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●日記の内容をくれぐれも本気にしないでください。ほぼ何にも調べずに書いています。
●何を言っているのかよくわからない場合はとりあえず用語集を参照してください。
●時々同じ事を何度も書いています。心配するだけ無駄だと思うけど。
●敬称略。
●おしゃべりがどうしても治りません。
●リンクは御自由に(リンクを外すのも含め連絡不要です)。
●ここに書かれていることや文章の形式などはごっそりパクっても構いません。
●万一ここに書いてあることが何かの間違いでありがたく見えてしまうときは【あるわけなかろうおれカネゴン】、あなたの精神力が弱っていますので視聴を控えてください。危険です。
●もしここからリンクされると格が下がる/貫目が落ちるとお嘆きの場合はご連絡いただければ外します。
●日記インポート時のエラーがそこここに残っていたり恥ずかしくていたたまれない箇所があったりするので、折に触れて過去の日記も書き直しています。
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ジャズを練習せずにいたら、リズムキープがすっかりしんどくなっていた。うう。
svnseed氏とニュートラルに行くと、ミュンヘンから帰省中の粘菌研究者ゲルベゾル太氏(svnseed氏の十年来の知人でもある)とばったり出会い、ヤクザの話などでいろいろ盛り上がる【外で吐いたはおれカネゴン】。ゾル太氏のサイトも見つけたのだけど、ここに書いていいかどうかわからないので保留。
今流れている曲を携帯で自動判別するサービス。洋楽180万曲が対象とのこと。こんなことができてしまうとは驚異。「この曲なんだっけ」という悩みが過去のものになってしまうのだろうか。曲がパクリかどうかの判定に使われたりして。ライブハウスやコンサートホールに漏れなく配備され、無断演奏を常に監視する可能性も。
今年もまた皆様にお世話をおかけしてしまいました。石油があっさり枯渇してしまって世界中が骨肉の争いを繰り広げ、酒は密造、パソコンや武装バイクはゴミ捨て場で拾って組み立てるのが常識な世の中になったとしても、皆様が健やかで無事でありますように。
来年もよろしくお願いします。
おれカネゴン
外出中に泊めてもらった先輩の家に自分の中に毒を持てという本があった。岡本太郎が、自分がいかにへそ曲がりかを書き連ねている本【人のことだとおれカネゴン】。一宿のお礼にノートPCをデフラグしている間にちょっと読んで見て、少し覚えていること:
私(岡本)があるお寺から講演依頼を受けて招かれたとき、そこの偉い和尚が「仏に逢えば仏を殺せ」と滔々と講義していた。次は私の番だが、その和尚の言葉が引っかかっていたので、そのままそれについて話してみた。
「皆さん、今和尚は"仏に逢えば仏を殺せ"などと言いましたが、皆さん仏に本当に逢ったことがありますか?逢ったことのある人は手を挙げてみてください。」「私は賭けてもよいですが、京の道端でどれだけ待っていても仏なんぞに逢えはしない。」「では誰に逢うのか、それは "己(おのれ)" です。」「道端で己に逢えば、己を殺せ。」ここまで話すと、聴衆の間にどよめきが起こり、続いて大拍手を受けた。
話の内容そのものはともかく【聞く耳持たぬはおれカネゴン】、聖書も含めた経典は常にデバッグとメジャーアップデートを繰り返して生命を保つ必要があることを痛感。優れた頓智を含む言葉であっても二度目にウケるとは限らない。経典はただ一つの静的ライブラリというのは思い込みで(おそらくベースクラスというものも実はありそうでない)、そこから無数のインスタンスが生み出され続け、しかも他の経典からも多重継承して初めて意味があるみたいなことをクヌース本から勝手に学んだ。各種経典のdebパッケージ希望。
二日続けて都内での宴会に出席したために二日も家を空け、身体が大変臭くなる【電車に乗るとはおれカネゴン】。やむを得ず止まった漫画喫茶が安くて快適で感激。
その宴席の後で行ったカラオケで、他の人が歌ったキリンジの歌詞があまりに面白くて驚く。メロディも声も甘いのに詞の毒舌が冴えまくり、しかも下品にならないという離れ技。カネゴンは日本語であっても歌詞を耳から聞き取るのが苦手なので、カラオケで歌詞がテロップに出ているとわかりやすくて便利【言葉は目からのおれカネゴン】。酔っていたので詳細は思い出せないけど、曲もありきたりな進行でないにもかかわらず極めて滑らかで、こういうアレンジにするとXTCやボウイみたいにゴツゴツした流れになるという思い込みが覆される。TV Bros.に何やらエッセイを書いている人という認識しかなかったカネゴンが甘かった。
恵比寿の駅前の古本屋で科学の事典 第三版(岩波書店)という分厚い事典を見かけ、1500円だったので速攻で買い求め、凝縮された内容に感激。無駄とわかっていても、もっと早くこの事典と出会っていればと思ってしまう【Wish you were おれカネゴン】。
この第三版は1985年初版(定価9000円)で、さすがに「コンピュータ」の項についてだけは時代の流れを感じてしまうけれど(もしかするとバイオ関連も)、その他の物理/化学/生物/数学/天文/気象/地学/建築/工学/医学については数式も遠慮なく使って相当詳細にびしびし解説され、かなりヘビーデューティ。これまでカネゴンが怪しいところからかき集めてきた不正確な科学の知識を片っ端から是正しなくては【年末掃除はおれカネゴン】。
どんなに好きな曲でもたて続けにずっと繰り返して聞くと飽きてくる。どんなに好きな食べ物でも単品で1週間も食べ続けると飽きてくる【飽きっぽいとはおれカネゴン】。
関係ないけど、「権力は必ず腐敗する」というのは考えてみたら凄いことだと思う。確実に腐敗するからこそ世代交替することが期待できるというか。権力が腐敗せずに常に新鮮さを保って長らえたりすると、その分忘れた頃にもっとひどい災いが起きてしまったりするのだろうか。最初から腐敗することを前提に構築しておく方が面倒がなくていいかも【不精極まるおれカネゴン】。
関係ないけど、「10万年に1秒以内の誤差」の原子時計といえども、メンテナンスフリーで10万年動き続けるわけではないということに今気付く。莫大な資金を投入して10万年動作し続けるWebサーバーを構築するより、次々にサーバーが作られ続ける方が遥かに安くて長命だったりする。その場合長命なのはWebサーバー自体ではなくてもっと抽象的な何かだったりして。
この抽象化の階層はどこまで分厚くなり続けていくことが可能なのだろう、抽象化というのは生命の最も低いレベルからずっと繰り返され続けていて、しかも個体発生が系統発生を繰り返すたびにその階層を毎回辿っていて、どこかでいい加減破綻してしまうのではないかと日々不安に駆られてしまう【無駄な心配おれカネゴン】。この方法がベストというわけでもないだろうから、もっとコストが低くて実装しやすい方法があれば生命もそっちを採用すると思う。一つの方法としては過去の低位階層をライブラリに焼き付けて固定し、それを継承して次の階層に進むことでフットワークを軽くするというのが考えられる。その試みが人工知能とかロボットとかそれっぽいものだったりしたらと思うとちょっと恐くなってきたのでまた今度【次はあるまいおれカネゴン】。
こういう寝言ではなくてもっと役に立つことを書きたい【進歩がないとはおれカネゴン】。
knoppixに乗り換えてから、jedのカラー表示が何だか前よりも汚くなってしまい、逆にvimの表示が非常にきれいになっていた。muttというコマンドベースのメールクライアントを使っているのだけど、デフォルトのエディタ設定などのしがらみがいろいろあってmutt用のエディタをjedからvimに乗り換える。困ったのは、すっかりemacsのキーバインドに慣れてしまったのでviコマンドをすっかり忘れてしまったことで、保存どころか終了すらできなくなっていて焦る【よぼよぼするとはおれカネゴン】。
死ぬ気でがんばればjedのカラーマップを修正できるかもしれないけど、そこまでする気になれず。
今の頭音: 「ぱっとサイデリア」(key=A)
不世出の漫画家いしいひさいち(チャンネルゼロ)公式ページ「いしい商店本店」の存在を今になって知る。いしいひさいち本人が手書きでいろいろと書いていて実に興味深い【ちびちび読もうかおれカネゴン】。カネゴンはつい漫画と同じぐらい漫画家自身をチェックしてしまいがち。
遥か昔の「バイトくん」単行本あとがき(本人とは違う人が書いていた)で、「テクニックで描いているだけなのでくれぐれも深読みしないで欲しい」みたいなことが書いてあって、もしかすると気難しい人なのだろうかと思っていたのだけど、公式サイトの文章を見て印象ががらりと変わる。まったくもってカネゴンの一方的な思い込みなのだけど、関西の漫画家(はるき悦美とか郷田マモラとか)はあまり自分のことを語らないような印象があったので。よく考えれば、みうらじゅんとかひさうちみちお(平仮名だらけ)みたいに語りまくりの人もいるので当てにならない。
山藤章二がいしいひさいちと対談したときの印象を何かに書いていて、そのページにこっそりいしいひさいちの似顔絵を描いていたことがあり、あれ以外に今のところポートレイトを見かけたことがない。
ついさっき「のんしゃらん」がフランス語だったと知り、頭にガツンとくらったような心持ち。てっきりネイティブ日本語だと思っていた【他にもぞろぞろおれカネゴン】。
nonchalant
《仏語》無頓着な, なげやり, 無関心, ノンシャラン
読み易いレイアウトを調べたくてこの間購入したダイソー文庫の芥川龍之助(芋粥)をついでに読んでしまい、主人公である名無しの五位のうらぶれた人生がおのれの事のように思えてきて徐々に低空飛行【ローアンドローのおれカネゴン】。小説は読まないと決めていたのについ。
最近巡回していた小人さんから小人さんへの置き手紙が消滅していた。とても読み易いレイアウトだったので昨晩スタイルシートをこっそりいただいた直後だけに複雑。
今夜こそピンホールカメラを開封したい。
カネゴンが繭(高校生)の頃、紙を短冊状に切ってごく小さな穴を開け、合わなくなった眼鏡に貼り付けて「ピンホール眼鏡」なるものを作って学校でかけていたことがあった。当時のカネゴンの救いようのない心情を推し量るにおそらくサイクロプスっぽいものを気取っていた可能性があるけれど、客観的には相当可哀想な人だったのではないかと今にして気付く【何かを丸出しおれカネゴン】。ご迷惑おかけしました。うう。
何かで読み齧ったのだけど、中国では、いわゆる「気」は概念みたいなうすらぼんやりしたものではなく、実体のある物質そのものと考えられていたらしい。それが本当かどうかはどうでもいいのだけど、これは考えようによっては、概念上にしか存在しないと考えられているものごとであっても、角度を変えればそれが物質として存在していると見なせるのではないだろうか【のんしゃらんとはおれカネゴン】。また、以前は概念上のものでしかなかったものが、後の世になって実際に発見されるという例もある。「素粒子」などはその最たるものかもしれない。
ところで、男性が年を経るに従って発現するいわゆる「オヤジ臭い行動パターン」みたいなものには、その根源となる成分があると考えることはできないだろうか【誰もせんずらおれカネゴン】。何の根拠もないカネゴン仮説によれば、これは歯槽膿漏の罹患率と有意に相関しているような気がしてならない【言うだけならばおれカネゴン】。カネゴンが観察した限りでは、中年になってもさっぱりさわやかでありつづける男性に口の臭い人を見かけたことがないため。歯槽膿漏が進行すると細菌が血流に乗って全身を駆け巡り、動脈の内側に歯垢と同じ成分がこびりついて心臓疾患やその他の病気の誘引になるという怖い報告があるけれど、それらの病気に対抗するために顔面や心を分厚くリフォーメーションし鉄面皮になるという防御反応の結果がそれだったりしたら。
こうやって自分で自分を脅しつければもっとまめに歯を磨けるようになるのではないかと【不精極まるおれカネゴン】。
列車の人身事故が後を絶ちません。鉄道会社は何故ホームに柵を設置しないのでしょうか。回答者さんが読んでみて、一番納得のいく説明が書かれたページを紹介してください。(おなじみsvnseeds’ ghoti! 経由)
最近不思議に思ったのだけど、各種行政機関その他で手に余るような問題が発生したときに、どうして何が何でも担当者たちだけで解決しようとするのだろう。「できません」と言ったらお家取り潰しになったりするとも思えない。ナポレオンが食料保存法を懸賞付きで募集したときみたいに、手に余ると思ったらさっさと懸賞にかけてしまえば、全国津々浦々が前代未聞のお祭り騒ぎになり、社会に参加しているという実感も湧いてきたりしないだろうか。担当者もそうやって楽をすればいいと思う【おぬし以外はおれカネゴン】。カネゴンは自分の問題解決能力に自信が持てないので金さえあればいつでもアウトソースしたい。このシステムに抑止力を与えるために、やはり失敗した場合に日本古来の打ち首執り行わないといけないだろうか。
それともこれを実行すると、国会も大半の官公庁も特殊法人も廃止して懸賞の運営だけ行っていればいいことに気付いてしまい、不要になった多数のエリートが失業してしまい、関連するあらゆる既得権が破壊されて泣きを見る(うそ泣き含む)人が続出し、民主主義よりも迅速かつ的確に問題が解決されてしまって予算も節約できて面目が立たなくなり、お腹が空いたらふらりと現れては問題を解決して糊口をしのぐさすらいの政治家(副業でハッカー)とかが出現してしまうので古来禁じ手とされているのだろうか【反逆するとはおれカネゴン】。
条件の範囲内でその問題が解決できない場合は、それを厳密に証明するだけでも可。聞きかじったところでは、数学の場合、ある問題が「可能である」と証明されるよりも「不可能である」と証明される方が実りが大きい場合が多いとのことなので、新たな分野が開拓される可能性につながるかもしれない。
密命を帯びて神奈川県と埼玉県を一晩で往復し、距離を痛感。クリスマスおめでとうございます。
永久磁石で鉄球が浮上は一も二もなくヒデキ指数=98。こうやって定説が覆される瞬間がたまらない【囃したてるはおれカネゴン】。
リニアモーターカーで使用する磁石が超伝導でないといけないのはなぜだろうと思ったことはあったけど、誰もそれに疑問を呈していなかったのでカネゴンもそれっきりだった【片棒担いでおれカネゴン】。普通の磁石だと宙に浮くための条件がかなり厳しいのかもしれない。
統合失調症の幻覚擬似体験シミュレーター(from 読冊日記)。何となく想像はつかないでもない【わかりもせんことおれカネゴン】。2年以内にPS2で誰もが体験できるようになり、うらぶれた温泉のゲームコーナーでビール片手に退屈しのぎに使われるようになったらどうしよう。
のけぞる本。他のページ(HTMLリファレンスなど)も含めレイアウトがとても見やすくてありがたい。
先日CATVで「鬼平犯科帳」を初めて、しかも3本たてつづけに見る。
1本目は中村吉右衛門主演(ジプシーキングスのギターがエンディングに流れる)、2本目はなぜか朗読。3本目はモノクロで先代松本幸四郎主演。
不思議だったのは、三本目は間違いなくモノクロだったはずなのに後から思い出すとカラーだったような気がしてしまうこと。何度思い返しても、最後に桜の花びらが散っていたシーンでの花びらが薄桃色だったように思えて仕方がない。カメラワークが非常にうまかった上、カネゴンが心の中で勝手に彩色していたらしい。改めてマッハは正しかったことを痛感。
もう一つ不思議なのは、モノクロアニメ(鉄腕アトムとか)は思い返してもやっぱりモノクロなこと。
なつかしの音版ビックリハウス【年がばれるはおれカネゴン】。この『逆噴射症候群の巻』に、カネゴンが思いついてたった一回きり投稿したハガキが収録されていて、当時知らずに買ってびっくりしたことがあった【自慢だったかおれカネゴン】。ただカネゴンの投稿の内容は小学生レベルもいいとこで、当時ものすごい勢いで投稿していたという大槻ケンヂの洗練さに及ぶべくもない。というわけで、カネゴンが同時代を感じてしまうのは嫌が上にも大槻ケンヂだったりする。
暗号というと思い出してしまうのは【集中しとらんおれカネゴン】、泉和助(数年前、境正章が何かのドラマで泉和助の役を演じ、彼のネタ(ゴムでできたスパゲッティを懸命にフォークで引っ張って食べようとする)をやっていたのを見たことがある)というコメディアンのエピソード。彼が亡くなったときに残した秘蔵のネタ帳を他の芸人たちが奪いあったのだけど、そのネタ帳は本人にしかわからない記号でうずまっていて、結局何にもならなかったとのこと(色川武大「なつかしい芸人たち」)。暗号化の目的が見事達せられた瞬間。
ブライアン・イーノや喜太郎がやっていた、自分で描いた水彩画を譜面と称してそれを見ながら演奏していた、あれみたいな感じだったのだろうか。いずれにしろ、セキュアとかセキュアじゃないとかを越えた、継承も再利用も念頭にない世界【花も実もなきおれカネゴン】。
そのブライアン・イーノは確か、曲作りに行き詰まったときにオブリーク・ストラテジーズとかいうカードを引いて何がしかのヒントにしていた(この名前自体すっかり忘れていた)。今調べると既にJava版Oblique Strategiesがあった。「一日一回しかカードを引いてはならない」みたいな妙な制限があったような気がする。他にもいろいろある。
たぶんこういうツールは、それに書かれていること自体には大した意味はなく、どちらかというと、偶然に頼ることによって考えオチみたいなありきたりな結論を回避するためのものなのだろう【もっともらしくおれカネゴン】。とかく頭のいい人が出す結論は予測どおりで面白くなかったりすることがあるからだろう。偶然を使用しているのは、誰のせいにもしないためなのだろう。カネゴンに必要なのは普通に考えて普通に結論を出すことなので【それができないおれカネゴン】、このカードを使う機会は当分なさそう。
今までxemacsを使っていたのだけど、emacs21というのがあることを今頃知る【足元暗いおれカネゴン】。こちらの方が少し軽そうに見えるのだけど、今までの設定ファイル(.xemcas/init.el)を.emacsにコピーして実行するとエラーが続出し、調整と設定の共有が面倒そうなのでまた今度にする。
久しぶりに日付を間違えていたので修正。
自分のためのメモ: 光速より速い光 〓アインシュタインに挑む若き科学者の物語。
remember.el を導入したものの、今のところリハビリとして英単語帳程度のデータ入力。データをしこしこ蓄積するという地道でまっとうな行為の苦手なカネゴンが避けて通れない関門【当分しこしこおれカネゴン】。
CATVでアレキサンドリア図書館の歴史が紹介されていた(ホスト:吉村作治)。あの日あの時蔵書のバックアップを取っていればと何人が悔やんだだろう。
その中のナレーションで「アレキサンドリア図書館のような、一見何の役にも立たないものを建設したのは実に凄いことだ」みたいなことを言っていたのが気になった。学問は遥か昔から、それ自体が自慢の種として外交的に立派に機能しているとカネゴン思ってしまう。江戸時代のお殿様が競って数学者を雇い入れ、「我が藩にはこのような優れた学者がおわします」と鍔競り合っていたみたいに。孔雀のオスのようなディスプレーが、それ自体は無駄なのだけど「無駄なことをする余裕がある」という意味でメスにアピールするみたいに。世俗に無関係な学問みたいなものを学者は空想しがちで、一部の学者が世俗に疎いというのは本当かもしれないけど、学問自体が世俗から切り離されて存在しているという考え方はどこか学者の単なる願望のような気がしてしまう【何様三昧おれカネゴン】。
異論はあるとは思うけど【貴様が言うならおれカネゴン】、学者がパトロンや殿様に囲い込まれていた17世紀-18世紀が一番発展が著しかったような気がしないでもない。発展の度合いだけ見れば今が一番大きいのだろうけど、学者の人数で割ってみればかなり見劣りしてしまいそうな気が。
クレオパトラの最大の幸運は図書館のそばに住んでいてネタをたくさん仕入れられたことと学習。
昨日から突然気持ち悪くなり、煙草が吸えなくなる。まったくもって原因不明だけど【わしらの仕業よおれカネゴン】、もしかしたら禁煙のチャンスかとの助平心に抗し難く、今も吸わずにいられている。
拘束は演出されていた。どこから信じることにしようか【よりどりみどりのおれカネゴン】。
大人の科学、つい衝動買いしてしまいました。おまけに惹かれたというか、むしろ誌面のがんばりにほだされて。この内容に加えて、日経サイエンス的な専門性の高い囲み記事もぎっしり載せ、数学とコンピュータ(ただしインストール記事でないもの)もさりげなくカバーしていたら確実に毎月買います【腹をこわすかおれカネゴン】。おまけは別売で構わない。子供の科学のがんばりを見れば、980円でそういう雑誌が出せそうな気がする。
結局家に帰ったら少し吸ってしまいました【わしらの努力をおれカネゴン】。
emacs lisp入門。とにかく今書きたいスクリプトがあるときに便利。今夜間に合うとはこのことか。おかげでコードをろくすっぽ書けないカネゴンにも書けました【たった5行のおれカネゴン】。既に本になっているらしい。
導入したつもりのclgrepが動いてなかったので再び調整【慌てる乞食はおれカネゴン】。
KDEでxsessionがどうやっても効かないので、Autostartディレクトリにスクリプトを置いたがやはり動かず。どうやらKonquererを使ってWindowsのショートカットみたいなものを作らないと動かないらしいことにやっと気付く。
健康診断の結果が郵送されてきた。最近の検査結果では、問題のあるパラメータを赤い文字で表示してくれる。
言葉の千本ノックの大家である妖精現実さんの新作「なぜ人身売買が許されるべきか」。野暮なこととは知りながら、ここでいう奴隷とは著作物を指す【奴隷志願のおれカネゴン】。
鈴をシャンシャン鳴らし、チューブラベルをキンコン叩き、囁き声のハーモニーを追加し、平井堅に歌わせれば、「お正月」でもクリスマスソングになる【試すことなきおれカネゴン】。
なぜか週刊モーニングが発売されていなかった。
長年の懸案である、テキストベースの情報整理についてここ数週間あれこれ試したあげく、結論として emacs-wiki をベースに、remember.el と planner.el, schedule.el を導入することにした(Emacs Resourcesからダウンロードできます)。本当はすべてdebパッケージであるのが理想なのだけど今のところplanner.elしかdeb化されていないらしい。
特にremember.elは秀逸で、emacs-wikiの機能をまるごと使えて、呼び出すとちょうど京大型カードのサイズでウインドウが半分に割れ、しかも保存すると即ウィンドウが閉じ、きびきびしている。日付だけではなく時刻もスタンプされるのもありがたい。バッファをまるごとその日のメモにしてしまえる機能があるので、今まであちこちに貯めていたテキストを開いてメモにそのまま取り込めて大変ありがたい。取り込む前にテキストから恥ずかしい記述を削除しないと【傷だらけとはおれカネゴン】。
ChangeLog を直接採用しなかった最大の理由は、レコードが基本的に1日単位であるため。日記にするにはいいと思うけど、カネゴンはどちらかというと京大型カードみたいなもの(なおかつhowmみたいにバラバラのファイルを作成しないもの)が欲しかったので、同じ日付でも時刻が違えば違うレコードになってくれるremember.elの方が目的に合っていた。
remember.el の画面はemacs-wikiなので、貼り付けたURLの上でEnterキーを押せば即mozillaが起動する(この辺はknoppixで既に設定されていたらしい)。今後はブックマークもここに記録することに。データベースのレコード構成は「キーワード」のみ。後はタイトルすらつけずまったく自由書式とした【さっぱりしすぎのおれカネゴン】。
これに加えて高林さんのclgrepなどのChangeLog系ツールも厚かましく導入し、ChangeLogのいいところまでいただく【がっぽがっぽとおれカネゴン】。
最もまとまった情報が「ウィキテクノロジー(仮)のできるまで」にしかなく、しかもページが失われていてGoogleのキャッシュでしか参照できないのが残念極まる。そのうちこの辺のことをまとめます。
今回のきっかけは、現在月一で通っている某私塾の先生が、35年かけて貯めた膨大な京大型カード(数十万枚)の写真をOHPで見せてくれ、カードの入った抽出しが壁一面にぎっしり並んでいる様子にカネゴン圧倒されてしまったため。先生は今後はコンピュータに入力することにしている(過去のカードはもう電子化しない)そうなのだけど、どういう方式でデータを蓄積すべきか悩みまくっているとのこと。Excelに入れたりファイルメーカーに入れたりしても、どうも今一つ決め手に欠けるらしく、今回カネゴンもいろいろ調べてみて、みな同じ悩みを抱えていることにやっと気づく。
カネゴンとしては、migemoのような日本語インクリメンタル検索とこのemacs-wiki関連の情報整理が使えるテキストベースの環境でさえあれば、別にemacsでなくてもいい。カスタマイズの自由度が高過ぎるためについそれに熱中しがちで、そもそも何をしたかったのか思い出せなくなるのが恐い【あるというのかおれカネゴン】。ツールを拾ってきてはカスタマイズする作業がだんだん貧乏臭く思えてくるのはカネゴンの心が貧しいからです【裸電球おれカネゴン】。
いろいろやっているうちに、.xemacs/init.el ファイル(xemacsの初期設定ファイル)がだんだん汚れてきてしまった。不要なコードは消してすきっとしたいのだけど、いつコメントを外すときがくるかわからないのでそのままにしてしまい、たまる一方。ファイルを分割するとメンテが面倒そうで、頭痛い。皆さんはどうやって.emacs とか init.el をきれいにしているのでしょう。
走るロボット。ロボットがじりじりと進歩していることを痛感。今が一番かわいい時期。這えば立て、立てば歩めの親心。後10年もすると無精ひげが生え、野太い声で生みの親に小遣いを要求するようになるだろうか。
増井さんの界面駭客日記は、最早日記という範疇を超えて、全体がアイディア山盛りのプレゼンと化している。「発想法」とかそういう本を読むよりもこの日記を読んで驚きたい。もっと早くこの日記に気付けばよかった【節穴さんとはおれカネゴン】。
全体を通して、現在のコンピュータ環境で無条件に前提とされている数々の暗黙の約束事や老朽化した慣習を嬉々として(←これが重要)ぶち壊そうとするアイディアに満ち満ちていて、まるでええじゃないかに飛び入り参加しているかのような痛快さがある【踊るがよいぞおれカネゴン】。超一級の破骨細胞。
創作ダンスとかみたいに、高校の授業とかで「創作国家」みたいな科目をやらないだろうか。全国の高校生が総力を挙げ、自分で一から国家から地方自治体までの仕様書と条文と実施機構を作成し、過去のあらゆる失敗に残らずパッチを当て、洗練されたアルゴリズムを適用し、保守性よりも改造のしやすさを優先し、ことことコンパイルして動かすのは楽しかろう。SimCityがあんなに人気が出たのだから、実はみんなもこういうことをやってみたいのではないかと思えてくる。裏目に出ると文化大革命みたいになる可能性もなきにしもあらずだけどそのときはそのときで。それにしても行政にアルゴリズムという概念が存在しないのは本当に不思議【反逆するとはおれカネゴン】。
ある日、カネゴンがやっていること(特に演奏)は基本的にモノマネであることに突然気付く。そのモノマネがあまりに下手で、かつモノマネの対象がマニアックすぎたのでモノマネとわからなかっただけかもしれない【ついに気付いたおれカネゴン】。
朝日新聞的社説(自動生成)は、9時5時のルーチンワークで社説を書き上げるために不可欠なcgi。実はずっと以前から機械式の同種の装置が新聞社の奥で厳重な管理下で動作しており、秘密を漏らす者は死をもって贖ったという。
カネゴンもご多分に漏れず社説というものを一度も真面目に読んだことがないのだけど、逆に、社説がある日突然底抜けに面白くなり、うっとりするほどセクシーで危険な匂いのする文章になったらいったいどういうことになるかを冷静にかつ断固としてシミュレートすることこそ我々には必要かもしれない【早くもモノマネおれカネゴン】。
妖精現実さんの以前のテキスト「なぜ自殺しちゃ、いけないの?」。
この喩えようもない説得力はどこから生まれるのか。言葉の打撃力もさることながら、第三者の立場から見おろさず、まさにその渦中にいる者にのみ的確に届くメッセージ。カネゴンものの良し悪しをわかっていないまま書いてしまうけど、これは紛れもなく詩だと思う【おぬし一人でおれカネゴン】。というより妖精現実さんのテキストは一つ残らず論理詩(そんな言葉はないけど)だと思うし、このうちのいくつかは二千年後にも読み継がれるのではないかと【でかい話をおれカネゴン】。
表紙に「もうすぐ終わります」とあるのだけど、本当だろうか。それまでにテキストをwgetで回収しなくては。
もしも鉄がなかったら
コロンブスさん 困ります
新大陸は どこだろう (地球は回っている)
もしも鉄がなかったら
ベートーベンさん 悩みます
インスピレーション 湧かないよ (私の運命はどうなるのだ)
もしも鉄がなかったら
ジェームズ ワットさん 困ります
(???) (ワット、びっくり)
だけど鉄があったから
いろいろ努力の甲斐あって
豊かな 暮らしで よかったね
見つけた!できた!大成功
鉄の歴史 川崎製鉄
鉄の歴史 川崎製鉄
近所の繁華街の片隅に、昭和30年代創業とおぼしき古風な本屋がぽつんとあり、中に入ってみると薄暗いその本屋のすぐ奥にもう一軒別の本屋が隣接していて (古さも同じぐらい)、驚かされる。それぞれ屋号も違うし、置いてある本が明らかに重複している。横ならともかく、本屋の奥に別の本屋があるというのは前代未聞。
カネゴンは奥の店で映画秘宝と子供の科学を買いながら、店のおばちゃんにそっと理由を尋ねてみたところ「昔はうちしかなかったんだけど、だんだん追いやられてきてね」とのこと。同人ものが売上の主力らしい。
その奥の本屋の奥にはまた別の薄暗い出口があり、別の雑居ビルの隙間を抜ける怪しい小道につながっていたので、会計が終わってからあえてそっちから出る。倉庫だか元店舗だかわからないガラス張りの部屋(中は真っ暗)に、頼山陽の川中島がびっしりと書き付けてあって、少しびびる。その廊下はさらに薄暗く、ビルの中なのに天井があったりなかったり、トワイライトゾーン感覚にあふれ、何だかウルトラQに入り込んだような心持ち【そこから来たとはおれカネゴン】。外に出ると、来たときと同じくきれいに晴れ上がった午後の空で、もし振り返ったらもう出口がないかもしれないと思って足早に立ち去る。
これまた20年ぶりぐらいに買って読んだ子供の科学がまた実によくて感激。もしかすると Unix Magazine よりも面白いかもしれない【似合っておるぞよおれカネゴン】。これで600円そこそこは安い、安すぎる。キオスクや空港にこの雑誌を置いていただきたい【誰に向かっておれカネゴン】。ヒデキ指数=97。
「ヤツメウナギは魚類ではなく円口類とされていますが、それはなぜですか」という子供の質問に対し、最近の生物学における進化系統樹の見直しを含めて大人がたじたじになるほど詳細に回答している。結果、現在ヤツメウナギは円口類ではなく独立した類になっているとのこと。
その一方ちょっと心配なのは、かつて誌面の最後に必ずあった秋葉原/神田周辺の電子パーツショップの広告(緑色の紙とかに印刷されていた部分)が完全に壊滅していたこと。
100円ショップで、噂の「100円文庫」を2冊試しに購入(今回はとりあえず夏目漱石)。
2色刷でフォントも若干大きめで読みやすく、レイアウトが実に目に優しい。紙はコストダウンを若干感じさせる程度で、紙の質も決して悪くない。注釈がページの下にあるのでいちいち巻末をめくる必要もなく、おまけもいろいろついていて感激。これで100円は安い、安すぎる。この値段で本を出せるという事実は大きい。
カネゴンは現代っ子なので実はいわゆる「活字で印刷された昔の本」を読むと目が疲れてしまい苦手だったりする。図書館とかで戦前の文庫とかをたまに見かけるけど、もう読み通せそうにない。写植/DTP/Web画面でないと文字を読めない身体になってしまったとは。
何やってんだろ、わし。
「コンピュータの発明」読了。膨大な文献にあたり、コンピュータ史における数々の勘違い(チューリングがコロッサス暗号解読装置を発明したなど、義経が大陸に渡ってジンギスカンになったレベルの話も含む)を是正すべく書かれた本で、解析機関の歯車図やENIACのマシンコードやアーキテクチャを掲載するなど、刺激に満ち満ちている。ヒデキ指数=94。図がしょぼいのと誤植が目立つのが残念【感謝が足りぬおれカネゴン】。やはりエンジニアリングの基礎は歯車であることを再認識させられる。歴史上のこぼれ話も豊富で、関係者必読の名著。
本書によると、今日のストアド・プログラミングの元祖は英国のEDSACにあるという(「ノイマン型」は今や不適切なのだそうだ)。そしてコンピュータに初めてOS(というよりローダー)やインデクシングが装備され、それまで数値計算のことしか念頭になかったコンピュータが初めて文字などの数値以外のデータも処理できるようになった(汎用)という点でEDSACを高く評価している。一方有名なENIACは真空管こそ使ってはいるけど、機械式計算機を強引に電子化したものであり、最大の貢献は当時としてはダントツに速かったことを挙げている。そしてバベッジの解析機関も、実装できなかったとはいえ、今日のコンピュータの基本構造を備えていてプログラマブルであったという点も高く評価している。
ナチス政権下のドイツでズーセによって独自に開発されたZ1号 ̄Z4号(Z3号までは設計図も含めて連合軍の爆撃で破壊された)の話も凄い。最初に2進数と浮動小数点を採用し(当時はENIACなども含めて皆強引に10進数で処理していた)、リレー式ながら戦前における完成度の高いコンピュータだったにもかかわらず、発表が遅れ、後のコンピュータに何の影響も与えていない(現在使用されている2進数は、ベル研究所の成果がもとになっているらしい)という悲運のマシン。
あのノイマンを「問題を正面から解決する能力のない人物」と断じ、現場のエンジニアにとっては邪魔者であり、唯一の貢献は「非線形微分方程式を解かせる」という当時のコンピュータのスペックを遥かに越える要求を突き付けたことによって進歩を刺激した程度とまで言い切っているのは、著者がエンジニアだからというのもあるかもしれない。EDSACが成功したのも、ノイマンの邪魔が入らなかったからではないかとのこと。数学者とエンジニアが違う人種であることを痛感。もしかして問題解決ができなくても生きていてよいのでしょうか【一緒にするなとおれカネゴン】。
意外な拾い物は、バベッジの解析機関の章で、差分(difference)と微分(differential)の違いと関係について明確に説明し、しかも実装につながる説明であること。英語圏ではdifferenceとdifferentialの語感が似ていて間違われやすいともあった(日本語は訳語が違っているので救われている)。これまでこういうことを説明してくれた本にカネゴン巡り合っていなかったので感激。カネゴンの中で何かが一つにつながったような気がする【いつもそう言うおれカネゴン】。工学は実装につながらないものに価値を見出さないことを痛感。
関数f(x)の差分が f(x+h) - f(x) だとすると、刻み幅hで差分を割ったもの(つまり刻み幅あたりの差分) (f(x+h) - f(x))/h が大雑把に言って微分であり、この刻み幅hを無視する(事実上消去する)ために極限という技術が副次的に使われていることになる。言い替えれば微分とは差分と刻み幅の比ということになる。数値の単純な比と違うのは、差分も微分もまた関数であるというところ。もう少しまとめます【どうなることやらおれカネゴン】。
KDEを使用中、ドットファイル(.xsessionや.xinitrcなど)に xmodmap ~/.xmodmaprc と記述してもなぜか実行してくれない。しかたなく/etc/X11 や/etc/kde3などに書いてもやはり実行されない。それでいてその直後のコマンドは実行されている。KDEはどこかでxmodmapの設定を上書きしてしまっているのだろうか。カネゴンの場合、HHKのaltキーとMetaキーを入れ換えて使っていたので、xmodmapが設定できないと甚だ不便。KDEのどのモジュールが悪さをしているのやら。
「コンピュータ科学者がめったに語らないこと」読了。読んでて不思議だったのは、魂や心が機械にも存在するかどうかを議論する前に、なぜ「なぜ人間はあらゆるものごとに魂や心を見いだすことができるのか(してしまうのか)」を誰も議論しないのかということ。何度も書いているけど、カネゴンは「開運!なんでも鑑定団」で、人は一枚の切手、一体のフィギュアなどあらゆるものごとに魂や心を見いだせることを学んだ【安い勉強おれカネゴン】。
そして、神とは何かを定義しないまま、神が存在するかどうかを議論するのも不思議。これまた何度も書いたことだけど、大槻教授とつのだじろうが毎年夏にTVで繰り広げる議論がいつまでたっても終わらないのも、「霊魂とは何か」を定義しないまま霊魂が存在するかどうかを議論するせいだと思う。でもこちらの方はたぶんゼロで割り算するみたいに、あちらでは禁じ手なのだろうと推測。なので深入りしません【言うだけ言うとはおれカネゴン】。
たぶんそれが何なのかは問うてはならないのだろう。というより、「問えるものなら問うがいい。それによって何がしかの成果は得られるかもしれないが、その代わり心が寄って立つ基盤を自ら手放すことになる。そして一度手放したら取り戻すことはできない。それは全部おぬしのせいであり、私のせいではない。」と言われているような気がしてくる【わしらは言わんぞおれカネゴン】。
カネゴンが幼虫(小学生)の頃にマリモを分解したら、中身は全部表面と同じ藻しか詰まっておらず、 (グロい何かが中に隠れているのではないかと密かに期待していたので)逆に驚いてしまったことがあったけど、それと同じような感じなのだろうか。なのでカネゴンも問うのをやめておきます【できもせんことおれカネゴン】。
カネゴンが子供の頃、映画やTVに出てくるコンピュータの喋り声は
車に歯(from recollection)。
家庭科学総合研究所(カソウケン)。暮らしの手帖の次期編集方針はこれで決まり。
薄紙を剥ぐように自宅の PC 環境が回復しつつある。と思ったらまたキーバインドがおかしくなった【三歩進んでおれカネゴン】。
健康診断で「5kgは痩せなさい」とまっとうなことを言われる。「尿が足りないのでもう一回出してください」とも言われる【世話を焼かすなおれカネゴン】。
健康診断の待ち時間に、そこに置いてあった「暮らしの手帖」を20年ぶりに読み、ちょっとした衝撃。
まず、日本語の水準が極めて高いこと。どうやっているのかわからないけど、多数のライターやインタビュアーが書いているにもかかわらず、まるで一人で書いているかのような高度な統合性。そしてどの文章も極めて読みやすく、レイアウトの配慮も並々ならぬものがある。句読点を多めに打つことで、係り結びの誤りを事前に防ごうという心配り。今回掲載されていた「DVDプレーヤーの選び方」などは内容のみならずテクニカル ライティングとして非常に参考になる。日本語を習う人は「暮らしの手帖」をサブテキストにするといいかもしれない。ドキュメンテーションに携わる人は一度は暮らしの手帖を精読し、それからその辺のオンラインヘルプに目を通してその落差に愕然とすべし。
そして旧態依然かと思いきや、常緑樹の葉が入れ替わるように少しずつ新しい企画を取り入れ(まさか漫画や語学や科学読み物を暮らしの手帖で目にするとは思わなかった)、それでいて決して小説などというものを掲載しないところもいい。かと思うと、家庭で作ることがあるとは思えない「帝国ホテル」クラスの料理やお菓子の作り方も相変わらず健在。
カネゴンが繭(中学生)の頃、家に大量にあった暮らしの手帖を一気読みしてしまったせいで左翼成分を多量に吸入してしまったことを思い出す【どこか無礼なおれカネゴン】。銀杏も多量に食べると中毒を起こすらしいので、所定の用量を超えないことが肝心【貴様の日記もおれカネゴン】。
いやむしろ、暮らしの手帖社はコンピュータ雑誌または科学雑誌を創刊すべきかも。スポンサーから中立という強みを活かさない手はない。いやむしろ、暮らしの手帖がOSを開発したらどんなものになるのか見てみたい【かわいそうとはおれカネゴン】。
米国で来年からバイオメトリックす検査開始。もういくつ寝ると鎖国するのだろう。
自宅の KNOPPIX 環境を KDE に委ねる決心がつく。しかしまだまだわからないことだらけで、.bashrc を設定しても読み込まれなかったり、どこで設定されているのかわからない環境変数が設定されていたり、.xsession ファイルがあると(中身が空であっても) X が起動できなくなったり、HHK用のキー配列 (xmodmap) がおかしくなったり、xemacs を kterm から起動したときと rxvt から起動したときでなぜか仮名漢字変換の挙動が異なるとか。KDE 本とかそういうのをなるべく買わずに済ませたい【下手なケチりはおれカネゴン】。
今後も何度となく環境を壊しそうなので、インストールメモ兼シェルスクリプトを作成(頭に#!/bin/sh を書き込んだだけ)。debian だからできる技かもしれない。最初からこうしておけばよかった。インストールが/usr/local/bin にさしかかったら結局手動になるとは思うけど。
生まれて初めて胃が痛い【食べてすぐ寝たおれカネゴン】。
自動ニュースに収集されていたミスター味っ子 ビデオサブタイトルにしてやられる(特に「京都食べます」)。同人者のネタが高度にマクロ化している現在、ここまでのびのびともじられる様は何とも目に麗しい。
自動ニュースはカネゴンの中では今は亡き「俺ニュース」と同じ座を占めてます。
コンピュータ科学者がめったに語らないこと読了近し。名残惜しや。
聖書の翻訳というものが、英語だけとってみてもこれほどバリエーション豊かだったことに正直驚異を(ちょっと戦慄も)覚える。つい自分たちは1冊の聖書というインスタンスだけが聖書であるような気がしてしまうけれど、膨大な版、膨大な言語そしてさまざまな訳者による聖書すべてが聖書だと思うと、底知れないほど深い淵を好奇心にかられてつい覗き込んでしまったような気にさせられる。そしてカネゴン定義によると誤訳とは「意図したものと違うメッセージが伝えられる」ことになるのだけど、そうすると聖書には誤植はあっても誤訳はないことになる【曲解するとはおれカネゴン】。みんな、ぱらいそさいくだ【あっちで一人でおれカネゴン】。
肝心の神に関する議論は意外にあっさり。
以前ニュートラルで聴かせてもらって知ったミニー・リパートンのCDをAmazonで買おうとして、検索で引っかからず焦る。「ミニー・リバートン」だと覚え間違えていたことにやっと気付いた【智恵も実もないおれカネゴン】。
このラストアルバム「Come to my Garden」は、この世に居ながらにして浄土を垣間見ることのできる、浄土感に満ち溢れた傑作だと思う【こっちはよいぞおれカネゴン】。タイトルを思い出せないけど、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの一番いい曲(しっとり目)がアルバム一杯に収録されたような感じ。
