「のんびりと南の島で過ごしたい」という妄想は誰しも抱くものですが、だからと言って実際に南の島に移住してみれば、おそらく「嗚呼、都会の喧噪が懐かしい…」と思う日がやってくるでしょう(たぶん)。
あるいは、GWのような長期休暇を前にして、
「5連休もあれば何だってできるぞ!」
という期待に胸を膨らませてみたものの、実際に休みに入るとやりたいことが多すぎて、どれも中途半端なまま、やりたいことの半分も消化できずに終わってしまった、という話もよく耳にしますし、自分でも幾度となく経験しています。
そんな「南の島」と「5連休」に共通するポイントがあります。
それは、「南の島」や「5連休」が、ある全体の中で一番端に位置している、という事実です。そして、反対側の端には「都会の喧噪」や「多忙なウィークデー」が並ぶことになります。我々はこの両極の“端”の間を行ったり来たりしているという状況に置かれていることに気づきます。
ということで、前回に引き続き、『メンタル・タフネス』の読“中”感。
仕事を楽しくするうえでのキーワードの1つに「ストレスフリー」があります。でも、目指しているところは「ストレスが一切ない安定した状況」なのでしょうか?
この疑問について『メンタル・タフネス』では以下のように書かれています。
従来の考え方では、主要なテーマはストレスからの防御であった。その方法は、冷静に気持ちを抑え、感情をなだらかな状態にすることでコントロールし、健康につなげるというものである。つまり、従来のモデルでは、効果的なストレス・マネジメントとは、心の平静さを恒常的に保つよう努力することを意味している。
個人が感情の面で強くなり、ストレスにうまく対処する能力を拡大しようとする過程にはほとんど、あるいはまったく注意が払われていない。しかし、目の前に広がる世界や自分の身体をよく観察すれば、すべての生命はダイナミックであり、このスタティックなモデルは、自然の法則に反するものだと結論せざるを得ない。
この考え方は、セレンディピティにも通じます。
第3に、王子たちは、意外なものとの出会いに際して、自分がそれまでに抱いていた「このようなものが欲しい」という仮説にこだわらずに、素直にその意外なものを受け入れることができました(「受容」)。脳の中にすでにある仮説をダイナミックに修正し、それを自己の中に受容することができてこそ、私たちは体験からの学習を完成させることができるのです。
つまり、「当初の目的」というスタティックなものに固執し続けるのではなく、置かれた状況に合わせてダイナミックに行動を変えていく、ということです。
『メンタル・タフネス』に戻って、読みながら思わずその場で頷いてしまった部分。
人生にはたえず浮き沈みがあり、決して平坦なものではない。心電図を見ればわかると思うが、健康な心臓は、規則的に山と谷を描いている。フラットな線は死を意味する。それは究極の直線である。
一方、きわめて対照的に、山の形を作る曲線は、エネルギー、励起、行動、つまり生命を意味する。
「南の島」のビーチから見えるどこまでも広がる水平線、あるいは仕事から解放された「刺激レス」で「ストレスフリー」な「5連休」。いずれも、「直線」のアナロジーです。我々がこういった「直線」を夢見てしまうその延長線上には「終わり」があるだけでしょう。
以前、人生を「波乗り」に例えている記事をご紹介したのを思い出します。
好ましい偶然を起こす(起-動線) では、偶然がやってくるのを待つのではなく(受身)、自ら偶然を起こす(自発)という考え方が紹介されています。
「偶然」に任せているようで、明確な「意志」を持ち、
「意志」に従っているようで、「偶然」を積極的に生かす。山登りと波乗り、という対照的な事例を引きながら展開される“偶然論”に「なるほど」と頷かされます。キャリア作りに関する論考ですが、ほかにも当てはまるシーンがありそうです。
そして、このエントリーの最後では以下のようにまとめていました。
ドラマでも映画でもトラブルやピンチがあるからこそ、ドラマや映画になるわけで、それを乗り越えていく主人公に自分を重ね合わせて、一緒になってアップ&ダウンを疑似体験するのが楽しいのです。
始めから終わりまで予定通りにコトが運び、無傷のままに黒幕を退治してしまうようなアクション映画はたぶん、いや、絶対に、つまらないでしょう。
などなど挙げていくとキリがありませんが、まとめるとするなら、強くなるための「あぁ~」で書いた、
平凡な毎日の中にも自分を強くするための「例外」を見いだし、あえてそこにつっこんでいくことによって、プチ失敗を起こし、それがその人の中で“免疫”として息づくようになる
ということになりそうです。
『メンタル・タフネス』ではこの“免疫作り”のための具体的な手順が紹介されています。こちらについてはまた次回。