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1997年夏、東京・中野に住んでいた筆者は、友人に誘われて東中野のアパートを訪れた。1階の玄関のドアは... 1997年夏、東京・中野に住んでいた筆者は、友人に誘われて東中野のアパートを訪れた。1階の玄関のドアは空いていて、数十人ほどの靴やサンダルが雑然と脱ぎ捨てられていた。見るからに不衛生な印象を持ったが、同時に懐かしくも感じた。 筆者がまだ小学生だった1970年代、埼玉県川口市の古びた長屋に年1回、父に連れられて行った。そこは親戚の家ではなく、父が18歳まで別の家族と2世帯で同居していた一間だけの家だった。 父が中高生だった1950年代までは、そのように血縁ではなく、地縁の隣近所同士が同じ家屋をシェアしながら暮らす長屋は珍しくなかったのだ。戦後の貧しさの中で生活を維持するには、そうしたご近所同士の頼り合いをお互いに必要としていたし、自分の子でなくても悪いことをすれば叱る大人が珍しくなかった。 その記憶があるから、きれいとはお世辞にもいえない東中野のアパートを訪れた時、よれよれTシャツでヒゲ面の
2019/09/11 リンク