スペンサー・ブラウンという人のことを初めて知る。他の科学ならともかく、数学でもトンデモ(この言葉は使いたくなかった)を運営することが可能であるという事実はちょっと痛快。何かの間違いでカネゴンが自分の主張を世に問うことがもしあらば【あらぬあらぬぞおれカネゴン】、必ずやこのように非難ごうごうの嵐吹き荒れ、原子レベルまで分解されて風に飛んで消えてなくなることはもう確定【ノミの心臓おれカネゴン】。
今後「トンデモ」という言葉に代えて「外道科学」という言葉を使用し、やくざっぽさを醸し出すことにする。外道数学、外道生物学、外道心理学、外道経済学、外道イギリス史などなどプレフィックスとしても便利【それがお似合いおれカネゴン】。そのまま中国でも通用するし。なお「外道」という言葉はドーベルマン刑事で覚えました。
海外ボツニュースのミス醜女の文章に感じ入る。カネゴンも昔こんなことを書いたのを思い出す【明日の運命おれカネゴン】。
ありのままの自分を受け入れることができればどんなにか楽だろうと思いつつも【あなたが憎いおれカネゴン】、生のままの自分にあたって相手(または自分)が腹をこわすのは怖いので、せめて塩もみした後三日三晩よく煮込んで完璧に調理してからきれいにお皿に盛り付けてお出ししたいところ。しかしできあがるのを待っていてはいつまでたっても出せはしない。まるで巡回セールスマン問題の如く、最適な自分が熟成されるのを待っていたらあっという間に数億年経過してしまうので、そこそこの近似解を物凄い勢いで求めないといけないことになる。そこのところみなさんはどのようにしているのでしょうか【未だに解けぬおれカネゴン】。
森山さんの日記で、自動車のインターフェイスに対して疑問が提出されている。カネゴンは未だ免許を持たないけど【生きる資格もおれカネゴン】、繭(高校)の時カネゴン母が免許を取得したときの教科書を勝手に読んでいたことがあり、そのときに「ブレーキは右足で踏む」とあって驚く。アクセルが右に、ブレーキが左にあるならブレーキは左で踏みそうな気がしていたので、己の直感に反していたからだと思う。今からでも遅くないので変えてください。
マクドナルドのお盆に差し歯を置いて食事したら、それを忘れてそのまま中身をゴミ箱に捨ててしまったことに数時間後に気付く【驚きゃせぬわおれカネゴン】。呑みこまなかっただけましかも。うう。
覚悟を決め、帰り道の沿線にある別の歯医者に行く。
太陽風、地球の磁場に裂け目を作り侵入。これがもしやあの天開眼では。
自宅のKNOPPIX環境(xemacs)が整っていないので書きにくいことおびただしい。カネゴンがよくわかっていないKDEをデフォルトでオンにしてしまったばかりに、KDEのどこで環境変数やら何やらが設定されているのか調べるだけでも面倒。といって今からKDEを抜いたらまた別の災いが起きそうで。
この閉塞感をどうにかしようとしてか、英国で相次ぐ、携帯電話基地局の「打ち壊し」。
打ち壊しの次は「ええじゃないか」が全世界的に蔓延すると予測【当ててなるかえおれカネゴン】。
臭いものには紙を貼れ
破れたらまた貼れ
あええじゃないか ええじゃないか
ところで、かつて諸星大二郎が「ええじゃないか」に「ドンマイ・ダンス」という絶妙なルビを振っていたのを思い出す。
それはそうと、貧乏ゆすりにはもしかするとシステム的に積極的な意義があるのではないかと思える今日この頃。ミクロでは無意味でもマクロでは意味があるみたいに【実りないとはおれカネゴン】。これについてクヌース先生以下あまたのコンピュータサイエンティストから一言あってしかるべきでは【何様三昧おれカネゴン】。カネゴン死ぬまでに一度でいいからええじゃないかが踊りたい【既にうずうずおれカネゴン】。
今年の“意味不明”発言大賞。彼もまた、ええじゃないかを踊る準備完了。
車載システムの独占も計画。彼らもまた、ええじゃないかに向けてお札を着々と準備中。
こうやって一歩一歩着実に世の人に暗示をかけ続けていれば、きっと生きているうちにええじゃないかが踊れる日がくる【黒い目的おれカネゴン】。皆様の潜在意識に深く深く染み渡りますように【他人を巻き添えおれカネゴン】。
「実験人形ダミーオスカー」が映画化されるらしい。ええじゃないかに向けて進行中かどうかを審議中。
関係ないけど、先日蒲田にて「実験人形ダミー・オズマー」という短編ギャグ映画を、監督じきじきの活弁で鑑賞した。
年金を納めないと妖怪になる。最近のスタンダード反社会学と合わせて読むと感慨もひとしお。
「若者に親しまれるように作ったつもりだった」とのコメントからすると、老若男女を問わず貫通する数少ないボキャブラリー空間が妖怪だったりするのだろうか。
最近なぜか体調が優れず【呑みすぎたのはおれカネゴン】。
ムーアの法則に近づきつつある。どんなことにも終わりがあるということを改めて思わずにいられず【もっともらしいがおれカネゴン】。かといってそこで立ち止まるわけにもいかず。
クヌースのコンピュータ科学者がめったに語らないことをついに買って読み始める。まだ冒頭だけど、もううっひっひとほくそ笑みたくなるほど面白い【電車で読むとはおれカネゴン】。惜しむらくは翻訳が今ひとつなこと【人のことだとおれカネゴン】。早く続きを。
クリスチャンでないのに毎日が試練【誰でも試練ぞおれカネゴン】。
yomoyomoさんの更新記録から辿った『アイアンマウンテン報告』。
戦争と平和は、よく考えたらどちらも最終目標ではないような気がしてきた【当たり前ではおれカネゴン】。そもそも何がしたかったのか最早思い出せない。そして戦争と平和どちらにおいても本当に恐ろしいのは戦争それ自体よりも「お前は死んでもいい奴」に分類される(あるいは分類を担当させられる)ことだったりする【三等兵とはおれカネゴン】。
それとは特に関係のない田中ニュースの新作。
彼の主張の一つに「アメリカは、隠然とした帝国から、自覚した帝国に変身すべきだ」というのがある。アメリカ人は、自国が「帝国」(empire)であると認めることを強く嫌い、代わりに「覇権」(hegemony)という言い方を好むが、ファーガソンは「今のアメリカはまさに帝国の状態にある。アメリカは帝国であることを認めず、帝国としての義務を果たさず逃げているのではないか」と主張している。
つまり自分たちはとっくの昔に反乱軍でもネオでもなくデススター側でありエージェント・スミス側であったと認めなければならないことに【うれしそうだのおれカネゴン】。次回大統領選ではこの辺が争点になる予感。