇いで、船から橋げたまで荷物を担ぐ仕事をしていた。そんな重労働を1日やっても、賃金はニコヨン(240円)にしかならない。そういう人たちが住んでいるところだった。 俺は10人兄弟の六男だった。いわゆる貧乏人の子だくさん。親父は子供を食わせるために死にものぐるいで働いた。昼
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