水俣第一小学校裏に残る防空壕跡。(安田菜津紀撮影) ※本記事では差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 ※戦前の日本窒素財閥を含め、チッソという呼称で統一しています。 子どもたちのにぎやかな声が、教室や校庭から風にのってかすかに届く。水俣第一小学校裏の小道を歩くと、鬱蒼と生い茂る下草の隙間から、白みがかった土嚢袋の山がわずかにのぞくが、その先に続くはずの横穴は塞がれ、中を見通すことはできない。斜面にはこうして、戦時中に掘られた防空壕の跡がぽつりぽつりと残されていた。 日本が敗戦を迎える1945年、3月29日の空襲を皮切りに、現在の熊本県水俣市は度々爆撃を受けている。チッソの水俣工場では、火薬や戦闘機用防風ガラスの原料が日夜生産されており、それらが標的となったとされる。 チッソは後に確認される水俣病の原因企業だが、同社の加害は日本国内だけに留まらない。むしろ水俣病事件の「源