奈良本辰也先生は2001年3月22日、京都市内の病院で亡くなられた。先生には京都部落問題研究資料センター... 奈良本辰也先生は2001年3月22日、京都市内の病院で亡くなられた。先生には京都部落問題研究資料センターの前身にあたる京都部落史研究所の発足にあたってもつよいご支持をいただき、毎年の総会にはかならず老躯を運ばれた。晩年、足を痛められてからは奥さまの千枝さんが付き添われ、欠席なさることはなかった。若い人たちの姿に接するのは気持ちのよいものだと、よく語られたものだった。在りし日の先生をお偲びするとともに、お寄せいただいたご厚情に深く感謝を捧げたい。 奈良本辰也先生は1913年(大正2)12月11日、風光明媚な瀬戸内海の島、山口県の大島でお生まれになりました。岩国中学校から旧制松山高等学校に進み、さらに京都帝国大学文学部において国史(日本史)学を専攻されたのでありました。 先生の学生時代は、野間宏氏の小説『暗い絵』の時代であって、この小説の登場人物は先生の親しい友人たちで、わずかな良心のひと
記事へのコメント2件
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています