※本稿は、東大カルペ・ディエム(著・編集)、西岡壱誠(監修)、じゅそうけん(監修)『東大理III 合格の秘訣 Vol.40 2025』(笠間書院)の一部を再編集したものです。
「東大生のノートは美しい」を過信しないでいい
「うちの子、ノートが汚すぎて心配なんです……」
塾講師をしていた頃、保護者の方からこんな相談を何度も受けました。実際にそのお子さんのノートを見ていると、確かに「これはひどい」と思うような殴り書きが並んでいます。途中式は飛び飛びで、本人に「ここは何を書いたの?」と尋ねても答えられない。そんな姿を見れば、「この子は本当に勉強についていけるのだろうか」と親御さんが不安になるのも、もっともなことです。
読者の皆さんの中には、『東大合格生のノートはかならず美しい』(太田あや著、文藝春秋)という書籍や、“東大生のノート術”などが注目されたことを覚えている方も多いのではないでしょうか。カラフルなマーカーで整理された美しいノートが書籍やテレビで大きく取り上げられ、関連書籍もたくさん発売されました。
“東大生のノートは綺麗”、“優秀な社員はプレゼン資料が綺麗”……。そういった情報が広まっていった結果として、「賢い子=きれいなノート」というイメージが定着しました。だからこそ、わが子のノートが雑然としていると、「頭のいい子からは程遠いのでは」と心配になる気持ちもよくわかります。
ですが、私は断言できます。「ノートが汚い=伸びない、賢くない」というのは大きな誤解です。東大受験専門塾の鉄緑会で5年間数学を教え、多くの東大生と接してきた経験から言えます。
思考のスピードが手に追いていない可能性
私が指導してきた中で強く感じたのは、ノートが汚い子ほど「頭の回転が速い」ことが多い、という事実です。
授業中に次々とアイデアが浮かぶタイプの子どもは、ノートを丁寧に整える余裕がありません。「思いついたことをとにかく書き留めなきゃ」と焦るあまり、文字は乱れ、行はそろわず、走り書きのようになります。外から見ると「不真面目」や「雑」と誤解されがちですが、実際には思考のスピードに手が追いついていないだけだと感じます。
実際に生徒と話をしてみると、彼らは頭の中できちんと筋道を立てて考えています。ただ、それをノートに落とし込む作業が間に合っていないために、見た目が雑に見える。つまりノートが汚いのは「能力が低いサイン」ではなく、「伸びしろがある証拠」でもあると言えるのです。
思考が速いからこそ、形にするのが追いつかない。それはマイナスどころか、今後大きく成長していくポテンシャルの表れだと考えていいはずです。
