西京焼きが自分で作れると魚料理が楽しくなる! それは何気ない野球場での会話。 「和子、COSTCOに売っている日本のお魚知ってる?私あれにハマってるの」アメリカ人のお母さんが突然聞いてきた。 写真を見るとそれは温めるだけの冷凍の「銀鱈の西京焼き」だった。彼女はコストコで急に見かけなくなったんだけど、諦…
歳を重ねれば重ねるほど「死」というものは近くなり、すれ違ったり、触れ合ったり、対面したり、時には寄りそわなければいけなくなることも出てくる。血止め式のid:hebakudanさんが亡くなったことを知ったのは5月8日の夜だった。はてなのシステムもいまいち理解し切れてなくて、最近はブログを廻ることもあまりしていなかった私だから、4月30日に入院されていたことも知らなかった。お星さまと少しのコメントのやり取り。無精で不義理な私は、返礼はいつも遅くて、その上id:hebakudanさんの優しい言葉に敵う言葉はいつもでてこないでいた。 振り返ってみると、去年の6月末に書き始めたこのブログに8月にはお星さまをつけてくれてるから、かなり早い時期から見守ってくれてたのだとわかる。なのに気の利いた一言すら返せなかった。 亡くなられた人のことを書くのは難しい。芝居がかるのも、変に悲嘆に暮れるのも、違う気がする
未分類「血止め式」筆者、死す。−血止め式hebakudan さんのはてなダイアリ「血止め式」と最初に出会ったのは一年ちょっと前のことで、その頃 hebakudan さんは世に蔓延る被害者意識的なものをバッサリやるようなエントリを書いてらして、その言葉の端々に刺のようなものを含みながら、文章の全体から受ける印象はなんだか飄々としていて、きっぱりとさっぱりとしていて、それでいてなぜか優しさのようなものがあって、文章の向こうにいる人物がとても気になって、過去ログをさかのぼって全部読んでしまった。その頃からこっそりと hebakduan さんのダイアリを読んではいたものの、元来コミュニケーション無精な私は、直接言葉を交わすことはなかったのだけど、先月の半ば頃、私が無言でつけたブクマにお返事をいただくという出来事があった。■【ブクマに返信】3TsumuRiさん、こんにちは。TsumuRiさんからは以
心の旅 最期まで潔い方だった。 屁爆弾さん(id:hebakudan)の訃報をご本人のブログ「血止め式」で知ってから数日。その間、何度も彼女の事を想い、ブログを訪れてはご本人が厳選された記事を拝読した。なかなか彼女の死を現実的に捉えることができないでいる。彼女とのお付き合いは言葉のやりとりのみ、しかも決して長いお付き合いではなかった。彼女についても、彼女の言葉で語られた範疇でしか知らない。しかしながら、肉体とは異なり、言葉はいつまでも生きているだけに、その言葉を生み出した方の不在を受け止められないでいる。 初めて屁爆弾さんを知ったのは、数年前。id:fumi_oさんのブログにコメントを書かれていて、そのお名前のインパクトに驚いたのが正直なところ。ご存じな方も多いと思うが、fumi_oさんのブログには美しい写真とクールな言葉が淡々と並んでいる。そこにいきなり屁という名前である。しかしながら、
hebakudanさんの事ばかり、今日一日考えていた。昨年、hebakudanさんの飼い猫が行方不明になり、張り紙をみて連絡してきてくれた親子についてのエントリーが、初めて触れたhebakudanさんの文章だった。その日の日記は現在では削除されていて、残念な事に読み返す事は叶わないが、その嘘も飾りもない言葉は切り込んでくるように私の胸に刺さった。星をひとつだけ残して立ち去ってからしばらくして、hebakudanさんが、私のこの場所をアンテナ登録してくれた事に気づいた。それから短い期間ではあるけれど、コメントを残してくれたり、星をつけてくれたりするようになった。頻繁に更新する方ではないこの消灯ラッパにhebakudanさんが足跡を残してくれるのが、私は心から嬉しかった。仕事での失敗を書いた日のコメント欄には、hebakudanさんらしいこんな言葉を残してくれた。最も優秀なパイロットは操縦ミス
「行ってまいります」 そのひとは、このブログのコメント欄にそう言いおいて出かけられた。 少し前には、「遅れても必ずブログを拝見するよ。元気になったらスターのてんこ盛りで襲撃してやるから待ってて(笑)」と声をかけてくれた。 その後ブクマで、「いつか創作小説を拝読してみたいな」との言葉を頂戴し、跳ね上がるほど嬉しかった。 だから、5月8日の誕生日、わたしは小説サイト『唐草銀河』を新しくした。目の状態がよろしくないと書かれていたので、お戻りになったときに読みやすいほうがよろしかろうとイロイロ悩んでテンプレを選んだ。 ところが。 その夜、そのひとに「お帰りなさい」を言えなくなったことを知った。 「血止め式」筆者、死す。 - 血止め式 昨夜、ここで泣きながら届く宛てのないお便りを書いた。消えたけど。 きっと、わたしの書いた、涙の跡が点々と滲む読みづらい手紙のような文章がお気に召さなかったのだと思う。
近頃私は死というものをそんなに恐ろしく思わなくなった。年齢のせいであろう。以前はあんなに死の恐怖について考え、また書いた私ではあるが。 哲学者である三木清の『人生論ノート』は私の愛読書だった。ここのところ繙いた記憶はないが、すでに二桁に達する数を周回している。手垢の目立たないことが不思議であるくらい読み込み、書き込み、マーカーで線を引いている。その痕跡に自身の幼さが露呈していて、読み返すと恥ずかしくも微笑ましい。ブログになれてきた頃は、この愛読書のことで記事を埋め尽くそうと目論んだものだが、実現していないのはひとえに私の怠惰が原因である。 人生論ノート (新潮文庫)posted with amazlet at 10.05.09三木 清 新潮社 売り上げランキング: 87820 おすすめ度の平均: 現在60歳の私が高校生のとき何度も読んだ本 名著のなかの名著 人間の宿命 タイトルどおりの本だ
家のなかを森にしたい、という欲望 今年はなんだか観葉植物の観察が楽しい。本日は植物についての記事ですが、土や根っこなどの画像もあるので苦手な方は避けてくださいね。 フィカス・ウンベラータ うちのメイン的存在はフィカス・ウンベラータ。ウンベ殿が我が家にやってきたのは2020年5月。コロナ禍初…
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