※登場する取材協力者の肩書きや年齢は取材当時のものです。
アメ横から薄れる「日本らしさ」
「『アメ横通り』に並ぶ飲食店の8割はもう、経営者が中国人じゃないか」
東京・上野のアメ横商店街連合会で会長を務める、星野勲さん(73)は少しあきらめ気味にそう話す。アメ横商店街は東京都台東区に位置し、JR上野駅と御徒町駅の間、約500メートルにわたり、今なお約370の店舗がひしめき合う。
終戦直後にできた闇市を起源とし、飴を売る屋台が多かったことから「アメヤ横丁(飴屋通り)」と呼ばれ、後にはアメリカ進駐軍の放出物資を扱う店などが増えたことから「アメリカ横丁」とも呼ばれたことが、その名の由来だ。いずれにせよ、日本を象徴する代表的な商店街といっていい。そのアメ横に何が起きているのか。
アメ横といえば、まず思いつくのが年末のにぎわい。特にマグロやカニ、エビ、イクラ、数の子、ホタテといった正月用の食材が店先に並べられ、店員から飛ぶ威勢のいい掛け声が、年末のにぎわいを盛り上げ、「日本の風物詩」を作り上げてきた。
だが、その風物詩を生み出してきたはずの魚屋は、以前30軒以上はあったというが、今や5軒を数えるばかりに。代わりに増えたのが、中華系の飲食店だ。
アヒルの首にザリガニ…並ぶのは日本人に馴染みの薄い食材
店頭には、鶏の頭や豚の尻尾、アヒルの首、羊の串、ザリガニなど、日本人にはなじみのない総菜がずらりと並ぶ。店先からは中国語で呼び込みをする中国人店員の声が響き、吸い寄せられるように、訪日中国人客や在留中国人らが集まり、テーブルで思い思いに食事を楽しむ。こんな光景が、いつしか現代版アメ横の風物詩にもなってきた。
こうした状況を星野会長も憂う。「アメ横通りには以前は魚屋が多かった。平日を含め1年を通してそれなりに売り上げがあったが、最近は魚が売れなくなった。だから、店のオーナーは、普段は他の人にお店を貸し、年末だけここに戻って、正月用食材などを売って商売する店が増えてきた」と内情を明かす。何とかこうして年末の期間だけは、古き良きアメ横のメンツは保たれている。
