円高
えんだか
日本国の通貨である日本円の価値が、他国の通貨(主に基軸通貨の米ドル)に対して高くなることである。対義語は円安。
例えば、1ドル=100円の状態から1ドル=75円に変わった場合、1ドルを手にいれるために必要な日本円が25円減る(=円の価値が高くなる)ため円高になったと言える。一般的にはこの、1ドルあたりの円で表示されることがほとんどで、この場合直感的に数字が小さい方が「安い」と思ってしまうが、実際は逆なので注意されたい。
分かりやすく単位を入れ替えると、1円=75ドルの状態から1円=100ドルに変わった場合、1円を手にいれるために必要な米ドルが25ドル増える(=ドルに対しての円の価値が高くなる)ため円高になったと言える。
日本製品・サービスが相対的に高くなり、外国の製品・サービスが相対的に安くなる。
これにより輸出(日本が海外に売る)は不利となり、輸入(日本が海外から買う)は有利となる。
具体的には国外向け製造業と海外旅行者を取り込みたい国内観光業にはマイナスで、外国向けの観光サービスや日本国民がメインの得意先である国内産業(特に海外から原材料を購入する企業)などにはプラスになりやすい。
日本は自動車や家電を筆頭とする国外向け製造業で外貨を稼ぐことで経済発展してきたため、長期的な円高が慢性的なデフレの一因となったとも言われている。
一方で通貨高は通過信用の高さと先進国の証とも言えるもので、発展途上国からすれば喉から手が出るほど欲するものでもある。
現代日本の円高は1985年のプラザ合意(米国の対日貿易赤字・財政赤字を是正し、ドル安・円高へ誘導するよう各国で調整する合意)が切っ掛けである。これによりたった2年で240→120円へと円高が凄まじい勢いで進行した。
署名したのは竹下登大蔵大臣(DAIGOの祖父)だったが、帰国した竹下に対して宮澤喜一自民党総務会長は「竹下さん、あなた、自分が何をやってきたかわかっているんですか!」と面と向かって詰ったと伝わっている。
円高に対して日本政府は規制緩和を行い、これがバブル経済に繋がるが、バブル発生後の引き締めが厳しすぎて一点失われた30年へと繋がることになる。慢性的な円高により工場の海外移転が進んだことで発生した産業の空洞化と雇用の弱体化は、日本経済は大きく弱体化した。
プラザ合意前のアメリカも通貨高により国内製造業が壊滅的なダメージを受けていたため、その通貨高を日本は公に押し付けられたような恰好になったのである。
2012年に安部晋三内閣による大規模量的緩和のアベノミクスが実行され、円ドル為替レートは円安方向に転換した。これで円高は是正されたが、政策当局者が期待した製造業の国内回帰は思うように実現していない。